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虐待され続けて辛かった  作者: Liu
フィクション・ポエム

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37/45

頭をほじくり、火災を喜ぶ者!

世界には、数々の恐怖が存在する。


人は、恐怖(ばけもん)に名前を与え、論理の枠組みにむりくり押し込めることで、なんとか自我の崩壊を防いできたのだ。


目的を持って人を殺す者には「欲望」という理由がある。


法を破って夜の街で暴回る者には「反逆」、あるいは「快楽主義」というイデオロギーがある。


彼らはどれほど残虐であろうとも、法や道徳、自己と他者という「概念」を「理解した上で、意図的にそれを破壊している」に過ぎない。


つまりだ。彼らは「まだ」我々と同じ「人間」の内側に生息する、意思を持った生命体なのである。


だが、真の絶望とは、真の邪悪とは……そのような生ぬるい理解の範疇には決して収まらない!


私の頭脳の最も深い層に、「呪い」として焼き付いている「父」という名の生物。

あれは、人間という皮を被った、絶対的な「無」の権化であった。

彼の中には、他者はおろか、自己という概念すら存在せず、ただ無目的に、理解を拒絶しながら、あらゆる意味と価値を粉砕し続けるブラックホールそのものであった。


これは、中学校にあがる前という最も無防備で柔らかい時期に、そのブラックホールに放り込まれ、魂を粉々に分解された一人の子供の、壮絶なる地獄の記録である。


その日。

家の三件隣の焼肉屋が、猛烈な炎と黒煙を上げて燃え盛っていた時のことだ。


火柱。怒号。熱波。そして悲鳴。


恐ろしい光景であった。


消防隊員や警察官が危険を知らせ、「下がってくれ」と声を張り上げている。それは安全を確保するための合理的な指示である。しかし、父の眼球に映っていたのは、悲劇でもなければ危険でもなかった。


「下がれじゃないだろ!よく見えないだろ!火事の対策のために見る必要がある!……ざまあみろ!ざっまっあっみっろっ!ひょう!ひょひょひょひょ、ひょう!」


父は、狂喜乱舞していた!


狂喜「乱舞」である!


踊っていたのだ!


誰かの人生が炎に焼き尽くされていく様を目の当たりにして、心の底から湧き上がるような喜びを、臭くて汚い四肢に充填させて、穴の空いた風船のようにバタバタと振り回して……爆発させていたのだ!


「火事の対策のため」という、その場を取り繕うためのわけのわからない出鱈目な大義名分すら、彼の狂気を隠すことはできていなかった。


「ざまあみろ」、という、呪詛の言葉。


そこには、他者の不幸を自らの趣味として消費する、果てしなく純粋な「悪意」だけが結晶化していた。

彼は炎の中に、破壊の根源的な悦びを見出していたのだ。他者への「共感」という機能が、最初から彼の脳の設計図には存在しなかったことの、それは明確な証明であった。


その絶対的な共感の欠如は、やがて、私の存在そのものを根底から否定する、おぞましい論理となって牙を剥いた。


ある日、父は私に向かって、信じがたい言葉を突きつけた。


「おまえあやまりゆ!あやまりゆーっ!お前お前お前、ぼくの彼女をとったから!お前が生まれたから、彼女は、おちんちんを、ちもきよくしなくなった!だからお前は、おとうさんか、おかあさんか、彼女か……殴る用の人になれ!ほら!」


この言葉を初めて聞いた時、私は頭蓋骨の内側を直接鈍器で殴られたかのような衝撃を受けた。親が子に向かって放つ言葉として、これほどまでに醜悪で、これほどまでに人間性を喪失した言葉が、この世のどこに存在するだろうか。

父にとって、私の母、すなわち彼の妻は、「伴侶」でもなければ「人間」でもなかった。

ただ単に、自分の性的な欲求を満たすための「彼女」であり、さらに言えば、自分の生殖器を気持ちよくさせるためだけの、イヌやネコと同じように殴ったら音が出る面白い「ダッチワイフ」でしかなかったのだ。(※父は常にそう言っていたので、この点に関しては驚きはなかった。)


そして、あろうことか、自分たちの行為の結果としてこの世に生を受けた実の子供である私を、その「ダッチワイフ」を奪い取った「恋敵」であり「簒奪者」として認定したのである。


さらに恐ろしいのは、その直後に突きつけられた選択肢だ。「おとうさん」か「おかあさん」か「彼女」か、あるいは「殴る用の人」になれ。


これは……なんだろうか?


なんだろうね?


つまり?


私の人格を、私が私であるという事実を、根こそぎ消し去るための処刑宣告であったのかもしれない。事実、「処刑」は最近まで続いていた。


私の「私」としての存在は一ミリも許されず、父の歪んだ欲望の穴を埋めるための「役割」になることを強要されたのだ。


そして、ここで最も深い絶望の深淵が口を開く。


「あ……子供って確かに、父……つまり、彼氏の立場からしたら彼女を取る存在……?」


私は、あろうことか、この狂気に満ちた論理に納得してしまったのだ!


まだ幼く、世界の基準を持たなかった私は、この圧倒的な暴力と異常な前提を前にして、必死にそれを合理化しようと試みた。


自分の存在が父の快楽を奪ったという原罪!


私は生まれながらにして加害者であり、だからこそ、この罰を受け入れなければならないのだと、自らの魂に呪いの杭を打ち込んでしまったのである!


父は叫んだ。


「ぼく生まれてから一度も悪いことしたことないもーん!カズちゃんは天使ちゃんだから!……ちんちん舐めろよ殺すぞ!死ね!」


加害者の完全な論理のすり替えによって、被害者が自ら進んで処刑台に上る。


これこそが、地獄である。


私はこの日、「私」であることを諦め、「殴る用の人」という無機質な物体として生きることを、心のどこかで受け入れてしまったのだ。


だが、父の破壊衝動は、私の肉体や役割だけにとどまらなかった。彼は、私の内面に存在する「意味」や「価値」、すなわち精神そのものを徹底的に蹂躙し、焼き払うことに執念を燃やした。


ある日のこと、私は会話の糸口として、大切にしている一冊の小説について言及した。


「この小説は私の思い出の品なんだ」


それは、地獄のような日常の中で、私が唯一、自分だけの内面世界に逃げ込み、呼吸をすることができる小さな聖域だった。その本には、物語の文字だけでなく、私がそれを読んだ時の感情や、救われた記憶といった、目に見えない無数の「意味」が付与されていた。

数日後、父は満面の笑みを浮かべて、私にこう言い放った。


「あの小説捨ててあげた!新しい本に買い替えた!はい週刊現代!本は本だからこれもおなじ!買ってくれてありがとうは?自分で買えなくてごめんなさいは?」


目の前が真っ暗になった。私の魂の一部であった「思い出の品」は、ゴミとして廃棄され、代わりに下世話なスキャンダルが載った大衆向けの週刊誌が放り投げられた。


父の論理は、戦慄するほどに単純で、暴力的であった。


「本は本だから、同じ」


この言葉には、人間の精神活動に対する完全なる侮蔑と、対象が持つ「個別性」や「意味」に対する完全なる無理解が内包されている。


彼にとって、世界はすべて物理的な質量と形状だけで構成されており、そこに付随する人間の感情や思い出といった「ソフトウェア」は一切認識できないのだ。

だから、紙を束ねたものはすべて同じ「本」であり、思い出の品を週刊現代に置き換えても、等価交換であると本気で信じ込んでいるのである。


その上での、「買ってくれてありがとうは?自分で買えなくてごめんなさいは?」という強要。


これは、私の精神を完全に支配するための、悪魔的な儀式であった。

大切なものを奪い、ゴミを与え、そしてその暴挙に対して「感謝」と「謝罪」を要求する。


ここで私が抵抗すれば、さらなる暴力が待っている。


私は、自分の心が引き裂かれる音を聞きながら、私の魂を殺した殺人鬼に向かって、感謝の言葉を述べ、無力な自分を謝罪させられたのだ。


自我の完全なる破壊。


価値観の完全なる剥奪。


そこには、もはや「私」という人間は存在せず、ただ父の出力する狂気のスクリプトを復唱するだけの、空っぽのスピーカーだけが残された。


しかし、父の狂気はさらに加速し、やがては、世界そのもののを書き換えようとする、狂気の領域にまで達した。


私が、必死の思いで、人間同士の相互理解の基本となる概念を説明しようとした時のことだ。


「自分と他人は感じ方は違うんだよ。例えば、お父さんが美味しいと思った料理は、他の人からしたら不味いかもしれないし、その逆もあるよ」


これは、誰もが知る当たり前の事実だ。世界には多様性があり、他者には他者の内面世界がある。これは、社会が成立するための絶対的な前提条件である。しかし、この単純な真理を耳にした瞬間、父は烈火のごとく……ブチ切れた!


「おかしいだろ!ナジロ・カルチのニワガキの、ぴゅんちゃんだよ!?だらき、ぼくがオイチイってゆったら、みんなマズイってゆうってこと!?イビビビビビビビ!ビ!ビ!ビ!ビ!ビ!お前、世界にデマを吹き込んだのか!謝れ!……だって、ぼくはタキゲン製造の社長の息子のタキゲンカズヒデだよ?おまえできるのか!仕事を!金がない馬鹿だから、部下は会社に来る!金がないから朝鮮人みたいにコジキしてんだよ!お前が小学校に行くのは部落の馬鹿だからだろ!本当に頭が良かったら一秒で東大に行く!ならば!本当の社長は、仕事をしなくてもいいってこと!社員は、馬鹿だから金を稼ぐ馬鹿!働きアリ!ヤクザの世界は、子が親を食わすもの!だから、い……い!?……いいいいいいイイイイイイイイ!…………ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!……はいタキゲン製造宇都宮支店タキゲンカズヒデで……ミカコ!今社会を馬鹿に教えてん……あ!?……うるせえ!……謝れ!首絞めるぞ!…………はい、なんだっけ?……ああ!……じゃ………… ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ブーチカブチカ!ポン!……言え。お前も言え。……おいてめえら何見てんだ!池田ァ!殺すぞ!……言え。」


私は答えた。


「はあ?……はあ。……ぶうちか、ぶちか?……何の意味が……」


父は拳に時計をはめて、私の左頬を執拗に、丹念に、丁寧に殴り始めた。


「おもなりさんでしたか?違うのか!答えろ!洗いたいときに、いるの!いー!るー!のー!いるのっ!……松下幸之助の三つの違いは『押す』『叩く』そしてあとひとつ!あと一つは!こたえろッ!」


「し、しらない……」


「『揉む』!」


「はあ?……もむ?何を……」


「ちんちんを揉むッ!それに、会議で会議を会議することお、揉むッ!てゆうのッ!揉むッ!言え!」


「もむ……」


「じゃあちんちん、舐めてッ!お前が言い出したんだからな!ちんちん舐めさせて下さいって、いま!」


「言ってない……」


「言った!……あ!?あめー!さんさんとーっ!このー!ミニーッ!?……小林幸子のあめさんさん!……お前聞いてんのか!……あ!?さんさんさん!さわやかさんくみーっ!テレビで見た!……だから……池田ァ!タバコッ!遅いッ!セーブオンで買ってこい!チチチチチチチチチチチチチチチチチチチチュチュチュチュチュチュチュチュチュチュチュチュチュチュチュチュチュチュチュぴぴぴぴぴぴぴぴいいいいいいいいいいいーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!ダァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!ポン!もひとつポン!……で、なんだっけ?ああ、だから、社長になる男に楯突いたら、日本から追い出すからな、ということでちたーっ!ど?おもちろかった?感動した?………………………離れろッ!コルトマグナム・ワルサーAK78が空から撃たれるッ!テッテレッテー!テーテーテー!テッテレッテー!テーテーテーテー!ルパンルパーン!ピョウッ!……じゃあ、荒川まさよしの本の名前は!言え!ふじなみだいちくんだよ?知らないの!?」


「しらない……」


「『いるぱち・かるぱの大冒険』だろ!お前そんなことも知らないのか!じゃあ!空気とおみずが合わさったら何になる!言え!」


「はああああ?……く……雲……?」


「違う!紙になる!水と空気は二酸化炭素すい!炭素すいは、炭酸水!炭酸すいは、吸うんだから、植物!だから紙!お前馬鹿だろ!バーカ!あやまれ!知らないことが多すぎてごめんなさいと言え!……まさか、『世界』に『デマ』を吹き込んだのかッ!?」


……彼の怒りの構造は、常人の理解を完全に超越していた。父にとって、世界とは「自分自身」と完全にイコールであり、自分の感覚こそが全宇宙の絶対法則であった。自分が「美味しい」と感じたものは、宇宙の果てまで「美味しい」という物理法則として確定していなければならないのだ。

そこに「他人の感じ方が違う」という異物が混入した時、彼はそれを「多様性」として理解することができなかった。彼にとってそれは、私が意図的に世界中に嘘の情報を流布し、全宇宙の法則を捻じ曲げたという「テロ行為」に他ならなかったのだ。


「世界にデマを吹き込んだのか」


……という絶叫。

彼は本気で、私が世界を操り、自分という神の認識を否定する陰謀を企てたのだと思い込み、激昂したのである。

他者という概念が完全に欠落しているがゆえに発生する、自己という名の無限地獄。私は、彼が一人で君臨する閉ざされた小宇宙の中で、永遠に理不尽な罪を着せられ続ける大罪人に仕立て上げられたのだ。


そして、この言語を絶する狂気は、ついに究極の自己破壊と哲学的な終焉へと到達する。


「この世は二択!バナナはおいしい!みんなそう!ダムピ!る?……首チョンパ。お前は。」


父は、世界を極限まで単純化し、己の認識だけを絶対視して叫んだ。私は、もはや無駄だとわかりながらも、わずかながらの真実を口にした。


「いや……バナナを嫌う人もいる」


その瞬間、父の目に宿ったのは、怒りでも悲しみでもなく、理解の完全なるショートであった。彼の脳髄は、その単純な事実を処理することを完全に拒絶した。


「それは間違いだから悪だから、ぶぎゅんぶぎゅん!……ってぶっていいってこと!……ほらっ。ちもきいーっ。ちもきいよーっ。ほら。みて。あたま。ほら。わ。ちもきーなー。きもちーっ。」


父は自分の手に持っていたペンを強く握りしめ、あろうことか…………自らの頭を力任せにほじくり、突き刺し始めたのだ!


いみがわからない。


いみがわからない。


だが、邪悪。


邪悪。


邪悪。


邪悪。


ペンで自らの頭蓋を攻撃し、血と痛みを伴いながら自らの脳髄を破壊しようとするその姿は、この世のあらゆるホラー映画を凌駕する、純粋な恐怖の頂点であった。なぜ彼は自分を傷つけたのか。それは、彼の中に「自己」を大切にするという概念すらなかったからだ。「バナナを嫌う人がいる」という、自らの宇宙の法則を根底から覆すエラーコードが入力された時、彼はそのエラーを修正するのではなく、エラーを受信してしまったハードウェア(自らの脳)そのものを物理的に破壊することで、矛盾を消し去ろうとしたのである。

対象を理解せずに破壊し、己すら理解せずに己を破壊する。彼の中には、何一つとして「守るべきもの」が存在しなかったのだ。

ここに到達して、私はこの宇宙における真の邪悪の正体を完全に理解した。


この世の、真の邪悪とは、何か。


それは、「馬鹿であり続けようとする者」である。


よく聞けよ。


知識が足りないことや、考える力がないことは、罪ではないのだ。


しかし、自ら進んで認識を放棄し、概念を拒絶し、世界を理解しようとする一切の回路を自ら閉ざし、徹底的に「無知なる獣」であろうとし続ける強烈な意志。


これこそが、真に恐るべき絶対悪なのだ。


目的を持って殺人や強盗、強姦を行う者たちは、まだ「人間」である。彼らは「他者の命は尊い」「他者の財産を奪ってはいけない」という社会のルールを理解した上で、自らの快楽や利益のためにそれを意図的に破っている。彼らは法を知っているからこそ、夜の闇に紛れてコソコソと獲物を襲うのだ。彼らは、人間という文明のシステムに寄生するウイルスやバグのようなものであり、対処のしようがある。


だが、私の父は違う。


彼は、文明社会のルールから逸脱しているのではない。


そもそも、彼の内部には最初から「ルール」というものがインストールされていないのだ。


法律、人間性、自己、他者、善、悪。我々が世界を認識するためのあらゆる「概念」が、彼の中には存在しない。


だからこそ、我々がどれほど彼を「悪」と呼んで非難したところで、何の意味もないのである。


彼の頭の中に「善悪の定義」がない以上、「お前は悪だ」という言葉は、真空の宇宙空間に放たれた音声のように、一切の波紋を起こすことなく消滅する。


言葉が、通じない。


意味が、成立しない。


論理が、崩壊している。


この、こちら側のあらゆる働きかけが無効化されるという完全なる断絶こそが、「絶望」という言葉の真の定義である。


ポル・ポト派がかつてカンボジアで行った、知識人を虐殺し、眼鏡をかけているだけで殺し、本を焼き、貨幣制度を廃止し、すべてを「原始」に戻そうとしたあの狂気。


概念そのものを敵視し、思考する人間を抹殺し、ただ労働するだけの肉の塊だけを残そうとした、あの血塗られた歴史。


私は、あのポル・ポトの恐怖を、実際のところ、未経験者の中では誰よりも深く、細胞のレベルで理解できていると確信している。


なぜなら、私の家の中では、父という一人の独裁者によって、毎分毎秒、思考と概念に対する凄惨な虐殺が繰り返され、文化大革命が行われていたのだから。


本を焼き、言葉を奪い、多様性を否定し、自己すらも物理的に破壊しようとする無明の王。

彼の前では、私はただ「殴る用の人」として、息を潜めて生きるしかなかった。


私は、忘れたい。


だが、私は、忘れてはならない。


これは、遠い異国の戦争の話でも、大人が巻き込まれた猟奇事件の話でもない。


私が中学校にあがるまでの、ランドセルを背負い、まだ人生のスタートラインにすら立っていなかった時期に経験した、終わりのない絶望の記録である。


私は、この絶対的な「無」という底なしの地獄の沼の中で、自らの自我を必死に抱きしめ、魂が完全に溶解してしまうのを防ぎながら、ただ生き延びることだけを目標に呼吸を続けていたのだ。


この、虚無と狂気は、今もなお、私の血肉の奥深くに呪いとして脈打ち、決して消えることなく、この欺瞞に満ちた世界を、冷徹に睨みつけ続けているのである……


そして、話は変わるが。

キミがこれから何かを頑張るというのなら。

数学や工学やスポーツや音楽や絵画やゲームを頑張るというのなら……


まず、国語をやれ。


ここまで読んだならば、国語の重要さは魂で理解できているはずだ。

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