第十九章 大幹部の魔法能力
「そういえば……」
モノクロームさんが、ふと思い出したように呟いた。
そして、高い場所から音もなく降り立つ。
まるで羽ばたいているわけでもないのに、重力なんて存在しないかのように、静かに僕たちの前へ着地した。
近くで見ると、その存在感はさらに圧倒的だった。
敵も味方も、誰も声を出せない。
自然と道が開いていく。
まるで王が歩くために、皆がひれ伏しているかのようだった。
そして。
モノクロームさんは、まっすぐ僕の前まで歩いてくる。
「初めまして。カゲエご令弟……」
そう言うと、とても丁寧な所作で僕の手をそっと取った。
その手は大きくて、でも驚くほど優しかった。
「え、あ……」
思わず固まる。
それよりも——。
近い。顔が、近い。僕は思わず、まじまじとモノクロームさんの顔を見つめてしまう。
「(き、綺麗……)」
悪魔というものは、人を誘惑するため、この世で最も美しい姿を持つと言われている。その話は本当だった。切れ長の瞳。整いすぎている顔立ち。長く艶のある黒髪。どこか妖しく、それでいて威厳に満ちた雰囲気。同性の僕ですら、思わず見惚れてしまうほどだった。というか——
「……はわわぁぁぁぁぁぁ~~!!」
声にならない声が漏れた。頭が真っ白になる。
「(す、すごい……!)」
「(こんな綺麗な人、本当にいるんだ……!!)」
僕は完全に見惚れてしまっていた。
そんな僕を見て、モノクロームさんは少しだけ目を細める。
「この前、絵の中に匿ってくれた以来だね」
柔らかく微笑む。
「あの時は本当に助かったよ。ありがとう」
「えっ、あ……い、いえ……!」
そんな丁寧にお礼を言われるなんて思っていなくて、慌てて首を横に振る。
「ぼ、僕は、その……当然のことをしただけなので……!」
「ふふ」
モノクロームさんは優しく笑った。
その笑顔すら絵画のように美しい。
横を見ると。
ミライ・ユくんとトロンプくんが、完全に石像になっていた。
微動だにしない。
瞬きすら忘れている。
「……ミライ・ユくんと、トロンプルイユくんも」
二人へ視線を向ける。
「いつも、こんな愚息の世話を焼いてくれて、本当にありがとう」
その一言で。
二人はビクッ!!と飛び上がった。
「あああああいいいややややッ!!」
ミライ・ユくんがものすごい勢いで首を振る。
「と、とと当然のことですよおおおおお!!」
普段の不良らしい口調はどこへ行ったのか。
完全に敬語になっていた。
隣では、
「ぼぼぼぼっ、僕たちはキキキキキアロロロロくんの、と、ともダチですかららららららッ!!」
トロンプくんも盛大に噛み倒していた。
帽子までガタガタ震えている。
二人ともガッチガチだ。
さっきまで敵相手に戦っていた人とは思えないくらい緊張している。
その様子があまりにも面白くて。
「ぷっ……!」
思わず吹き出してしまう。
「あははははっ!」
笑いが止まらない。
ミライ・ユくんが恥ずかしそうに睨んでくる。
「笑うなッ!!」
「だ、だってぇ……!」
こんなに緊張している二人を見るのは初めてだった。
すると。
ミライ・ユくんとトロンプくんは、同時に心の中で思う。
「(なんでカゲエくん、普通に接せんの……ッ!?!?)」
「(流石ボスの弟だな……!?!?)」
圧倒的な大幹部を前にしても、いつも通り笑って話せるカゲエ。
二人は改めて、その肝の据わり方——いや、天然ぶりに戦慄するのだった。
「私からも、挨拶はしておかないとね」
今度は、グラデーションさんがゆっくりと僕の前まで歩いてきた。
一歩。
また一歩。
歩くだけで、辺りが明るくなっていくような気がする。
まるで、その人自身が光そのものだった。
柔らかな金色の光がその周囲を包み込み、小さな天使たちは嬉しそうにラッパを吹きながら、その周りをくるくると飛び回っている。
その姿は——
まるで、この世のすべての光を集めて、一人の人間にしたようだった。
優しく。温かく。見る者すべてを安心させる、不思議な雰囲気。これが……天使。そう思わせるほど神々しかった。
そして。
グラデーションさんは僕の前まで来ると、そっと両手で僕の手を包み込む。
ふわり。
とても温かい。
まるで春の日差しみたいだった。
「初めまして、カゲエちゃん」
優しく微笑む。
その笑顔は、まるで慈愛そのものだった。
僕は思わず見惚れてしまう。
「(き、綺麗……)」
モノクロームさんは「人を魅了する美しさ」だった。
でも、グラデーションさんは違う。
見ているだけで安心できる。抱き締めてもらいたくなるような、母親のような優しさがあった。そんな人に手を握られて。
「ぁ……」
思わず頬が熱くなる。
顔がじんわり赤くなっていくのが自分でも分かった。
「あら……」
グラデーションさんはクスリと笑う。
「照れてるの?」
僕はさらに真っ赤になる。
「ふふっ、可愛いわねぇ」
頭を優しく撫でられる。
「モノクロームとは大違いッ♪」
「何……?」
後ろから低い声が聞こえた。モノクロームさんである。その目がジトッとグラデーションさんを見ていた。
「なんだ、その言い方は。」
「だって本当じゃない。」
グラデーションさんは肩をすくめる。
「貴方ったら最近、全然私に『綺麗』って言ってくれなくなったじゃない!」
「…………」
「そのままテンペラテクスチャーちゃんのお世話でもしてたらいいのよッ!」
「なんだと!?」
モノクロームさんの眉がピクリと動く。負けじと一歩前へ出た。
「お前こそ最近、全然私に『好き』と言わなくなったな?」
「!」
「このままゼーユさんにでも惚れ込めばいいんだッ!!」
「なによ!!」
グラデーションさんも負けずに一歩踏み出す。
「誰のせいだと思ってるのよ!」
「私のせいだと言いたいのか!」
「そうよ!」
「違う!」
「違わない!」
「違う!」
「違わないったら!」
バチバチバチ……!!
二人の間に火花が散る。
さっきまで神々しい雰囲気だったのが嘘みたいだ。
「…………」
僕はぽかんと口を開ける。
隣を見る。
ミライ・ユくんも。
「…………」
トロンプくんも。
「…………」
さっきまで命のやり取りをしていた敵たちまでも。
「…………」
いつの間にか床へ座り込み、
「(えぇ……)」
という顔で夫婦喧嘩を眺めていた。
敵も味方も関係ない。
全員が完全に観客になっている。
部屋中が、
「はわわわ……」
という空気に包まれていた。
そんな中——。ただ一人だけ。
キアロくんだけは、小さくため息をつく。
「(……また、いつもの喧嘩だ)」
その表情には驚きも焦りもない。むしろ、
「(今日はまだ軽い方だな)」
くらいの落ち着きようだった。
どうやら、この夫婦喧嘩は日常茶飯事らしい。
その様子を見て、僕は思わず苦笑する。
「(キアロくん……今まで、本当に大変だったんだなあ……)」
「……あの」
僕は恐る恐る手を挙げた。
まだ二人の間にはバチバチと火花が散っている。
このままだと、敵より夫婦喧嘩の方が大変なことになりそうだ。
「て、敵さんも混乱してますし……」
二人の視線が同時に僕へ向く。
「そ、その続きは……後でゆっくりしてもらって……」
恐る恐るそう言う。
すると。
「む」
モノクロームさんが少しだけ目を丸くする。
「あら」
グラデーションさんも同じように瞬きをした。
二人は互いの顔を見合わせる。
数秒間の沈黙。
そして。
「……後で続けるからな」
モノクロームさんが腕を組んだまま言う。
「……当然よッ」
グラデーションさんも負けじと言い返す。
二人とも喧嘩を終わらせたわけではないらしい。一時中断というだけだった。
まだまだ視線はバチバチしている。
「(あ、後で続きをするんだ……)」
僕は心の中でそっと苦笑した。
そんな二人を見ていたキアロくんは、
「(今日は短時間で済んだ方だな)」
とでも言いたげな、どこか安心した表情を浮かべていた。
どうやら本当に日常らしい。
そして。
モノクロームさんは静かに踵を返す。
一歩。
また一歩。
今度は僕たちの後ろ——
敵たちの方へ向かって歩いていく。
その背中を見た瞬間だった。
空気が変わる。
さっきまで夫婦喧嘩をしていた人とは、とても思えない。
部屋全体の空気が一瞬で凍りついた。
冷たい。
重い。
息苦しい。
敵たちも本能的にそれを感じ取ったのだろう。
誰一人として声を出せない。
ミライ・ユくんが小さく息を呑む。トロンプくんも帽子をぎゅっと握り締めていた。
そして。
モノクロームさんは、静かに僕へ振り返る。
「カゲエくん……」
低く、それでいてよく通る声。
「私の魔法能力——《ザ・デーモン・ナイトメア》を、お見せしよう」
「!」
その一言だけで鳥肌が立つ。
これが——。
Venom Desire最高幹部。
悪魔族最強格。
モノクロームさんの力。
「世界に存在する〈黒い闇〉」
モノクロームさんはゆっくりと両手を広げる。
「その全ては、私の領域だ」
床に落ちる影。
机の下の闇。
割れた家具が作る陰。
そして、この暗い部屋そのもの。
すべてが彼の支配下だった。
「私は自由にその領域を移動できる」
敵たちの顔色が青ざめる。
「そして——」
モノクロームさんはゆっくりと目を細めた。
「その領域へ触れている者の《魂》の権限は、私にある」
ゾクリ。
全身が震えた。
魂。
今、この人は確かにそう言った。
肉体ではない。
魂。
存在そのものを支配する能力。
「(な、なんて能力なんだ……)」
僕は息を呑む。
そして。
モノクロームさんは人差し指を軽く立てた。そこへ黒い魔力が集まっていく。圧倒的な魔力量。なのに、とても静かだ。
「応用魔法」
そう小さく呟く。次の瞬間。
シュッ——。
黒い細い光線が一直線に飛んだ。
狙う先は——廊下の照明。
パリンッ!!
甲高い音を立てて照明が砕け散る。
「あ……」
部屋を照らしていた最後の光が消えた。
世界は、一瞬で闇へ飲み込まれる。
完全な暗闇。
その瞬間、僕は悟った。
「(……まさか)」
「(だから敵は、ここまで《白》にこだわっていたの……?)」
壁。
服。
武器。
建物。
照明。
ありとあらゆるものを白で統一していた理由。
闇を作らないため。
モノクロームさんの能力を封じるためだったんだ。
でも——。
照明が壊れた今。
この場所は。
完全に彼の領域になった。
「や、やめろッ……!!」
敵たちが悲鳴を上げる。
「頼む……ッ!!」
一歩下がる。だが、どこへ逃げても足元には影がある。
「消えたくな——」
最後まで言い切ることはできなかった。
サラリ。
闇へ溶けるように。
一人。
また一人。
敵たちの身体が黒い粒子となって崩れていく。
悲鳴も。足音も。何も残らない。まるで最初から、この世界に存在していなかったかのように。静かに。あまりにも静かに。全員が姿を消した。
「…………」
誰も言葉を発せない。
ただ、その圧倒的な力を見つめることしかできなかった。
すると。
「はい、おしまい」
グラデーションさんが軽く指を鳴らす。
パチン。
ふわりと優しい光が部屋中へ広がった。新しい照明に明かりが灯る。世界へ再び光が戻る。そして。僕は辺りを見回した。
「……」
敵はいない。
白い軍隊も。
見張りも。
誰一人として。
そこに残っていたのは——
僕たちだけだった。




