喪失1
ブランの言っていたことが正しかったと知るのに、そう時間はかからなかった。
「陛下、贈り物に毒が混じっておりました……」
震えながら報告してきた使用人の手には、くすんだ銀の杯があった。先日ご機嫌伺いに来た国から贈られたジュースを持ってくると言っていたはずだ。
「処分して。前と同じように。誰も飲んでないね?」
「ええ、もちろんでございます」
使用人は返事をしてから下がった。
贈り物に毒が混じっている。それはもう今月に入って何件も起きていた。
丘の女神の祭りが近づいてきているので、それまでに私を始末しようとでも思ったのだろうか。春祝いのように誰かが無礼を働けば、今度こそこの地が破滅するのではないかと?
春祝い以来、私が来訪者をすべて拒絶するわけでもなく、かといって態度を変えるわけでもないので、何か企んでいると思われたのだろうか。こうして毒物を送ってきた国に対して何もしないのも、却って不安を煽っているのかもしれない。
でもどうすべきだというのか。何をどう対処しても、裏目に出る気しかしない。それならば本格的に何か仕掛けられるまでは、こちらも何もしないのが一番楽だった。
「エリン、さすがにもう見過ごせないよ」
「でも下手に刺激もできない。
丘の女神の祭りをここでも行おう。今度こそ行事を成功させれば、何も起きないんだといったんは落ち着くはずだよ。その時にそれとなく今回の件についても触れよう。そこで牽制するまではこちらからは動かない。
毒も事前に確認できる程度のものだから、向こうだってこちらを試しているつもりなんだと思うよ」
王を試すなんて、本来ならあり得ないことだが、エイオスと同じ存在なのだから仕方がないだろう。
アルケミラは不満げだったが、私がそうするというのならと引き下がった。
それからも何度か毒物が混じっていることが判明し、それでも何か大きな事件もないまま、丘の女神の祭り当日を迎えた。
招待は春祝いと同じく全ての国に対して送った。もちろん、前回私の前で失言した国にも。
参加する国は少ないだろうと思っていたが、想定より多くの国が招待に応じた。春祝いの三分の二ほどだが、それだけ集まったことに驚いた。
今回の進行はアルケミラに任せている。どうあがいても利用されるのだという現実はもう受け入れている。気持ちも落ち着いた今、ブローラを呼び戻してもよかったが、今回は丘の女神の祭り――ディアナの祭りだ。フォムルであるブローラを呼ぶのは憚られた。祭りが終われば呼び戻すつもりだ。
「皆さま、お集まりいただきありがとうございます」
アルケミラが挨拶のために台の上に立つと、ちょっとしたざわめきが起こる。
アルケミラの真っ白な白い髪はこの地では珍しいうえに、顔立ちも整っている。直接私に挨拶に来る者はアルケミラの姿を見たことがあっても、祭りにはアルケミラに会ったことがない各国の関係者もいる。
「女神のいる中央にあるこの神殿で祭りを執り行うことには、大きな意味があると思っております。どうぞ最後の舞までお楽しみください」
使用人も少ないこの神殿に舞手がいるはずもないので、募集をかけた。当然応募者は少なかったが、一応は地の王の主催する祭り、という箔もつく舞台だ。まったく集まらないということにはならず、選抜して優秀な人をそろえることができた。
出身の国が違うと舞の内容も違うので、合わせるのに苦労した。舞の終わりに騎士がブローチを献上した後、聖姫の喜びを表現する舞についてはアイルに合わせて省いた。ブランがその形が正しいと言っていたからだ。この神殿に住んでいる以上、丘の女神にはできる限りの敬意を払いたかった。
アイルは国内の祭事と重なったため参加できないとのことで、惜しい気持ちはあるが仕方のないことだ。
祭りは無事に進んでいた。夜の舞までは楽師たちが音楽を奏でているので、それを楽しみながら、各国が出している店の名物を味わっている者もいる。毒を贈られている側が食べ物を提供するのは、警戒されるだろうとそれぞれに出店させたが、そこまで気を遣う必要はなかったかもしれない。
人々は陽気に飲み食いし、違う国同士の者たちもやけに仲良くなっている。祭りの空気に飲まれれば、人はそれほど警戒を持たない。
だが単純に祭に浮かれているのだと受け入れることはできなかった。集まった人々は限りなくそう見えるのに、どこかに緊張が残っているように感じられる。私が視線を向けたから体を強張らせるといったものではない。この場全体に何かが張り詰めている。
彼らの恐れるブローラもいないというのに、不思議だった。
その正体がわかったのは、日が傾き、舞の準備を始めようとした時だった。
「地の王、エリン・アイル!」
どこからか大きな声が聞こえた。
舞を見るために神殿側に設けた観覧席は高い場所にあり、すぐに声の出所を見つけられた。
春祝いと同じく会場は庭となっている。その庭の私から見て奥――出入りの門に近い場所に男が立っている。
「フェルティー・エオル……」
エオルの王が私をにらみつけていた。
そして彼の言葉が合図だったのか、庭に散らばっていた人々はまとまりを持ち、彼の傍に集まった。
一部の楽師や舞手は準備の場所で混乱しているが、その集団に向かっていく者もいる。楽師や舞手の中に、国から差し向けられた者がいることは想定していたが、この動き自体は把握していない。
今まで漂っていた緊張感からしても、エオルの王の発言後の行動の早さからしても、事前に仕組まれていたことだけはわかる。
「かの暴君エイオスと同じ存在よ!我々はお前を王と認めることはできぬ!」
――今、この地ではあなたを討とうとする流れができつつあります。
――あなたを破滅をもたらす存在と見なして、人間が作った約束事さえ破棄して。
ブランの言葉が蘇り、眼下に見える光景と重なる。
わかっていたことだ。どうすべきかという焦りは生まれるが、激しい怒りも悲しみもない。
毒の贈り物も何度も受けた。人なんて信じるべきじゃないと思っていた。周りの人間を敵だと思ってきたのだから、今更失望も何もなかった。
「ちょっと!!なんてことしてくれるの?!」
私より先に、舞の準備をしていた聖姫の舞手がエオルの王に食って掛かる。
「これから女神に舞を捧げるってのに、女神が厭う争いを起こすわけ?!」
「舞手は黙っていろ!」
「黙ってなんていられない!このためにどれだけ準備してきたと思ってるの?!
これだから祭事を重視しない為政者は嫌いなのよ!」
「あの王は祭事など重視していない」
「そんなわけないわ!」
舞手は私に立ち向かうように集まっている人々を見て、特定の場所に鋭い視線を投げつける。
「今まで準備してきたあんたらは知ってるわよね?地の王が女神の祭りのためにどれだけ用意を重ねてきたか。女神を敬い、儀式の形式にこだわって、私達にも酷いことなんてしなかった。それに、時々贈り物と称して毒が贈られてきていることも、何度かあった。この短い間にね」
舞手たちの前で使用人と毒についてやり取りしたことはなかったはずだが、彼ら彼女らの行動を制限はしていなかった。どこかで聞かれたり気づかれることがあったのかもしれない。
「聖姫、下がりなさい」
立ち上がって舞手に言うと、彼女は不満そうに口を引き結んだ。
「今日はもうあなたの舞を見られないけれど、その才をこんなくだらないことで潰したくはない。
他の者も、外へ」
諍いの場所に演者を留めておくことはできない。
出口はエオルの王の後ろにしかないが、今の事態を把握できていない舞手や楽師達は関係のない話だ。逃がすことくらい許してくれるだろう。
渋々と舞手が出口に向かうと、呆気に取られていた者たちも後に続く。エオルの王は舞手や楽師達の道を阻むことはなかったが、威嚇するように睨みつける聖姫の舞手に向き合うこともなかった。
「さて、エオルの王よ、お話をお聞きしましょう。
私の何がそんなにお気に召さないのです?春祝いの件なら見苦しいところを見せて申し訳ないと思っていますが、私が王として何か悪いことをしましたか?」
「ハーモルの民を理由なく罰しただろう」
「理由なく?理由ならば公表しています。子どもを殺しておいて何の罰もないとおっしゃるのですか?」
ペルダのことに触れられるとすぐに沸き立つ怒りを抑えて、何でもないように答える。
「子どもを殺したというが、その場面を見たものはいない」
「そうですね。ですが捕えた男の一人に子どもがいたこと、その子どもが姿を消したこと、そして再び姿を現したこと、その子どもと私がいたこと、その子どもにもう一人の捕えた男が接触したこと、その後子どもの姿が見えなくなったことは確認できると思いますよ。二人の男の金銭のやり取りも調べれば出るでしょうね」
そこまで言われるとは思っていなかったのか、エオルの王はすぐに言い返しては来なかった。
「だが、他国の者の命を勝手に奪うなど――」
「命を奪ってはいません。牢につないでいるだけです。お望みならば今すぐ引き出してきましょうか?」
「いや、だがそれ以外にも横暴だという噂は聞いている」
今度は王ではない群衆の内の誰かが言った。
「どんな噂です?具体的には何をしたと?」
「それは……」
「恐ろしいフォムルを連れているではないか!それで通告もなく他国に侵入して四宝を奪った!」
「それは地の王となる前の話ですね。四宝自体は私の力で見つけたものです。
春祝い以降、私が王として何か罪を犯しましたか?」
「フォムルの姿が見えないのは、滅ぼす国を探していると噂されているが?」
「また噂ですか?私が実際に行った事実を述べてください。
私は私への態度で招待を贈る国を選別してもいませんし、贈り物と称して毒なんて送っていません」
それこそ変に受け取られないように注意して過ごしてきた。だというのに、憶測で勝手に恐れて既に私がことを起こした後のように言ってくる。当てつけに毒の話をすれば、心当たりのある国は目を逸らしたがそのことを謝罪する者もいない。
「確かに王は何もしていない。だが、エイオスと同じ存在なのだ。何かを企んでいるに違いない。
滅ぼされる前に倒すしかない。たとえここで命尽きたとしても、家族や同胞を守る」
集団の中で弓矢を構えた男が真っすぐに私を見て言う。その瞳は力強く正義に燃えている。
その男に呼応するように、人々の声が大きくなる。破滅をもたらす王を倒せ、殺される前に殺してしまえ、横暴な王を許してはいけない、と。
今の私の住む場所は神殿で、城のように堅牢なつくりではない。兵士もいないのに、この人数を相手にこの場を守り切るのは不可能だろう。
「エリン、使用人は全て逃がしたよ」
司会として舞手たちと準備をしていたアルケミラは、騒動に乗じて城に戻り人を逃がしてくれたらしい。つまりはこの神殿に残るこちら側の陣営は私達二人だけだ。
「ありがとうアルケミラ。逃げようか」
「いいの?」
「うん。地の王になったのは力が欲しかったから。誰にも利用されたくなかったから。
でもどうにもならないんだ。力があったって、それを利用するか恐れられてこうやって討たれるだけ。
それなら地の王でいる意味もない」
私はアルケミラの手を握り、エオルの王に向かって叫ぶ。
「エオルの王、そしてそれに続く者達よ!
永遠に存在しないものに怯えて暮らしていればいい!」
そして呪文を唱える。
「《扉の先に、道を作れ》」
喧噪が一瞬にして消え、目の前に木々が現れる。
「エリン、移動の魔法を使ったの?」
アルケミラは移動の際に姿勢を崩したのか、私の斜め前に立っていた。
「うん。ごめん、上手くいかなかったかな」
「エリンの魔法は完璧だよ。ただ私が準備できてなかっただけ」
「急だったよね」
「大丈夫。ここはどこ?」
「ここは――」
言いかけて、途中で言葉を繋げなくなる。
見るからに森ではあるが、ここは私が来たかった場所ではない。
「さて、地の王はどこに移動したかったんだろうね?」
先ほどまでは誰もいなかったのに、茂みの裏から数十人の人が出てくる。多くは鎧を身にまとい、剣を抜いている。その中で剣を持たずに一番前に立ったのは、私もよく知る人だった。
「ディルフ!」
春祝いの招待を受けなかったはずのダンの王子がそこにいた。
続きます。




