3、始めの第一歩は盛大に
やってしまったのか。
後輩のあの咽ぶ涙とあの顔が偏桃体の奥に張り付いて離れやしない。
グルグルと記憶が円環をなして滞留しているように今や感じる。
感動的な別れだったのかどうなのだか、まさしく神のみぞ知るのだが、これが心残りなのは間違いないだろう。
それでも自己評価を加えるなら我ながら不器用ながら伝えることは出来ただろう。しかし、予想を超えるほどに人間と言うのは知識がないらしい。その上相手の感情も読むことは出来ない。
予め知っていても、百聞は一見に如かずである。全く違うものだ。だからあんなに酷い別れ方しかできなかったのだ。上手いやりようも幾多に渡ってあったと冷静になって思考を巡らせることは出来たけれどあのヒートアップした状態や、知識がないなりに何とか出来たと褒賞されるべきことかもしれない。
讃えてください。パチパチ。
なんて悠長に一人茶番を空疎で永久な不満に包まれているけれど、忘れていた。私は今、絶賛落下中である。
私は何事もなくその地に足が着く所から容易に躊躇もなく離れたが、そこには何もない。
何もないというか何かあるまで結構遠い。
天から地までが結構遠い。
随分と自由落下による重力加速度が高まっているのは自然摂理の常識で、これは自然的なバフである。
バフが掛かっているから実際よりも天から地は近いと感じてしまうのだろう。
実に天と言うのが大体雲の位置とが同一だろう。雲があれば天である。つまり五〇〇〇メートル以上、一万三〇〇〇メートル以下の間に天はあるようだ。
世界神話にある天。具体的に例を挙げて日本神話の高天原はそれくらいの位置にあるのだ。神がそこにいると考えるのなら意外に近い。神話に論理を持ち込むのはご法度なのだろうけど、ここでは神話ではなく完全なる事実として語っている。
さっきまでいた天を語っているのだ。この天を前の私ならそれは克明にどこにあったか詳らかに説明できたのに、今ではざっくりとしか言えない。
これでも十分だろう。それ以上にどうでも良いのだ。
天がどこにあろうと私には天には何の用もない。すでに神ではないし、寧ろ人間だ。
自ら人間に堕ちた。そしてその途轍もない高さから落ちている私である。
近い近いとほざいている私であってもそれは神の目線である。元神の目線である。やはりどう考えたって五〇〇〇メートルは高いのだ。
所で、人間はこんな五〇〇〇メートルなんていう高さから落ちると当然どうなるかは知っている筈だ。この文章は人間が読んでいるのだから。
言うまでもなく呆気もなくあっけらかんと死んでしまう。
私が脳を掻き切ったどころの騒ぎではない。脳をまき散らす騒ぎです。それ以外の腸などもだが、それは論が俟たない。
しかし、私は腐っても鯛。元知恵の神である祝福された私だ。これに他意はないと思う。
この私だからこそ私の後輩はもう既に手を打っているはずだ。私がいなくなったことで胸に釘を打った後輩だから、それでも引き留めなかった後輩だから、私について策を打っている筈なのだ。
全知全能はそうしている。流石に元全知全能でもこうやって推測できる。
ただ一人の人間にその施しは過剰で何かしら罰則を後輩が受けるだとか考えるが、それも辞めた後のアフターサービスということで事後処理ぐらいは出来る。
一切合切の心配は要らないかと言えば嘘になるものの、そこまでだ。
自然とただ落ちていったオチで判断は出来る。
さて、そのオチは如何にと次回に続く訳でもなく以下に続く。
私は何事もなく、何の面白みもなく地表へ降り立った。
鉤心闘角鉤心闘角な都会ではなく、一般家屋が軒を連ねる森閑たる住宅街であった。
やはり心配する必要はなかった。天界のアフターサービスはよろしい。転職もしやすい。やっていることは輪廻転生に近い種族の移動であるが……。
それはそうと隅におざなりにして、私は久々に来た人間界をとことんまで満喫してやろうと言う気概で気分が高揚していた。
もうこの広く狭い世界で永住し、墓を構えるこの世界。
だから意気揚揚と第一歩を踏み出した。
始めの第一歩は重要だろう?
だが、全くもって上手くは行きやしなかった。
私は二歩目の準備として左足を突き出す間隙も用意されず、転倒したというのが私のオチだった。
本末転倒なオチである。
「ああー。あなたっ。だ、大丈夫ですかああ」と遥か彼方の地平線から聞こえて来る。
これがこびり付いて離れやしなかったけど、この地から離された。




