それぞれの事情
エリン・アイル。東に位置する三つの王国の内の一つ、アイル王国の王女であり次期王。彼女は中央にある魔法学校の二年生だった。
しかし授業で精霊王を召喚し、いつの間にか人の形をした魔物――フォムルまでを召喚していた。それによりエイオスと同じ存在であることが決定づけられた。
彼女の召喚したフォムルは、記録に残っている中で最も古く強大な力を持つ邪眼のブローラで、その力により同学校の学生が一人負傷している。
ダンとイニアが中央に滞在していた自国の兵を率いて逃亡した彼女を捕らえに向かったが、失敗に終わった。エリン・アイルは滝に飛び込んだ。彼女と共に逃亡していたアルケミラという少女もその後を追った。
「英雄が、そんなに暗い顔をしてどうする」
魔法学校の混乱は長引かず、秋の休暇を挟めば日常に戻っていた。
エイオスと同じ存在が現れたが、イニアの王子ワーシアが打ち倒したという話が広まっていたのも大きい。休暇の間に話は一回りしたらしく、会う人会う人に感謝を述べられてワーシアは疲れていた。
昼の時間だというのに食堂にも行かず、人通りの少ない廊下で一人体を休めていた。そんな彼を捜しにに来たのがディルフだった。
「いつも無表情だからあんまり変わらないけど」
「人の顔色を気にしていられる立場か?」
「僕は人前じゃ出してない」
「俺は人じゃないと?」
「そうじゃない。僕と君は――仲間だろ」
ディルフはワーシアの横に移動し、彼と同じように壁に背を預ける。
「俺は英雄じゃない。剣はどこかの王子の魔法で飛んで行っただけだ。それに、死体も上がらないというじゃないか」
「滝から続く川は流れがはやくて急だった。水面に浮かぶこともなく、探すより先に海に流れていったのかも」
「アイルは海に近くないだろう。あの場所では流れが激しくても、海に出る頃には穏やかになっている」
「だからって、生きていると思う?あんなに深く剣が刺さったのに。抜けることなく滝に落ちたのに。流れが急だからこそ、剣が彼女の体をめちゃくちゃにしたのかも」
「……お前は、何をしに来たんだ」
ワーシアはぎろりとディルフを睨みつけた。
「何って、お互いに傷をなめ合おうと思ってさ。
エリンに剣が刺さったのは僕のせいだ。それがたとえ君の剣でも、君がエリンに剣を向けていたとしても」
「だから何だ?俺はイニア王国の王族として、エイオスと同じ存在を許してはおけない。ダンの管理を拒んだエリンを殺すのが俺の役目だった。
エリンと友だったからこそ、この手で終わらせてやりたいとも思った」
「その割にはエリンの続報がないことに安堵しているように見えるけど」
「お前は随分と目が悪いんだな。
お前こそ落ち込む必要があるのか?利用できるからエリンを生かしたいと取引を持ちかけてきたはずだったが、エリンが拒んだ時は息の根を止めろと言っていただろう?」
ディルフは疲れたように微笑んだ。
「そうだよ。ダンとして彼女を利用しない手はない。けれど扱いに困るようなら処分してしまった方が安全だ。結果的に彼女が死んだってどうもなかったはずだ。
僕は王子だ。国のために力を尽くすべきで、魔法学校で知り合った他所の国の王女なんて気に掛ける必要はない。
だけどさ、エリンが死んだかもしれないってことになって、その一端を担って、初めて自分の気持ちに気がついたんだ」
ディルフはわかるだろう、と言いたげにワーシアを見た。
「僕は、彼女のことを一人の友人として大切に想う気持ちが消えていなかったらしい」
ワーシアは胸の奥がずきりと痛んだ気がした。いや、ずっと感じていた。それでも気のせいだと思い込んできていた。
「エイオスは危険だ。この地に破滅をもたらす」
「そう。だけどエリンは友だった」
「そう、だな……」
「でもだめだよ」
ディルフの声が急に鋭くなる。
「僕は自分の頭で考えて彼女を利用しようとした。君は自身の意志で彼女を殺そうとした。結果、僕たち二人で彼女を殺した。
命だけでも助けたかった?拷問だけでも避けたかった?その気持ちがほんの少しあったって、何の言い訳にもなりはしない。
彼女からすれば、友人だと思っていた人に利用されそうになり、殺された。それだけだ」
それは事実だった。友としてではなく、国の王子として二人は動いた。たとえそれにエリンが理解を示しても、事実は変わらない。
本当に彼女を友と思っていたなら、ハーモルのアリウムのように彼女を助けたはずだ。彼女は一月の停学処分を受け入れ、復学後に責めるような目でみられながらも自身の行動を後悔しているようには見えなかった。
「傷をなめ合いたいんじゃなかったのか?」
「今、なめ合ってたでしょ?
僕たちは何の言い訳もできないね、って認識し合って」
ワーシアは何も言い返すことができなかった。
*
実りの季節でもあり、森には多くの動物たちが姿を現していた。地面に落ちた木の実を忙しなく集めているものも多い。しかし、ある小屋の周りにだけは動物は全く近寄らなかった。
「エリンが死んだなんて、あり得ない」
小屋の中にはディアナと人間のハーフであるブラン、アイルで兵士として働いていたバイス、そして彼の妹がいた。
彼らはエリンとアルケミラと合流するためにこの小屋に集まっていた。しかし数日たっても姿が見えず、ブランは街に出て情報を得ようとした。そこでエリンがワーシアの王子によって殺されたという話を聞いたのだ。
「……すみません、声が大きかったですね」
ブランは小屋に一つだけのベッドに目をやってから息を吐く。
ベッドにはバイスの妹が横たわっていた。月華の万能薬によって回復してきている彼女ではあるが、急に大事に巻き込まれて精神的な負担が大きかったのだろう。ここ数日は体調を崩して寝込んでいた。
「バイスたちは一緒に来なかった方が安全だったかもしれませんね」
「いや、あのままアイルにいたら妹ともども捕らえられていたはずだ。今アイルの城はエリンの従兄が仕切ってるんだろう?エリンに取り立てられた俺を気に入るとは思わない」
「そうですね。窮屈な生活をさせてしまいますが、ここなら安全ですから」
普段のブランがそのことに思い至らないはずがない。バイスはエリンとアルケミラはもちろん、ブランのことも心配だった。
「精霊が戻らないのも不思議です。どちらにせよ、私に連絡くらいはしてくれると思うのですが……」
そもそも精霊の存在を感じないことが不安だった。精霊は見えていないはずだから、イニアの王子に殺されてしまったということはないだろうが、絶対ではない。
エリンを託した精霊達は、かつて彼女をディアナから守っていた者達だから、ディアナの元に連れていくはずはない……と信じたいが、この状況であればあり得なくもない。
「いえ、わからないことを考えても意味はありませんね。
私はエリンを探します。バイスはここで妹さんを見守っていてください」
しばらくぶりの人間の友人だ。エイオスと同じ存在だからといって、勝手に殺されてはたまらない。
(見つけたら、誰にも邪魔されないようにこの小屋に隠してしまわなければ)
ブランは自身の思考に苦笑した。
(これではどこぞの誰かと同じですね)
見つけたら、見つけられたら。その先を考える。
殺されも利用されもしないように、準備をしなければ、と思い直してブランは小屋を出た。
*
かつての師匠に着いてきて一年は経っただろうか。日の光のない場所は閉塞感があり、もっと長い間留まっているようにも感じられた。
「本当に、こんなところにディアナへの対抗手段があるの?」
この地下の世界はディアナに敗れたフォムルが支配している。フォムルは人間に対してそれなりに恨みを募らせているらしく、メランとネロは身を隠しながら進まなければならなかった。
「ええ。
私がエリンの未来を何度占っても悪い未来しか見えませんでした。けれどほんの一度だけ、明るい未来が見えたのです。その鍵となるものはフォムルが所有しています。ここにしかありません。
とはいえ、あなたまで来る必要はなかったんですよ」
メランは憐れむような視線をネロに投げかける。
「私と来たことを後悔しているでしょう?」
ネロは牢にいるメランから、エリンの存在について説明を受けた。
エイオスというかつて暴政を敷いた王と同じ存在で、破滅を招くとされていること。エイオスの二の舞にならぬよう、エリンをディアナの地へと攫ってしまおうと考えるディアナがいること。
もちろん、人間からも利用されるか殺されるだろうということも。
今すぐに行かなければならないというメランを牢から出し、自身も後に続いた。
「別れを告げずに来てしまったのは、申し訳ない気持ちがあるよ。でも時間がなかったんだよね?」
「そうです。フォムルの世界に通じる道ができるのは五年に一度。エリンの悪い未来は、いつも彼女の成人前後。この機を逃せば、彼女を失うことになりかねません」
「それなら後悔することはないね。彼女にはもう仲間がいる。俺がいなくたって、大したことないさ」
メランはネロの言葉が本気なのかわからなかった。だが、彼を置いてアイルに閉じこもることを選んだ自分が、何か言うことはできなかった。
ネロのためにもエリンのためにも、早く戻ってやらねばらない。
(エリン、絶対にあなたを失ったりはしません。すぐに戻ります。
ですから、それまではディアナにも攫われずにいてくださいね)
悪い未来の場面まではまだ時間があるが、それまでに何も起こらないとは限らない。
メランは弟子の無事を祈りながら、足を前へと進めた。
続きます。




