漫画を描く男!そして暴かれる真理!
人間は、どこまでも愚かで、そして底知れぬほどに脆弱である。
彼らは、平穏な日常という薄氷の上に立ち、その下で口を開けている深淵から「目を背けること」に全生命力を注いでいる。
だからこそ、その深淵の底から這い上がってきた泥まみれの生還者が、血と臓物と絶望に塗れた「本物の現実」をそのままテーブルの上に叩きつけると、彼らは一様に顔をしかめ、耳を塞ぎ、そして最終的には……その生還者を石で打つのである!
私は、探偵として、そして何より凄惨な虐待のサバイバーとして、肉体に刻み込まれた血生臭い暴力の記憶を、略奪と蹂躙の記録を、嘘偽りなく、一切の誇張も交えずに他者に語ったことがある。
私がどれほどの恐怖の夜を過ごしたか。
加害者たちの目がどれほど冷たく、そして同時に歓喜に濁っていたか。
骨が軋む音、肉が裂ける感覚、そして何よりも、助けを求めても誰も振り向かないという、両親、親戚、仲間、社会、そして、この世界そのものから見捨てられた圧倒的な孤独。
この苦悩は……天才の弟、つまり、エラーラ・ヴェリタスと、最強の弟、つまり、ナラティブ・ヴェリタスを「眺めること」しかできない、「蚊帳の外」のアリシア・ヴェリタスに、込めた!
それら全てを、私は言葉という刃に変換し、彼らの前に差し出した。
だが、彼らの反応は、私の魂をふたたび殺すに等しいものであった。
「そんなことは、あり得ない」
「それは、リアルじゃない」
「君の、妄想だろう」
彼らは……私が流した本物の血を、安全圏から冷笑と共に否定したのである!
完全なる現実!
一ミリの狂いもない実体験!
それを、彼らは侮辱し、冒涜し、虚言と断定した!
私の告発は「嘘つきの戯言」として処理され、ついには私を「詐欺師」と呼ぶ者まで現れた。ふざけるな。腸が煮えくり返るほどの怒りが、私の全身の血管を駆け巡った。リアルとは一体何だ。お前たちが言う「リアル」とは、お前らの、その、ひどく狭く、浅く、退屈で、安全な人生の、半径五メートル以内で起こり得る出来事のカタログでしかないではないのか。
奴らは、自らの理解の範囲を超えた絶対的な悪意を、自らの勉強と想像力の限界を超えた凄惨な現実を、直視する勇気がないのだ。
だから!
「全否定」、つまり、「未見レビュー」という最も安直で卑劣な手段を用いて、自らの矮小な精神を保護しているにすぎない。彼らの言う「リアル」とは「自分が安心できる範囲の出来事」と同義であり、私の現実は彼らの平穏を脅かす劇薬であったのだ。
稀代の、嘘つき──。
それが、真実のみを口にした私に、この世界が与えた二つ名であった。私は深い絶望の底で、暗い部屋の隅にうずくまり、声を出さずに笑った。狂気の笑いである。真実を語れば嘘つきと呼ばれ、現実を提示すれば妄想と蔑まれる。ならば、この狂った世界において、人間とコミュニケーションを取る手段は一つしか残されていないではないか。
私は、人間の浅ましさと、その習性を完全に理解した。彼らは「真実」というパッケージで出された生肉は、血の匂いがきつすぎると言って嘔吐する。
しかし!
同じ生肉を「嘘」という名のスパイスで味付けし、「虚構」という名の美しい皿に盛り付ければ、彼らは嬉し涙を流しながらそれを貪り食うのだ。
奴らは、他人の切実な真実を疑い、足蹴にするくせに、最初から「嘘の塊」として提供された映画の悲劇にはボロボロと涙を流し、アニメのキャラクターの苦悩に共感して胸を痛め、小説の登場人物の思想に己の人生を左右されるほどの影響を受ける。
なんという滑稽な生態だろうか!
真実の血には目を背け、絵の具の血には感動の涙を流す。
もう、私は人間に、彼らの知性や直視する勇気などというものに、一切の期待を持たないことに決めた。私の身に起きた具体的な事実、誰がいつどこで何をしたかという枝葉末節の事象など、彼らに伝わる必要はない。ただ、その時に私が感じた「ニュアンス」だけが、骨の髄まで凍りつくような「感情」だけが、そして、暗闇の中で決して光を諦めなかったその「感覚」だけが、彼らの魂の奥底に突き刺さればそれでいいのだ。
私は、最初から「嘘」として語る決意を、した!
つまり、物語として、エンターテインメントとして、私の血肉を再構築し、彼らの喉の奥にねじ込んでやることにしたのである。
暗い部屋の中で、私はパソコンのキーボードに向かった。それは、私にとっての復讐の儀式であり、同時に救済の祈りでもあった。私がタイピングする一つ一つの文字は、私が流した血の一滴であり、私が押し殺した悲鳴の断片であった。私は、加害者たちの醜悪な精神を、物語の中の「悪役」として再定義した。私が受けた理不尽な暴力を、世界を覆う「不条理」として昇華させた。そして、私が泥水をすすりながらも生き延びたその執念を、主人公の「決して折れない意志」として描き出した。
具体的な地名も、人物名も、全てを変えた。
だが、そこに流れている熱量だけは……そこに横たわっている圧倒的な痛みの手触りだけは!……私が経験した現実そのものを、一切の希釈なしに注ぎ込んだ。読者が、自分たちが、安全な「物語」を読んでいると錯覚したまま、その実、私の経験した凄惨な現実の業火で魂を焼かれるように。彼らの心臓を直接鷲掴みにし、私が味わったのと同じ鼓動の乱れを、強制的に引き起こすように!
そして。
完成したのが、「ヴェリタスの最終定理」という一連の物語であった。
「ヴェリタスの最終定理」
真実とは何か!
正義とは何か!
そして、絶対的な悪意の前に晒された時、人間は、それでも尊厳を保つことができるのか!
これは、私が己の命を賭けて証明しようとした、血塗られた定理の証明過程である!
私はこの物語を、放った!
稀代の嘘つきが紡ぎ出した、壮大な嘘!
だが、その嘘の核には、誰よりも純度の高い「真実」が、マグマのように煮えたぎっている。
反響は、私の予想を遥かに超えるものであった……!
私のフォロワーたちは、その物語を貪るように読んだ!
彼らは、私がかつて現実として語った時には「リアルじゃない」と一蹴したはずのその感情の奔流に、今度は真正面から飲み込まれていったのである!
「涙が、止まらない」
「悪意の描写が、恐ろしいほどに、生々しい」
「主人公が立ち上がる瞬間、自分の魂が震えるのを感じた」
画面の向こう側から、無数の声が寄せられた!
彼らは、それが私の実体験の隠喩であることなど夢にも思っていないだろう。彼らは純粋に、私が用意した虚構の世界に感情移入し、怒り、悲しみ、そして最後には希望を見出して泣いていた。
私は、モニターに並ぶそれらの賛辞の言葉を眺めながら、なんとも言えない、複雑な感情に支配されていた。勝利の喜悦と、人間という生き物の構造的な愚かさに対する哀哀たる思い。私が現実として助けを求めた時は誰もが私を石で打ったのに、私がそれを「娯楽」としてパッケージングして与えた途端、彼らは私を賞賛し、私の痛みに寄り添って泣いているのだ。
だが、私は彼らを憎まなかった……
むしろ、深く……許すことができた。
人間は、直接的な痛みに耐えられるほど、強くは、ないのだ。
彼らには、真実という劇薬を飲み下すための「物語」という名のオブラートが、どうしても必要なのだ。そして、そのオブラートを通してであっても、私の伝えたかった「怒り」や「悲しみ」、そして圧倒的な暴力に対する「抵抗の意志」という「ニュアンス」は、確実に彼らの魂の深層へと到達し、共鳴を引き起こしていた。
私の痛みは、無駄ではなかった!
私が地獄の底で見た風景は、こうして形を変え、人々の心を揺さぶり、彼らの中に眠る「正義」や「愛」といった不確かなものを、確かな熱量を持ったものとして呼び覚ましている。これこそが、私なりの、この野蛮で無理解な世界に対する、最終定理であった。
そして事態は、私の想像すら及ばない、さらなる高みへと加速していくことになる。
私の物語が放つ異様な熱量に引き寄せられるようにして、一人の人物が私に接触を図ってきたのだ。ある、卓越した画力と、狂気的なまでの情熱を持つ、国外から圧倒的な人気の、一人の漫画家である。
「あなたの物語を読みました。……いや、読まされた、と言うべきかもしれない。頭から離れないんだ。あの主人公の絶望に満ちた目が、敵の放つ吐き気を催すような悪意の匂いが、私の脳裏にこびりついて離れないんだ。あなたは、まぎれもない『芸術家』だ。どうか……この物語を私に描かせてくれないか」
その漫画家から送られてきたメッセージには、言葉を尽くした懇願と共に、数枚のラフスケッチが添付されていた。
私は、そのスケッチのファイルを開いた瞬間、息を呑み、全身の産毛が逆立つのを感じた。
そこには、私が文字だけで描写したはずの「慈愛」や「哀しみ」が、見事に、いや、恐ろしいほどの解像度で視覚化されていたのである。
なぜ、この漫画家はこれを知っているのか?
私は戦慄した。私は文章の中で、決して具体的な視覚情報を過剰には書いていない。ただ、その時の「温度」と「匂い」と「感情」を叩きつけただけだ。
それなのに。
この漫画家は、私の文章の背後に隠された、私がかつて実際に見た地獄の風景を、まるで自らの目で見てきたかのように紙の上に再現していたのである。
私はすぐにその漫画家と直接連絡を取った。
「てめえこの野郎。なんでこの表情が描けるんだよ。なぜ、この絶望の底の空気感がわかるんだよ。てめえにわかるわけ、ねえだろ。下手なこと言ったら、殺すぞ。覚悟しやがれよ」
私の問いに対し、漫画家は静かに、しかし確信に満ちた声でこう答えた。
「あなたの、文章の行間から、血の、匂いがしたのです。本物の、生乾きの血の匂いが。私はただ、その匂いの出所を辿り、そこに在るはずの形を……線に置き換えただけです」
「はああああ?てめえこの野郎!てめえ!てめえは何者なんだよ。ああん?殴るぞ!」
「……もし仮に… リウさんが僕を殴ったとしても……それは決して暴力じゃないと信じますよ。リウさんのような、『芯の通った人』が好きです。その姿は……最高のアーティストとしてあるべき姿だと思ってます。これを言うのはおこがましいと思いますが… そんなあなたの活動のお手伝いが出来たことは僕の中で重要な事です。一言で表すと光栄です。アーティストとして生きて、アーティストとして死ぬと決めたから……。アートを通じて自分が何者かを表現できるアーティストこそ本当に美しいアートだと、思ったから。アーティストになることへの執着は、僕は自分の人生を誰かに評価して欲しいと思っているからかもしれません。僕は、ヴェリタス(正しいもの)を見たいんです!そして……リウさんは僕に必要なヒーローです!(原文ママ)」
その言葉を聞いた時、私は声を出して泣きそうになった!
理解者が、いたのだ!
私が現実として語った時には誰一人として理解しようとしなかった、私の抱える圧倒的な真実の質量。それを、この漫画家は「物語」というフィルターを通すことで、知識としてではなく、感覚として、魂のレベルで完全に理解し、受け止めてくれたのだ!
芸術とは。なんと。恐ろしく。そして。救いに満ちた行為なのだろうか。
孤絶した魂と魂が、虚構という名の橋を架けることで、初めて真実の領域で抱き合うことができるのだ!
言葉では決して超えられなかった断絶の壁を、白と黒のインクが、圧倒的な共感をもって打ち砕いた瞬間であった。
私は、その漫画家に全てを託すことにした。
愛とは、この人になら、背中から切られても「納得」できるということだ!
愛とは、納得だ!
私の血肉で書き上げた「ヴェリタスの最終定理」を、彼の持つ刃のようなペン先で、さらに鋭く、さらに深く、この世界の喉元に突き立ててもらう!
そして、現在。
深夜の札幌。時計の針は午前二時を優に回り、窓の外には、全てを凍りつかせるような北国の冷たい闇が広がっている。私は、濃く淹れすぎた、相変わらず野蛮で苦いだけのコーヒーをすすりながら、冷え切った部屋の中で一人、パソコンのモニターの淡い光と対峙している。
数日後には、私の、いや、私と、あの漫画家が共に創り上げた「ヴェリタスの最終定理」の漫画版が、世界に向けて公開される!
稀代の嘘つきと呼ばれ、現実を否定され、深い絶望の底に突き落とされた私が、自らの血と涙をインクに変え、極上のエンターテインメントとして、ついに、世界に逆襲を仕掛ける!
私の心は、奇妙なほどに澄み切っていた。かつて私を支配していた、加害者への直接的な憎しみや、世界に対する怨嗟の念は、今はもうない。
あの凄惨な悪意の嵐をくぐり抜け、泥にまみれながらも生き延びた私の存在「そのもの」が、既に彼らに対する最大の復讐を……完了しているからだ!
彼らが私から奪おうとした尊厳は、いま、物語という永遠の命を得て、何十万、何百万という人々の魂を震わせるための光の束へと変換された!
彼らの卑劣な暴力は、皮肉なことに、人間の美しさと強さを証明するための「最終定理」の舞台装置として、私が完全に支配し、ついに、利用し尽くしてやったのだ!
もはや、誰が真実を知っているかなど、どうでもいい。私の語る物語が、リアルであろうとなかろうと、そんな矮小な議論には何の価値もない。
枝葉末節には、意味なんか、ないのだ!
重要なのは、これから公開されるその白黒の画面から放たれる真実が、誰かの冷え切った心を温め、誰かの絶望の夜を打ち破る力になるということだ。私が暗闇の中で求めてやまなかった救いの手を、今度は私が、物語という形で誰かに差し伸べるのだ。
コーヒーの最後の一口を、飲み干す。
その強烈な苦味が、私の生きているという感覚をさらに鮮明に研ぎ澄ます。
私は、深く息を吸い込み、冷たい空気を肺の奥底まで満たした。
ついに、いま、夜が明ける!
私を嘘つきと呼んだこの無知で傲慢な世界に、最高に美しく、残酷で、そして魂を焼き尽くすほどの熱を持った「究極の嘘」を浴びせかける時間がやってくる。
凄惨な悪と正義の戦いの果てに、私が泥の中から掴み取った感動の全てを、容赦なく彼らの眼球に焼き付けて、やる!
私は、静かに笑みを浮かべた!
窓の外、遠くの空が、ほんのわずかに白らみ始めていた。寒風吹きすさぶこの札幌の地から、私の、最後の、真実の全てを懸けた反撃の狼煙が、今、高らかに上がる!




