第二十二章 そして、旅立ち
キアロくんが新たに手にした力には、一つの名前が与えられた。
《エンジェル・アンド・デーモン:オールイーター》。
その名は、Venom Desireの上層部によって正式に登録された、新たな魔法特殊能力。
天使と悪魔。二つの血を受け継ぎ。時さえも。魔法さえも。概念さえも。
あらゆるものをその身に喰らう、唯一無二の能力。
——《すべてを喰らう者》。
その名前は、今のキアロくんを表すのに、これ以上ないほどふさわしい名前だった。
そして。
今回の事件は、Venom Desire全体に大きな衝撃を与えた。
悪魔ハンターの壊滅。
セレスティアル・ジャッジメントの敗北。
そして、キアロくんの覚醒。
その報告は、モノクロームさんとグラデーションさんを通して、あっという間に上層部へ届けられた。
「混血の青年が新たな力に目覚めた」
その知らせは瞬く間に組織中へ広がり、大幹部たちの間でも大きな話題になったらしい。
もちろん。
その報告は——兄さん。
Venom Desireのボスであるカクシエ兄さんの耳にも届いた。
そして。
数時間後には、新たな任務命令が下された。
……まあ。考えてみれば当然だ。
こんなにも強力な力を手に入れた以上、兄さんが放っておくはずがない。
だけど。
「うう……やっぱり寂しいよぉ……」
僕は思わず肩を落とした。
「グリザイユくんとバロロさんが行っちゃったばっかりなのに……」
「今度はキアロくんまで……」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
キアロくんもまた、特別任務へ向かうことになった。
目的地は遠く離れた異国。そこで、先に任務へ出ているグリザイユくんとバロロさんに合流し、一緒に仕事をするらしい。
昨日からずっと荷物をまとめていて、旅支度に追われていた。
そして今。玄関先には、大きな旅行鞄が二つ。その横には、いつもの白と黒のスーツ姿のキアロくん。僕と。ミライ・ユくんと。トロンプくん。三人で、その旅立ちを見送っていた。
「はあ……」
ミライ・ユくんが頭をかきながら苦笑する。
「なんか、この家も一気に静かになるな」
ついこの前まで、毎日誰かの笑い声が聞こえていた。
グリザイユくんの豪快な笑い声。キアロくんの穏やかな返事。皆で騒ぎながら食べるご飯。そんな日常が、一気に遠く感じる。トロンプくんも寂しそうに笑った。
「今ではこの家、すっごく広く感じちゃうよぉ……元々広いケド」
「そうだねえ……」
僕も小さくうなずく。本当にそうだった。同じ家なのに。たった三人いないだけで、こんなにも静かに感じるなんて。
そんな僕たちを見て、キアロくんは少しだけ困ったように笑った。
「カゲエ殿。ミライ・ユ殿。トロンプ殿」
一人ひとりの名前を呼ぶ。
その声は、いつもと変わらない優しく落ち着いた声だった。
「私は……しばらく戻らないだろう」
その言葉に、三人とも少しだけ表情が曇る。
だけど。
キアロくんは穏やかに笑った。
「だが」
そう言って、真っ直ぐ僕たちを見つめる。
「これだけは、覚えていてほしい」
少しだけ間を置く。そして。今まで見た中でも一番柔らかな笑顔で言った。
「……必ずまた、皆で笑顔になって、ポテトチップスパーティーをしよう!」
一瞬だけ静まり返る。そして。
「……うんっ!!」
僕は思い切りうなずいた。寂しさなんて吹き飛ばすくらい、大きく笑って。
「約束だよ!」
「もちろんだろ~!」
トロンプくんが元気よく拳を突き上げる。
「今度はもっといっぱい買って待ってるからね!」
ミライ・ユくんも笑って肩をすくめた。
「当たり前だ。その頃にはグリザイユもバロロさんも戻ってきてるだろ。全員そろって騒ごうぜ」
「ああ」
キアロくんは静かにうなずく。
その瞳には、もう迷いはなかった。
新しい力を得て。
過去とも向き合って。
両親とも本当の意味で分かり合えた。
そんな彼は、以前よりもずっと穏やかで、ずっと強く見えた。
「では」
荷物を持ち直す。
「行ってくる」
「「「いってらっしゃい!!」」」
三人の声が重なる。
キアロくんは一度だけ振り返り、優しく微笑むと、大きく羽を広げた。
白と黒、四枚の羽翼が朝日に照らされ、美しく輝く。
バサッ——。
力強く羽ばたき、空高く舞い上がっていく。その姿が小さく、小さくなっていくまで。僕たちは誰一人その場を動かず、ずっと見送っていた。いつかまた。皆で笑いながら、ポテトチップスを囲む、その日を信じて。
◇
そして。
待ちに待った、お昼ごはんの時間!今日のメニューは——シェフ特製、手作りハンバーガー!ふかふかに焼き上げられたバンズに、肉汁あふれる分厚いパティ。シャキシャキのレタスに、真っ赤なトマト。とろりと溶けたチーズが、今にもこぼれ落ちそうなくらいたっぷり挟まれている。
さらに。付け合わせには、揚げたてほやほやのフライドポテト。外はカリッ。中はほくほく。一口かじれば、じゅわっと広がるじゃがいもの甘みと、ほんのり効いた塩気。もう、止まらない。
「ん~~~~っ!!」
思わず目を閉じてしまう。
「幸せぇぇぇ……!」
ほっぺたを押さえながら頬張る。
「これ……お店出せるレベルじゃない!?」
隣ではミライ・ユくんも、大きな口でハンバーガーにかぶりついていた。
「うますぎるゥ~~!!」
口いっぱいに頬張りながら親指を立てる。
「この肉汁ヤベェ!噛むたびにあふれてくるじゃねえか!」
トロンプくんも、負けじとポテトを口へ放り込む。
「わあっ!このポテト最高!」
サクッ。モグモグ。
「止まらないよ~~!」
もう一本。さらにもう一本。
次から次へと手が伸びる。
「これ危険だね!」
「一生食べ続けられちゃう!」
「ははっ!」
思わず笑ってしまう。ミライ・ユくんも豪快に笑った。
「たまにはこういうジャンクフードも最高だな!」
「毎日食うと怒られそうだけどな!俺に!」
「あははは!」
三人で笑い合う。
戦いも。
任務も。
今日は何もない。
ただ、美味しいご飯を囲んで、他愛もない話をするだけ。そんな何気ない時間が、とても幸せだった。
——その時。
ピロロロロロロロ……。
静かな食卓に、魔法通信の着信音が響いた。
「ん?」
ミライ・ユくんがポテトを一本くわえたまま振り向く。
「電話か」
紙ナプキンで手を拭きながら魔法モニターを召喚する。
「誰からだ?」
何気なく画面を見る。
その瞬間。
「——ッッ!?!?」
「うおおおっ!?」
ガタンッ!!
椅子ごとひっくり返った。
「ミライ・ユくん!?」
「え!?」
あまりにも派手な転び方に、僕とトロンプくんは同時に立ち上がる。
「だ、大丈夫!?」
「何があったの!?」
慌てて駆け寄る。
手を差し伸べながら、ついでに魔法モニターも覗き込む。
すると。
画面には、一つの名前。
**カクシエ**
一瞬、息が止まる。
「……え。」
目をぱちぱちさせる。
「兄さん……?」
次の瞬間。
「えええええええええええッ!?」
思わず叫んでしまった。
世界で一番大好きな兄さん。
Venom Desireのボス。
その兄さんから、直接通信が来ていた。
「は……はは……」
ミライ・ユくんは顔を引きつらせながら、震える足で立ち上がる。
「に……偽物だ」
ぶつぶつ呟く。
「そうだ……これはきっと誰かのイタズラ電話だ」
「そうに違いねぇ」
何度も自分に言い聞かせる。
「ボスが直接電話なんて……そんなわけ……」
震える指を画面へ伸ばす。
「えいッ!!」
勢いだけで通信開始ボタンを押した。
すると。
スピーカーから、聞き覚えのある明るい声が響く。
《あーあー。もしもーし。どもども~!》
《ボスのカクシエでーす!聞こえてますか~~?》
その、どこまでも気の抜けた話し方。
優しくて。
明るくて。
誰とでも友達になれそうな、あの声。
「兄さん!!!」
僕は思わず立ち上がった。
《お~~!!世界で一番愛する弟よ~~!!》
《元気にしてたか~~ッ!?》
「うんっ!!」
自然と笑顔になる。
「兄さんも元気そうだね!」
《もちろんもちろん!》
《毎日元気百倍だぞ~~!!》
「えへへ!」
胸がぽかぽかする。
久しぶりに聞く兄さんの声。それだけで嬉しくてたまらなかった。
ふと。横を見る。
「……あ」
そこには。
完全に時間が止まった二人。
ミライ・ユくんとトロンプくん。
口を半開きにしたまま固まっている。
瞬きすらしていない。
石像かな?
と思うくらい動かない。
「二人とも……?」
そう声をかけようとした、その瞬間。
「どどどどどどどどどどどどどどどどうもこんにちはァァァァァァァァァッ!?!?!?!」
ミライ・ユくんが九十度どころか百二十度くらい腰を折って叫ぶ。
その勢いでまた椅子にぶつかった。
トロンプくんも負けていない。
「ははははははははじめめめめめめめめままままましててててててててててッ!?!?!?!?」
完全に噛み散らかしている。しかも声が裏返っていた。
《あはははははッ!!》
通信の向こうから兄さんの大笑いが聞こえる。
《そんなに緊張しなくても大丈夫だって~~!》
それでも。
「は、はいッ!!」
「ひゃ、光栄ですッ!!」
二人はカチコチのまま。
以前、モノクロームさんとグラデーションさんに会った時も相当緊張していたけれど——
今回は、その比ではなかった。
だって。
相手は。
Venom Desire全構成員が憧れる、伝説のボス。
その本人だったのだから。




