6、別に生活に困っている訳ではない。
これを読んで私は手が震えた。
愛の込められたいや、謝罪が込められた可愛い後輩からの長文の手紙だったからではない。後輩が私のこの地上に堕ちたことがまるで門出のように祝われているように感じたからである。
この上、“どうか許してください”という文章も手を戦慄かせた理由だった。
そんなに謝るべきでない。
私としては色々と根回ししてもらって有難い身であるのだ。
それを享受している。神から直々に揃えてもらったのなら神託である。
現在の後輩の立場は高貴な知恵の神のポジションに属している訳だからそう簡単に落ちるかと言えばはっきり否定が出来てしまうけど、やはり神であっても易々と謝罪をすべきでない。私が頂いた神託の価値が下がるだろう。神が安くなってはいけない。安いのは紙だけでいい。
でも、私にだって落ち度はある。勝手に一方的に突発的に辞めたのだが天も天でいい奴らである。こんなに揃えて私が雁首揃えないと気が済まなくなる。たった一人であるが。後輩が並んでくれるかな?駄目だ。謝らせたくないのに一緒に謝ってもらおうと言う考えは駄目だ。卑怯ではないか。卑怯ではあるけれど、謝る相手としては適切が過ぎる。
このやるせない気持ちはどうすればいいのだろうか。
ああ。これのグルグルと滞留する黒い塊よりも厄介だ。反芻が困難だ。そんなときは一回考えないことにしよう。そうして、私はこの手紙を投げた。
ぽすっ。とおおよそ空の手紙からは鳴らない音が聞こえたのだった。仕方がないので、再度拾ってみた。
確か、一番最初分厚いと言っていたがもう一つ入っていたわ。通帳である。
某有名銀行の通帳である。
どれほどのお金が入っているのだろうか。これはいわば退職金みたいなものだ。みたいなものではなく本当に退職金だ。
長年知恵の神を続けて来たのだが、どれほどの評価があるのか気になるところだった。
一〇〇万、一〇〇〇万だろうか。はたまた通り越して一億……。夢を見過ぎか。
私はそう思いながらもあまり期待もせず見開いた。
一方的に辞めた奴にそこまで支払う義理も人情もないだろうと。
しかし、私は絶句した。天は想像する以上に天だったらしい。
一桁ぐらい違うかった。勿論一〇億と。
一〇億?
一〇億も貰ってどうするんだ。
私はその問いに行きあたった。
サラリーマンの生涯年収は二億弱から三億円程度だ。その五倍から三倍程度の所得を一夜も遂げずに得てしまった。
不労所得。
しかし、後輩が言っていたのを引用すれば、これは退職金であると仮定した場合は非常に可笑しな金額へとなる。私の勤務年数は軽く億を超える。一〇億を超える。
ならば、時給なんて殆どゼロだ。ゼロの近似値それ以上もないだろう。
だとしたらこれはこの国がいう労働基準監督署から大層な文句をたらたら垂れるかもしれない。
天の労働環境に……。
しかし、そこまでして、地上の労働基準を持ち込んでしてまでお金が欲しいわけではない。色々と考えたらそうなるのが当然なのだが、私は意外にこの金額で満足している。
別にこれくらいで事足りる。事足りすぎる。通り越して恐怖だった。後輩の謝罪文と言い、これは何だ。至れり尽くせりではないか。
もう一つ。陽報があった。
私の入院だ。今日曲がりなりにも退院をした。残念……ではなく目出度いことだ。
主治医に因ると特に脳への損傷は見受けられないと……。
そらそうでしょう。脳を掻き切った程度ならまだ神の力が若干残存している私なら造作もないことだった。そろそろなくなるだろうが、まあ最後に役立ってくれた訳だ。感謝しなくてはならない。
問題ないと言いつつも暫くは病院へ通うように主治医に言われた。検査をすると言われた。
ここの病院は自宅及び学校から近いのだろうか。
私は義務的に義務教育ではない高校というものに通わないといけないのである。
ともあれ後輩の言い分は当たっていたらしい。後輩は明日入学だと無茶なことを記していたけど、別に間違っていなかった。
というか大正解だった。退院してその次の日に転校出来るという何とも鮮やかなスケジュールが組まれているなと感じた。転校よりも転身だし、天使ではないし、正しくは転生の方がしっくり来た。これは転生ものだったのか。こんなどうでもいい冗談を思い付いたけど、脱線した。
まあ後輩の意図は所謂、その間に新居にでも行ってこい。そうとも感じた。だとしたらこの予定は完璧だ。流石知恵の神である。
新居に行くなど面倒だから、このまま学校にでも行こうかとも思った。しかし、高校というのは制服が必要ではないか。それを取るためにいったん自宅と言うか新居へ向かわねばならなかった。思う壺でしかなかった。
さて、着いたところで私の新居はこれと言って紹介する所がない。なぜならマンションと聞いて一般人が初めて想像したような建物と内装で十分説明されていた。
強いて言うなら一人暮らしにとても似つかない大きなテレビがあったことだ。大きすぎてまず目に飛び込んできてしまった。
一応テレビを付けて見たのだが、この半分でいい。でかでかと『女子高生が地下鉄駅で気絶』などとやっている。
『市内の高校に通っている女性は今日通学途中、転倒。転倒の原因は貧血であり、しかし、女子生徒は健康状態は万全でありこのような不可解なことになったのは分からないと言うことです。昨日までなかった十字の傷があり、いま警察は事件との……』おっと。見入ってしまった。けど、こんなダイナミックな画面でニュースを見るものではない。
もっと小さなものにしよう。
えっと。これ以外に特別気になるものはない。それに無理に見つけて尺稼ぎなんて無粋なことはしない。
「さて、どこにあるのだろうか」
形式的にそう口に出しては見たものの、見当は当の昔に付いている。
寝室のあのクローゼットである。そこを開けると―――ほら出て来た。セーラー服らしい。
意外と小さなクローゼットにセーラー服一着だけだと何とも広く感じる。錯覚させられている。どうでもいいことながら。
試着して見るのも良いかも知れない。
思っただけで結局はそうしなかった。大層面倒だったからだ。
確認して私は只床に就いたのだ。病床でしこたま寝たはずなのにバタンキューレベルである。
ははっ。どこまでもお膳立てが行き届いているではないか。
しかし、何かが違うと思いながらも微睡の中に落ちて行った。




