月華とディアナ2
新月の次の朝、私とネロは眠たい目を擦りながら地面を睨みつけていた。
「ミレ、そろそろ月華の位置忘れそうなんだけど、もう取ってもいい?」
「だめ。ある程度日を浴びた方が効果があるでしょ」
「それはそうだけどさ。とりあえず、注意して向こうに移動しよう」
ネロは群生地を挟んだ向かいにある大きな木を指した。
私達がいる場所は既に日が当たっている。夏も近づいてきている今、このままここに居ればすぐに汗だくになってしまう。
ネロの後に続いて、慎重に移動する。軽く跳べば越えられるくらいの生息地帯だけど、僅かでも通花に触れるわけにはいかない。
「ん?」
先に木陰に入ったネロが首を傾げる。
「どうしたの?」
ネロが口を開く前に、彼の頭上にあった太い枝から刃物が落ちてくる。
「う、そだろ?!」
間一髪避けることができたけど、そのはずみでネロは地面に転がった。
そして、群生地に足がかかる。
「しまった!」
通花に触れてしまったのだろう。ネロは慌てて足を引っ込めたが、起き上がることはなかった。
「ネロ!」
ぐったりとしたネロに近寄ろうとしたが、ネロが首を横に振る。何か言いたげに口を開いていたけど、音を紡ぐことはなかった。
「ネロ!」
もう一度名前を呼んでも、ネロは返事をしない。瞼も閉じてしまった。
どうしよう。急な話で解毒剤も用意できていないし、いつもネロが指示してくれるから、こういう時にどう行動すればいいのかわからない。
ひとまず群生地からネロを離そうと彼の後ろに回り、腕を伸ばした。
「危ない!!」
突如聞こえた声に、びくりと体が固まる。
「触るとあなたにも毒が回ります」
大事な前提がすっかりと頭から抜け落ちていた。間接的にでも触れれば毒が回るのだから、ネロに触るのもだめなのだ。
「落ち着いて。私は対処できますから、ついてきてください」
声の主は、先ほどの大声を出したとは思えないほど綺麗な人だった。
彼は開いたままのネロの口に、マントの内から取り出した瓶の中身を流し入れ、ネロを抱き上げた。
何もできない私は、何者なのかも確認せず、その人の後に続いた。
着いたのは小屋だった。まだ森の中だからか、周囲に人の気配はなく、鳥たちのさえずりだけが遠くで聞こえる。
「一先ず、薬は効いているようです」
一つしかないベッドに寝かされたネロは苦しそうな表情ではあるものの、確かに息をしていた。
「よ、よかった」
突っ立っていることしかできなかった私は、足の力が抜けて床にへたりこむ。
ネロの手当てをしてくれていた家の主は、小屋に入ってようやく私に目を向けた。
「確認し忘れていましたね。あなたは怪我は――」
その人は私を見て、目を丸くした。
「あなた、もしかして――」
「え?」
「――いえ、何でもありません。
ところで、どうしてあの場所に?月華が必要だったのでしょうけど、あそこに花が咲き始めたのはつい最近です。しかもかなり奥まった場所。普通なら見つけられないと思いますが」
それは簡単な話だ。
「ネロが占ったんだよ」
「占い……。魔法使いですか」
恩人は私の視線を辿ってネロを見た。
「そう。お世話になっている人からの依頼で――」
自分で言って思い出す。
依頼、どうしよう。
いつもネロと一緒に行動していたから、こんなことになるのは初めてだ。私は、何をすればいいんだろう?
「お嬢さん」
恩人は未だに座り込んだままの私の前に立った。そして、ゆっくりと膝を床につく。
「あなたはネロさんがいつもどうしているかは知っていますか?」
「うん」
「では、今回の依頼というのは、あなただけでできることですか?」
今回の依頼は、月華を手に入れてドクトルさんに届けること。ドクトルさんなら面識もあるし、居場所もわかる。報酬の貰い方も今まで横で見てきたし、お得意様だから手続きを後に回すこともできるだろう。
「どうやら、大丈夫そうですね」
恩人は私の手を取って、立たせてくれた。
「ネロさんなら私が見ておきますから、どうぞ行ってください。
月華は主に治療の類に使われますし、それならお急ぎでしょう」
「いいんですか?」
「ええ。もとより今回は私のせいですから」
「あなたの?」
「彼は私が仕掛けた罠を作動させてしまったのです。あれは動物が誤って通花に触れぬように仕掛けたものなのですが、この辺りに人が来ることはありませんから、そこを考慮していませんでした」
「そうなんですね」
「とにかく、お行きなさい」
もう日はかなり昇っている。月華を採取するには丁度いい時間帯だ。
「場所はわかりますか?」
「はい、ネロに地図をもらってます」
「その年で地図が読めるのですね。
それならば安心です。行ってらっしゃい」
私は小屋を飛び出した。
元の場所に戻り、残りの罠がないかに気をつけながら、浮遊の魔法で月華を数本引き抜く。念のため、浮かせたまま引き抜いた月華の葉の形を確認する。微妙に形が違うけど、群生している状態では葉が重なってそこまでじっくり見れないのだ。
用意していた魔紙に月華を包み、鞄にしまう。その場に落ちたままになっていたネロのホウキを使って森を抜ける。私は正式な魔法使いではないので、森を出てからドクトルさんの所までは走るしかなかった。
ずっとは走っていられない。焦燥感に急かされながらも途中で休憩を挟みながらドクトルさんの診療所を目指した。
着くころにはもう日が沈みかけていて、ホウキの便利さと自分の体力のなさを思い知る。
「はっ、はっ、はぁ……」
上がり過ぎた息を整え、見慣れた木の扉を叩く。
「ドク、トルさん。ネロの使いで、来ました」
すぐに、扉が開き、優しい顔で出迎えてくれる。
「ああ、ミレだね。珍しく一人じゃないか」
「はい、あの、色々あって……」
鞄の中から包みを取り出し、手渡すと、ドクトルさんは受け取って直ぐに中を確かめた。
「魔紙で包んでくれたのか。とてもいい状態だ」
「はい、日に当たってから採ったので、効果も期待できると、思います」
「ありがとう。急な依頼だったから、もしかしたら無理かもしれないと思ってたんだ。
届けてくれてありがとう」
ドクトルさんは月華をまた魔紙で包んた。
「報酬はどうしようか。
直ぐに渡すのが決まりなんだが、額も大きくなりそうだから、また今度、店に行ってもいいかな?」
私の事情を何となく察してくれているのか、ありがたい提案をしてくれた。
「はい」
「うん、それじゃあこれを持って行って」
ドクトルさんは左の薬指から指輪を外して私に握らせた。
「ネロと私の間だから大丈夫だとは思うけど、形だけでもね。
それがある限り、私は絶対君たちの所を訪れるから」
「ドクトルさん」
彼は微笑んで、私の額に張り付いた髪を優しく直してくれた。
「急いで届けてくれてありがとう、ミレ。
もう暗くなるから、帰って休みなさい。くれぐれも気をつけてね」
温かく送り出してもらい、私はまたネロが眠っている小屋に戻った。
*
当日は疲れ果てていて、差し出された濡れタオルで体を清めてから、用意されていた寝床に沈み込むようにして眠りについた。
起きた時にはもうとっくに太陽は空高く上がっていた。
「よく眠っていましたね。布を敷き詰めただけなので、身体を痛めていないといいのですが」
この小屋にはベッドが一つしかない。
「ありがとうございます。大丈夫です」
身体は痛いが、それが寝床によるものなのか、昨日の激しい運動によるものなのかわからない。
改めて声をかけてくれた人物を見る。
金の髪は長く腰まであり、後ろ髪の上の層が少しまとめられているだけで、他は背中に流されている。瞳は私と同じく青で、金の長いまつ毛がその周りを囲んでいる。目は涼やかな印象を与えるが、眉はアーチを描いて少し眉尻が下がっているため、神秘的かつ穏やかな雰囲気だ。
中性的な見た目だが、身体の特徴からするに男性だろう。
「軽いものですが、いかがですか?」
部屋の中央に置かれたテーブルの上にはレタスとハムのサンドウィッチが用意されていた。
促されるまま、席に着きありがたくいただく。
「昨日は大変でしたね。私があなたに月華でも薬でも持たせて上げられればよかったのでしょうが」
「いえ、月華は特性上長く保管できませんし、魔法で常備薬を作ることもできないですから」
そう、月華は万能薬だが、長期保存は効かない。直ぐには採れないのに、短期間で効果を失うためにレシピは数あれど、作られることがほぼない。
あれ?
「通花の毒には月華の万能薬が効く。もちろん他にも解毒薬はあるけど、体内の毒を別の者に移さない効果があるのは月華のみです」
恩人は、私の言葉にすっと目を細めた。
「そうですね」
「通花の毒が回った者は、基本的に浮遊の魔法で安全な場所まで運ばれます」
「ええ、触れては毒が移りますから」
「でもあなたは月華の薬を飲ませて解毒した。魔法で浮かせて運ぶのではなく、直接運んだ」
「はい」
彼は何の反論もせず、ただ私の言葉を肯定する。
「月華を使った常備薬を魔法で作ることはできません。それでもあなたは持っていた。最近作ったのかもしれませんが、同じ瓶がいくつも棚にあります」
彼の後ろにある薬棚には、昨日と同じ瓶が何本もある。ラベルも同じものが使われている。
薬売りであっても、あの量の月華の薬を有効期限内に捌けるとは思えない。
「では、なぜ私は月華の常備薬を持っているのですか?」
「それは――あなたが精霊術を使うから」
彼は正解とでも言うように、にこりと微笑んだ
「でも、どうして?普通の人間に精霊術は使えないのに――」
「では私からも質問を。あなたはどうして、精霊術を知っているのです?」
あ、やってしまった。
人間が使えるのは魔法だ。遥か昔は精霊術を使える人もいたけど、今ではその存在を知ってはいても、精霊術による薬の詳細を知る人はいない。実際に精霊術を使うか、研究でもしていなければ。
「それは、たまたま……ええと、魔法の師匠が精霊術も研究していたから……」
しどろもどろに答えると、彼は、
「まあいいでしょう」
と追及をしなかった。
「私が知りたかったのは、あなたが精霊術を使える、もしくは詳細を知っているかです。少なくとも精霊術について学んだことがあるのなら、大丈夫でしょう」
彼は自分の前に置いてあったカップに口をつける。一口飲んで、また口を開く。
「申し遅れました。私はブランといいます。ディアナと人間のハーフです。
だから精霊術を使えるのですよ」
「ディアナとの、ハーフ」
ディアナは、遥か昔にこの地にいたと言われる精霊だ。古の人間は、そのディアナとの関わりによって精霊術を使うようになったと言われている。
「今でも、この地にディアナがいるんだね」
ブランは驚いたのか僅かに目を大きくしたが、それは一瞬のことだった。
「ええ。もう随分と少なく、人との関わりも断っていますがね」
「どうして話してくれたの?」
「精霊術を知る者同士、だからでしょうか。
私も長く生きていますが、家に人間をあげるなんて思いもしませんでした。もしかしたら潜在的にあなたから何かを感じとっていたのかもしれませんね。
本当はネロさんがかかってしまった罠も、動物を遠ざけるためではなく、あの場に近づく動物を殺すことで、人間を寄せ付けないようにするためのものでしたから。最近は後先考えず根こそぎ月華を取る人間もいて困ったものです」
さらりと怖い話まで暴露されてしまった。
「安心してください。ここまで助けたのです、害を加えるつもりはありません。
ネロさんが回復するまで、ゆっくりしていってください」
続きます。




