第十七章 反撃開始
そして——。
カクシエさんは、ある教会に我々を案内してくれた。
高い尖塔。色鮮やかなステンドグラス。静かな鐘の音が響く、美しい教会だった。
今まで命からがら逃げ回る生活を送っていた私たちにとって、その場所はまるで別世界のように見えた。
ようやく安心して眠れる場所が見つかった。
私は、それだけで胸がいっぱいになった。
天使の母はもちろん大歓迎だった。
教会の人々も笑顔で迎え入れ、温かい言葉を掛けてくれる。
だが……。悪魔の血を流れる、父と私は——。
教会本棟の中には入れてもらえなかった。
悪魔に対する恐怖や偏見は、そう簡単には消えない。
それでも。追い返されることはなかった。
教会の庭に建てられた、小さな小屋。
そこを私たち親子の住まいとして貸してもらえることになった。
小屋は決して広くなかった。家具も最低限。壁には少し隙間風も入る。それでも。雨風をしのげる屋根があって。安心して眠れる布団があって。「帰る場所」があるというだけで、十分すぎるほど幸せだった。
「すまない、こんな中途半端な小屋に住まわせてしまって……」
カクシエさんは申し訳なさそうにそう言った。
本当なら皆と同じ建物で暮らさせてあげたい。そんな気持ちが、その表情から伝わってきた。
「いや……こうして、住まいをくれているだけでもかなり助かっています。本当にありがとうございます」
父がそう言う。
深々と頭を下げる父の姿を見て、私も慌てて頭を下げた。
実際。カクシエさんが助けてくれてからは、悪魔ハンターが来なくなった。教会という神聖な場所。まさか、その庭で悪魔を匿っているなど、誰も想像しないのだろう。ようやく。穏やかな時間が流れ始めた。夜になれば家族三人で食卓を囲み。父の笑顔を見る日も少しずつ増えていった。
そんなある日のことだった。
リビングから話し声が聞こえてくる。
「Venom Desireを立ち上げようと思ってるんだ」
カクシエさんと父、そして母が話している。
私は扉の隙間から、そっとその様子を見つめた。
「Venom Desire……」
父がその名前を小さく繰り返す。
「目的は、このお世話になった教会を守るため。縄張りの犯罪を取り締まるために、戦うんだ」
「戦う……」
母は少し不安そうに呟く。
戦いという言葉を聞けば、これまでの日々を思い出してしまうのも無理はない。
だが。
カクシエさんの瞳は真っ直ぐだった。誰かを傷つけるためではない。誰かを守るための戦い。その強い覚悟が伝わってきた。
そして。
「是非……二人にも、協力してほしい!」
父と母は顔を見合わせる。
少し驚いたようだった。
だが。
その表情はすぐに笑顔へ変わる。
「ああ……もちろんです!」
「カクシエくんのお役に立てるなら、是非協力しますわ!」
二人とも迷いはなかった。命を救ってくれた恩人。その人の力になれるなら。そんな思いだったのだろう。こうして。父と母は、Venom Desire初代構成員となった。二人とも、とても嬉しそうだった。その姿を見ていた私は。胸が熱くなった。だから。勇気を振り絞って。一歩前へ出る。
「……私も、いいだろうか」
恐る恐る会話に混ざる。皆の役に立ちたい。父や母のようになりたい。その一心だった。カクシエさんは、ニコリと微笑んだ。優しい笑顔だった。でも——。
「……お前はダメだ。キアロスクーロ」
「貴方はダメよ。だって……」
「「弱いから」」
その一言だけで。胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。言い返せなかった。悔しかった。でも。事実だった。私はまだ、誰かを守れるほどの力なんて持っていなかった。だからこそ。反論できなかった。ただ。俯いて。拳を強く握り締めることしかできなかった。
◇
十年前。
遠い記憶。
私はぼんやりと、その時の会話を思い出していた。
あれから十年。
カクシエさんは。
Venom Desireを大きな組織へと育て上げた。街を守り。多くの人々を救い。皆から信頼される存在になった。
……カクシエさん。
あの後、大成功して良かったな。
きっと。私がいなかったから成功したのだろうな。
そんなことを考えている間にも。現実は容赦なく私を引き戻す。
「オラッ!!無視すんじゃねえ!!」
敵の怒号が部屋に響く。
次の瞬間。
敵の拳が。
私の顔に向かって一直線に飛んできていた。
ブオオオンッ!!!!!
「!?」
突然。
爆音のようなエンジン音が聞こえてきた。
静まり返っていた拷問部屋に、不自然なほど大きな音が響き渡る。敵たちも一斉に顔を上げた。
「なんだッ!?」
誰かがそう叫ぶ。
だが、返事をする者はいない。
ただ——。
ブオオオオオオオオオンッ!!!!!
エンジン音だけが、どんどん近づいてくる。
壁を震わせ。床を揺らし。まるで巨大な獣が一直線にこちらへ向かってきているかのようだった。
車の音か……?こんな場所に?こんな状況で?あり得ない。普通ならそう思う。だが。車。その単語を聞いた瞬間。私の脳裏には、ある人物の顔が浮かんだ。無鉄砲で。乱暴で。でも誰より仲間思いな男。そして——。
その予感は。見事に的中する。
ドゴオオオオン!!!
轟音と共に。この部屋に唯一つながる扉が吹き飛んだ。木片が辺りに散乱する。敵たちが悲鳴を上げる。
「は!?!?」
「なっ——!?」
そして。土煙の向こうから。
一台の黒い車が突っ込んできた!!
普通なら廊下を走るだけでも無茶苦茶だ。だがその車は。躊躇なく壁を壊し。扉を吹き飛ばし。そのまま部屋の中へ突撃してくる。まるで巨大な弾丸だった。
「は!?!?」
敵たちの悲鳴が重なる。
その運転席には——ミライ・ユ殿だ!助手席には、カゲエ殿もいる!後部座席には……トロンプ殿だろうか!ボロボロに血が出ているが、命は無事なようだ!
胸の奥が熱くなる。来てくれた。助けに来てくれた。こんな危険な場所まで。私のために。
「うおおおおおおお!!!!!」
ミライ・ユ殿は雄叫びを上げながらアクセルを踏み込む。完全にブレーキを捨てている。
「!?!?や、やめ――」
敵の一人が叫ぶ。
だが。
もう遅い。
車は、そのまま私のすぐそばを走り——
敵を、轢き吹っ飛ばした。
「ぐわあああああッ!!」
「ぎゃあああああッ!!」
敵たちが宙を舞う。
机も椅子もまとめて吹き飛ぶ。まさしく暴走列車だった。車が急停止する。タイヤの悲鳴が部屋に響いた。そして。ドアが勢いよく開く。すぐさま皆が降りてくる。
「キアロくん!!!大丈夫!?!?」
真っ先に駆け寄ってきたのはカゲエ殿だった。
その顔には心配が浮かんでいる。
きっと。必死になって探してくれたのだろう。
「待ってろ!今自由にしてやる!……クソッ!?全然ほどけねえ!!」
ミライ・ユ殿が拘束を引っ張る。
だが。
紐はびくともしない。トロンプ殿も加わる。
「これ何なのさ!?全然切れないよ!」
カゲエ殿とミライ・ユ殿、トロンプ殿が急いで拘束を解こうとしてくれる。
だが。
対悪魔用の呪具はそう簡単には壊れない。
焦りだけが募る。その時だった。
「テメエら!!いたな!!」
敵の追手が、部屋までたどり着く。
大勢の足音。
怒号。
武器の金属音。
そして。
手には——白い銃。
「あ……マズいッ!?」
トロンプ殿が顔を青くする。
「テメエら!手上げろ!!その場を動くなッ!!」
敵たちは一斉に銃口を向ける。
逃げ場はない。
完全に囲まれてしまった。
白い銃を持った敵に囲まれてしまった……。
部屋の空気が張り詰める。
「クソが……!?」
ミライ・ユ殿が歯を食いしばる。
「どうしよう……!?」
カゲエ殿も不安そうだ。
だが。私は違った。ここからなら。まだ勝てる。私は、小さく耳打ちする。
「敵に銃を撃たせるんだ」
「は!?(小声)」
当然の反応だ。普通なら正気を疑う。だが。
「……トロンプ殿の能力を使って、照明に向けて撃たせてくれ」
「そんなことして……どうするの?」
三人は迷ってるようだった。
無理もない。
説明する時間もない。
だが。
私は確信していた。
勝機はある。
「……今は、私を、信じてくれ」
真剣なまなざしで見つめた。言葉よりも。覚悟を伝えるように。すると……。気持ちは、伝わったようだ。三人の表情が変わる。迷いが消える。代わりに。信頼が宿る。
「この前の復習だねッ!」
トロンプ殿は張り切っている。
恐らく、サイレント・サイト戦のことを言っているのだろう。
あの時も。仲間を信じたから勝てた。ならば今回も同じだ。そして。敵たちが引き金に指をかける。私たちは静かに息を整える。絶望の時間は終わりだ。
ここから先は、私たちの番だ。
——反撃開始。




