第十八章 信じて待つ
張り詰めた空気の中。
最初に口を開いたのは、ミライ・ユくんだった。
その顔には焦りなど一切ない。
むしろ。獲物を追い詰める側のような、不敵な笑みが浮かんでいた。
ミライ・ユくんは言った。
「はっ……そんな白い玩具〈ガラクタ〉で俺たちを倒そうとでも?」
そう言いながら。ゆっくりと両手を下げる。まるで。銃など全く恐れていないと言わんばかりに。
「何……?」
敵たちは軽く動揺する。
今まで何人もの相手を脅してきたのだろう。この銃を向けられれば。誰だって怯え。誰だって従う。そう信じていた。だからこそ。堂々と立つミライ・ユくんの姿は、敵にとって理解できないものだった。その一瞬の迷いを。ミライ・ユくんは見逃さない。
口角をさらに吊り上げる。
そして。
「……撃てるもんなら撃ってみろッ!薄汚ねエ白雑巾どもッッ!!」
挑発。それも、全力の。
敵の神経を逆撫でするような言葉だった。
「!?テメエ……ッ!!」
敵の一人の額に青筋が浮かぶ。怒りで顔が真っ赤になっていく。冷静さなど、もう残っていない。
「馬鹿、お前、よせ——」
敵の仲間が慌てて止めようとする。何かがおかしい。これは罠かもしれない。そう察したのだろう。だが。もう遅かった。怒りに支配された敵は。引き金に指を掛ける。
そして。
その瞬間だった。
僕は叫んだ。
「今だッッ!!!!!!」
「応ッ!!!!!」
トロンプくんの指が鳴る。
パチンッ!!
小気味よい音と同時に。
〈ミスター・スポットライト〉が発動する。
敵は驚いた表情を浮かべる。
「なっ!?」
自分の腕が。勝手に動く。
「な、なんだこれ!?」
意思とは関係なく。
腕は上へ。
上へ。
まるで見えない糸で操られているように。銃口は。天井へ向けられていく。そして照明へ。銃口がぴたりと定まった。敵は必死に抵抗する。腕を戻そうとする。だが。もう止まらない。引き金は既に引かれていた。
パリーンッ!!!
激しい破砕音。照明が粉々に砕け散る。ガラス片が雨のように降り注ぐ。部屋を照らしていた光は、一瞬で消えた。辺りが暗くなる。視界が黒に染まる。ほんの数秒前まで明るかった部屋は。何も見えない闇へと変わった。
「あ……」
一人の敵が。
震える声を漏らす。
その一言だけで。
敵全員が気付いた。
「マズい……ッ!!」
何が起こるのか。それを。彼らは知っていた。だからこそ。誰一人戦おうとはしなかった。敵たちは一目散に部屋から逃げ出した。我先に。仲間を押しのけながら。悲鳴を上げながら。出口へ殺到する。さっきまでの威勢は、もうどこにもない。
まるで。何か恐ろしい化け物から逃げるように。必死だった。
——一体、何が起こるっていうんだ!?
静寂。
辺りはシーンとしている……。
そして——
何も、起こらなかった。
「……?」
暗闇の中、キアロくんの方を向く。
「……ど、どういうこと……!?」
思わず声が震える。
「作戦通りなのか!?キアロ!」
ミライ・ユくんも辺りを見回しながら叫ぶ。
「えっ、何が起こるっていうのさ!?」
トロンプくんも困惑を隠せない。
三人とも完全に混乱していた。
当然だ。
僕たちは、キアロくんが何か確信を持っているのだと思っていた。
だから信じた。
だから敵に照明を撃たせた。
でも——何も起きない。
暗闇だけが、そこにあった。
そして——。
キアロくんは。
静かに目を閉じていた。暴れようともせず。助けを求めるでもなく。ただ、その場で静かに目を閉じていた。まるで、誰かを待っているように。いや。ずっと昔から、その人だけを信じ続けていたように。その横顔は、あまりにも静かだった。
だけど。その表情には、言葉では言い表せないほどの悲しみが滲んでいた。苦しみ。絶望。諦め。期待。それら全部を押し殺したような、痛々しい顔だった。
そして。
本当に小さな声で呟く。
「……こなかったか」
その一言には、長い年月積み重ねてきた想いが詰まっているようだった。
そして、もう一度だけ。
消え入りそうな声で。
「……お父さん」
その呼びかけは、暗闇の中へ静かに溶けていった。
返事はない。
誰も現れない。
その事実だけが、あまりにも残酷だった。
「……ははは!!」
突然、部屋の外から下品な笑い声が響く。
ビクッと肩が震える。敵だ。逃げていた敵たちが、再び戻ってきた。どうやら、本当に何も起こらないことを確認して戻ってきたらしい。
「父親に見捨てられるとはなア……!!」
ゲラゲラと笑う敵。
「こいつは愉快だぜッ!!」
その言葉は、刃物よりも鋭くキアロくんの心を抉った。
僕は思わず拳を握り締める。
そんなこと……
そんな言い方……!
「そのまま——死になッ!!!」
敵が引き金を引いた。
パンッ!!
乾いた銃声が暗闇へ響く。
白い銃弾が一直線に飛んでくる。
「ッ!!」
トロンプくんが慌てて魔法を発動しようとする。
「しまっ——!」
でも、間に合わない。距離が近すぎる。銃弾は一直線に。真っすぐ。僕の頭へと向かってくる。
「(やば——)」
そう思った、その瞬間だった。
頭上から。
低く、威厳のある声が降ってきた。
「全く……どこまでも半人前の息子だ」
その瞬間だった。
一直線に飛んできていた弾丸が——
サラサラッ……。
まるで砂時計の砂のように崩れ始める。
金属だったはずの弾丸は、細かな砂へと姿を変え、そのまま空中で跡形もなく消えていった。
「!」
敵も、僕たちも、その光景に目を見開く。
何が起きたのか理解できない。
だが、一人だけ——。
キアロくんだけは違った。
彼はハッと息を呑むと、勢いよく顔を上げる。
その青色の瞳が、暗い天井のさらに向こうを見つめる。
そして。
「父さん……!」
震える声で叫んだ。
「やっぱり……」
その声は、少しだけ安堵を含んでいて。
「来てくれた……!」
最後の一言は、今にも涙が零れ落ちそうなほど弱々しかった。普段のキアロくんなら絶対に見せない声だった。冷静で、頼もしくて、誰よりも仲間を守ろうとする彼。そんな彼が、今だけは一人の息子になっていた。ずっと。本当は来てくれると信じていたのだ。来ないかもしれない。でも来てほしい。そんな矛盾した想いを胸に抱えながら、暗闇の中で目を閉じていたのだろう。その願いは——届いた。
「だ……大幹部、モノクローム様……ッ!?」
トロンプくんが思わず上を見上げ、大きな声を上げる。
その表情は驚愕そのものだった。
「え……」
ミライ・ユくんも言葉を失っている。
普段なら真っ先に何か皮肉の一つでも言うはずなのに、それすら出てこない。
それほどまでに、圧倒的な存在感だった。
そして。
「……でも、さっきまでキアロの好きなトコ、あんなに真剣に語ってたじゃないの」
柔らかく、それでいてどこか呆れたような女性の声が部屋へ響く。
同時に。
暗闇だった部屋へ、一筋の優しい光が舞い降りた。まるで朝焼けのように温かな光。その光の中では、小さな天使たちのような存在が楽しそうにラッパを吹き、ふわふわと空を舞っている。幻想的で、美しくて。こんな危険な場所だということを、一瞬忘れてしまうほどだった。
「今度は……大幹部グラデーション様ぁ……!?!?」
トロンプくんの驚きはさらに大きくなる。
「だ、大幹部が二人も……ッ!?」
敵たちの顔色がみるみる青ざめていく。
先ほどまで威勢よく笑っていた者たちも、今では一歩、また一歩と後ずさっていた。
その様子を見て。
ミライ・ユくんはニヤリと口角を上げる。敵へ向けるその目は、完全に勝利を確信した者の目だった。
「(お前ら、終わったな)」
そんな言葉が聞こえてきそうなほど、愉快そうに笑っている。
だが——。
「あ、私は協力しないから」
グラデーションさんが、あっさりと言い放った。
「え?」
僕たちは思わず固まる。
「これは貴方たちの親子喧嘩なんだし……私を巻き込まないでよね」
腕を組みながら、どこか面倒くさそうに肩をすくめるグラデーションさん。
その横で、
「いや、お前もキアロと口喧嘩してただろ」
モノクロームさんがすかさずツッコミを入れる。
「ちょっと私の意見を言ったら、キアロが反発してきただけよ」
「それを口喧嘩というんだよッ」
「違うわよ」
「違わねえ」
「違うってば」
「いや、絶対そうだろ」
こんな緊迫した状況なのに、二人はまるで普段の夫婦喧嘩の続きを始めたかのようだった。
そのあまりの自由さに、僕たちは思わずぽかんとしてしまう。
「……あの人たち、本当に大幹部なんだよね?」
僕が小声で呟くと、
「……間違いなく本物だ」
ミライ・ユくんが苦笑いしながら答えた。
「クッ……!!」
敵は焦り始める。このままでは終わる。そう悟ったのだろう。
「撃てェェェッ!!」
怒鳴り声とともに、何人もの敵が一斉に引き金を引く。
パンッ!
パンパンパンッ!!
無数の白い銃弾が暗闇を裂きながら飛んでいく。
だが——。
暗闇へ入り込んだ、その瞬間。
サラサラサラッ……。
一発残らず。
すべての銃弾が砂へと変わり、そのまま静かに崩れ落ちた。床へ届くことすらなく、空気へ溶けるように消えていく。まるで最初から存在しなかったかのように。
「なっ……!?」
敵たちの顔から血の気が引いていく。武器が、まったく通じない。その絶望が、一瞬で全員へ伝染した。僕は、その光景を呆然と見つめる。
「(これが……これが、モノクロームさんの能力……!?)」




