召喚魔法2
精霊を召喚する時、現れる精霊の姿は定まっていない。どの元素の精霊かは髪の色でわかるが、同じ人が召喚したとしても同じ個体が現れるとは限らない。低級でも中級でも上級でも同じ話だ。
しかし上級より更に大きな個体――精霊王は別だ。各元素に一体のみ人の子ほどの大きさの精霊がいる。それが精霊王だ。その姿は絵にも残されてる。
「エリン、愚かで愛しい子」
目の前にいた水の精霊王が私の顔の前まで飛んできて言った。
大きさは子どもくらいだが、成人前の女性のような美しい顔立ちをしていた。
「私たちの霧もなくなったというのに、呼び出してしまうだなんて。これも運命かしら」
困ったように首を傾げて、他の精霊王のいる所まで戻る。
「今日はただの挨拶だものね。会えて嬉しかったわ、エリン。またね」
そう言って精霊王は姿を消した。
それに従うように、教室中に集まっていた精霊達も消えてしまった。
「すごい……」
「精霊王なんて初めて見た」
「絵で見た通りだったわ」
学生たちの驚く声を聞いて私の気持ちも少し昂揚する。
これはきっとディルフも驚いているだろうと視線をやると、彼は青ざめていた。固まった顔は驚愕に見えなくもないが、それよりももっと大きな感情に飲まれているようだった。
ワーシアも表情は硬く、不安に思って周囲を見ると、ディルフとワーシアと同じように何とも言えない表情をしている学生は少なくなかった。
「みなさん、落ち着いて。本日はここまでとしましょう」
極めつけは教師の態度だった。
落ち着いているようには見えるが、声は固く、私を見る目に怯えと疑いのようなものが浮かんでいる。
(私、何かいけないことをしたのかな?)
精霊王を召喚できたことの喜びが一気に不安に塗り替えられていく。
「エリン、大丈夫だよ」
アルケミラが心配そうに私の手を握ってくれた。その手の温もりのおかげで、私はどうにかいつも通りに振る舞うことができたと思う。
*
授業は予定通りに進んでいく。精霊の召喚の翌日、魔物を召喚する授業があった。
昨日の授業以降、ディルフとワーシアとは上手く話せていなかった。
ディルフはどうにかいつも通りに振る舞おうとしていたが、どこか態度がよそよそしい。ワーシアは元々お喋りではないが、明らかに口数が減っていた。
「では本日は魔物の召喚を行います」
魔物の召喚は屋外で実施される。青く晴れた空の下は解放感たっぷりだが、教師の重い声にこの辺りの空気が緊張しているようにも感じられる。
私に向けられる視線も何か試されているかのような鋭いもので、自然と体に力が入る。
「魔物は魔力の高い生物です。姿はそれぞれですが、獣のようなものもいれば、おどろおどろしい見た目のものもいます。契約を結べば魔力の供給を受けたり、魔物特有の魔法を使用できたりします。
その力の強さは精霊のように大きさでは測れません。ただし、人の形をしたものは非常に強い魔力を持っており、契約の条件も厳しく、却って契約者が縛られることもあります。
強者に限らず魔物との契約は慎重に行うことを心掛けてください。本日は召喚のみですから決して契約は行わないように」
精霊召喚と同じように、説明が終わればグループに分かれて実践に移る。
昨日から上手く話せていないが、ディルフとワーシアが何も言わずに一緒に移動してくれたことに安堵した。
「エリン、今日は君からしてみない?」
ディルフはいつものような軽い口調でそう言った。だが彼の金の瞳はやけに力強い。
「うん、そうしようか」
いつも通りに、と思っていたのに、私の声もそれに引きずられるように強張ってしまった。
余計なことを考えていてはだめだ。
私は地面に手をつき、呪文を唱える。
「古の約束を頼りに、力を与え給え」
地面を見つめながらも、いくつもの視線が私に向けられていることがわかる。
緊張感が一気に高まり、自然と周囲の声も遠くなる――いや、空気に飲まれた学生が静かにこちらを見守っている。
(上手くいきますように。何も起こりませんように)
どうして今これほど注目されているのかわからない。だからこそ怖い。何か起こって、もうディルフとワーシアと以前のように接することができなかったらどうしよう。
呪文を唱えたことにより私の手から黒い靄のようなものが現れた。それは精霊の召喚と同じように腕を辿って額に届いたが、
「何も起こらないな……」
気の抜けたようなディルフの言葉に顔を上げると、私の前に魔物はいなかった。
「失敗?」
私は全ての魔法を最初から使えたわけではないが、基礎の段階で失敗したことはなかった。混乱と焦りが胸を占める。だがそれとは反対に、周囲の空気は穏やかなものに変わっていた。
「エリン、そんな顔をしなくてもいい。誰だって得意不得意はあるだろう?」
ディルフは心の底から安心したように、優しい笑みで励ましてくれた。
「え、ああ……そうだね」
いつものディルフだ。そう思ったら力が抜けて、地面についていた膝が滑ってしまった。
「危ない」
近くにいたワーシアがすぐに腰を支えてくれて、地面に倒れ込むことはなかった。
「召喚魔法はかなり魔力を消費する」
心配そうにのぞき込んでくれた顔に硬さはなかった。
「ありがとう」
そのままワーシアの助けを借りて立ち上がると、教師を含め、私を見ている学生はいなかった。皆が思い思いに魔法に挑戦している。
魔法に失敗した、なのに逆に私に向けられる鋭い視線がなくなった。悲しんだらいいのか喜んだらいいのかわからない。
ただ普段通りに戻ってほっとした心では、昨日の一件がどういう意味を持つのか訊ねることはできなかった。
ほんの少しのもやつきを抑え込めば、また元通りなのだから、それでいいはずだ。
授業を終えて一人で寮に向かう。
アルケミラはおやつを求めに食堂に行ってしまった。いつもなら私もついていくが、今日は少し疲れていた。
「ようやく一人になったな」
もう少しで寮というところで私の前に一人の男が現れた。
背は見上げるほど高く、全身を黒いローブで覆っている。地面に届きそうなほど長い髪は黒く艶やかだ。前髪で右目は見えないが、左目は金の瞳をしていた。
優秀な魔法使いの特徴を持っているならこの学校の教師だろうか。
「あの、何か御用でしたか?」
「用?用があるのはお前のほうだろう、エリン」
男はゆっくりと私に近づき、何の断りもなく私の頬に触れる。服装とは逆に病的なまでに真っ白な手は、氷のように冷たかった。
「ひっ」
「そう怯えるな。お前が呼び出したというのに」
「私が呼び出した?」
男は呆れたように溜息をつき、私の顔から手をどけると自身の胸に手を当てて、少し身を屈める。
「俺はブローラ。フォムルのブローラだ」
それは自己紹介だったのだろう。だが私にはまだ何のことかわからない。
「人間がフォムルを忘れたというのは本当のようだな。こう言えばわかるか?魔物、と呼ばれる存在だ」
魔物、呼び出した、その言葉で思い当たるのは一つしかない。
「授業の召喚魔法?失敗したと思ったのに……」
「失敗?とんでもない。この俺を呼び出せる人間はそういない」
目の前の男が本当に魔物だとしたら、失敗どころではない。人の形をしている魔物は強い魔力を持っているからだ。
「お前に呼ばれた所に現れなかったことが不思議か?」
「はい」
「それはお前のためだ」
「私のため?」
ブローラは面白がるように目を細めた。
「エイオスと同じ存在であることを隠しているのだろう?」
「エイオス?」
「はは、知らぬのか。
お前は昨日精霊王を呼び出したのだろう?それで今日俺を呼び出したとなれば、皆の疑念も確信に変わる。順序が逆であれば、人間の恐れおののく顔を見るのも一興だったが、俺を呼び出したお前の方に興味がある。お前のために隠してやったのさ」
私がわからないことを知っても、ブローラは一人楽しそうにしゃべり続ける。
やっぱり、昨日の精霊王を召喚したことが、何か意味を持つんだ。それがエイオスとどう関係があるのかはわからないけど。
「知りたいか?」
異様に輝く金の片眼が私を映す。
知りたいかと言われれば知りたい。それに何か意味があるのなら。だが同時に怖い。知ってしまえばもう戻れないという不安がある。
「迷うなら俺が言うべきではないな。
心配するな、お前には破滅の運命が刻まれている。いずれわかるさ」
「破滅の運命?」
どういうことか、と聞こうとした時にはブローラの姿は消えていた。
――お前がアイルに破滅をもたらす!
――お前は、呪われた子だ。王になるべきではない。
いつしかのシラードの言葉を思い出す。
(いや、あれはただの妄言だ)
そう言い聞かせてシラードの声を無理やり追い出したものの、突如現れたブローラという魔物の言葉は深く私の奥に突き刺さって抜けなかった。
続きます。




