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剥がれ落ちる時3

 あの部屋を出た後の記憶はあまりない。気づいたら知らない森にいた。


「姫様、しばらくここに隠れていてください。朝になったら、迎えが来ますから」

「ここはどこなの?何が起きたの?」

「今は何も考えないでください。時が来れば、お話ししますから」


 私を連れ出してくれた衛兵は気遣うようにそっとここまで引いてきてくれた手を離した。


「大丈夫ですよ、姫様。行く先は安全な場所ですから」


 そう言って、衛兵は去っていった。

 一人残された森で、私はしばらく立ち尽くしていた。

 これからどうすればいいんだろう。私を逃がしてくれた人はどうするんだろう。何が起こったんだろう。明日になれば全てわかるのか。

 何も考えたくなくて、地面に蹲ると、閉じたまぶたの裏で師匠の金の瞳が迫ってくる。何度振り払っても消えてはくれない。夢に落ちても何度も現れる。


「逃げなきゃ」


 じっとしていられなくて、とにかくあの瞳から逃れたくて、私は森を突き抜けた。

 近くに門があって、ここが国境なのだと知る。

 正式な手続きをすれば師匠に知られてしまう。私は魔法で門をすり抜けて国の外に出た。


 生まれて初めての城の外も、国の外も私の心を動かしはしなかった。ずっと師匠のことで頭がいっぱいだった。


 ――ここから逃げて、どうするのです。あなたに何ができるというのです?

 ――王族としての何の役目も与えられずに、鳥籠の中でただ過ごしてきただけの姫君に、何か目的でもあるのですか?

 ――私がいなければ、あなたは何もできない


 私にできることなんて何もないのかもしれない。

 だけど、それが何だというのか。

 何か目的がなければ、生きていてはいけないのか。今こうやって生きているだけで充分だ。

 バビーとクケットではアイルの噂が流れていた。


「王が変わってアイルは大騒ぎだ。受け入れられない国民は捕らえられてるってよ。

 まあそれはそうだよな、姫君の外部顧問が王と王妃を殺したというし」

「王代になってるんだから、最初からそれが狙いでアイルに行ったのね」

「うちの兵士が姫を探してると聞いたが、なぜだ?」

「さあ?秘宝でも持って逃げたとか?」


 誰も真実は知らないようだった。

 ただ、あの師匠の冷たい瞳は、とても王位簒奪の野望に燃えているようには見えなかった。

 どうしてこんなことに。今から何をすれば。

 考えるのも嫌になった。ただもうあの場所に戻りたくない。生きてさえいれば、それでいいはずだ。

 いくら姿魔法で歳を変えていたとはいえ、()()師匠が私を見つけられないとは思わなかった。怯えながら、半ば諦めながら逃げていた。けれど一月が経っても追手の気配する感じない。そこでどうにか逃げ切れるのではないかと希望を抱いた。

 今や国は師匠のものだ。今更私ができることなんてない。目的も目標もない。それでもいい、どこか遠くへ向かおう。

 そうやって、私は今の国にたどり着いた。



*



 全てを語り終えて、私は視線を落としてしまった。

 王族に生まれながら何もできず、何が起きたか理解しようともせず、逃げ出した。そんな自分がどういう目で見られるのか、わかっていたから。


「エリン」


 だから、ブランの優しい声に思わず顔が上がってしまった。


「今まで大変でしたね。話してくれてありがとうございます」


 青い瞳は細められ、穏やかな声は強張っていた体をとかしてくれる。


「なんで、そんなこと言ってくれるの?」

「何かおかしなことを言いましたか?」

「だって、私はアイルの王族に生まれたのに、国のことなんて何も考えずに見捨てて、逃げたんだよ」


 言葉にすると自分の愚かさに泣けてくる。


「師匠に言われた通りだった。私は何もできない。城から出て一人になって、何をすればいいのかわからない。

 元から私には目的なんて、目標なんてなかった。元からあの国の王族として相応しくもなかった」

「エリン様――ああ、そんな顔しないで、わかったよ」


 ネロはしかたのない子どもを見るように微笑んだ。


「エリン、そんな風に自分のことを言わないでくれ。

 目的なんて、誰しもが持っているわけじゃない。そりゃあれば素敵だけどね。

 当たり前が急に崩れ去って、信じていた人に裏切られて、君は混乱してたんだ。今までも、ずっと追われている恐怖がどこかにあったはずだ。平気なふりをしていても。そんな状態でこれからどうしようなんて考えられないし、それは普通のことだよ」


 慰めるような声にあふれ出した涙が止まらなかった。


「でも、私は王族なのに――」

「王族かどうかなんて関係ない」

「バイス……」

「特別な力があったって、なくたって、王族だろうが、そうじゃなかろうが、俺にとってエリンは大事な人だよ。

 いつか君が言ってくれたように」


 そうだ。私だって、そう言われたかった。

 魔法と精霊術が使えるからじゃなくて、他国への交渉材料じゃなくて、ただの娘として、父と母に愛してほしかった。

 師匠だって同じだ。特異な子どもが生れるからと、アイルにやって来た。攫われないように閉じ込める?師匠の人形になればいい?そんなの道具として見ているのと変わらない。特異な存在じゃなかったら、私も死んでいたの?

 ずっと苦しかった。蓋をしてきた感情が涙となって流れ落ちているような気がした。


「エリン、もういなくなったりしないでくださいね。私は他でもないあなたと、同じ時間を過ごしたいのですから」


 喉が焼けるように痛くて、上手く言葉を話せない。嗚咽だけが漏れて、息が苦しい。


「エリン、わかってるよ、大丈夫」


 ネロが私の隣に立って、背中を撫でてくれた。


「エリン、大丈夫」


 アルケミラはネロの言葉を真似して、ぎゅっと抱きしめてくれた。


「大好きだよ」


 優しい言葉が、胸の内に溶けていく。

 今までだってわかってたはずだ。ここに来て、みんなに会って、私がそうであるように、みんなも私を好きでいてくれているって。

 それでも、隠し事をしている、役目を放棄した自分を自覚していたから、本当の私を知ったら離れていくのだと身勝手に心に壁を作っていた。

 自分の全てをさらけ出して、それでもなおかけられる優しさを上手く受け止めきれなくて、落ち着くのには時間がかかった。


「さ、エリン。今の君の気持を教えて。

 君はこのまま今までのように暮らしていきたい?君の師匠がどれほどの腕かは知らないけど、俺も占術は得意だ。ある程度は危険を避けられると思うよ」


 泣き止んだ私にネロはそう問うた。


「私は……まだ、何をすべきかはわからないけど、アイルの人達を助けたい。

 王として望まれてはなかったけれど、私は王族として育ったから、国民が酷い目に合っているのは嫌だ」


 本当は、そうしたかったのかもしれない。

 師匠は国民にも慕われていたから、王が変わったってアイルの国民の生活は変わらないのだと思っていた。だが、隣国では国民が捕らえられているという噂を何度も聞いた。

 戻ったところで自分には何もできない。目的も目標もないまま国に帰ったって、師匠に閉じ込められて終わるだけだ。それでずっと、考えないようにして来たのかもしれない。


「そっか。それなら俺は協力するよ。

 今まではエリンがずっと俺を手伝ってくれてたからね」

「ネロ……」

「もちろん私も。あなたは私に楽しいということを思い出させてくれた。

 あなたが楽しいと思えるように、お手伝いさせてください」

「俺もだ。荒事なら多少は役に立てるからな」

「ブラン、バイス……」

「私も。エリンは私の契約者だから。私がエリンを守ってあげる」


 アルケミラは青い瞳を真っ直ぐに私に向けて言った。


「アルケミラ、みんな、ありがとう」


 目的とも目標とも言えない、あやふやなただの私の気持ち。ただそれだけを受け止めて、重んじてくれる。そのことが私にとっては何よりも嬉しかった。

続きます。

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