旧友の来訪
ディアナはあれ以降夢に現れることはなかった。だからと言ってブローラが私の元に帰ってきたわけでもない。今はまだ彼を呼ぶ気にはなれなかった。
――なぜあの者が恐れられているかわかりますか?
――エイオスが愚王としてディアナに討たれる際、エイオスの側について多くのディアナを葬ったからです。
ディアナの言葉が正しいのかは気になるけれど問いただす気にもなれなかった。
城の中は静かで、数少ない使用人は私に恐れをなしている者だけ。熱が冷めた頃合いかと様子を伺いに来る国もあったが、誰も彼も同じ目的が透けて見えて、たいして話しもしない内に追い返した。
地の王になって力を手にしたって、何も変わらない。そう思い知らされるだけの日々だった。
ある時、珍しくアルケミラがそわそわと来訪者を告げてきた。
「古い友人、とだけ」
「友人?」
まさかとは思うがディルフとワーシアではないだろう。
「魔法学校にいた人たちじゃないよ」
私の考えを見越してアルケミラはそう言った。
「わかった、それじゃあ通して」
古い友人と言って大した関りもない人たちがやって来ることも多かった。アルケミラの様子からして今日は違うようだけれど、きっとすぐに帰っていくのだろうと思っていた。
「お久しぶりです、エリン」
深く掛けていた椅子から思わず立ち上がってしまう。
ディアナと同じ、金の髪に青い瞳を持った、私の良く知る人がそこにいたから。
「ブラン!」
アイルに干渉した時、シラード達に捕まっていないことだけは確認できていたが、それ以外は何もわからなかった。
ペルダの成長を見届けたら会いに行こうと思っていた。
ずっと会いたかった。でも、それと同じくらい会いたくなかった。
「なんて顔をしているんです?」
ブランは変わらない。別れた時とすっかり変わってしまった私に、あの時と同じように接してくれる。
それが嬉しくて苦しい。
「ふふ、バイスを連れてこなくてよかったですね。あなたにそんな顔をされては、バイスの相手もする必要があるでしょうから。
エリン、そんな所にいないで、こちらに来てくれませんか?」
神殿の中に誂えられた謁見の間は、私が座るための玉座がある。この地の王としての地位を示すように数段高い場所に置かれていた。
私はゆっくりと段を降りてブランの前に立つ。
「背も少し伸びましたね。二年弱経ったのですから、当然でしょうか」
近くで聞こえる声が心地よい。
「元気にしていますか?」
「……うん」
ブランだって私の噂くらい耳に入っているのだろう。困ったような笑みを浮かべた。
「私にはそうは見えませんね。
あなたに起こったことは精霊達から聞きました。今まで大変な思いをしましたね。
大事な時に傍にいてあげられなくてすみません」
「謝らないで。自分で選んだことだから」
そうだ、これは自分で決めたことだ。
ダギードのいる島で、ペルダの成長を見守りたいとこの地に戻ることを決めたのは自分だ。ペルダを知っているという男を簡単に信用して、あの子を失ったのも私のせいだ。それで地の王になると決めて、ブローラの手を取ったのも私自身。
望むものは手に入らなかったけど、それも私の選択の結果だ。
――王族としての何の役目も与えられずに、鳥籠の中でただ過ごしてきただけの姫君に、何か目的でもあるのですか?
師匠の言葉は正しかった。ずっと。
今望む結果を手に入れられなくて、そこからどうしたいという気持ちもわいてこない。だって私には何の目的もないから。
「エリン、私はあなたの選んだことに口出しするつもりはありません。何もしてあげられなかった自身の不甲斐なさを嘆くばかりです。
けれど嘆いたところで過ぎたことは戻りません。今日はあなたに提案があって来たのです」
「提案……」
「ええ。今、この地ではあなたを討とうとする流れができつつあります。あなたを破滅をもたらす存在と見なして、人間が作った約束事さえ破棄して」
「力を手に入れても、何も変わらなかったね」
これでは四宝を手にする前と同じだ。
「そうかもしれません。けれど、あなたが四宝を探し当てたことには意味がありましたよ。
提案というのはそのことについてです」
ブランの表情がすっと引き締まる。
「エリン、四宝を正しき場所に戻しませんか?」
「正しき場所?」
「この地をディアナが治めていた時、四宝はそれぞれ定められた場所にありました。人との争いでそれも散り散りになりましたが……」
「四宝を戻したらどうなるの?」
「この地の力が安定し、フォムル達の侵入を阻むことができます」
「フォムルがこの地に来ているの?」
召喚していないフォムルもこの地に来られるとは知らなかった。
「人間とフォムルにも以前は繋がりがありましたからね。この地への侵入は可能でしょう。人とディアナが争った後は、ディアナがフォムル用に張っていた結界も崩れましたし……フォムルはよからぬことしか企みません。この地に入れないに越したことはありません。
そして何より、ディアナを味方につけられます」
それは夢の中に現れたディアナと同じような内容だった。ディアナはブローチを探すように言っていたけど、他にも何か伝えたいことがあるようだった。もしかするとブランが言ったことを伝えたかったのだろうか。
「エリン、せっかく手に入れた宝を手放すのは惜しいかもしれません。それでもどうか、この提案を受けてくれませんか?
地の王の地位なんてなくても、私があなたを守りますから」
――さあエリン、こちらへ。私があなたを守って差し上げますから。
差し出されたブランの手に、かつての師匠の声が蘇る。
「ブランは、私と出会う前から、ディアナのために動いてたんだよね?」
ハーモルで世話をしてくれたリアンが言っていた。同族のために立ち上がったディアナが、人とは上手く暮らせないディアナ達を支援していると。きっとブランのことだ。
「ええ、そうです。何か悪い噂でも聞きましたか?」
ブランの顔が強張る。
リアンは悪事を働く人間には容赦がないと言っていたが、それを今更どうも思わない。出会った時から物騒な一面はあったし、人間とは少し考え方が違うところがあっても、受け入れられないようなものではなかったから。
「違う。ただ――」
ブランの手に重ねようと思って持ち上げた右手は、今だ胸の前にある。
ブランは私のためにその提案をしているのか、信じられない。
「ああ、私がディアナのためにあなたを利用しようとしていると思えてしまうのですね」
私はブランの言葉に何も返せなかった。
違うと言えば嘘になるし、そうだとは言いたくなかった。
「いいのですよ、エリン。嫌なことばかり経験してしまいましたから、当然のことです。
それに、あなたが時折、私を誰かと重ねていることも知っています」
そうだ、ブランの口調が似ているからなのか、彼に師匠を見てしまうことがある。
師匠はずっと私にとっての信頼できる唯一の人だった。そんな人でも、ある日突然理由も告げずに私を閉じ込めようとした。
「エイオスと同じ存在だと知られて、酷い経験をしたでしょうけど、あなたにとってはきっと、そこがずっと埋まらないのですね。
大切な師匠に裏切られたという事実が、未だにその理由を知ることもできないでいることが、あなたにとっての傷となっている。だから信じるということができなくなっているのですね」
アイルを師匠から取り戻して、魔法学校に行って、そこから今まで色々な人を簡単に信じて散々な目に遭って来た。だから人を信じることなんてもうしないと思っていたけど、大元は師匠とのことが解決していないから。
だって、いくら見ず知らずの人や知り合って長くない人を信じて酷い目に遭ったからといって、私がエイオスと同じ存在だと知っても変わらずに接してくれたブランを信じられなくなるなんておかしな話だ。
本当はずっと師匠のことが引っ掛かっていた。話を聞けると地下牢に入れたのに、ネロと同時期に姿を消してしまった。ブランはエイオスと同じ存在である私を大事にしていたからこそ何も告げられなかったのではないかと言っていたが、実際のところどうなのかはわからない。
それがあったからこそ、軽率に人を信じて酷い目に遭った今、ブランを信じきることができなくなっている。
「私、ブランのことを信じていないわけではない、と思う。
だって今、まだ、ブランは私を利用したり騙したりしていない」
きっとこの提案だって、私のためだとは思う。
「だけど、これから先はわからない。師匠だって生まれた時から一緒にいたのに、今はこんなことになってる。
私、ブランを信じたままでいたいの」
ブランは信頼できる人だ。だからずっと会いたかった。
けれどペルダの死をきっかけに随分と変わってしまった私には、ブランとのこれからを信じることができない。だから、会いたくなかった。会わないままでいれば、何も起きていない信頼できるままのブランに会いたいと思い続けることができたから。
「ブラン、心配してくれてありがとう。でもあなたの手を取ることはできない」
ブランは諦めたように、差し出したままだった手を引き下げた。
「エリン、時期が悪かったですね。気にしないでください。あなたの気持ちはわかっているつもりです。
また、会いに来ます」
私はそれに答えることはできなかった。
*
ブランはアルケミラの案内で神殿の出口まで進んだ。
「ブラン、ごめんね。ブランならエリンも喜んでくれると思ったんだけど……」
「構いませんよ、アルケミラ。それに私と会えたこと自体は喜んでくれたと思っていますよ。
準備なんて整えず、先に会いにくれば良かったですね。そうすればまだ、エリンの傷も少しは浅かったでしょう」
「どうだろう……。エリンはもうずっとあんな感じだよ。アイルから逃げて、ディルフとワーシアに殺されかけてから。
唯一ペルダだけがエリンを前向きにしてくれたんだけど、あんな失い方をしたから……」
ペルダの死はアルケミラも見ていた。アルケミラでさえ酷いショックを受けたのだ。ペルダに救われたエリンにとっては耐えがたいものだっただろう。
「今も死を選ばずにいてくれているのは、あなたのおかげでしょうね、アルケミラ。あなただけは、ずっとエリンにとって信じられる存在なのでしょう。
けれど、そうなるためにあなたの取った選択で無理をしていませんか?」
「やっぱりブランにはわかるんだね」
すっかり大人びたアルケミラは憂うように青い瞳を揺らした。
「でもね、私はエリンの隣にいられれなくなることが何よりつらいから。間違ったことをしたとは思っていないよ」
「あなたの選択を咎める気はありません。どうか、気をつけてくださいね」
「うん。エリンにも内緒にしてくれてありがとうね」
「今のあの子にはとうてい伝えられませんよ」
「いいんだよ。ずっと伝える気なんてないんだから」
アルケミラは門を開けて、ブランを外へと出す。
「ブラン、またね」
以前とは違い、アルケミラは女性らしい姿をしていた。それでもそう言って手を振る様子は、ブランにとっては出会った時と変わらないようにも見えるが、どこか遠くへと行ってしまったようにも感じられた。
続きます。




