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月華とディアナ3

 そこから一月近く、私はブランの家で生活した。本当はネロだけ彼に預けてもよかったけど、あんな物騒な話をされてしまうと、不安になる。

 街にある店に休業の看板をかけ、現時点で進行している依頼については私ができるものは全て終わらせ、ネロにしかできないものは後にずらすか依頼の取り消しに同意してもらった。急な先の見えない休業にも、街の人は怒らなかった。理由を尋ねることもせず、ただ再開を心待ちにしていると慰めてくれた。

 思ったよりも大変なのが、アルケミラの世話だった。すっかり大きくなったドラゴンは当然餌の量も増えるし、一日で五人前にはなる量の生肉を仕入れるのは難しい。ネロの行動を一つ一つ思い出しながら、何とか生肉を確保した。

 何より困ったのは、アルケミラを寝かせることだった。毎日ではないけど、今までは私が小屋で眠ることも多かったため、ブランの家に滞在して七日もすると、私を行かせまいと暴れるようになった。最終的には今まで一緒に寝ていたのと同じ頻度で私の血をあげることで解決した、というよりそうさせた。


「ミレ、もう二、三日もすればネロさんは目覚めますよ」


 徐々に太くなってきた月を外で眺めていると、ブランが呼びに来てくれた。ブランの家は森の中にあるが、丁度木に覆われていない部分にあるので、木々に切り取られた夜空を見上げることができる。


「夜空は綺麗ですが、君が風邪をひいては元も子もありません。中に入りましょう」

「もう夏なのに、風邪はひかないよ」

「油断してそんな薄着をしていなければですね」


 ブランはくすりと笑う。


「ふふ、むくれた顔をしてもだめです。君はまだ子どもなのだから、体調には気をつけないと」

「ブランからしたら人間なんてみんな子どもでしょ?」

「ええ、よぼよぼのおじいさんだってね」


 ディアナとのハーフであるブランは、もう二百年は生きているのだという。どう頑張っても二十代にしか見えないのに、変な感じだ。

 中に入ると、テーブルの上にカップが二つ置かれていた。この時期は冷たいお茶を飲みたくなるけど、彼は私の身体が冷えないようにぬるいものを用意してくれたようだった。

 一月もいると、このテーブルも椅子も身体に馴染んでいる。ブランと向き合って座るのも慣れたけど、やはりネロがいないと寂しさも感じる。


「早く目覚めるといいですね」

「うん」


 もう苦し気な表情をすることはないけど、あの金の瞳で私を見て、軽やかな声を聞くまでは安心できない。


「君はネロさんが起きれば寂しくなくなるのでしょうけど、私は寂しくなりますね」

「ブランが?」

「ええ。もう何十年と人と関わっていませんでしたから、こうして人間と言葉を交わすのは久し振りでした」


 何十年と。私はまだ二十年も生きていない。私が生まれる前から、ブランはずっと人と関わらずに生きてきたんだ。


「こんなことになるなら、あの時君たちを助けなければよかった」


 ブランは人と関わらなかった期間が長いからか、それともディアナという種族がそうなのか、時々さらりと怖いことを言う。

 でも私は知っている。それは私達とは感じ方、考え方が違うからであって、怖いと感じる必要はない。


「どうして、そう思うの?」

「人間なんて、生きてもせいぜい八十年。彼の命があそこで尽きても、寿命で尽きてもそう変わりません。それなのに、彼を助けたばかりに、こうして人間と関りを持ってしまった」


 ブランにとっては数十年なんて大した長さではないのだろう。


「ディアナは人と関わっちゃいけない?」

「いいえ。面倒なので正体がばれないようにはしますが、人と関わることが禁止されているわけでも、存在を明かしてはならないわけでもありません。特に私はハーフですから、半分は人間です。

 ただ、過ごす時の長さには大きな違いがあります。その差がとても大きいのです」


 伏せられた金のまつ毛で見えにくいが、彼の瞳には、彼が言葉にしたよりも深い寂しさが宿っている気がした。


「人間は直ぐに死にます。仲良くなったと思ったら、いなくなって。昨日まで会話を楽しんでいたと思ったら、物言わぬ存在になっていて。時には老いで私を忘れてしまうこともあります。私は何度も友人の旅立ちを見送って、ようやく気付いたのです。私は人間と共に過ごせない。すぐに悲しい別れが来ると知っていて、わざわざ関わるのは、とても苦しい」


 今までの友人を思い出しているのか、ブランの声は震えていた。


「それをわかっていて、ブランは私達を助けてくれた」

「ええ。愚かなことをしました」

「愚かじゃないよ。

 ブランにとってはあっという間の時間かもしれないけど、ネロにとって数十年はとても長い。色んなことを経験できるし、私もネロと過ごす時間が増えた」

「君たちにとってはそれほど価値のあるものなのですか?」

「そうだよ。たとえその後すぐに死ぬことになったとしてもね。数年でも、数か月でも、生きてさえいれば、それだけでいいの。死ぬってことは終わるってことだから」


 ブランは口元に手を当てて、思案顔になる。


「人にとっての数か月はそれほど長くないと思いますが」

「そうだね。短い時間だと思うよ」


 ブランは時の長さを気にしているけど、今助かったからといって今後が保証されているわけじゃない。いついかなる理由であっても死ぬ可能性はある。


「ねえ、ブランは私と話している時、寂しいの?」

「いいえ。とても楽しいですよ」


 やっとブランは明るい表情になる。


「それなら、ブランにとって人と関わることは楽しいことなんだと思うよ」

「そうですか?後で寂しい思いをすることになるのに?」

「今が楽しいから、寂しく感じるんでしょう?」

「それはそうですが……」

「ブランと私達の生きる時間は違う。時間に対する感じ方も違う。それでも、一緒にいる時は、同じ時間を過ごしているはずだよ」


 ブランははっとしたように私を見た。忘れかけていた感覚を思い出したかのように、新鮮さと懐かしさの混じった瞳で。


「後で悲しくても、その瞬間、共に過ごした時間が楽しいと感じたのなら、それは楽しいことだと思う」

「終わりが来れば寂しくなっても?」

「うん。寂しくなっても、ブランには大事な人と過ごした時間が、楽しさが記憶に残ってる。その時間は確かにあったもので、消えてなくなるわけじゃない。

 逆に、寂しくなくても、楽しい時間を過ごさなきゃ、ブランは楽しさを得られないんじゃない?」


 ブランはぎゅっと目を閉じた。祈るように握られた手に入った力は、彼の眉間からしわが取れていくにつれて、徐々に弱められていく。

 彼は今、何を思っているだろう。遠い記憶の楽しさ、関わった人々を思い出しているのだろうか。


「……あまりに、あまりに多くの別れを経験して、大事なことを見落としていたのかもしれません。寂しい別れに囚われて、楽しかった日々をなかったことにしていたのかもしれません。

 人と関わらなくなって数十年経ちましたが、私は人に関わらないと決めてから、今初めて彼らと過ごした時間を思い出しました」


 青い瞳がゆらゆらと揺れている。そこから雫が落ちることはなかったけど、彼の想いは私に伝わるほどあふれ出していた。


「ああ、楽しかったことを思い出すのも、また楽しいですね」


 それまで重く沈んでいた声は軽やかになって、綺麗な声が踊るように滑り出る。


「ありがとう、ミレ。私は大事な記憶を思い出すことができました」


 その笑顔は、今までみたどの花よりも美しかった。



*


 ブランの言った通り、三日後にネロは目を覚ました。


「ネロ!!」


 私がアルケミラを寝かせつけてから帰った時には、もう起き上がっていて、扉を開けてすぐのところで私を出迎えてくれた。


「良かった!!生きてる!」


 駆け寄って思いきり抱き着くと、ネロはよろけながらも受け止めてくれた。それがまた、ネロが起きていることを実感させる。


「おお、元気だね。ミレにとっては一月ぶりか」

「もうちょっとある」

「ごめん。俺としては日の感覚がないからさ」


 そっと下から覗き上げると、少し伸びた黒髪が額に当たる。その漆黒のカーテンに覆われた顔の中央には、金色の輝きが二つ。やっと、ネロの目に私が映った。


「もういいよ、ネロがこうして生きているなら、何も言うことはないはずだから」

「ありがとう、ミレ」


 ネロはそっと私を抱きしめてからくるりと体の向きを変える。


「世話になったね、ブラン」

「礼など要りませんよ。私はその子に、もっと大事なものをいただきましたから」


 いつもの席についてお茶を嗜んでいたブランの声はとても柔らかかった。


「そうかい」

「ええ。また何かあったら頼ってください。場合によってはお助けします」


 柔らかい中に、寂しさが混じっている。そう気づけたのは、ずっと彼と言葉を交わしてきたからだろうか。


「ブラン、一緒にいよう」

「え?」


 私はネロの横を通り過ぎて、彼の前の席に座る。


「せっかくこうして知り合ったのだから。ここでお別れなんて寂しいよ」


 きっとまたブランにとっては短い時間が過ぎて、彼はまた寂しくなるのだろうけど、ここでの別れは、私が寂しい。ちょっとした我儘だった。もしブランが断っても、それは仕方のないことだと思っていた。

 だが、ブランは綺麗な青い瞳を潤ませて、何かを堪えるように眉根を寄せた。


「いいの、ですか?」


 声は震えていた。


「ネロ……」


 私は一緒にいたい。それでも、ネロがどう思うかわからない。


「はあ、そんな顔しないでよ。もちろんいいに決まってるでしょ」

「本当?!」

「本当。ただし、ブランにもブランの生活があるから、それを壊さないようにね」

「うん」


 きっと私とは違って、ブランはすべきことがあってここで過ごしている。月華を守っていたのもそうだし、ディアナとのハーフである以上、私達とは勝手が違うこともあるはずだ。


「ネロさん、いいのですか?」

「いいよ。ミレもこう言ってるし、俺は賑やかな方が好きな性質たちなんだ」

「そうなのですか。意外ですね、あなたは静かな方が好ましいかと思っていました」

「俺も、前まではそう思ってたんだけどね……。静かなのは寂しくもある」

「そうですね」


 ブランはそっと目を伏せた。


「では、お言葉に甘えて、今後ともよろしくお願いいたします」


 その日はブラン特性のお茶とお菓子で、三人で語り合って夜を明かした。

続きます。

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