瓦解
レイはミヤコに自分と同等の立場になってほしいと願っている。そしてその願いは叶う一歩手前まで迫っていた。
百メートル先に広げてあるゴールテープをミヤコが切った時、全員でなくとも大多数の生徒がミヤコのもとへ集まる。その光景を想像しただけで、胸の内からドロリとした感情が漏れ出した。
だからといって、レイはワザと負けるような真似はしない。ミヤコが人気者になる事は念願ではあるが、それと同等の位置に彼女との真剣勝負がある。自分が認めた相手、実力も同じかそれ以上。初めて貰った誕生日プレゼント以来のワクワク感をレイは感じていた。
教員が右肩と左手で耳を塞ぎながら、スタートの合図を鳴らすピストルを掲げる。
パァンッ!
ピストルの音と同時に、二人は駆け出した。大声援を送られる中、一向に距離が開かない二人は心の中で叫ぶ。
(勝つのはアタシだ!!)
(勝つのは僕だ!!)
百メートル走の平均タイムは、男子が十三秒、女子が十五秒。男女で二秒ほどの差がある。だが二人は男子に三秒の差をつける。調子の良し悪しでタイムは変わるが、悪くても十秒を超えはしない。走り慣れている陸上選手も、そうでない生徒でも、百メートルを十秒で走り切る人間の速さは、ある種の怪物を予感させる。
残り五十メートルの地点。二人にとってはおよそ五秒の位置。
ミヤコに異常が生じた。
(なんだ……なんか……変だ……)
視界の解像度の低下。
目玉が回る感覚。
呼吸の不感。
やけに痛む頭と何も感じない体。
失速。
レイがゴールした頃、ミヤコは未だ四十メートル地点で佇んでいた。視界不良と聴覚の異常から、ミヤコ自身は走ってるつもりではいた。体の感覚は感じられずとも、自分ならまだ走れてると過大評価していた。
ミヤコは確かに身体能力に秀でている。だからといって、ミヤコはただの人間なのだ。
体の感覚が戻った瞬間、自分が膝から崩れていくのを感じた。何故、どうして、など考える余裕も無く、ミヤコはそのまま気を失った。
傍から見えたミヤコの一部始終は肉眼で捉えた幽霊のようなものだった。見えているが、脳が拒む。前触れの無い唐突な事象を拒むのが人である。そこから事実だと認識するまでの時間の差は、年齢ではなく、人生経験が左右する。
「先生方! 急いで病院に連絡を!」
ミヤコが倒れてから二秒後、校長が誰よりも先に動いた。続いて教員が動き出し、そこから更に間を空けて生徒達が反応した。
しかし、レイだけは尚も受け入れられずにいた。全力疾走で駆け抜けたというのに、呼吸は安定し、体は酷く冷たい。並んでいたはずのミヤコが、あんなにも遠く離れた場所で止まっている。自分が離されてしまったのかと考えようとしたが、そんな甘い現実逃避を許すほど自分には甘くない。
計画通り自分が負ける。僅差で自分が勝つのもまだ許容出来る。
だが、現実は想定外の出来事となって結果となった。
生徒も教員も、全員がミヤコに視線を向けている。
だが、それはレイが望んだ視線ではない。
運ばれていくミヤコの周りに人が集っている。
だが、それはレイが望んだ集いではない。
これまでの十七年で初めて出来た対等な友達との競争に勝利した。
だが、それはレイが望んだ勝利ではない。
望みは全て叶えてきたレイの初めて叶わない事象。
その挫折は、レイに警鐘を鳴らすようであった。




