自業自得!処刑!半グレの街角!
半分実話
西暦二〇二三年!
世界は病の影から逃れ、人々は、狂騒と日常の間に引かれた曖昧な境界線を踏み荒らしながら、新たなる自由を謳歌し始めていた!
しかし!
この川崎という街においては、時代がどう変わろうとも、根本的な暴力が露呈する瞬間の生臭さは……何一つ変わることが、なかったのだ!
川崎の歴史は、日本の労働、そして……血の歴史である!
京浜工業地帯の心臓部として、戦後から立ち上がったこの街は、常に、鉄と血の匂い、そして、終わることのない「欲望」の熱気を帯びていた!
煙突から吐き出される黒い煤は、人々の肺野だけでなく、その精神の奥底までをも真っ黒に染め上げた!
かつて、この街の裏社会は、確固たる掟を持った極道たちが支配していた!
彼らは暴力のプロフェッショナルであり、必要悪としての秩序を形成していた!
だが!しかし!
時代が下り、暴対法という名の法的な網の目が張り巡らされるにつれ、正しい極道たちは息を潜め、その空席を埋めるようにして、ルールを持たない「半グレ」と呼ばれる、新たなる混沌が街を浸食していった!
彼らには仁義もなければ、大義もない!
あるのはただ、刹那的な暴力と、金銭への執着、そして!「圧倒的」なまでの……他者への無関心である!
二〇二三年の川崎は、まさにその新旧の暴力がめちゃくちゃに入り乱れ、警察という名の公権力すらもがその毒牙に完全に侵食された、極東のゴッサムと呼ぶにふさわしい絶望の坩堝であったのだ!
そして。
その日、あたしはなんと、ひどく気が立っていた。
理由は明確には思い出せない。
ただ、汚らしいジャケットのポケットに両手を突っ込み、この街のネオンを睨みつけていると、内臓の奥底からふつふつと、マグマのような苛立ちが込み上げてくるのを感じていたのだ!
この街では、乱闘や殺人などというものは、明日の天気を語るのと同じくらい、日常的な事象に過ぎない。
だからこそ!
私の内なる暴力の衝動は、むしろ……積極的に「喧嘩」を求めていた!
誰かの骨が軋む音を聞き、自らの拳に他者の熱い血潮の感触を得ることでしか、この狂った論理と感情のバランスを保てないような、そんな……極限の精神状態にあった!
だが、私には一つの絶対的な定理があった……
それは「自分からは決して喧嘩を売らない」という、人としての最低限の矜持である。理不尽な暴力を振るう者たちと、探偵である私を分かつ唯一の壁が、そのルールの存在だった。私はあくまで、降りかかる火の粉を完璧な論理と圧倒的な暴力で払い落とす存在でなければならなかった。
街を数歩、歩いた時だった。
昼下がりの、太陽の光が容赦なくアスファルトを焼き付ける白昼堂々。私の前に一人の男が立ち塞がった。
「お!……あー、ま、こいつでいいか……ちょっとこい。暇だから、殺すよーっ。」
その声には、場数を踏んだ不良特有の凄みは微塵もなかった。そこに立っていたのは、あからさまに、一流企業に勤めているような、線の細いひ弱な会社員であった。仕立ての悪くはないスーツを着込み、髪は綺麗に整えられている。
だが、その瞳孔は異常に開き、何か別の力――この街特有の狂気という名の空気感染――によって、強引に理性を焼き切られているようだった。
白昼堂々と、しかも……こんなガリガリのサラリーマンが人を襲う。それがこの街の新たなる掟なのだと、私は瞬時に理解した。暴力が、特定の階級のものではなく、もはや、誰の日常にも潜む「マナー」のように変異していたのだ。
私は、完全にキレた。
こんな、論理的思考の欠片もなく、己の身体能力の限界すら客観視できないガリガリの男に、ついに、私は舐められるのか。私は深い溜息をついた。
「いいよ。いこっか」
私はあえて、大通りから一本入った、人目のつかない路地裏へと歩を進めた。路地裏の奥、ゴミ箱から放たれる腐臭と、壁に染み付いた古い尿の匂いが混ざり合う空間に到達した瞬間、男は背後から私の肩を掴み、力任せに殴りかかってきた。
「じゃあ……いっしゅ!」
私は避けない。
あえて、その一発を顔面に受けた。
「だびっ!?」
鈍い痛みが頬に走るが、骨には達していない。素人の、体重の乗っていない軽いパンチだ。これが、私の定理を満たすための「儀式」である。殴られたという事実こそが、これから始まる圧倒的な蹂躙を「正当防衛」という論理の枠内に収めるための絶対条件なのだ。
「なるね?……あ、じゃあ、いいよね?」
私は顔を戻し、冷酷に言い放った。男の顔に、明確な恐怖の色が浮かぶ。自分が殴った相手が、微動だにせず、むしろ氷のような冷たい視線で見下ろしているという事実に、彼の薄弱な脳髄は処理を追いつかせることができていなかった。
次の瞬間、私の右拳が男の鳩尾に深く突き刺さった。
「ゆばっ……!」
肺の中の空気をすべて吐き出し、男は「く」の字に折れ曲がってアスファルトに崩れ落ちた。私は容赦しない。倒れ込んだ男の顔面を黒いブーツの底で踏みつけ、さらにその薄っぺらいスーツの胸ぐらを掴んで引きずり起こした。感情のままに暴力を振るうのではない。冷徹な論理の帰結として、相手の戦意を物理的、そして精神的に完全に根絶やしにするための制圧作業である。
「お前さあ……」
私は、血と涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている会社員の耳元で、冷ややかに囁いた。
「勉強とかさあ、しろよ……。今からでも、高校とか行けよ……ははははは!」
それは、肉体への暴力以上に、彼の精神の根幹を破壊する言葉だった。社会的な地位を持っていると自負しているであろう男に向かって、あえて「高校に行け」「義務教育からやり直せ」と、知性の欠如を底辺のレベルで決めつける。
明らかな、「馬鹿」というラベリング!
自らのちっぽけなプライドを粉々に砕かれた会社員は、もはや反撃する気力すら失い、子供のように声を上げて泣き始めた。
だが!
因果というものは……恐ろしいほどの速度で巡ってくるのだ!
勝利の美酒は、すぐさま絶望の猛毒へと姿を変えるのだ。
その日の夜。私は喧嘩の熱を冷ますため、銀柳街のとある肉料理屋へと足を運んだ。古びた暖簾をくぐると、店内は煙が充満し、脂の焼ける匂いが鼻腔を突いた。カウンター席に座り、無愛想な店主に適当な肉の盛り合わせを注文する。黒いジャケットを脱ぎ、熱い茶をすすりながら、私は自らの論理の勝利を静かに反芻していた。
運ばれてきた肉は、見た目には何一つ変哲のない、ただの赤い筋肉の塊だった。私は箸を伸ばし、鉄板の上で焦げ目がつくまで焼き、タレにつけて口に運んだ。噛み締める。肉汁が溢れ、脂の甘みが舌の上に広がる。
その時だった。
脳の奥底で、何かが「パチン」と弾けるような異音がした。視界が突然ぐにゃりと歪み、周囲の煙が極彩色の万華鏡のように渦を巻き始めた。心臓の鼓動が異常な速度で跳ね上がり、全身の血管に氷水と熱湯を同時に流し込まれたような、耐え難い悪寒と熱波が押し寄せてきた。
薬物だ!
私は瞬時に状況を理解した。
この肉の中に、高濃度の合成麻薬が仕込まれていたのだ。
いや、しかし、なぜだ?
なぜ、飲み物の中に薬物を入れなかったのか?
なぜだ?
敵は、馬鹿なのか?
朦朧とする意識の中で、私の脳細胞は必死に論理を構築しようとした。飲み物であれば、一口飲んで異変に気付けば吐き出すことができる。コップをひっくり返すこともできる。だが、肉はどうだ。焼いている間は薬物の存在に気付けず、咀嚼し、嚥下するという過程を経なければならない。肉を咀嚼するという行為は、人間の本能的な食事のプロセスであり、無防備の極みである。飲み物という「水分」ではなく、肉という「質量」にわざわざ毒をめりこませることで、被害者に「自らの意志でわざわざ毒を噛み砕き、飲み込んだ」という絶望的な事実を肉体レベルで刻み込むことができる。それは、単なる罠ではない。対象の魂の根源までをも汚染しようとする、純粋な、悪意の表れであった!
椅子から転げ落ちた私の視界に、黒い革靴が現れた。
見上げると、そこには制服を着た二人の警官が立っていた。
警察だ!
助かった!
そう思ったのは、ほんの一瞬のことだった……
「うぃーす。……ん。もう終わった?……イケウチーーーッ?……イケウチーーーッ!!!……お、いた。イケウチこいつ?……ああ、こいつね?……ウシ!じゃー、もっちきますかあ!……ウース!あ、リョウヘイさん!ウスウス!ウース!あとでなー!」
警官の一人が、あたしを助け起こすどころか、冷たい声で見下ろし、腰の警棒を弄りながら嘲笑した。もう一人の警官は、無線機を取り出すこともなく、店主に向かって軽く顎をしゃくった。店主は無言のまま、店の奥へと消えていく。
「さあさ、大人しくな。殺すっつっちるからさ」
私は捕まった!
だが、それは公的な「逮捕」ではなかったのだ!
警官たちは私を店の裏口へと引きずり出した!
そこに停まっていたのは、パトカーではなく、窓ガラスに黒いフィルムが貼られた改造ワゴン車だった!
警官は署に連行せず、私をキャッチに、つまり、街を牛耳る半グレ集団の末端兵隊たちに引き渡したのだ!
ワゴン車のドアが開き、中から屈強な男たちが現れた。彼らの首筋には、安っぽいタトゥーが彫られている。警官は彼らと親しげに言葉を交わし、何らかを受け取ると、そのまま夜の闇へと消えていった……
この瞬間に至り、私は暗黒街の真のヒエラルキーを完全に理解した!
この街の、現場の暴力に君臨しているのは、かつてのような伝統的な極道ではない……
極道はもっと奥の院に鎮座し、直接手を下すことはない……
その下で、勝手に街を荒らし回り、実質的な支配権を握っているのが、法にも極道の掟にも縛られない半グレたちである!
そして、本来ならば市民を守るべき警察は、彼らの最も底辺に位置する「便利な処理業者」に成り下がっていたのだ!
極道、半グレ、警察。
この絶望的なヒエラルキーの最下層によって、私は……売られたのである!
ワゴン車の中に放り込まれ、あたしは薄れゆく意識の中で、あの昼間の会社員の顔を思い出した。
そっか。
あのひ弱な男は、ただの会社員などではなかったのだ。彼は、この半グレ集団の弟分であり、彼らの資金源となるフロント企業の社員か何かだったのだろう。私は、知らず知らずのうちに、この巨大な暴力のネットワークの尻尾を……踏みつけていたのだ!
ここから先は、純粋な、地獄であった。
薬物の効果で身体の自由を奪われた私は、深夜の川崎の街を引きずり回された。男たちはあたしの黒いジャケットを引き裂き、アスファルトの上をボールのように蹴り転がした。コンクリートの冷たさと、靴底の硬さが交互にあたしの肉体を破壊していく。
「ほいでぃーし!ウラ!ほんなぁ!えいぽう!……でゃははは!……痛がれよ!……ぬらでぃーし!……死ね!……でぃーっひっひ!」
男の一人が、私の髪の毛を乱暴に鷲掴みにした。次の瞬間、冷たい刃物の感触が頭皮に触れた。ジャキッ、ジャキッというおぞましい音とともに、私の髪がズタズタに切り裂かれていく。それは、ただの暴行ではない。人間としての尊厳を根本から否定し、心をへし折るための儀式であった。
さらに彼らは、私の財布や隠し持っていた口座のカードから、暗証番号を暴力によって吐き出させ、およそ八十万円という大金を根こそぎ奪い取った。金銭的な略奪。精神的な陵辱。肉体的な破壊。悪意のフルコースが、吐き気をもよおすようなネオンの光の下で淡々と実行されていった……
そして、彼らの悪意の終着点は、仲見世通りの外れにある、小さな公園であった。
深夜の公園には、人っ子一人いない。街灯の薄暗い光だけが、錆びついた空き地を照らし出している。彼らは意識の混濁する私を引きずり起こすと、公園の中央に、ロープとガムテープを使って文字通り「磔」にしたのだ!
両腕を開かされ、鉄の棒にきつく縛り付けられる。冷たい金属の感触が、破れた服の隙間から肌に食い込む、
「まあお前、この街には来んなよ。きめえから。きめえんだよ!頭、冷やしな!俺たちもワルじゃねえからさ。死ね!死ねよクソガキ!……ま。生きてたらまた遊んでやるよ!……タカハシー?鳥食いいくぞー?タカハシ?タカハシ!……お、いた。つかミユキチ呼ばね?呼べよ!……おま人として!人として呼べよ!な?」
下品な笑い声を残し、半グレたちはワゴン車に乗って消え去った。
後に残されたのは、圧倒的な静寂と、冷え込み始めた深夜の空気、そして薬物の後遺症と全身の激痛に苛まれる私だけだった。
仲見世通りの喧騒は、遠くの波音のように聞こえてくる。たまに千鳥足の酔客が公園の脇を通るが、誰も暗闇に磔にされた血まみれの探偵に気付こうとはしない。気付いたとしても、この街の人間は決して関わり合いを持とうとはしない。「見ざる、言わざる、聞かざる」が、川崎で生き残るための絶対の定理なのだから……
論理、そして感情。
その狭間で、私の精神は崩壊の危機に瀕していた。
正当防衛という「正論」を振りかざした結果が、この無惨な姿である。
悪意の連鎖の前では、個人の論理など何の意味も持たない。
視界はぼやけている。血の混じった唾液を吐き出しながら、私はただ、ひたすらに夜の闇を睨み続けた。どれだけ尊厳を踏みにじられようとも、魂だけは決して屈しない。それだけが、私が、人間であるための最後の証明だった。
永遠にも思える時間が過ぎ去り、やがて、空の東側が白み始めた。夜明けである。カラスの鳴き声が、冷たい空気を切り裂くように響き渡る。
凍えるような寒さで全身の感覚が麻痺し、いよいよ意識の糸が切れかかったその時だった。
「なん。なんおま……あー、おいおい、酷えザマだな。バカやったのかー。あんたー、だっめだよー、こーんなとこで冷やしちゃっちゃー、めっ」
しゃがれた、しかし、どこか温かみのある声が耳に届いた。
重い瞼をこじ開けると、そこには、時代遅れの半纏を羽織った、白髪混じりのおっさんが立っていた。口元には煙草をくわえ、紫色の煙をくゆらせている。公園の目の前にある、小さな古いタバコ屋の店主だろう。
彼は周囲を気にする素振りも見せず、ポケットから小さなハサミを取り出すと、私を縛り付けていたガムテープとロープを、手際よく切り裂いていった。
「まま、色々あるわな。……立てるか?ま、おりもなあ、ちょっと前なあ、日露戦争ン時は苦労したがな!」
はああああ?
に、にちろせんそう!?
お前、一体いくつだよ……
まあ、そんなことは、どうでもいいか……
拘束を解かれ、私は崩れ落ちるように地面に倒れ込んだ。冷たい土の感触が、なぜか……ひどく温かく感じられた。
助けられたのだ。警察でもなく、正義の味方でもなく、ただこの狂った街の片隅で、黙々と煙草を売り続けてきた、名もなきおっさんによって。
「……悪いすね」
喉の奥から絞り出した声は、ひどくかすれていた。
おっさんは何も言わず、ただ黙って、私に、吸いかけの、火のついた煙草を差し出した。私は震える手でそれを受け取り、深く吸い込んだ。ニコチンとタールの苦味が、血と泥の味と混ざり合い、肺の奥深くまで染み渡っていく。
恐怖。
それは、幽霊でも怪物でもない。
人間が作り上げた、絶望的なまでにシステマチックな暴力の構造と、それに無関心であり続ける社会の暗黒そのものであった!
だが……自業自得!
私は、ズタズタにされた髪をかき上げ、ゆっくりと立ち上がった。
失った金も、踏みにじられた尊厳も、すぐには戻らない。
だが、この肺を満たしている煙の熱さと、生き延びたという圧倒的な「事実」だけが、今の私にとっての唯一の真実であった。
川崎の朝日は、煤煙に霞みながらも、容赦なくこの血塗られた街を照らし出し始めていた……




