26、なら貴方様は脳味噌を全て渡してくださるの?
朦朧と混濁した意識の中私はパチリ、パチリと徐に瞬きをする。
二回したのは確認のため。
ぼんやりとした輪郭が浮き出来た。あ……れ…。
「ああ。ええ……。天ちゃ、ん……」
私は何とも貧相な声で言い放った。細すぎる声だった。聞こえたか聞こえていないかの蚊のような声は天ちゃんには届いたらしくにこりと頷いた。或いは何かが聞こえたような適当な雰囲気で返すのは人間関係構築としては必須項目である。
「虫の知らせ……と言うか、綺麗な天使が私の夢か現か分からないけれど、全てを知らせたわ。そんなのに虫けらレベルの私が無視できるとでも?」
「ははっ」
私は笑うことしかできなかった。天使?天使と言うのは……まあ。いうて思い当るのは一人しかいなかった。アイツ用事があるだとかなんとか退散したけれど、このためなのかな?そう考えたら余計に笑みが零れて来た。迂遠な表現だなと。あーやこーや言葉を尽くすよりも、この感情に浸る方がいいだろう。
優しさに浸ることにしよう。今の私には天ちゃんが、この世で最も格好良く見えた。
「立てますかね」
「ああ。大丈夫です」と言えば、横抱きを止めて、足を地につけて、自立できるように補助した。
肩を持って介助を続けてくれた。
私たちの主敵であるきずなあまねは眉を顰めていた。
「天川天でしたよね。貴方様は」と妙な面持ちで言った。
「そうですわ」と天ちゃんは堂々と返答した。
「へえ……。で、なんですか?貴方様の天だから私が与える側?なんですか。その、強欲な言葉は?」
「ふふふ。笑わせますね?貴方の方が随分と強欲ではありませんかね?」
「へえ。その真意はなんですの?」
「だって、ははは。ははは。はっははは」
「な、何がそんなに可笑しい。わたくしの顔が気に食わないのなら、堂々と申し上げたらどう?」
「高校生になっても眼帯を……。だなんて、言いたいのですけど、まあいいですわ」
ピクリときずなあまねの眉が動いた。火に油を注ぐ言葉選びをしているのは態となのだろう?
「あまねはこんなくだんないことをして、全てを壊すことが目標なのですかね?」
「へえ」
「魔法やら、神やら、なんやら、ワナビーになりたいあまねはこんな結末を望んでいたのですか?」
「あら。どうしてそういう話になるのでしょう?」
「惚けないでください。私は全て知っているのですから」とこれまた堂々と言った。
全てということは全てを知っている人からのあれだろう。
「へえ。それは不気味ですわね」
クスリと笑った。
「そして、関わりもない人から結末を憂えられるのは最悪だろう」
「なら結末を変えるべきだな」
「結末?貴方様こそ何をいているのですか?結末ではなく開闢です」
「どうやら、何も嚙み合ってはいないようですわね」
「鼻から何も貴方様とは噛み合ってはいませんよ。しつこかったかあの日々を忘れてしまったのでしょうか?」
「ははっ。何を。忘れたのはあまねの方。あの頃のあまねはもうちょっと、優しかったわよ」
「そうか。それなら貴方様がわたくしにお優しく遊ばせ」
「諧謔心をくすぐることを言ってくれるわね」
ぎろりと互いは睨み合った。一触触発。しかし、仲人には慣れそうにも、なる気力もなかった。だらんと、天ちゃんに寄りかかるくらいしかしたくなかった。これが意外にも心地がいい。
けれど、すぐそばに違和感が寝傍っているようだった。
「やっぱり相いれないわ。やはり戦争よ。戦争」
なんて言って天ちゃんは、物騒にもスタンガンを取り出し、バチリと音を鳴らした。
刃物でも、拳銃でも、ましてや、戦車でもない。ただのスタンガン。それも最高性能でもなく、護身用に市販物。貧弱で痩躯な天ちゃんには全くの心もとない武器だった。
対して、私をずたずたにした魔法陣を展開させるきずなあまね。それを見るとより心元のない武器だった。
「魔法と言うのは本当にあったんですね」
半信半疑、おそらく夢だと思っていたものが現実になっている。それに天ちゃんは余り驚きはしていなかった。寧ろにやけているように見えた。
「そんな状態で来るならやはりお帰り遊ばせ。魔法に対して、スタンガンだとか、貴方様は舐めているのでしょう?魔法を知っているだけと、目視するのとは全然違うのですよ?」
バチッ。バチッと魔法陣から電気的な音が漏れている。明らかにスタンガンよりは強力だろう。自然と、天ちゃんはその方向に目を取られていた。
「らしいね」
「じゃあ」
「でもね。戦わないのは許せないだろう?」
「それはわたくしでもそのマインドをしたいわ。けれど、素手と魔法ではそれはそれはやる気がなくなるものでしょう?」
「戦力差がある戦いで勝負で勝鬨を上げたなら浪漫ティックですわ。これは夢の受け売りですけれどね」
「夢……。夢みたいなこと言って」
「あまねも夢みたいな阿保なこと言っている」
「じゃあ。これが夢ならばいいわ」と言って、魔法陣を向けた。
「ええ。わたくしもあまねと出来ることなら遭いたくなかったわ。だから結論としてはあまねの意見と同意見よ。不幸ですわね」
天ちゃんはスタンガンを向けた。
両方からバチバチと音が聞こえる。物理的にも、精神的にも。
数秒、睨み合いが続いた。その間、天ちゃんは錯覚を生かして間合いを詰めるようなことをしている。それでも、仕掛けられたら終わりだった。
と、いう訳で、開戦の火蓋を切ったのは圧倒的有利な立場にいるきずなあまねだった。
きずなあまねは地面が抉れるほど、蹴り上げて、風を切っていく。それに飛び道具の魔法である。天ちゃんのセコイ間合いの詰め方よりも圧倒的だった。天ちゃんは思ったよりだったのか、若干狼狽えを見せた。しかし、切り替え早く、私を再度抱きかかえて、避けていた。
華麗だった。なんかイケメンだった。同級生なのに先輩と呼んでも違和感がないくらいだった。
「ちょっと、苛酷ではないですかね?ハンデぐらいあっても良いですわ」
「へえ。それなら貴方様が強くなって遊ばせ」
「あまねは過酷だわ」と言って天ちゃんは翻った。
無数の光る円盤。魔法陣が展開されていた。逃亡を画策出来る量ではない。
「恵神。私から離れといてくださいよ?」
「h……」
言葉が紡げない。声帯が壊れたのか。それとも怖気づいたのか。
天ちゃんは徐に一歩一歩着実にきずなあまねの方へ近付いてくる。
私の脳味噌ではそ、そんな。駄目だと叫んでいる。
なんか違う気がするのだ。何故、私のために彼女がこうやって戦おうとしているのか……。そう。そうだ。私が抱いていた違和感は。
これは完全に私の問題でしかないのに、どうして彼女は首を突っ込んでくるのか。一つも理解が及ばなかった。
しかし、理解して嚙み砕いて、咀嚼している暇はないらしい。
彼女は、魔法を放った。具体的には炎が出る魔法。名前は知らないが、兎にも角にも私を焼き払った忌々しい魔法だった。
ぼんぼんぼん。魔法陣がある限り周囲は燃え盛ってくる。無尽蔵に球のある武器はそれはそれは人類の目指す武器なのだろう。しかし、逃げ惑う側からすれば、これは地獄以外に相違ない。
私の目に映るのは見たことある地獄よりも地獄だった。
あ、駄目だ。行かないでくれ……。私は手を伸ばした。伸ばしたところで、届かない。
私は地面にひれ伏し、経過を傍観するしかなかった。
「ちょこまかと、ちょかまかと。どうして貴方様と言う人はちょこまかと動くのですか。そういう趣味ですか?」
「いいや?そんなことはないですわ。あまねが与えるのでしょうそうやって」
話している間でも躊躇なく、魔法を浴びせてくる。
「おっ」「よっ」「にゃっ」「ぬっ」
敷き詰めるようにきずなあまねは魔法を打っている。打っているはずなのに、天ちゃんは無傷だった。
天ちゃんの運動神経は素晴らしかった。あらよあらよと逃れていく。それはダンスしているようにも見えた。地獄から程遠いとも錯覚させられた。
いいや、違う。やっぱり違う。現実と常識が可笑しくなっているだけだ。
これではいけない気がするのだ。頭では分かっているのに、何故か体が拘束されている。何者かが、押さえつけているみたいに。
「ははっ。やっぱり、やっぱり、貴方様は鬱陶しいたりゃありゃしない」
「はあ」と一息、明らかにその目の色を変えた。本当に物理的に。綺麗な漆黒のその眼から深紅のその目の色に。
かと思えば、何やらブツブツと唱え始めるのだ。遠く濁っていてよく聞こえないけれど、キリスト、ユダヤ教の一説、将又どこかの国の売れない本のエピローグ、検定試験の説明欄。関連性もなく、意味もない言葉が羅列されいて……。いいや。そんなことはない。
これはまずい。ちゃんとれっきとした意味のある文言だった。
具体的には、言いづらいのだが、消える。
消えると言うのは、存在がと言う。そ、そんな魔法を打ってくるのか。これは最高潮のパフォーマンスではないかっ。
胸の高まりがあった……。あったのだが……。
いや、待て。私の悦楽のためにこんなことを。違う。私は別に人ではない。
天にいるときのように一人ではない。そこには天ちゃんがいることか……。
ああ。駄目だ。本当に駄目だ。ここ一番に駄目だと心強く思った。こう思ったなら、私は華奢な体を豪快に起こし、走った。
「きずなあまねっ」
私は考えもなくその名前を叫んだ。きずなあまねはびくりと身を震わせた。
「恵神っ!!」
「ははっ。戦意消失したのではないのではありませんか?」
「違う」
「ならどうして?理由もないならお帰り遊ばせ」
「支持する……」
「ほう…?何を?」
「貴方が神になることを」
「な、何を言って……」
天ちゃんは状況が何も掴めないようだ。魔法は信じていたのに、神は嘘だと思ったいたらしい。実に矛盾的だった。これ所以に取り乱しているのだろう。
あわあわしているときずなあまねは魔法で色々知りたがってる天ちゃんを押さえつけて、気絶させた。
私がその状況にあわあわしてしまいそうだった。困惑よりもドン引きの方が強い気がした。
「なら貴方様は脳味噌を全て渡してくださるの?」
私は当然首を振った。それと同時にきずなあまねの顔が曇っていた。私を強欲の化身だとかなんだとか思っているのだろう。失礼だ。
ちゃんと解決策がある。大団円な解決策が。
そういう訳で腕を差し出した。
「私の血を半分ほど遣る。だから貴方の血をください」
傍から見ればトチ狂った人の意見だった。天ちゃんは目をかっぴらいて、驚愕してた。顎関節が外れそうなくらいの驚愕だ。きずなあまねは顎を触っていた。
「それは」と興味深そうに尋ねた。
ここで奇怪奇天烈なことを吐いたなら、天ちゃんの首が飛ぶだろう。
やや、緊張した雰囲気が立ち込めた。
「貴方の目標に近付くかもしれないでしょう?」
「まあ。そうですね……」
私の手を取った。ぶちりと遠慮もなく、どこからともなく出て来た注射器を突き立てた。慣れた手付きだ。ちゅーうと吸われて行く。なんだか気分が良かった。
私から血を抜き取った後、彼女自らの血を抜き取った。その注射痕をぼうとなんとなしに見ていれば、小野倉さんたちの十字痕と酷似していた。ああ。やっぱり、やっぱりなんだ。私は見入るように見ていた。
私の血液が入った注射器を自身の腕に突き立てて、動きを止めていることにすら気づかないほど凝視してしまっていたようだ。
「ねえ。貴方様の血、アナフィラキシーショックを起こしませんよね?」
こう言われれるまで、きずなあまねと言う存在は歯牙にもかけなかった。
「そんな訳ないだろう?」
「どうして?」
「私は貴方が欲しがっている地位である元神なのですよ?」
「ああ。そういえばそうでした」と納得すると注射器の柄を押し込んでいく。躊躇いもなく、寧ろ楽しそうな感じに。
「うっ。ああん……」
いや。ん?楽しいのか?
「はははっ。くははッ。んっ。ああん」
いや。これは違う。楽しいんじゃない。ただただ快楽に溺れているだけでは……。
「あはあはははははは」とそんな笑い声を上げた際には無理矢理に注射器を取り上げた。
大体私の血液を半分ほど投与された後に取り上げたのだが、やや遅かったような気がする。舌を出して、目をあんぐりとさせている。ありとあらゆる処からお汁が流れている。ただの気違いが生まれてしまったのだ。う……ん……。
「どうしよう」
きずなあまねは、もうどうしようもないとして、さっき気絶させられた可哀想な天ちゃんを思い出した。そうならば、私は天ちゃんに駆け寄り、体を揺さぶって起こした。
「う……ん……。ど、どうなった?」と起きて早々、事の顛末を尋ねられた。
ああ……。う……ん。この惨状を一瞥すれば、いい結果ではない。しかし私は「大丈夫」と満面な笑みで答えてしまった。
「そう」と天ちゃんは私の言葉に安心した笑みを浮かべて、眠ってしまった。
……。
仕方がない。背負って帰るか。私は物憂いそうに行動に移した。
そう言えば、私は初めて嘘をついてしまったようだ。




