過去と未来
寝ても覚めても変わらない日が続いていた。アルケミラのいなくなった世界では誰も私に話しかけることはない。夢ならアルケミラに会えるかもと思うと寝ている方が良かったが、もし夢で会えたら、今度はきっと起きるたびに絶望してしまう。
「ブローラ……」
久々に口にしたことに大した意味はなかった。
「呼んだか、我が王よ」
それでもブローラは直ぐに姿を現した。
「今、外はどうなってるの?」
「多少騒がしくはあるな。
お前が消えて神殿も姿を消した。やはりお前が地の王であることは正しかったのではと、今更ながらに言う国もある。
ダンとイニアは相変わらずお前を探している。他の国もだ。お前が地の王になる前と大した違いはない。安心しろ、アイルは上手くやっている」
「そう、か」
聞いたところで何を思うでもない。何も思わない自分を不思議にも思えなかった。
「エリン、俺に願いはないのか?例えばアルケミラを害した者を殺すとか」
「その手には乗らないよ。それに、もしそうなら私が死なないと……それはいいかもしれないね」
「冗談はよせ。お前を殺すことはない」
ブローラの声が低くなる。
「冗談でもないかも。だって、だって……私が生きていたって仕方ないでしょ。
みんな私に死んでほしいって思ってるんだから。ペルダの成長を見届けたいと思ってこの地に戻って来たけどペルダは殺された。アルケミラも私のせいで失った」
元から私には目標や目的なんてなかった。近くにあった幸せを失って、もうどうしていいかわからない。
「お前にはまだ友が残っているだろう」
「誰のことを言ってるの?」
「ディアナと人間のハーフだ。兵士の人間もいたはずだ」
「ブローラは何でも知ってるんだね。でももう会えない。会いたくない」
私と会えば当然、ブラン達は危険な状態になる。今はまだディルフ達に私との繋がりは露見していないのだから、このまま平穏に暮らしてほしい。
それに、自ら突き放して会いになんていけない。もしもうブランは友達だと思っていなかったら?その事実を受け入れられる自信はない。
「お前の師匠のことはいいのか」
「師匠?」
「なぜお前の前から姿を消したのか、気にならないか?」
「どうしてブローラがそのことを知ってるの?」
「どうだっていいだろう。俺は何でも知ってる」
「そうだね、どこで知ったってどうでもいい。
今更師匠がどうして姿を消したのか知って何になるの?師匠はいなくなった、何も言わずに。ネロも一緒に行ったんだろうね。
私にはその理由を話す価値もない。師匠にとっても私は結局、ただの道具だったんだよ」
ずっと知りたかった。師匠はどうして急に変わってしまったのか。でも師匠は私に何も言うことなく力で押し込もうとしてきた。一度は捕まえたのに、何も言わずに逃げ出した。
師匠は私に何も言う気はない。いや、言うべきことなんてない。だから力で従わせようとするんだ。
――ここから逃げて、どうするのです。あなたに何ができるというのです?
――王族としての何の役目も与えられずに、鳥籠の中でただ過ごしてきただけの姫君に、何か目的でもあるのですか?
――ないなら、ここで私のお人形になっていればいい。
そこに何か事情があったかもしれないとか考えたって、それは無駄な期待だ。もうそんなのは散々だ。繰り返したくない。何かを信じて、そうじゃなかった時、胸が酷く痛むから。
「エリン、落ち着け。俺が悪かった」
「……ブローラは悪くないよ。八つ当たりだった、ごめん」
「謝る必要はない」
「ブローラも私の機嫌を取らなくてもいいよ。地の王にはもうなったんだから。もう私のことなんて放っておいて」
ブローラは口を噤むと、私の正面に立ちゆっくりと私の背に手を回した。
「エリン、そんな寂しいことを言うな。俺はお前に何も求めない。ただ生きていてさえいればいい。
だから俺を遠ざけようとするな」
ブローラの抱擁はぎこちなくて、それに身を委ねることはできなかったけど、無理に引きはがそうという気も起らなかった。
*
ブローラはただずっと私の傍にいた。食べ物を調達して、私が死なないように世話をした。もう消えてしまいたいと思っていたけれど、ブローラに逆らってまで死のうとは思わなかった。
いずれブローラも愛想を尽かすだろうから、それまで付き合おうと思っていた。
何の変化も起伏もない日々は、寝ても覚めても変わらない。だから最初は夢を見ているんだと思った。
「エリン、俺がわかる?」
目の前に、もう何年も見ていない顔があった。黒い髪に金の瞳。この色は優秀な魔法使いの特徴だけど、この懐かしい瞳を見間違えるわけがない。
「ネロ……?」
とうとう夢にネロが出たのだと思った。だけどその割には私の知っているネロではない。青年だった彼の顔立ちはすっかり落ち着いていた。
「ああ、こんなに痩せこけて。ごめんね、つらい思いをしたよね。何も言わずにいなくなってごめんね」
ぎゅっと抱きしめられて、人のぬくもりや耳に響く鼓動で、これは夢じゃないのかもしれないと思いだした。
「うそ、だ」
「嘘じゃない。酷いやつではあるけどね。ネロは君の元に戻ったよ」
何度瞬いても、ネロの姿は消えない。
「……どうして」
やっとネロに会えたはずなのに、何故かちっとも嬉しくなかった。
喉が痛くて、目が熱くて、涙があふれてくる。
どうしていなくなったの。もう会いたくなかった。今の私を知られたら恥ずかしい。
「ネロは悪くありませんよ」
あり得ないはずの声が聞こえて、いよいよ幻覚を見ているのではないかと疑い出す。声の方に目を向ければそこには師匠がいた。
「全て私が悪いのです。エリン、ずっとあなたに黙っていましたが、今なら話せます。どうか話を聞いてくれませんか」
今更、今更だ。もう全て終わってしまったのに、なぜ今話をしようだなんて言うんだろう。
そうは思うものの、もう終わったのだから、そんなことにこだわる意味もないとも思う。
「師匠、どうしてあなたはアイルの王を脅したのですか?」
話をしてくれるのなら当然そこからだろう。
「ええ、もちろんです」
そうして師匠が語ったのは、ことが起きるずっと前、私が生まれた頃からの話だった。
「やっぱり師匠は私がエイオスと同じ存在だって知ってたんだね」
「ええ。ディアナとフォムルによって生まれた者であると知っていたからこそ、アイルを訪ねました」
そこで私の教育係となり、私がアイルの王に利用されないように立ちまわっていた。だけどシラードの王代承認を受け、私の嫁入りが止められないものとなり、実力行使に出た。
「どうして私に何も言ってくれなかったんですか?」
「何を言えばいいんです?両親に認められたがっていたあなたに、道具として扱われていると伝えてもあなたは私の手を取らなかった。
エイオスと同じ存在だと恐れられるだろうと脅せばよかったのですか?ディアナに攫われると警告すればよかったのですか?
日を改めれば、城の一部の兵士があなたを逃がすでしょう。何も説明する時間がなかったのです。あなたに理解してもらうための時間が。
それならばまずはあなたの身を確保しなければ。そうしなければ、ディアナ達はこれ幸いとあなたを甘言で誑かして攫うでしょう」
「そのままディアナに任してしまえばよかったのではないですか?そうすれば――」
「馬鹿なことを言わないでください」
師匠の声が急に低くなる。それなのにその声には熱がこもっていた。
「なぜ私があなたを手放さなければならないのです?
世界が滅びようとどうでもいいですけど、私からあなたを奪うなんて許すことはできません。
エリン、勘違いしているようですけど、私はあなたがエイオスと同じ存在であることなんてどうでもいいんです。それは確かに興味を惹かれるきっかけにはなりましたが、今は関係ありません」
師匠は一度息を吐いて、ネロをちらりと見てから肩の力を抜く。
「私は、ただ、あなたとずっと一緒にいたかったんです」
何かを諦めたような声には、私がずっと求めていた優しさがあった。
「あなたにこんな未来を歩ませたくなかった。だから唯一の希望を求めて、ディアナのブローチを探しに行ったんです。五年に一度しか開かない地下へ行くにはあの時が最後のチャンスだったのです」
師匠が見た私の未来は成人近くだと言っていた。あの時を逃せば、次に地下へと行けるのは私が成人した後だ。
「何も言わずにいなくなってエリンを追い詰めたのは俺だよ。師匠はエリンに何も言うつもりはなかったから。
俺さえあの場に残ってでもエリンに伝えてあげていたら、エリンは師匠を誤解したままじゃなかったかもしれない」
「やめなさい、ネロ。あなたにはエリンにエイオスと同じ存在であると告げることはできませんよ。
結局は話せない秘密ができるだけです」
わかっている。その時を逃せばもう地下に行ける機会はない。ネロは残ってたって、私に全てを話せたかわからない。それにネロにとっては師匠はずっと探してた存在だったはずだ。師匠を一人で地下になんて行かせられないだろう。
「でも、結局は私を置いて行った」
「エリン、本当にすみません。あなたにつらい思いをさせました」
事情があったと理解してもなお、八つ当たりのように言う私に、師匠は当然のように謝った。
「もう、いいよ。終わったことは元には戻らないんだから。
ねえ、師匠、私もう何もやりたいことなんてないの。生きていくための目的も目標もない」
師匠の顔が強張るのがよく見えた。
「それなら誰かの操り人形になるくらいしか――」
「いいえ!!」
師匠はさっと顔を青ざめさせて、私の両ほほを両手で挟み、私と視線を無理やり合わせる。
「エリン、許してください、あれはただの妄言です。あなたがこの場に留まってくれればと思って言った出まかせです。
あなたに目的や目標がなくたっていい。あなたがただ生きてさえいてくれれば、それだけでいいのです!」
師匠はずっと目を逸らさなかった。
あの時冷たく光っていた金の瞳は、必死さが宿っていた。怖くない。ずっと私を見ていてくれたあの瞳だ。
「うん、もうわかってるよ。もうそんな酷いこと言わないでね」
「もちろんです。エリン、本当にあなたには取り返しのつかないことを……」
「いいの。もう、いい」
私は師匠に近づいて、その胸に頭を預ける。
――私は、ただ、あなたとずっと一緒にいたかったんです。
私はずっとその言葉が欲しかった。何よりも求めていた。誰も私を望んでくれないのではなかった。師匠はただ私を求めてくれていた。その言葉が聞けただけで、もうどうでもよくなった。
「ネロも私のために地下に行ってくれたんでしょう?ありがとう」
「俺は君に礼を言ってもらっていい立場じゃない。
ごめんね、エリン。何も言わずにいなくなって」
「いいよ。また戻ってきてくれたから」
全部失ったと思っていた。私の存在を喜んでくれる人なんてこの世にもういないんじゃないかと、今までよくしてもらった人まで信じられなくなっていた。
だけどそうじゃなかった。師匠もネロも、私を裏切ったのではなかった。
失ったものは多いけれど、全てじゃない。それならまだ失わずに済むものがあるのかもしれない。それだけでもう少し生きていたいと思えた。
続きます。




