第二十章 そして、新たな力へ
——なんて、恐ろしい能力。
僕たちは、最後まで言葉を失っていた。
魂そのものの「権限」を、まるで呼吸をするように操る。
——大幹部。
こんな魔法能力を持つ人たちが、まだ何人もいるというのだろうか……?
僕は恐る恐る、今度はグラデーションさんの方を見る。
「……?」
一体、どんな魔法能力なんだろう……!?
「あ、言っとくけど、今回は私は戦わないからね」
「あ……そうなんですね……」
ちょっとだけ残念だった。
すると、モノクロームさんが何でもないことのように口を開く。
「……グラデーションの魔法能力、《エンジェル・ウィズ・ア・リュート》は、自らの信者を完全に支配する能力だ。居場所も思考も常に把握できる。そして——」
少しだけ口角を上げる。
「自分の信者を殺した者には、死ぬまで決して消えない幻聴を聞かせ続ける」
「えっ」
「ちょっとォーーーーッ!!?」
グラデーションさんがものすごい勢いで振り返った。
「何サラッと私の能力バラしてるのよッ!!?」
「……一人だけカッコつけた雰囲気を出していたからな」
「それが理由になると思ってるのォーーッ!?!?」
バシッ!!
グラデーションさんがモノクロームさんの腕を叩く。
「能力って普通は秘密にするものでしょ!?戦術って知ってる!?」
「別に知られて困る能力ではない」
「私は困るのよッ!!」
「む」
「『む』じゃないッ!!」
また始まった。
二人は再び火花を散らしながら言い合いを始める。
その様子に、僕もミライ・ユくんもトロンプくんも、ただぽかんと見守るしかなかった。
……それにしても。
——『自分の信者を殺した者に、死ぬまで絶対に消えない幻聴を聞かせ続ける』。
天使なのに……能力、怖すぎない!?
さっきまでの優しい笑顔との落差に、思わず背筋が震える。
そんな僕たちへ、不意に弱々しい声が飛んできた。
「……なあ」
キアロくんだった。
椅子に縛られたまま、どこか呆れたような表情を浮かべている。
「……そろそろ、この拘束……解いてくれないか」
「「「あっ」」」
三人そろって固まる。
完全に忘れてた。
「ご、ごめんキアロくんッ!!」
「待ってろ今すぐ切るから!」
「今助けるねーーッ!!」
三人で慌てて駆け寄る。
キアロくんは小さくため息をつきながら、
「……全く」
そう苦笑したのだった。
……紐は、切れなかった。
まじない魔法が施されているせいで、どれだけ力を込めてもびくともしない。
「どうしようっ……!?」
「クソ……!」
僕たちが困っている様子を見て、グラデーションさんはため息をついた。
「……もう」
そう呟くと、さっきまでの夫婦喧嘩などなかったかのように前へ出る。
「はい」
スッ。
たったそれだけ。
指先で軽く触れただけで、あれほど頑丈だった紐は音もなくほどけ、床へと落ちた。
「わあ……!?」
思わず声が漏れる。
「す、すごい……!」
「これくらい普通よ」
グラデーションさんは、何でもないことのように微笑んだ。対悪魔用のまじない魔法まで、こんなにも簡単に打ち消してしまうなんて……。やっぱり、大幹部って本当にすごいんだ。自由になったキアロくんへ、グラデーションさんは静かに歩み寄る。その瞳には、母親としての厳しさが宿っていた。
「……それにしても、キアロ」
「……」
「貴方の力が及ばなかったせいで、大切なお友達まで危険な目に遭わせてしまったのよ?」
静かな声なのに、その一言一言が胸に刺さる。
「もし私たちが来なかったら……一体どうするつもりだったの?」
「……ッ」
キアロくんは拳を握り締め、悔しそうに床を見つめた。
続いて、モノクロームさんも口を開く。
「……まったく、お前は本当に――」
「それは違いますッ!!」
気づけば、僕は叫んでいた。
「「!」」
その場の全員が、驚いたように僕を見る。
でも、止まれなかった。
「キアロくんの本当の強さは……!」
一歩前へ出る。
「仲間を信じる強さですッ!!」
胸を張って言い切る。
「キアロくんは、いつだって僕たちを守ってくれました。勇気をくれました。仲間を信じることを教えてくれました!」
これまでの出来事が、次々と頭をよぎる。
何度も助けてもらった。
何度も励ましてもらった。
僕たちが前へ進めたのは、キアロくんがいてくれたからだ。
「だから……!」
深く頭を下げる。
「お願いです……!」
「キアロくんのことを、そんなふうに否定しないでください……!」
「キアロくんのことを……認めてあげてくださいッ!!」
静寂が流れる。
やがて、モノクロームさんは静かに口を開いた。
「……それは、無理な願いだ」
「!」
胸が締めつけられる。
そんな……。
今までキアロくんは、あんなに頑張ってきたのに――。
しかし。
「……だが」
モノクロームさんは、ゆっくりとグラデーションさんへ視線を向けた。
「キアロのことを……信じようじゃないか。グラデーション」
グラデーションさんは少しだけ目を伏せる。そして、小さく息を吐き——優しく微笑んだ。
「……ええ。そうね。キアロは……私たちの、大切な宝物だもの」
「!」
キアロくんが、勢いよく顔を上げる。
信じられない、とでも言いたげな表情だった。
唇が震える。
「……うそ、だ」
かすれた声が漏れる。
「キアロくん……?」
僕は心配になって声をかける。
その次の瞬間だった。
「私のことなんて——」
キアロくんは涙をこらえながら、叫んだ。
「愛してもないくせにッッ!!!」
キアロくんは、震える声で叫んだ。
「私は——父さんと母さんのせいで、今までどれだけ苦しんできたと思っているんだッ!?」
押し殺してきた感情が、一気にあふれ出す。
「地獄では天使の血が混じっていると迫害され、天国では悪魔の血が流れていると迫害された!」
拳を強く握り締める。
「ようやく地上へ来られたと思えば、今度は悪魔ハンターに命を狙われる日々だッ!」
息が乱れる。
「教会に助けてもらっても……私は本棟には入れてもらえなかった!」
遠い日の記憶が、鮮明によみがえる。
教会の庭。
小さな小屋。
そして、本棟へ入っていく人たちを見つめる自分。シスターたちの、どこか距離を置いた視線。
街を歩けば、耳に入ってくるひそひそ話。
『ねえ、あの人……悪魔なのかな?』
『いや、天使じゃない?』
『知らねえよ』
一拍置いて——
『……気持ち悪りぃ』
その言葉だけは、今でも忘れられない。
「私は……!」
キアロくんの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「この血のせいで……何度も、何度も、何度も苦しんできたッ!!」
声が震える。
「どうして私を産んだんだッ!?」
誰にもぶつけられなかった問い。
何年も胸の奥へ押し込めてきた叫び。
「私は……!」
涙が止まらない。
「迫害されるために、生まれてきたのかッ!?」
「キアロくん……」
誰も言葉を返せなかった。
モノクロームさんも。
グラデーションさんも。
ミライ・ユくんも、トロンプくんも。
ただ、胸が締めつけられる思いで、その叫びを聞いていた。
そして。
キアロくんは力なくうつむく。
震える唇から、かすれた声が漏れた。
「私なんて……」
一筋、涙が床へ落ちる。
「私なんて……」
そして——
「生まれてこなければ、よかったんだッ……」
その一言は。
あまりにも悲しく。
あまりにも、痛々しかった。
しばらく、誰も口を開かなかった。
重い沈黙の中。
最初に口を開いたのは、グラデーションさんだった。
「……ごめんなさい」
その声は、小さかった。
でも、誰よりも震えていた。
「貴方が……そこまで苦しんでいたなんて……私は、気付いてあげられなかった……」
ゆっくりとキアロくんへ歩み寄る。
「私はね……」
「貴方だけは、この争いの世界に巻き込みたくなかったの」
「悪魔ハンターと毎日のように戦って、傷だらけになって帰ってくるお父さんを見て……」
「この子だけは、普通に笑って、普通に幸せになってほしいって……そう思っていたの」
「だから、『弱いから』なんて言葉で、無理やり突き放した」
「……それが、一番貴方を傷つけるなんて、考えもしなかった」
涙が、一粒落ちる。
「ごめんなさい……キアロ」
続いて、モノクロームさんが静かに口を開く。
「……私も、謝らねばならない」
彼は息子を真っ直ぐ見つめる。
「私は、お前を守ろうとした」
「だが——守り方を、間違えた」
「お前を遠ざければ、お前は安全だと思っていた」
「私たちが憎まれれば、それでいいと思っていた」
拳を握る。
「だが、その結果」
「お前は、自分は愛されていないのだと……そう思い込んでしまった」
モノクロームさんは、深く頭を下げた。
「……父親失格だったな」
その言葉に、グラデーションさんも静かに頷く。
「ええ」
「母親失格だったわ」
二人は並んで、キアロくんへ頭を下げる。
「「……本当に、ごめんなさい」」
静寂が流れる。
そして、モノクロームさんは顔を上げた。
「だが」
「一つだけ、お前に伝えたいことがある」
「お前は、一度だって」
「生まれてこなければよかった存在などではない」
グラデーションさんも涙を流しながら続ける。
「貴方が生まれた日」
「私は、この世界で一番幸せだった」
「初めて貴方を抱きしめた時」
「『この子だけは、命に代えても守ろう』って、本気で誓ったの」
モノクロームさんは静かに笑う。
「お前は」
「私たちが、この世界で手に入れた、一番の宝物だ」
「それだけは」
「今も昔も、一度たりとも変わったことはない」
キアロは、震える手で両親を見る。
「……だったら」
涙が止まらない。
「どうして、そんなことを言ったんだ……!」
「どうして『弱い』なんて言ったんだ!」
グラデーションは泣きながら答える。
「ごめんなさい……」
「本当に、ごめんなさい」
「私は、守る方法を間違えたの」
モノクロームも静かに続ける。
「お前を戦わせたくなかった」
「だから、お前に嫌われてもいいと思った」
「お前が私たちから離れて、生き延びてくれれば、それでよかった」
キアロは首を振る。
「違う……!」
「そんなの……!」
「そんな守り方……!」
声が震える。
「苦しかった……」
「寂しかった……!」
「ずっと……!」
「父さんと母さんに……認めてほしかっただけなんだ……!」
その瞬間。
グラデーションさんは走った。
ギュッ。
キアロくんを抱き締める。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい……」
「一人にしてしまって」
「怖かったわよね」
「苦しかったわよね」
モノクロームさんもゆっくり歩いてくる。
そして。
大きな手で、キアロの頭を撫でる。
「……強くなったな」
その一言だけだった。
でも。
キアロくんは、その一言を十年間待っていた。
「ッ……!」
涙が溢れる。
「父さん……!」
「母さん……!」
「うああああああ!!!!」
堰を切ったように泣き始める。
その時。
ドクン。
心臓が鳴る。
ドクン。
ドクン。
黒い魔力。
白い魔力。
今まで混ざり合わなかった二つが、
ゆっくりと溶け始める。
グラデーションさんが驚く。
「……え?」
モノクロームさんも目を見開く。
「これは……」
キアロくんの翼が光る。
黒い、羽の翼が現れる。
まるで、悪魔の翼と天使の羽を合わせたような。そんな感じ。
「私はもう、この血から逃げない」
キアロくんが語る。
そして、ゆっくり僕の方を見た。
「私は……」
「天使でも、悪魔でもない——」
「光でも、陰でもない——」
「キアロスクーロなんだ」




