アイル王国5
アイル王国の王城の中で二人の男が対峙していた。
「なぜだ、メラン」
怯えたように身を引いているのは、アイル国王だった。その後ろには震える王妃がいる。
「何故と問いたいのは私の方ですよ、陛下。何故、エリンを王にしないのです。それどころかお披露目さえ行わないだなんて」
国王に迫っているのは姫の教育係でもあるメランだ。
「知っているだろう。あの子はいずれ他の国に嫁ぐ」
「それはあなたの意向次第でどうとでもなりますよね」
「いや、それは変えられない」
怯えながらも固い意志が見える瞳に、メランは眉をつり上げる。
「何をそう頑なになっていらっしゃるのかわかりませんが、陛下がそう仰るならそうなのでしょう。
ですから、代わりに、私を王代としていただきたいのです。もちろん、エリンの後見人にも。
今まで私がどれだけこの国に尽くしてきたか、陛下はご存じでしょう」
「ああ、お前はよく仕えてくれた。水晶で先を見て、アイルは今までにないほど潤っている。
だがお前も知っているだろう。王代はシラードだ」
「先日、宣言がありましたね。
ああ、私としたことが。陛下の弟君にお頼みするべきでしたね」
「待て!」
背を向けたメランを王は呼び止める。
「弟に何をする気だ」
「頼みごとです。多少手荒い真似をするかも知れませんが……」
「……わかった、メラン。お前を王代としよう。エリンの後見人にも、元からそのような立場でもある」
王はそれほど悩まずに意見を翻した。自身の指についた指輪の一つを外し、メランへと渡す。
それは本来、誕生日にシラードに与えられるはずの指輪だった。
「陛下!」
それまで息をひそめていた王妃が咎めるように声を出した。
「こんなこと、あり得てはなりませんわ。我が国に迎え入れた魔法使いが、こんな形で要望を通すなど」
「だが、弟に何かあったら……私は生きていけない」
王のか細い声に、メランの喉がカッと熱くなる。
「何かあったら?例えば、このような?
――《幻惑の鏡、その姿を映せ》」
熱の塊を吐き出すようにメランが唱えると、王は急に暴れ出した。
「ああ、やめろ!やめてくれ!連れて行かないでくれ!」
王妃を跳ね飛ばし、背後の窓へと走り、そして姿を消した。
「え……?陛下?」
王妃はふらりと立ち上がり、窓の下を覗く。
「ああ、ああ!!!」
高い塔だ。そこから落ちればどうなるのか、確認するまでもない。
「メラン!あなた、よくもこんなことができましたね!!」
「これは想定外です」
徐々に熱が冷めていくが、メランは焦ってもいなかった。言葉に嘘もない。
メランが見せたのは王が恐れる光景。メランに塔から落とされるとでも思っていたのだろうか。それと幻覚が結びついてしまったのだろう。
メランは王を殺すつもりはなかった。ただ、結果そうなっても何の後悔もなかった。
「まさか、弟君を助けるためにその身を捨てるほど愛してらっしゃるとは。
そのほんの少しでもあの子に向けてやればよいものを……」
もしそうだったなら、メランもこのような脅しを持ちかけることすらなかっただろう。
「陛下、ああ、あなた……」
王妃は再び窓に寄りかかり、王の後を追うようにそのまま落ちてしまった。
「こんなつもりではなかったのですが。
残念ですね。あの子が悲しみます」
メランは窓に背を向け、部屋の外へと出た。
図らずして王代の役目を果たすことになったメランは、王と王妃の葬儀を城の者に指示し、自身は王弟の元へと向かった。
「お前が、王代?嘘だろう?」
「この指輪をお疑いですか?」
「いや、それは無理には奪えぬもの……だが……兄上……」
王弟はぼんやりと呟くと、目にもとまらぬ速さでメランの背後にいた兵士から剣を抜き取り、自身の胸を刺した。
「父上?!」
「……本当にあなた方は、何とも素晴らしい兄弟愛ですね」
「父上、どうして……」
自害した父親を信じられないような目で見ているのは、シラードだった。
誕生日を迎えれば正式に王代となるはずだった青年は、突然その立場と父親を失った。
何もできず立ち尽くすシラードの肩に伸ばしたメランの手が、バチリと弾かれる。
「おや、こちらは親子の愛もあったようで、何よりですね。
元よりあなた方に手を出すつもりなどなかったのですが」
「メラン様、どういたしますか?」
「シラード様を保護してください。北の塔は使用されていなかったでしょうから、しばらくはそちらで暮らしてもらいましょう」
「しかし……」
「もちろん、このままここにいていただいてもいいのですが、この後起きることを考えればシラード様のお命を守るためには警備を固めた方がよいかと」
「はっ」
シラードは抵抗する気力もないまま、兵に連れられて北の塔へと幽閉された。
*
水晶が再び透明に戻る。
「私だって、まさかこんな事態になるとは思わなかったのです。
ただ少しの間、あなたをこの国に留めておくために、その地位と権利を得たかったのです。王があなたを諦めたら、どこか違う国にでも行くつもりだったのです。もちろんあなたと共に」
「そんな……」
私はまだ、水晶が見せた過去を飲み込めずにいた。
父上は幻の弟を助けるために身を投げた。母上は、父上を失うことに耐えきれずに後を追った。叔父上は、父上の後を追った。
全部わかっていたことだ。父と叔父はお互いを大事に想っていて、母は父を大事に想っていた。それでも死が絡むような決断をすとは思ってもみなかった。後に残る子どものことなんて考えもせずに。
いや、叔父上はシラード兄様のために加護を……ああ、考えたくない。受け入れられない。
「師匠、私には師匠の言葉が嘘か本当かもわかりません。
それに私が望むのは、アイルの王族としての役目を果たすことです」
必死にもうどうにもならないことを追いやって、何とか師匠に言葉を返す。
「エリン、あなたに王族としての自覚があることは喜ばしいことです。大した教育を受けさせてもらえなかったけれど、あなたは王族に相応しい人間だったのでしょう。
ですが、あなたに何ができるのです?」
ズキン、と胸が痛む。笑みの消した師匠の瞳はいっそう冷たさを増していた。
「よく考えてみてください。それは本当にあなたの望みですか?
あなたは王族としての役目を果たすことなんて、望んではいないでしょう。そうあることで、両親からの愛を得たかった、それだけですよ」
その言葉を否定することはできない。王族としての役目を果たしたいと思ったきっかけは、間違いなく師匠の言う通りだっただろうから。そうすればいつか両親が振り向いてくれると無意識に信じていたのだろう。
だが、次第にそこから少し外れた方向に気持ちは育って行った。だから、目的なんてなくてもいいと思って現実から逃げた後、再び自身に向き合って、その答えを得たのだと思う。
そして今、ここにいる。
「師匠、始まりはそうだったかもしれません。でも、私は今、確かにそう思っているんです」
震えそうになる手を握りしめて、怖いほど鋭い光を放つ金の瞳を見つめ返すと、そっと自分の手を誰かが包んでくれた。
「よく言ったね、エリン」
続きます。




