夢の中で
春祝いの宴は失敗に終わった。
誰が何を伝えてくれなくても、どういった噂が流れているのかはよくわかる。春祝いに向けて雇った者たちのひそひそとささやくような声は、静かなこの神殿ではよく聞こえた。
「噂通り、地の王は横暴だとエオルの王が言っていたとか」
「あの場にはきっと王とただ親交を深めに来ただけの者だっていただろうに」
「王を利用するだなんてそんな言い方をしなくても、既に大きな力を持っているのだから、王としてこの地のためにその力を使うべきだよ」
「何を言われたか知らないが、癇癪に任せて自ら開いた宴を中止するなど、まだ成人していにとはいえ幼すぎる。王の器ではないな」
「立派な神殿に住み続けるなんて、丘の女神への敬意もない」
口が過ぎる者は追い出した。彼らだってそんな王に仕えるのは嫌だろう。
それをさらに横暴だと言われようとどうだってよかった。
「エリン、食事を取らないと」
「ありがとう、アルケミラ」
軽食を持って現れたアルケミラに礼を言って、一口かじる。もうそれだけで口に何も入れたくなくなった。
「随分とやつれたな、エリン。何を考えている?」
春祝いの宴の後、私は玉座の間に籠っていた。世話は全てアルケミラがやってくれたので困ることはなかった。
その様子を扉の向こうでブローラが伺っていたのは知っている。とうとう痺れを切らしたのか入室してきたブローラは怒っているわけではなさそうだった。
「大したことは考えてないよ」
「人間どもの話を気にしているのか?」
「少しはね。地の王になっても、利用されるだけなんだなぁと、思って。
すごいよね、私に挨拶に来たほとんどの人は、私の力と立場を利用しようと思ってた。それで民もをそれを肯定するの。力を持っているのだから使うのを惜しむことはよくないって。
丘の女神のブローチを探すのはいい。でもどうして私が誰かと婚約する必要があるの?私が女で丘の女神と婚約を結べないから?馬鹿馬鹿しい。
女神と婚約してではなく、契約を交わして中央の王となれるという話なのに、婚約が必須だと思っているのもおかしいし、仮にその権利を横取りしたいのなら私と婚約しておく意味もわからない」
「良くある話だ。不確実な事象が上手くいかなかった場合に備えて、必ず利益を得るためだ。
お前が丘の女神のブローチを見つけられなかったとして、地の王の配偶者であるという立場を得られていればそれだけで十分うまみがある」
「ふふ、それを王の力をみなのために使うことと呼ぶなんて、信じられないね」
女神のブローチを見つけることとその報酬を他国の誰かに渡すことは別の話だというのに、それをいっしょくたにして、私が力を出し惜しみしているとか、丘の女神に敬意を払っていないとか言うのだ。
「誰にも利用されないために地の王になって力を手に入れたのに、結局こうなるんだね」
誰に何を言われたってどう思われたって構わないとは思っているけれど、望んだ結果は得られなかった。
「どうしてこうなるの……」
私はこうなる運命だとでもいうのだろうか。
「だけど、怒りに任せて宴を中止してしまったことは反省してる」
他国が私に何を要求しているか気づいても、気づかないふりをしていればよかった。宴だけはやり切ればよかった。それなのに感情任せに皆を追い出して、結局はまた私は横暴なのだという噂を強めただけだ。いや、私が横暴だというのは事実かもしれない。
「何を気にする必要がある?
人間はお前を怒らせたのだ。地の王への敬意もなく己が要望だけ不躾につきつけるほうが悪いだろう」
「やめて、ブローラ。人間はそうは考えない。
力を持っている者に対して恐れを抱いたり、逆らう姿勢を見せないことはあっても、その力が絶対的に正しいのだとは思わない」
「人間は、か。それを俺に求められても困るな」
「それはわかってるよ」
ブローラはフォムルだ。人間と暮らしたこともないし、きっと独自の文化や考え方がある。それを強制したいとは思わない。
「なら俺は俺の思うことを言うまでだ。お前がどれほど厭おうとな」
「構わない、けど、今は聞きたくない」
「つれないな?お前が俺を呼び出したというのに、俺を遠ざけるのか?」
「遠ざけたいわけじゃない。ただしばらくはアルケミラと二人にして」
「それは俺を遠ざけるのと同じ意味だ」
「ずっとじゃない。ブローラがいいなら、また戻ってきてほしい」
自分勝手な言い分だというのに、ブローラは笑みを浮かべた。
「なるほど?それなら俺にきちんと願うことだな」
ブローラは玉座の前まで来ると、私の目をしっかりと見つめた。
「言え、エリン。
お前は俺に一時的に消えてほしくて、また戻ってきてほしい。そう願うんだ」
「私はブローラに一時的にいなくなってほしい。そしてまた戻ってきてほしい」
するりと言葉が口から滑り出た。
ブローラは満足そうに微笑むと、アルケミラの持ってきてくれた皿の上から軽食をつかみ取り、私の口に突っ込んだ。
「んぐ、む!」
「食え、エリン。そうすれば俺は願いを叶えてやる」
口は食べ物で塞がっているので抗議することさえできない。
せめてもと食べ物を突っ込んでくるブローラの腕を掴むが、彼は動じなかった。反対の手で私の後頭部を抑え込み、食べ終わるまで放す気はなさそうだった。
アルケミラは何か言いたげに見ていたが、私が無理やりにでも食事を取ることを選んだのか、ブローラに手出しすることはなかった。
ようやく全てを飲み込んで息を整えていると、ブローラは私の口周りの汚れをナプキンで拭った。
「よくやったなエリン。お前の望み通り、お前の前から姿を消してやろう」
やけに上機嫌なブローラは宣言通り、どこかへと消えていった。
*
久し振りに食事をきちんと取ったからか、久しく見ていなかった夢を見た。
そこは見張らしのいい丘で、緑豊かな心安らぐ場所だった。吹き抜ける風は心地よく、このまま風に任せて飛んで行ってしまいたいと思えるほどだった。
だけど私は知っている。ここはただ心地の良いだけの場所ではないということを。
「エリン、久しぶりですね」
金の髪に青い瞳をした美しい人が目の前に立っていた。
以前も同じ夢を見た。私自身の意思でこちらに来るようにと言われた。
「あなたはディアナですね」
「ええ」
目の前にいるディアナは、私がまだ私自身について知る前に誘いを持ち掛けてきたディアナだった。
「あの忌まわしき存在が姿を消して、ようやくあなたに呼びかけられるようになりました」
忌まわしき存在というのは、フォムルであるブローラのことだろう。
「あなたはこちらには来ずに、その地で生きることを選んだのですね」
「私は、この地で生きたかったわけではないのです。
私がここに戻ってきたのは、ある子どもの成長を見届けたいと思ったからでした。
でも、その子はもうここにはいない……」
この地に戻ってきて失ってしまったから。
いくらペルダの死に関わる者を罰しようとも、その喪失を埋めることはできない。
「それでフォムルの言葉に耳を傾けて、地の王となったのですね」
「あの子の仇を取りたかった。それに、もう誰にも利用されたくなかった」
「力を手に入れて、あなたの望みは叶いましたか?」
叶ってないない。
結局は別の形で利用されるだけだ。丘の女神のブローチを探したご褒美を横取りするために、お近づきになりたいと言われている。
「私はディアナの暮らす土地に行った方がいいと、今でも思っていますか?」
「ええ、もちろん。
今はまだ何も起きていない。フォムルもまだ本格的に動いていない。今のうちにあなたはこちらに来るべきです」
「どうして?私がエイオスと同じ存在だからと言って、エイオスと同じことをするとは限らないでしょう?」
かつてこの地に破滅をもたらした、ディアナとフォムルによって生まれた存在。それは遠い昔の話で、私には何の関わりもないはずなのに、人々は私をエイオスと同じ存在だという。
「ディアナとフォムルの力を持っていたとして、私はまだ何も――」
「何もしていないと言い切れますか?
あなたはフォムルの中でも恐ろしいブローラを召喚し、彼に地の王となるために色々と手伝わせたでしょう。
彼の魔法で国境を無許可で越えて侵入したことも、彼の力で人間を無力化したこともあったはずです」
ディアナの声は咎めるように鋭くはなく、言い聞かせるように柔らかだった。
「人間は召喚したフォムルと契約を交わすことを許していますから、それを否定はしません。けれど、あなたはエイオスと同じ道を歩み始めている。
まだブローラを召喚する前ならよかったでしょうが、あなたはあのブローラを傍に置いてしまった。かつてのエイオスと同じように」
「エイオスと同じ?」
「なぜあの者が恐れられているかわかりますか?エイオスが愚王としてディアナに討たれる際、エイオスの側について多くのディアナを葬ったからです」
知らないブローラの過去にぞっとする。彼の性格なら敵対する者を倒すことも楽しんで、力をふるったことだろう。
「今ではもうこちら側に呼ぶのではなく、あなたをこの地で消滅させるべきだという同胞もいます」
「……私は生きているべきではないのですか?」
抗ったこと自体が間違いだったのだろうか。あのまま、ディルフとワーシアに殺されていればよかったというのだろうか。
そんなこと思いたくはない。だけどこの地に戻って、私にできたことはない。
地の王にはなったけれど、別に王になりたかったわけじゃない。私はただ、もう誰にも利用されたくなかっただけで、だけど最も強い力を手に入れてもそれは叶わなかった。
それならば、もう――。
「エリン、どうか気を強く持って。私は知っています。あなたがどうして力を手にしたのか。手にしてどういう目的を持って何をしたのか。
あなたはエイオスと違うはずです」
「エイオスと同じといったり、違うといったり、もうわからない……」
「エリン、あなたが命を絶つ必要はありません。こちらへ来るのであれば、私が全ての力を注いであなたを守ります。
だけど、あなたがこちらに来る理由がないというなら、その地に留まるというのなら、エイオスとあなたは違うのだと証明してください」
「どうやって証明しろと言うのですか?」
何もしなくても、エイオスと同じ存在だと言われているのに、それを覆すような何かができるとは思えない。
「エリン、ディアナが望むのは一つ。眠ったままのあの子を起こすことです」
「女神のブローチを探せというのですか」
今一番考えたくないことだった。
私が丘の女神のブローチを見つけてディアナは喜ぶかもしれない。けれど人間はそうはいかない。きっとその褒美についてくだらない言い争いが始まる。仮にその褒美が誰のものにならなかったとしても、私がエイオスと同じ存在だと思われていることには変わりないはずだ。
「あなたがブローチをあの子のところに戻してくれれば、ディアナはあなたを支持することができます」
それは魅力的な言葉だった。ディアナの支持があれば、多少なりとも人々の見方も変わるだろう。
だけど私の胸に渦巻くのは、疑念だけだった。
ディアナさえも私をいいように使おうとしているだけではないのか。用さえ済めば、忌まわしい力を持った私を消すのではないか。
「ああ、本当はもっと伝えたいことがあったのに」
ディアナは急に苦しそうに呻きだした。するとその姿にぼんやりと靄がかかり、徐々に景色も歪んでいく。
「エリン、どうか私を信じて――」
最後に聞こえたディアナの言葉も、するりと耳を通り抜けていく。
もうずっと、何をどう信じていいのかよくわからなかったから。




