剥がれ落ちる時1
アルケミラが家の中に入れるようになって、毎日ずいぶんと賑やかになった。
「ネロ、ご飯食べたい」
「まだだめだ。胃袋の感覚はドラゴンのままなのか?人の姿で同じ量食べたら胃がもたないよ」
「う~ん、人間って不便だ」
人の体に慣れないのか、しばらくはかなりつらそうにしていたが、今では違和感程度に収まって来ているらしい。
「さ、ミレはそろそろ仕事に行くから、離れてね」
「ミレ、もう行っちゃうの?」
ずっと傍にいたがるのは、ドラゴンの姿の時から変わらない。
「うん、私のお仕事だからね」
「早く帰って来てね」
「もちろんだよ」
寂し気な青い瞳に後ろ髪を引かれつつ、私は外套を羽織って外に出た。
外は寒いわけでもないが、今日は街に向かうのでなるべくフードのついている服を着ていたかった。
一度森に出て、薬草を積んでから街の診療所――ドクトルさんのもとに向かう。
「ねえ、聞いた?最近、バビー王国だけじゃなくてクケット王国の兵士まで入って来てるって」
「聞いた聞いた。よその国に行ってた兵士は引き上げたってのに」
「まさか、この国に探し人がいるのかな?」
街に向かう道では人々の噂が飛び交っている。
まさかそんなはずがないとは思いながら、フードを深く被ってしまう。
ここ数週間の間で、こういった話が多くなっていた。それに兵士と見られる姿の人達も増えている。上手く避けながら歩いているつもりだが、こうも数が多いといつか見つかってしまうんじゃないかと不安になる。
「おい、君」
「は、はい!」
急に肩に手をかけられて、声がひっくり返る。
あと少しでドクトルさんの所に着けるというのに、バビー王国の兵士に捕まってしまった。
「フードを外せ」
心臓がどくどくと脈打っているのが強く感じられる。
大丈夫、大丈夫なはずだと、震える手に力を入れて、何でもないように見えるようにフードを外す。
「ふむ、特徴は一致するが、もう少し幼いはずだ。
君、今この国でそのように顔を隠すのはやめなさい。こうやって引き留められたくなければね」
「はい」
早くこの場を離れたくて足を踏み出したところで再び肩を掴まれる。
「あの?」
「ああ、一応聞いておこうと思ってね。
エリンという名前を聞いたことはあるか?」
「いいえ、ないです」
「そうか。君と同じ、黒の髪に青い瞳の十四歳の少女を探している。心当たりがあれば門兵まで伝えてくれ」
それでは、と別の方向に歩き出した兵士が視界から消えたところで、ぶわりと全身が総毛立つ。
崩れそうになる膝を必死に抑えて、心臓の高鳴りが落ち着くのを待つ。
しばらくすれば徐々に震えも収まって、私はようやく歩き出すことができた。
「ドクトルさん、お約束の薬草です」
薬草を渡す時にはいつも通りに戻れていたと思う。
「おやミレ、ありがとう。お代を用意するから少し待っててね」
「はい」
無事にやり遂げた安心感に浸っていると、戻ってきたドクトルさんがおや、と首を傾げる。
「ミレ、お代だよ」
「ありがとうございます。確かに受け取りました」
「ああ、またよろしくね」
普段通りのやり取りなのに、ドクトルさんはどこか不思議そうに見える。
「あの?」
「ああ、ごめんね、ミレ。今日は何だか君が随分と幼く見えるよ」
その言葉にサーッと血の気が引く。
幼く、見える?さっきは大丈夫だったのに?ドクトルさんは、街の噂を知ってるだろうか?
「気を悪くしたらすまないね」
ドクトルさんは俯いた私を気遣うように言った。
「君を揶揄ってるわけじゃないんだ。いや、今日は患者も多かったし、私も年だからねえ、目が疲れているのかな。
すまないね、ミレ」
「いいえ、大丈夫です。またお願いしますね」
優しいこの人の前にずっと立っているのがつらくて、私は診療所を出た。
出てすぐにフードを被って、兵士を避けながら街を抜ける。
早く、早く家に帰らなきゃ。でも、帰ってどうするの?
足が止まる。
みんなに本当のことを伝えたら、どうなるだろう。東三王国の話なんてこの国には関係ないはず。話せば、私のことを理解してくれるかもしれない。短いけれど、一緒に時間を過ごしてみんな優しい人だと知っている。
――私がいなければ、あなたは何もできない。
けれど、優しい人が、優しいと思っていた人が、本当はそうじゃないことだってある。
あの人とは、ずっと一緒だった。生まれた時から傍にいた人だった。それなのに、結局は――。
ネロとだって出会って半年ちょっとだ。そんな短い時間だけで、人のことなんてわからない。
「さようなら」
戻りたかった家に別れを告げて、私は森へと歩き出した。
*
生まれた時から傍にいた人。それは両親ではなく師匠だった。
「エリン、よくできましたね」
魔法と精霊術の師匠として昔から仕えてくれていたけど、それ以外のことも教えてくれた。
両親は私のことを大切だとは言ってくれていたけれど、公務が忙しくてともに過ごせる時間は短かった。乳母は最低限の礼儀作法を教えてくれたけれど、そこにそれ以上のものはなかった。
師匠からかけられる言葉だけが、私にとって愛情を感じられるものだった。
両親は師匠をとても頼りに思っていて、関係は悪くなかったはずだ。それなのに、あの日、急に師匠の人が変わってしまった。
「エリン、残念なお知らせです。あなたの両親が亡くなりました」
「え?」
「私があなたの後見人および王代となり、この国を支えます」
「師匠?何があったんですか?王代となるならシラード兄様ではないのですか?」
「あんな男を兄様と呼ばなくてよいのですよ。
さあエリン、こちらへ。私があなたを守って差し上げますから」
あの時、師匠の目は変だった。いつもみたいに優しくなくて、金の瞳は身がすくむほど冷たくて。
途中で噂を聞いたけれど、とても王位簒奪の野望に燃えているようにも見えなかった。
その瞳が恐ろしくて、私は――。
*
「ミレ」
目を開けると、既に辺りは暗かった。日が沈むと流石に肌寒くて、外套を握りしめる。
私は、そうだ、森に行って、どうしようか考えている内に眠ってしまったのか。
「ミレ、俺がわかる?」
ぼんやりとした意識の中に、聞きなれた声が聞こえる。
「ネロ?……ネロ?!」
起き上がった先に、私を覗き込んでいる金の瞳が見える。師匠と同じ、金色の瞳。
慌てて立ち上がると、逃げるより先に腕を掴まれた。
「ミレ、どうしてこんなところに?みんな心配してたんだよ」
「離して」
「理由を聞かせて。何か嫌なことでもあった?」
「違うの。離して」
「そうはいかない」
「どうして?」
ネロの未来を占って、私の姿が見えたから?だから私を引き留めるの?
流石にそうは訊けなかった。
「大事な人が急に姿を消したら心配になるだろう?
せめて、話を聞かせてよ」
ネロは私の隠し事に気づいていない。気づいていたらこんな面倒な問答なんてしないで門兵につき出せばいいんだから。
ネロの額には汗が浮かんでいて、私の腕を掴む手は力強く、それでも縋るかのように不安そうだ。
自分の未来に必要だからじゃない、私自身を心配しているんだって、見つめる瞳が言っているから、私は大人しく力を抜いた。
「ミレ、いいんだね?」
「うん、お別れの挨拶もないまま出て行くのはよくなかった」
「……いったん、家に戻ろう」
ネロは私の腕を掴んでいた手を滑らせて、私の手を握った。その手は家に入るまで離されることはなかった。
続きます。




