孤島での生活2
ダギードのもとでの生活は全てが穏やかだった。
食事は用意されているし、与えられた小屋は質素ながらも必要なものが全て揃っていた。朝起きて、ご飯を食べて、アルケミラと花を摘んで、昼食を取って、海を眺めて、夕食を食べて、入浴して眠る。
見向きもされないのに力を伸ばすことも、追手から身を隠すことも、誰かを探して身を焦がすこともしなくていい。
(このままずっとここにいたい)
唯一嫌なことがあるとすれば、見たくもない夢を見ることだった。
見向きもしてくれない両親、城から逃げた日の師匠の言葉、師匠の魔法で見た両親の転落する姿、いなくなるネロ、迫りくる剣とディルフとワーシアの姿。
それまでは夢すら見なかったのだから、ダギードが感情を抑えてくれていたのは本当だったのだろう。
また抑えて欲しいと思うけど、私自身の答えを見つけるまで、彼は望みをかなえてくれないだろう。
「エリン、また怖い夢を見たの?」
アルケミラは私が目を覚ますと、いつも起きてくれる。そして、知らずの内に流れていた涙を拭きとってくれる。
「私はずっと、エリンと一緒にいるからね」
その言葉を聞くと、また勝手に涙が溢れて来る。嬉しいのか悲しいのか寂しいのかわからない。それでもアルケミラが今隣にいるとわかるだけで、安心して目をつむることができる。
穏やかな日々と嫌な夜を繰り返すだけだったこの島に、ちょっとした異変が起きた。
「ダギード、その子は?」
いつものように昼食を取りに戻ると、ダギードの横に知らない子どもがいた。五歳くらいだろうか。泣いていたのか目元が赤い。
「漂流者だ。偶にある。海を流れてここに辿りつく人間がいるのだ。ここまで若いのは初めてだがの」
子どもはまじまじと私とアルケミラを見ていた。
「こんにちは」
声をかけると、ぱあっと表情を明るくして、
「こんにちは!」
と元気に答えた。
「おや、さっきまではだんまりだったのに、不思議なものだ」
無理もない。ダギードは恰幅が良い。子どもには相当に大きく見えるに違いない。怖くも感じるだろう。
「君、名前は?」
アルケミラと食事の定位置についた後に聞くと、
「ペルダ!」
と、これまた元気に教えてくれた。
ペルダは王国ではなく魔法機関の管理する国の出身だった。兵士の父と花屋を営む母と暮らしていたが、海に遊びに出かけた時に二人が迷子になってしまったのだという。
ペルダは私とアルケミラと話すうちにダギードへの恐怖心も和らいだのか、食事が終わる頃にはダギードの膝にも乗るようになっていた。
「エリン、これからはペルダの面倒を見てやってくれんか?」
ペルダが眠った後、ダギードは私とアルケミラを呼んでそう言った。
「あの子は幼過ぎて、どのあたりから来たのか正確にはわからん。精霊達に探させはするが、あの子の元居た場所を見つけるには時間がかかりそうだ」
「そういうことなら、もちろん。子どもの面倒なんて見たことないから、ちゃんとできるかわからないけど……」
「エリンはできるよ。私を育ててくれたでしょう?」
「アルケミラ、ドラゴンと人間はちょっと違うよ」
ネロが倒れた時のことを思い出すと、ドラゴンの世話の方が大変かもしれないけど、それもまた少し尺度が違う。
「よいよい。何かあれば精霊も助けよう。
あの子にとっては、同じ人間といることが安心になる」
「わかった」
ダギードはディアナでアルケミラはドラゴンだ。見た目は人に近いけれど、種族としては全く違う。同じ人間が近くにいた方がいいというなら、そうしてあげたいとも思った。
その日から、生活は大きく変わった。
ペルダは恐ろしいほど元気だった。そこら中を駆け回り、何もない所で転ぶ。わんわん泣いたかと思えば、また駆け出す。目を離せないから私も追いかけるしかない。アルケミラは何故か楽しそうに追いかけっこを始めるから、ペルダが興奮してまた足を絡めてこける。
食事の時もダギードに椀を与えられた瞬間に中身をかきこむし、それでむせる。ダギードは食べ盛りだな、と大らかに受け入れていたが、私はその内喉をつまらせるんじゃないかと心配だった。
それにことあるごとに私やアルケミラを呼びつけ、たまにはいたずらをすることもある。大したことじゃないにしても困らせられることも多かった。
ペルダは私達を振り回すほど元気いっぱいで、だけれど大人しく言うことをきくこともできて、嫌だと言ったことは二度はしないほど聞き分けもよかった。花を摘みに行った時は花冠をプレゼントしてくれることもあり、優しい面もある子だった。
これくらいの男の子の普通はわからないけれど、愛らしい子だった。
この島では暦を管理するものがないから正確にはわからないが、二月ほどが経った頃、ペルダは海に行くようになった。そこら中を走り回るというのに、彼はそれまでに海に近寄ることすらなかった。海を彷徨ってここに来たから恐怖心があったのかもしれない。それが薄れたからなのかとも思っていたが、海から帰ってくる時のペルダはまるで別人のように静かで、寂しげだった。だから、私は彼の後についていくことにした。
春のようなこの島にも夜は来る。星々がきらめいているので怖さはないが、しんと静まり返る夜は切なくもなる。賑やかに食事を終えて、身を清めて、後は寝るだけとなった頃に、ペルダは海に向かった。
砂浜には真っ直ぐに海に続く足跡が残っていた。足跡の終わりに、寂しげな一人の少年の背が見える。
「ペルダ」
呼びかけると、ペルダはその場で振り返った。
「エリン」
私の名を呼ぶ声に覇気がない。
ゆっくりとペルダに近づくと、彼は砂浜に座った。私もその隣に座る。
「……早く帰りたい?」
この海の先は、私達が暮らしていた地に繋がっている。ペルダは遠くの方を見てから俯いた。
「わからない」
「そっか」
「僕ね、お父さんとお母さんがいるんだ」
「うん。迷子になっちゃったんだよね」
きっとペルダが迷子になったのだろうが、彼はそう言っていた。
「うん、でも違うの」
「違う?」
「僕ね、妹もいるの」
「そうなんだね」
「お母さんもね、違うの」
その違うが何を指すのかはすぐにわかった。
「僕の本当のお母さんはね、死んじゃったんだって」
ペルダはその意味するところを深くは理解できていないようだった。それでも母に会えないという寂しさだけは感じるのだろう、丸い瞳は潤んでいた。
「お父さんはね、新しいお母さんを連れて来たの。新しいお母さんはね、僕のことが嫌いなの。
妹が生まれて、お父さんも僕を嫌いになったの。僕がわがままだから。お兄ちゃんになれないから」
ペルダの声が不安定になっていく。
「僕ね、お兄ちゃんになろうと思ったの。でも、なれなかった。どうやったらお兄ちゃんになれるのかわからなかったの。
泣いてたから、お母さんみたいに抱っこしてあげようと思ったの。でも怒られちゃった。危ないことしないでって。お母さんもお父さんもすごく怒ってた。
次の日ね、お父さんとお母さんが海に行こうって言ったの。妹は置いて、僕とお父さんとお母さんの三人で。僕は嬉しかった。でもね、海で遊んでて気づいたら、お父さんとお母さんがいなくなってたの。溺れちゃったんじゃないかなって思って、探しに行ったの。でも見つからなかった」
どうしてペルダが海に入ることになったのか、その理由がわかった。そして、どうして海を見にやって来て、そして帰りたいかわからないと言ったのか。
「本当はね、わかってるの」
ぐずり、と鼻を啜る音が聞こえる。
「お父さんとお母さんは迷子になったんじゃないの。僕を置いていったの。
僕が、悪い子だから」
ペルダは膝を抱えて、その腕の中に顔を埋めてしまった。それでも砂に落ちる水が、小さく漏れる嗚咽が、彼が今どんな顔をしているのかを教えてくれる。
最初は本当に、両親が迷子になったと思っていたのかもしれない。けれどここで過ごすうちに彼なりに色々と考えて、その答えに行き着いてしまったようだった。
「父さんもお母さんも、僕がいたら嫌だったんだ。僕なんていない方がよかったんだ」
胸が痛かった。まだ小さな子どもがそんなことを言うのが悲しかった。そして、その悲しみが私にはわかるような気がした。
父と母に嫌われていたわけではない、と思う。それでも両親の目に私は映っていなかった。認めて欲しくて、魔法と精霊術を精一杯学んだけれど、そこに目を向けられることはなかった。二つを使えると知って喜んでくれた――と思っていたけど、それは単に私の利用価値を喜んでいるだけだった。
一番見て欲しい人に、見てもらえない。努力が空回る。その虚しさと寂しさは、気づかぬうちに胸を蝕んでいく。気づいた時には、積み重なってきたそれらに一気に沈み込む。
「ペルダ、おいで」
そっと肩に触れると、濡れた瞳が私を見上げた。肩を寄せて、彼の腰と膝裏に手を回し、自分の太ももの上に彼を横向きに座らせる。
「私は、ペルダに会えて嬉しいよ。ペルダがいてくれてよかったよ」
肩を抱きこむように引き寄せて、まだ小さな頭を撫でる。
「ペルダは悪い子じゃない。お兄ちゃんになれなかったんじゃない。ちゃんと頑張った。お兄ちゃんになろうとしてた。えらかったね」
両親の言うことを聞こうとして、親の関心を集める妹の兄になろうとした。彼なりに一生懸命に。その行動を彼の両親がどう受け止めたのかわからない。妹を抱っこしようとしていたなら、それは危ない行動に見えたのかもしれない。それでも、彼自身をきちんと見ていれば、それは妹を危険に晒したかったのではなく、兄としてあやしてあげようとしたということがわかるはずだ。
「エリン、僕、いてもいいの?」
「もちろんだよ。ペルダがいてくれたら、私は嬉しい」
不安で仕方がないと目が言っている。それでも、ほんの少しでも、その目は希望を探しているように見えた。
「いいんだよ、ここにいて」
それは、過去の自分に言い聞かせているようでもあった。
自覚しながら、それでも私はペルダにそう告げることをやめることはできなかった。私の服を握りしめる手が離れて欲しくなかったから。縋るようなその手を離したくなかったから。
続きます。




