4・悲劇のヒロイン聖女様2
「これはこれは竜の濃さを尊ぶ方々。大昔の数滴ほどを威光と振りかざすは微笑ましいことですね」
優しく軽やかな声音に内包された鋭い氷の様な棘。
怒りのあまりに珍しく目を見開かれているエルン様の美貌に見とれたのか、ぼうっとした表情で彼を見つめる聖女フィリア様。何故か狼狽も露わに席を立つリエール教主。
「その蒼、セイウォルか。何故ここに」
「僕の伴侶が憂いていたので」
エルン様がわたしを見つめる。心配そうに、慈しみ深く。
視線につられ、聖女様と教主様が鋭くわたしを見やった。
悪意ある視線がザクザクとわたしを突き刺す。
教主様は直ぐに憎々しげにエルン様に目を移したけれど、聖女様は違った。
どろどろとした、真っ黒な敵意。
ずるい! ずるい! なんで、どうして!
そんな怨嗟が聞こえる様な視線だった。
こんなもの、生まれて初めて浴びせられた。
何これ恐い。こわい。怖ろしい。
厳しい顔のお父様がさっと視線を遮ってくれた。
二人はお父様のこと歯牙にも掛けない。
お父様は疫病から民を護り、実力だけで爵位を得た偉人だけれど、彼らにとってお父様は平民。人間じゃない。
わたしも。
お父様に護られていても、敵意に満ちた声は届く。
「は? イタいババア偽聖女の娘の癖に彼氏持ちとか生意気なんですけど? アタシの村滅んでんだよ? アンタ平和に暮らしてた癖にズルくない?」
アタシは可哀想なの。譲りなさい。
そんな言葉が響いた途端に、ぶわりとエルン様の魔力が尖る。にこやかに微笑んでは見せているけれど、とても攻撃力の高い笑顔だ。
「竜の数滴を有り難がる国の生まれにしてはお勉強が至らぬようですね聖女サマ。後見人たる教主殿はご存じでしょうが、我らセイウォルに、伴侶以外を愛する機能はございません。僕はもう売約済みですので、どうぞお引き取り下さい」
びりびりと空気が震えている。
放つ圧がヒトのそれではない。
巨大な強大な竜の至近距離、鋭い牙が切り裂かんとこちらを向いている、そんな心地がする威圧だった。
「我らセイウォルが築く壁の内側にて安全に暮らされたいのであれば、僕の家族たるルサキーノの方々にも丁重な態度を願いたいですね」
更に可哀想にはなりたくないのでしょう?
言外にそんな言葉を匂わせて、元来の糸目を更に冷たく細められた目で聖女様を見やるエルン様。
「アタシを脅迫するの。酷い! アタシ被害者なのに!」
「それはそれはお気の毒様ですが、可哀想な聖女サマに対する補填はヒトにお願いします。ヒトの悲劇はヒトの社会で何とかして下さいね。貴女方はヒト、僕達とは違うのですから」
「は? え? なにその言い方。それじゃアンタ達がまるで……」
「素晴らしい聖女サマですねリエール卿。僕達セイウォルをご存じない様だ。伸びしろ豊富で、将来が楽しみですね」
うっそりとした麗しい笑みでガンガンに皮肉を仰っているエルン様。
褒められたと思ったのか得意顔の聖女様に、脂汗が止まらないリエール教主。
セイウォルの方々は基本的に無関心に限りなく近い温厚さだけれど、一度逆鱗に触れると物理的な生命の危機が訪れるからね。一族丸ごとお引っ越しという形で。そこにリエール卿ご自慢の権威や爵位は関係無い。そうやって滅びた旧王都やら大都市やらは、幾つもの寝物語として世の子供達に継承されているというのに。
そんなセイウォルの方々については、セイウォル外でも一般教養だと習ってきたから、聖女フィリア様の反応は解せない。セイウォルの方がいらっしゃらない村の生まれだとしても、セイウォルを知らぬ者はいないと思っていたのだけど。隠れ里か何かの生まれなのかしら?
兎にも角にも。
エルン様がニコニコと圧を掛けて下さったお陰で、聖女様が我が家に下宿するというとんでもない災難を回避することが出来た。
わたし達は家族総出でお礼を言った。エルン様が来て下さらなかったら今頃どうなってたか想像も付かないもの。
寛大で頼もしいエルン様は鷹揚に「シルリアの伴侶として当然の事をしたまでです」と穏やかに笑む。先程、教主様や聖女様に見せていた姿とはまるで別人の様な温かい笑顔だ。
それにしても、聖女様も教主様も一体何を考えているのだろう。
そもそもが部屋数が足りないと申し上げていたというのに。
……もしや、わたしの部屋が接収される予定だった?
その場合わたし何処で寝るの??
「そうなったら僕の部屋に住んだら良いよ」
にこ~っとぽやぽやした笑顔で仰るエルン様。先程までの冷たい美貌で流れる様に皮肉っていた方とはまるで別人に見える。わたしと一緒に居て安らいで下さっているの、とても嬉しい。
お礼(に足りる筈もないのだけれど)にと強請られた、わたしのよわよわ雑魚魔力でエルン様の目を癒やす恒例行事の最中のことだった。
「ままままだ早いと思います!」
わたしは真っ赤になって思わず魔力がぼわっと溢れた。
けれども幸い彼を痛めず、すうっと患部に溶け込むわたしの魔力。
生まれつき吃驚するくらい、わたし達の魔力は相性が良いけれど、正しく変換する前の癒やし効果のない魔力は患者の害になってしまうのだ普通は。
でももう、わたしの魔力は改良されたから大丈夫。
魔力の矯正、続けてて本当に良かった。暴発してても無意識下でも彼に最適、もう貰っても注いでも魂底から髄に響く心地好さになれたのだから。魔力の注ぎ合い、循環し合いは本当にわたしをダメにする。癒やす度に相性の良さを徹底的に叩き込まれてしまうから。
でもこれは何もかもが最適化済みのエルン様に対してだけ。
こんな失敗をしていたら回復魔法の練習にならない。
「ごめんなさいエルン様」
「大丈夫だよシルリア。でも嬉しいな。同棲、そんなに動揺しちゃうんだ?」
「あ、当たり前です……!」
「結婚したら当たり前になっちゃうんだよ?」
「うううう麗しいのはきっと一生慣れませんですぅ……」
「そっか。じゃあ一生僕にどきどきしててね?」
壮絶に美しい流し目。
ぼふっ! そんな情けない音を立てて、よわよわ回復魔法は破綻した。
わたしはエルン様の胸板で真っ赤になった顔を隠してて、エルン様は朗らかに笑って、わたしの背を撫でて下さった。もうそうなると、安心するよう癖付いている。
エルン様が動揺させているというのに……!
エルン様の背中ぽんぽんで秒で落ち着いてしまうのだ!
もうわたしはダメかも知れない。




