孤島での生活1
目を覚ますと知らない場所にいた。
降り注ぐ日差しは柔らかく、意識をぼんやりとした状態に留めてくる。
私は、どうしたんだったか。
この場所は春みたいだけど、たしか夏期休暇は終わってた気がする。そうだ、夏期休暇が明ける頃に夢を見た。この場所みたいに穏やかで、心地の良い場所で、美しい人が話しかけてきたんだった。
それで、その夢を見た次の日に、デラートが私が精霊術も使えることをディルフとワーシアに話した。それから、エイオスと同じ存在だと言われて、破滅の運命が刻まれていると言われて――学校の階段から落ちて、ブローラが助けてくれたけどそのことで追われて、アイルに行って、また逃げて、最後は――剣が飛んできて――。
ずきずきと頭が痛む。
「おお、やっと目が覚めたか」
人の声が聞こえて、ようやく視界がはっきりとし始める。
私は敷布の上に寝かされていた。ゆっくりと体を起こすと、大柄な男性が椅子に腰かけて私を見ていた。
「さすがの私でも、どうにもならないかと思ったが、何とかなったな」
「あの、ここは?私は死んだんじゃ?」
そうだ、剣が刺さった後、私は滝に落ちた。それなのにどうして生きているのか。
「気になることは多かろう。だが、今は力を回復せねばな。ほれ、粥を食べなさい」
私の手元に木の椀が運ばれてくる。運んでいるのは小さな光――精霊だった。
「君をここに連れて来たのはそれらだ。案内を頼まれていたそうだが、君が死にかけたので私を頼ったと言っていた」
「案内を頼まれていた――ブランが呼んでくれた精霊だね?――アルケミラは?!」
滝へ向かうと決めた時、精霊達にアルケミラを頼んだはずだ。
「アルケミラというのは、そのドラゴンのことか?」
すーすーという軽い寝息が聞こえてくる。私の横にアルケミラが横たわっていた。
「ああ!良かった……」
「中々忠誠心の強いドラゴンだな。君を追って滝に飛び込んだと聞いているぞ」
だから精霊達も一緒に来てくれたのだろうか。
「安心したら、食べなさい」
私は精霊達から椀を受け取って、粥を口に入れた。
私に粥を提供してくれたのはダギードという名を持つディアナだった。彼によると、ここはディアナの集う約束の地と近い場所であり、私の暮らしていた地とも繋がっている場所だという。
彼はディアナの中でも力のある者で、今私がここにいることは、他のディアナも含めて誰もわからないようにしてくれているらしい。私の傷についてもダギードが治してくれたという。致命傷にもなるだろう傷だったのに、今はうっすらと跡が残るのみだった。アルケミラは私よりもずっと早く目を覚まして、私が起きるのを待っていたらしい。
彼はいつも食事を勧めてきた。常に置かれている大釜から粥やら何やらをすくってよそってくれるのだが、私は彼がその釜に食料を入れているところも、料理をしているところも見たことがないので不思議だった。
「エリン、体が癒えたところで、そろそろ心の内に向き合わねばならんな」
私が目を覚ましてどれくらい経ったのだろうか。すっかり動き回れるようになった頃、ダギードはそう言った。
この場所の気候は変わらず穏やかだというのに、急に体中の熱が引いていく気がした。
「心の内って……」
「エリン、私は君に起きたことを知っている。君も、忘れたわけではあるまい。
今までは体を癒すことを優先して、君の感情を抑えてきたが、わかるだろう?」
ダギードは皆まで言わなかった。言われずとも、わかる。自身の中に湧き上がる感情に飲まれそうだった。
「一つずつ、解いていこう」
「必要があるの?さっきまではあんなに穏やかな気持ちだったのに……」
「もちろん、ここにいれば私が君の感情を抑えてあげられる。だが、本当にそれでいいのか、どうするのかは、君自身が考えなければならない。起きたことに対して、君自身に対してどう考えているのか整理してな」
アルケミラがそっと寄り添ってくれた。私は甘えるように彼女の肩に頭を預けた。
勝手に涙が出てくるのも、喉がひりひりするのも、胸の奥に鈍い痛みがあるのも不快だった。これはすべて投げ捨てたと思っていたのに。
「さあ、心に浮かぶままに話してみなさい」
心に浮かぶまま。それはわかりやすかった。
「ネロ、どうして何も言わずに消えちゃったの……」
疑念と、それを否定したい気持ち、見つからない焦り、裏切られたような胸の痛み。アリウムに話を聞いてもらって、前向きに考えようとしていたけれど、決して消えはしない感情だった。
「師匠と一緒に逃げたの?私を置いて?
私はネロを仲間だと思っていたけど、ネロにとってはそうじゃなかったのかな。
師匠だってそう。私のためだというだけで私には何も教えてくれなかった。二人にとっての私って、何なんだろう」
何も言わなくてもいいと思っているのか、言ってもわからないと思っているのか。それを考えることすらないほど気にならない存在なのか。
師匠は私がエイオスと同じ存在だと知っていたけど、何も教えてくれなかった。ブランは言えなかったのではと言っていたけど、
――ここから逃げて、どうするのです。あなたに何ができるというのです?
――王族としての何の役目も与えられずに、鳥籠の中でただ過ごしてきただけの姫君に、何か目的でもあるのですか?
――ないなら、ここで私のお人形になっていればいい。
あの日の言葉はずっと頭から消えてくれない。師匠にそう言われた時の衝撃は大きすぎた。こちらが師匠の本音なのではないかと思えてしまう。
利用するだけの人形に、何も説明する義理はないと。
ネロとだって、何か名前のある関係だったわけじゃない。
――今日みたいに、俺の手伝いをして欲しいんだ。正式な助手としてね。
――なに、ずっとじゃない。その子が育って手がかからなくなるまででもいいし、何か君に他にやるべきことができれば俺は見送るよ。
ネロは自身の未来を占って、私とブラン、バイス、アルケミラを見ていたけど、それはあくまで彼の未来の提示に関わる人物というだけだ。全員を探し終えた後どうするか聞いた時、人を探したいと思っていると言っていた。
私はネロの未来を指し示す一人ではあったかもしれないけど、彼の人生の目的ではない。自分の目標を見つけて、あるいは達成して、私なんてどうでもよくなったのかもしれない。
もしかすると、私がエイオスと同じ存在と師匠から聞いて、離れたいと思ったのかもしれない。
「ディルフとワーシアだってそう。
魔法学校での友人だと思ってたけど、彼らにとってはそうじゃなかったみたい。
二人とも王族だから、エイオスと同じ存在である私に対して距離を置く必要はあったのかもしれないけど、あんなふうにあからさまに態度を変えられたんだから、きっと元から友人じゃなかったんだ。私だけが勘違いしていたんだ。
だって、私だったら友人を利用しようだなんて思えない、命を奪おうなんて思えない。
それに、アリウムさんは、私を逃がしてくれた……」
それが決定打だったのかもしれない。明らかな行動の違いが、私の思い込みではないと裏づけているようだった。友人だったら、エイオスと同じ破滅をもたらす者だと言われていたとしても、心配する気持ちを持ってくれるのだと。ディルフとワーシアにはその心は少しもないのだと。
「男の人なんてもう絶対信じない。きっと私の勘違いだから」
自分が仲の良い関係だと思っていても、そうじゃないとわかった時、胸が酷く痛むから。それなら最初から期待しない方がいい。その期待だって、私の一方的な思い違いなのだから。
「エリン、それ本当?」
アルケミラが不安そうに訊ねる。
「ブランとバイスは別だよ……」
二人のことは信じられる。今のところ、二人には助けられてばかりだ。
師匠もネロも、ディルフとワーシアだって、たくさん助けてくれたから、それが何かの証明になるわけではないけど。
「そっか……」
「うん……ちょっとすっきりしたかも」
胸が軽くなって、涙も止まる。
「あとは思い出した。
私に破滅の運命が刻まれているなら、利用されるしか価値がないなら、私は生きていない方がいいのかもって。
師匠が言ってた通り、私には何の目的もなかった。それでも生きてさえいればいいって思ってた時期もあったけど、結局は友人だと思ってた人に殺されそうになってるんだから。
何の目的もなく、破滅の運命しか持たないのなら、消えてしまった方がいいって思った。生まれて来た意味も、生きる意味もないんだから」
だから、滝に飛び込んだ後、自ら意識を手放したのだ。
「エリン、よく聞きなさい。
生まれて来た意味なんて、生きる意味なんて、他者の視点からは測れない。他の誰が何と言おうと、君が目的がなくても生きてさえいればいいと思っていたのなら、それが君にとっての生きる道だ。
事実、君は師匠の手から祖国を取り戻した」
「たまたま上手くいっただけ」
「そうだな。だが、君に何の意志もなくそのようなことはできぬはずだ。その時はどう思っていたのだ」
「その時は、アイルの王族として役目を果たしたいと思ってた。王として望まれていなかったとしても」
「ふむふむ。君にはこうしたい、という確かな望みがあったということだ。それは十分、生きる意味にも目的にもなっているだろう」
「でも、今はもう、ないの……」
アイルを取り戻して満足してしまっていた。その後すぐにネロが姿を消して、なぜなのかわからなくて。目の前のことに捕らわれてばかりで、自身の進みたい先なんて見えていなかった。
「エリン、君には今まで時間がなかった。
王の子だというのにそう扱われず、進む先も見えていなかった。師匠に裏切られて、逃げるしかなかった。友が姿を消して行方が気がかりだった。
君の人生は困難ばかりで、誰かに歪められていて、ゆっくりと先を考えることは難しかっただろう。
ここで自分自身の答えを探してみてはどうかね?」
「自分自身の答え?」
「君は王家に生まれたから、王族としての役目を果たしたいと思っていたな。
では、君が王族でなければどうしたかったと思う?」
「王族でなければ?」
そんなこと考えたこともなかった。
「そもそも、君の師匠に目的がないと言われるまで、そのことを気にしたこともなかっただろう?
それでも君は生きてきた。両親の関心を引きたかっただろうから、自身についてあまり考えてこなかったのかもしれないが、ここで一度考えてみなさい。
自分自身についてよく考え、何がしたいのかを導き出せれば、きっと君がこの先進む道も見えてくるはずだ」
「私の進む道?」
「そうだ。
ここは君の地とディアナの地の境の場所。君が望むなら元いた場所に戻ることも、ディアナの元に行くこともできる。
君自身の答えが見つかったなら、私はそれを応援しよう」
ダギードの青い目は澄んでいて、どこまでも広がる海のようで、しばらくここで過ごすのも悪くないと思えた。
「でも、ダギードはディアナなのにどうして私に時間をくれるの?」
ディアナは私をディアナの暮らす約束の地へと連れて行きたいようだった。
「私はそういう主義だからだ。深く気にするでない。ディアナにも色々おるのでな。
だが、フォムルは信用せぬ方がいい。
奴らは恐ろしいことを企てるからな」
ここに来てしばらく経つが、ダギードの険しい顔を見たのは初めてだった。
*
地下の世界はフォムルが支配している。かつて彼らの治めた地上は今や人間のもので、そこへの道も五年に一度しか開かれない。だが、その地下に、地上の住人である人間が迷い込んできていた。
「俺達を見て恐れもしないとは、お前たちは記憶ある人間だな?」
フォムルの前にいるのは、黒い髪に金の瞳の男二人だった。
エリン・アイルのために探し物をしていたメランとネロだ。
「記憶ある?どういう意味でしょうか」
手足を枷で拘束されているが、口を塞ぐものはない。その言葉の意味をメランはある程度予想できるが、このように身体を拘束される理由がわからず、少しでも情報を聞き出すために質問した。
「そのままの意味だ。遥か昔、俺達がお前たち人間に魔法を授けてやったことを覚えている人間ということだ。
多くの人間は俺達を見て、食べないでくれと懇願する。まるで意思疎通ができない獣のようにな」
フォムルの中には人の形をしたものもいるが、そのほとんどは獣や人から見れば異形と見なされる形をしている。メラン達の前にいるフォムルは二十ほどいたが、そのほとんどが後者だった。
「驚きがない。わかっていたな?」
「いいえ、確信はありませんでしたから。私の想像していた意味でしたが、それでしたらなぜ拘束されるのかわかりません」
「勝手にこちらにやって来ておいてよく言う。
まあいい。お前たちはまだ何も悪さはしていないようだからな。ただ、運が悪かったのさ。時期が悪かったとも言う」
フォムルはにやりと笑う。
「次に道が繋がった時、俺達は地上に向かう。
愚かな人間は俺達が力を与えてやったことも忘れ、使役するためだけに地上に呼び出す。
今一度力を示してやる必要がある。誰のおかげで地上を手にできたのかを。そして、全てを支配するのは力ある者だ」
フォムルの言葉にメランは彼らが何をしようとしているのか理解した。
「まさか、地上に攻め入るつもりですか?!」
フォムルが人間に対して恨みを募らせているというのは聞いたことがあるが、実力行使で地上に攻め入る考えがあるとは思わなかった。地上に入るということは、未だに一部を地上に残しているディアナとも戦うことになるからだ。
「そうだ。人など我らの力で一捻りだ。厄介なディアナはいるが、こちらには奴らを黙らせる手札がある。
お前たちを拘束するのはこのことを人間側に伝えられては困るからだ。違う世界への侵入は道を辿る必要があるが、本来の世界に戻るには魔法が使える。この地下牢なら、魔法を使えんからな。忌々しいディアナの遺物も役に立つものだ」
五年に一度しか開かない道を待つしかないフォムルは、メラン達に魔法で帰られて彼らの計画を漏らされると人間側に準備をされてしまう。そのために拘束するのだという。
「安心しろ。全て終われば出してやる。お前たちほどの者なら、我らが支配する世界でよい下僕となるだろうからな」
フォムルは高笑いを残して去っていった。
「師匠、どうするの?中々まずい状況だと思うけど」
「そうですね。フォムルの侵攻を見過ごせるはずもありませんし、その前にエリンが破滅の道に突き進んでしまいます」
「その割には落ち着いてるね」
「探す手間が省けましたからね。私達が探していたものは、彼らが所有しています」
ディアナを黙らせる手札があるとフォムルは言っていた。その手札は、まさしくメランが求めていたものだ。
「どこにあるかわからない物を探すより、ここから出る手段を考える方がまだ楽でしょう」
「そうとも考えられる、かな?」
さらりという師匠にネロは呆れつつも、尊敬の念を抱く。
(待っててね、エリン)
どちらにせよ、エリンを助けるためにやることは決まっている。ネロは頭を切り替えて、メランと脱出のための作戦を考えた。
続きます。




