喪失2
ディルフの横には彼の代わりのように剣を構える男がいて、それもまた見覚えのある者だった。私はアルケミラの前に立った。
「ワーシアまで……」
ワーシアはいつでも攻撃できるように腰を落としていた。
「招待は受けてくれないのに、随分と歓迎してくれるんだね?」
「招待してくれていたとは知らなかったな」
「嘘だね。知らなければこんなことできなかったはずだ。
どうして今私が移動魔法を使うことを見越して妨害することができたの?丘の女神の祭りで神殿で騒動を起こすことを知らなければ、そしてその流れ――蜂起するタイミングを知らなければできない」
つまりは神殿に集まった人たちとディルフ、ワーシアは仲間だということだ。
「そこまで理解できているなら、何も隠す必要はないね。そして妨害の魔法がどういうものかもわかっているね?
無理に動こうとすれば傷つくよ」
最初に神殿から出るときには行き先を強制するような魔法がかけられていたが、今この場にはここから動かないようにする魔法がかけられているのだろう。私一人だけならまだしも、アルケミラの体を傷つけるようなことはしたくない。
「ディルフは私をどうしたいの?」
「……そんなこと君はもう理解しているだろう?」
「そうだね。一度君たちには殺されてるんだから」
そう言うとディルフの顔から表情が消え、ワーシアの体が強張る。
「どうして生きているのか不思議?心配しなくても、君たちの剣は確実に私の命を奪うところに刺さってたよ」
正直に言えばよくわからなかった。あれほど殺意を持っていたワーシアも、利用できないならば殺すと言っていたディルフも、どうして黙ってしまうのか、どうして体を硬くするのか。
ただ私にとって二人の手を止められるのならこれ以上のことはなかった。逃げるための手を考えないといけない。移動の魔法が禁じられているだけなら、結界を張ってそのうちに逃げられないだろうか。それも見越してこれほど兵が多いなら別の手を考える必要があるか。
「僕が君をどうしたいかきいたね」
ディルフは長く息をついてから落ち着きを取り戻して言った。
「君は死ぬほどの傷を受けても死ななかった。それならばもう閉じ込めるしかないだろう。
アイルには魔法を封じる地下牢があるんだって?」
今度は私が口を噤む番だった。
「アイルの王代が教えてくれたよ」
シラード。以前あった時は私に対してもう憎悪を向けてはいなさそうだったが、実は腹の底で何か抱えていたのだろうか。
いや、そうじゃないはずだ。もしそうならディルフは真っ先にそのことを言って、私に動揺を与えるはずだ。彼にとって有利な手札であるのなら。そうではないとしたら。
アイルは地の王討伐に対して無関係でいることはできない。私がアイルの王族の子だから。そして庇うこともできないはずだ。多くの国が今回の件に関わっている。今後の立場を考えれば協力せざるを得ない。
その中で私を殺すのではなく、アイルの地下牢に閉じ込めることを提案したとするなら、それは私の命だけは守るつもりなのかもしれない。
ディルフにどう伝えたかはわからないが、彼もその提案に何かしら感じるところがあって、ここまで言わなかったのではないか。
「魔法を封じれば、あのフォムルを呼び出すこともできないだろうな。
もしかすると、そのフォムルにさえ愛想をつかされたのかもしれないが」
ワーシアがディルフを援護するように言うが、ブローラは一時的に姿を消しているに過ぎない。それにもし彼が裏切ったとしても何の問題もない。地の王になるという目的は達成しているのだから、彼を縛るものはもうない。
「精霊術の方も問題ない。アイルには詳しい者がいるようだからな」
アイルで精霊術に詳しいとなれば、姿を消した師匠以外に考えられるのはロッドミン夫人だ。ディルフが認識するほど城の内部にいて、かつその影響力を把握されているのなら、アイルとしてもただの東の弱い国のままではない。この地では忘れられている精霊術の知識を持っているのなら、軽んじられることはないだろう。
私がどういう行動を取ったって、もうアイルをいいようにすることはできないだろう。長年課題だった月華の万能薬の保存期間を攻略した国を、簡単に手放すことはできないはずだから。
「ディアナと人間のハーフとは、珍しいよね」
ロッドミン夫人ではない。ディアナと人間のハーフなんて、私は一人しか知らない。
(ブランが、敵側?)
ぐっと心臓が奥の方に引っ張られるような感覚がある。こんなこともう起きないと思っていたのに。何も思わないと思っていたのに。
馬鹿馬鹿しい。どうして裏切られたなんて思うのか。彼を信じたいと言いながら、彼の手を取らなかったのは私なのに。
「そんなこと、ありえない」
後ろから聞こえるアルケミラの声には動揺はなかった。
「ディルフは嘘をついている」
「嘘なんかついてないよ。アイル王代の傍に控えていたディアナと人間のハーフは確かに精霊術を使っていたのだから」
それだけで十分だった。
ディルフは知らないだろうけど、そのディアナと人間のハーフは私の友人で、以前は王代と敵対する立場にあった。そんな彼が、考えを改めた王代と一緒にいたというのなら、それは王代の真意さえ示唆する。シラードは私を差し出すためにこの提案をしたのではなく、考えがあってブランと協力してアイルの地下牢を出した。
(それなら大人しく捕まった方がいいのかな)
無理に逃げるより考えがあるアイルに行く方が勝算はあるかもしれない。そう思ってどこか気が抜けていたんだろう。
「エリン!」
後ろにいたはずのアルケミラが私を引いて、前に飛び出てくる。キン、と何かを弾く音と、グズリと鈍い音がした。
「アルケミラ?」
アルケミラの腹部に剣が突き刺さっていた。
「攻撃の合図は出していないぞ!」
「ワーシア殿下、ここまでです。くだらない問答を続ける意味はありません。
アイルも信用できないのですから、できるのならばここで殺すのが最善です」
イニアの兵士の一人がそう言っているのが遠くで聞こえた。
倒れこんだアルケミラの傍に進むと、彼女の腹部に深く刺さった剣が嫌でも目に入る。心臓は避けているけれど、これだけ深々と刺さっていては抜くのも難しいだろう。
私自身については覚悟していたつもりだった。死を望まれる存在で、一度は殺されかけた。命を失うのも無理はないのだと思っていた。
でも、アルケミラがこんな怪我を負うなんて、こんな現実があるなんて受け入れられなかった。
「早く、手当しないと……《扉の先に――」
「待てエリン!言ったはずだ、無理に動けば君の体は――」
「道を作れ》」
ディルフの警告通り、見えない剣に切られているかのように皮膚が裂けていく。アルケミラに害が及ばないように結界を張っているのでその分も上乗せされているようだった。
だけどこの傷で死ぬことはない。
「殺す相手を間違えてる」
行かせまいと飛び込んできたワーシアに、アルケミラが弾いた剣を投げつける。それがどうなるか見届ける前に、私はまた違う森へと移動していた。
「アルケミラ、ここなら安全だからね」
剣を動かさないようにアルケミラを支えて、洞窟の中へと逃げ込む。
ここはブローラがねぐらにしていた洞窟で、彼自身が結界を張っているからよっぽどの魔法使いでない限り見つかることはない。
アルケミラの負傷部の時間を止めて剣を抜き、常備していた月華の万能薬を飲ませる。薬の効能を上げるのなら時間停止の魔法を解く方がいいが、そうはできない出血量だ。月華の万能薬で回復力を極限まで高めてから解けば、多少はましになるだろうが。
それができれば治癒の魔法を使う時間ができるから、傷口を閉じて、そうすれば――。
「エリン、もうやめて」
「アルケミラ?」
「万能薬もたくさんはないでしょう?エリンのために残しておいて」
「何言ってるの?まずはアルケミラだよ」
「私はもう、どうにもならないから」
確かにアルケミラの傷は深い。だけど致命傷ではないのだから、回復魔法で少しずつ治せば持ちこたえられるはずだ。
「エリン、わかって」
「わからない。そんなこと言わないでアルケミラ」
嫌がるアルケミラを寝かせようと腰に手を伸ばすと、ぬるりとした感覚があった。
「え?」
血がつくのはおかしくない。負傷しているのだから。だけど、私が手を伸ばしたところは剣の刺さっていなかった場所なのに、そこから血が流れだしていた。
よく見ればそこだけではなく、彼女の背中側には大きな傷がいくつもあった。
「アルケミラ?これ、どうして……」
言いながら嫌な予測が立つ。神殿から逃げる時も、民衆から攻撃を受けていたのではないか。そしてそれをアルケミラが全て受けたのではないか。
移動魔法を使った後、アルケミラは私の斜め前にいた。横にいたはずなのに。今まで気づかなかったのは、傷が全てアルケミラの背後にあり私には見えない場所だったのと、彼女が魔法で処理していたからだろう。
「いや、大丈夫、大丈夫だよね?」
見えるところ全ての傷の時間を止めていくが、私は冷や汗が止まらなかった。本当に大丈夫なの?
私だけでは無理だ。
「ブローラ、ブローラ!!」
縋るように叫ぶと、ブローラは直ぐに姿を現した。
「アルケミラが怪我してるの。ブローラ、力を貸して!」
ブローラはアルケミラの傍に屈むと、その傷を見て首を振った。
「無理だ」
「どうして?!」
「この傷ではもう助からない。死んでいない限りは治してやることもできるが、このドラゴンは無理だ。弱っているからな」
「弱ってるだけなら、死んでるわけじゃないでしょう?」
「いいや、そういう意味じゃない」
ブローラの声にアルケミラがピクリと指を動かす。
「やめて」
「血の契約までしているのに隠しごとは感心しないな」
「何?何かあるの?」
アルケミラが私に隠し事なんて考えたこともなかった。この状況に関することなら何でも知りたい。
「ブローラ、教えて」
「もちろんだ、我が王よ。
この幼いドラゴンは違う方を選んだんだ」
「やめろ、ブローラ!」
「死にぞこないは黙っていろ、無駄に体力を消費するな。
エリン、知っているか?ドラゴンの性別は曖昧だが、生まれ持った性はある。成長すれば自身でそれを自覚し、人の姿にも反映される」
「うん、知ってるよ。アルケミラも自覚したから、人の姿に反映されてる」
「ではこれは知っているか?生まれ持った性と違う方を選択することもできる」
それは知らない話だった。ドラゴンの性別は曖昧というのはそういうことができるからだろうか。
「そしてその場合、ドラゴンは弱くなる」
「え?」
「当然だろう?本来とは違う選択をするのだから。
雄は魔力を放出するのに長け、雌は魔力を留めるのに長けている。言ってしまえばそれだけの違いだが、特性を無視すれば当然弱くなる。
このドラゴンは違う方を選んだ。特別なドラゴンの治癒能力がを活かせば、助かったかもしれない傷だが、自身を偽り続けたこの体では薬も治療も効果が薄い。
違う方を選んだことで、そもそもが弱い体となっているとも言える」
アルケミラの本来の性別は雄だった。それなのにアルケミラは雌を選んだ。
なぜなのか直ぐにはわからなかったが、思い当たる節はありすぎるくらいだった。
「私の、せいだ」
――男の人なんてもう絶対信じない。
ダギードのいる島で、わたしは確かにそう言った。
――エリン、それ本当?
あの時、アルケミラは不安そうにそう言っていた。性別を自覚したと言った時も、私に嬉しいかどうか訊ねていた。
あの時は、アルケミラの成長に対してそう訊かれたのだと思っていたけど、アルケミラはアルケミラが雌だったことが嬉しいかと問うていたのだ。
「私が、男の人を遠ざけたから――」
それで自身の性を自覚しても偽ったのだろう。
「私のせいだ!」
わかっていたはずだ。師匠もネロも、ディルフもワーシアも男の人だったけど、だからといって男の人が全て悪いわけではないと、わかっていたはずなのに。
ペルダを殺した奴も、その首謀者であるペルダの父も男だったけど、私を救ってくれたペルダだって男の子だ。
シラードとは長い間良い関係ではなかったけど、今は協力してくれているし、オリバーや私を想ってくれるブランやバイスだって男の人だ。
「悪いのは、男の人じゃない。私が、悪いんだ……」
ペルダにしたことは許せないけれど、アルケミラの選択後の話だし、それ以外は大したことじゃない。師匠もネロも私の前からいなくなったけど、その詳細はわかっていないしそれだけだ。ディルフとワーシアだって、エイオスと同じ存在である私を殺そうとしただけ。
それなのに私は勝手に男の人を遠ざけて、アルケミラに違う方を選ばせてしまった。
「アルケミラ、ごめん、ごめんね……」
涙は勝手に落ちていくけど、こうやって悲しむ資格さえない気がしていた。
「エリン、どうか謝らないで。エリンのせいなんかじゃない。私が自分で選んだんだよ。
エリンならそう言うと思って、言うつもりはなかったんだ。
でもそれを言わないと、エリンはずっと私に魔法を使ってしまいそうだね」
アルケミラが弱々しく私の手を掴む。
「エリン。私はもう助からない。最後まで一緒にいてあげられなくてごめんね」
「そんなこと言わないで。私がどうにかするから」
「エリン、どうにもできないんだよ」
わかっている。このまま時間を止めたって何も解決しないことは。
小さな傷なら時間を戻せるかもしれない。だけどアルケミラの傷は、流した血の量は、死が決定づけられているものだ。
「私はいいから、エリンを治して。無理に魔法を使って傷だらけだよ。私はエリンが傷ついている方が嫌だ」
「こんな傷どうだっていい!!
どうしてこうなるの。死ぬべきなのは私なのに」
力を得たって何もできない。ずっと一緒にいてくれた友一人救うこともできない。なんて無力で愚かな存在なのか。
「エリン、そろそろ魔法でももたない。最後にお前の血を分けてやれ」
ブローラが立ち上がって言う。
「血の契約をしたドラゴンに、最後にその血を与えてやれ」
それがどういう意味を持つのかわからない。それでも私の血なんていくらでも与えられる。何の役にも立たないけれど。
アルケミラの目は閉じかかっていた。力なく震えている口をそっと開いて、手のひらをアルケミラから抜いた剣で切って、その口に血を注ぐ。
「アルケミラ、ずっと一緒にいてくれてありがとう」
アルケミラの喉は無意識でも動き、ごくりと血を飲み干すと完全に青い瞳が見えなくなった。
時間の魔法は複雑で、アルケミラの体にはいくつもかけていたので保つことができなくて、ゆっくりと解けていく。それを止めることもできないのが己の無力さの証で悔しかった。
アルケミラの体は端の方から光の粒へと変わっていき、やがては全て消えてしまった。
その光の粒が洞窟の外へ出ていくのを眺めながら、私は意識を失った。
続きます。




