第九十二話:ギベリン
少年は、結局何を望むのだろうか。否、未だに迷っている等と言う事は、決して無いだろう。
となれば、護国卿は、何を欲するのだろうか。
味方を見捨てまで、向うのである。きっと、相応の物を欲するのだろう。
夏が始まり、秋が終わり、そして冬が過ぎつつある。
時が、過ぎてゆく。
____聖地、ホルセリア。
いつ聖地と定められたのか、そもそも、何の目的で造られたのか、その一切が不明なものの、ただ、聖地…と知られている区域である。
別に、土の王ノームを祀るための場所でもなく……なるほど、初代マラレル王と勇者の生誕地ではあるが、彼らの誕生以前に、その地は明確に『聖地』と呼ばれていたらしい。
そして、巨大な水晶造りの宮殿……の様な見た目である。これは、確実だ。魔力が乏しい一般市民が遠巻きに眺めても、「宮殿」と認識出来ているので、そうなのだろう。
ただ、中へは決して入れぬ。強固な結界が、幾通りも存在する宮殿への入り口、その全てを覆っている為である。
まるで、何かを守るかの様に。
「ギベリン、ここがホルセリアじゃな」
ルナティー・ラドリアをゲルフに任せた後、ホスロはクレアに指揮を預けると、さっさと戦線から離脱した。
聖地までは、ギベリン、ダマ・ユユ、ヴァンダル、ヴァロワ以下の諸隊長、数十のアッディーン騎士団員、そしてセレネを引き連れており……数十キロの道程を、簡易のワープ機構や馬を使い潰しつつ、潰れれば、足に魔力強化を施し、走った。走り、走り、走った。足も潰れ、倒れる者が居れば、捨て置いた。
だが、道中、敵の小部隊の襲撃に遭い、先のヴァロワという隊長の一人と、騎士団員三名を犠牲にしつつも蹴散らしている。
「はっは、若様、アッディーンのお血筋は、便利ですなぁ」
「だなぁ…ホルセリアの結界、本来ならばもっと強固なのだろう」
聖地ホルセリア全域を覆う、『忌避の結界』。結界内の生物の魔力上限(一度に放てる魔力量)を制限する効果がある。
なるほど。魔力の制限、とだけ聞けば大したことが無さげである。が、その実、生命活動に必要な魔力までも抑える事が出来るため、並の魔法使いであれば、足を踏み入れる事すらままならんだろう。
しかし……勇者の一門であれば、良くも悪くも、結界の効果の調整が出来るため、現時点のホルセリアは、殆ど裸の状態に等しい。実際にこの能力を当てにして、旧アッディーン公国は聖地ホルセリアでの会戦を望んだのだ。
すると、公国騎士団兵隊長、セレネが怯えた声音で
「早く目的を済ませましょう、結界の効果を弱めたのですから、何が起こるやら……」
「まぁま、セレネ殿、そう焦るな」
だが、ギベリンはそんな彼女に微笑を向けた。
「セレネの言う通りじゃな……ともかく行くぞ、聖地の……ホルセリアの中にさえ入れれば、我が軍の勝利は確定される」
ギラギラと、ホスロの瞳が、大きくなった。
そして、その瞳を怪しげに見つつ、未だ、焦りつつ、セレネは少年に問うた。拳をギュッ…と握り、多少睨んでいる。
「護国卿、エレノア様から、当作戦の内容は伺っております」
「従属化された状態の『飛龍』の召喚なのですよね?」
飛龍。太古の昔、存在したいたとされる生物である。四大精霊すらもその存在を疎み、畏れ、刺激せぬように供物を捧げ続けたのだと。
姿形は、現代の龍とさほど変わらないらしい。
赤黒い、大きな空飛ぶトカゲ。
「あ……あぁ…そぉ、じゃなぁ……ははっ」
セレネの発言に、(この者共が、素直で助かったわ)と、ホスロは思わざるを得ない。
本当は、ホスロが求めている物は、ひたすらな強さである。誰もが到達し得ないような。法が要らぬ程の力が、欲しいのだ。
(結局は、この男次第………賭けだ、賭けだ)
だが、本当に成功すれば、随分とマラレル攻略は楽になるだろう。その為、馬鹿げた計画である…とも言えぬセレネは、多少の疑念を抱きつつも、ホスロに続き、聖地に足を踏み入れてゆく。
(…特に感動もせんな)
と、彼女は内心思いつつ、うざったい程に冷たい柱に手を当てつつ、階段を登る。
_アヴェルナ教徒である以上に、セレネは根っからの仕事人であったのだろう。
だが、きっと、彼女は、個人的な用事で来ていたならば、ホルセリアの荘厳さに圧倒され、涙まで流していたのかも知れない。
彼女は熱心なアヴェルナ教徒としても、有名であった為である。
不思議な女性だ。任務の中であれば、聖地に至った事さえ、任務の一環…という思考を常に展開出来る、稀有な人間。
だが、同時に、セレネは大きな紫色の瞳に、しっかりとホルセリアの宮殿を焼き付けている。なるほど、昔ながらの寺院…と言った感じ。
(やはり…これは、水晶か)
そして、真っ白で、透明な結晶の数々が目に入る。
だが、殆ど歩かぬ内に、ポタ…ポタポタ……と、赤い物体も目に入ってきた。ソレは、透明な水晶にキラキラと光り、反射し、透けている。
最後に、寒気がした。周囲の魔力が、一気に増したのだ。ゾワリ…と、今までに感じた事の無いような魔力が、セレネの頬をゴソリと撫でた。
(護国卿が弱めたとは言え…結界内なのに…)
恐らく、敵だろう。
(こちらの作戦内容がバレたか…?)
彼女は冷静であった。特に狼狽える事もなく、ロングソードを引き抜く。
そして、待て、とホスロも指示を出す。優雅に手を広げ、余裕のある表情。
「…やれやれ、ニクスキオンの……爺を…屠れたと安堵しておったのにのぅ……」
「じゃが、先回りして…おいて、正解だったわ」
とうとう、巨大な、熊のような背中が、見えた。
「…これは……これは」
流石に、ホスロは、一瞬顔を強張らしたが、すぐに戻しつつ
____「リュクリーク陛下、お久しぶりで御座います」
あの日の、ミノタウロスのような体躯の、銀仮面の老人。
(恐らく…ニクスキオン皇帝、ゴッドフリーを殺した直後かな)
と、ホスロは推測した。理由に、王の巨大な右拳に、黒色の肉塊が付着しており、湯気を上げている。
おまけに、彼の背後を見れば、四、五人程の騎士が佇んでいた。
「しかし…陛下、今夜は陛下でなく、この宮殿に用があって参っております」
「また、後ほど」
その回答に、リュクリークは顎髭を触りつつ、大きく笑い、目を細め、何度も頷いた。
「はっは……ゼノンの爺との約束すら反故にして、参った訳か」
「公国の狸よの、お主は……他人との約束を、何とも思っておらんのか……狸、狸」
そして、まだ笑いつつ、冷徹に、王は号令を下した
「ほれほれ、久々の狩りじゃ……グラディウス、殺れ」
ホスロも
「ダマ・ユユ、ヴァンダル」
麾下の中でも強者である、二人の名を先ず叫んだ。
加えて、残りの五十数名の騎士達も前に張り出し、ホスロの為に、肉と魔法の壁を展開する。
「ギベリン、セレネ、走れ!」
「チッ、追えい!」
だが、ホスロが連れてきた者達は、どれも…最低でも、宮廷魔術師の最上位クラスの実力を有している。更に、彼等は、この作戦をホスロから伝えられた時より「主ら、今まで、有難うな」と、送りの言葉を貰っている。自然、死を恐れない。
中には、リュクリークを目視した瞬間には、(好機じゃ)と、自爆の普遍魔法の詠唱を始めている者さえ居た。
部下達の決死の援護により、ホスロ達はスルスルとリュクリークからの追撃を逃れ、宮殿の奥へ、奥へと進んでゆく。
奥に行くにつれて、一応ホスロの表情は、暗くなってゆく。背後からは火薬の匂いやら、毒魔法特有の腐卵臭やらが爆風により飛ばされ、彼らの鼻を貫いた。
(振り返るな……今更遅いわ)
足に、全力で魔力を入れつつ、三人は駆ける。
咄嗟に名を言われたので、慌ててセレネもホスロに付随したものの、内心彼女は
(この男……部下を、囮に……)
(もしかすると彼らは、長らく苦楽を共にした家臣では無いのか?)
いや、ダマ・ユユ、ヴァンダル等のある程度名が通っている騎士すら囮に使った為、それは無いだろう。
ならばこの男は……成功の為なら、仲間すらも平気で売れる薄情者なのだろうか。
(いや、今は、考えるな)
仕事さえしてくれれば、良いのである。
タッタタタ…と駆ける、駆ける。馬のように、豹のように走る。宮殿は、ひたすら明るい。程よく、心地よい光が四方から入り、水晶に跳ね返され、道を照らしている。
この先、悪路に変わる訳が無いだろう。こんなにも心地よい道が、悲惨な結末に終わるハズが無い。
エレノアは、確かに言ってくれたのだ。
『護国卿は、公国の為に命を賭してくれる……そんなお人ですよ』
エレノアが、嘘を言った事があるだろうか。
(主君を、疑うのか?)
アホらしい。今はただ、この明るい道を走れば良いだけである。
今頃、南方諸国連合は、ライオリックの軍を押しに押しており、もしかしたら、潰走状態にまで追い込んでいるかも知れない。
これは、希望なんかじゃない(エレノア様が、率いられているのだから)当然だろう。
……だが、数分も経てば、そんな、セレネの幻想は、現実の匂いによって霧散した。
匂いが、近付いてきたのだ。長い回廊の…その、背後から、獣の様な臭い血の香りと共に、膨大な魔力源が近付いてくる気配がし始める。
それは、恐ろしい気配であった。
終わりを知らせる、足音だったのだ。
すると…
「若様、お別れで御座います」
とうとう、ギベリンまでも、肌で感じ取ったらしい。否、探知が得意な彼の事である、きっと、最初からこの予定だったのだろう。
ふと……聖地の、鏡の様な水晶造りの床の上、走るのを止めると、老臣はサクッ…と結晶を軽々と割り、剣を地面に突き立て、手を合わせた。
「さぁさ、セレネ殿も、エレノア様の元へと戻りなされ…ほれ、ワープの魔法陣じゃ」
紙に精密に書き込まれた魔法陣、それは王族等が緊急避難用に用いる書物であった。まったく、万事、用意周到な男である。
そして、間髪入れず、ホスロは背後の将軍を見る。
老将の表情は、やけに明るい。
「ギベリンよ、今まで苦労を掛けたな」
だが、ホスロの瞳は、暗い。
頬すら、強張らぬ。
すると、ホスロの、功臣達に対する態度を見て……我慢の限界に達したのか、ついついセレネは怒る、と言うより小言を言ってしまう。
「ホスロ殿……貴方の無茶な計画のせいで、何人の人々が犠牲になったと…現に、なっていると思って……」
だが、これが、余計であった。この言葉が無ければ、きっと、ホスロの本性が垣間見える事は、ついぞ無かったであろう。
「無茶、無茶…まぁエエわ、それより……犠牲?」
そして、ホスロは優しい顔で、ソレを制する。
「セレネ殿、単なる犠牲では無い」
「彼らは皆、英雄となったのだ」
「戦場で斃れ、聖地に肉を散らし、そして今も…私の……勇者の為に、命を捧げている」
セレネはその言葉に、目を丸くする
「……勇…者…?」
誰が、とは言わぬ。言わせぬ。
なぜなら、ホスロが「察せ」と言いたそうな顔をするのだ。
「素晴らしいがな」
「やがて彼らは、本に刻まれ、その生き様が伝えられて行くのだ」
「名誉な事じゃ、これ以上の名誉は無い」
ギベリンは、何も言わぬ。剣を両手で持ち、床に差したまま、口を閉じ、目を閉じ、黙る。
一方の…セレネは、もう、疑いの目を捨て、ロングソードを構えた。
「護国卿…今……貴方は、自分自身を…勇者と仰いましたか?」
「ああ、それが?」
「…ッ、公的に…勇者を名乗って良いのは…直系たる、エレノア様ただ一人と言う事を……知っての上か?」
「当たり前じゃろ、俺以外に、誰が居る」
「何を……いや、それが……貴様の、本音であったか」
「その口ぶりであれば…どうせ、『飛龍』の召喚等も、エレノア様を騙す為の方便なのだろう」
(今更何を言っているのだ、この女は)
そりゃそうに決まって居るだろう。何でも手に入るのに、バカ正直に人の命令を聞く人間など、居るはずが無い。
(考えてみれば、その点ゼノンも、お人好しの馬鹿だったな)
(娘一人で、俺を懐柔出来たとでも思っとったんか?)
と、今頃になって可笑しく思えた。
「はっは、セレネ殿、御名答……だがな、俺は勇者じゃ」
「アヴェルナの血を引いた、由緒正しい勇者様じゃ」
ホスロの目が、だんだんと弛んでゆく。手が、喜びで、小刻みに震え始めた。
「お前達とは違うのだ」
「ははッ」
そして、声を上げ、気が狂ったかの様に口を開き、目を細め、大笑いをする。
「あひ……あひゃはははハハ!」
「何がマラレルの王だ」
「ライオリックも、心力系統を持っているから…何だと言うのだ」
「今、この場に立っている、聖地に至る権利を持つ……俺こそが世界の覇者たる…勇者だ……王だろう」
「……ネロがなんだ、ラヴェンナが…何なん」
「そんな物に囚われて……違う、私は強さを欲している」
セレネは、一人で喋り続けるホスロを睨みつつ、無言で、カチャリ…と剣を向けている。
「いや……ネロ…ラヴェンナ……馬鹿な考えを持たん方がエエ」
「違う、私は道を定めた」
「謝るな、誤るな、私は正しい道を選んでいる」
「セレネ殿、罪悪感など、弱者が持つ感情じゃで?」
「俺はその様な物を、あいにく持っとらんのよ」
そして、少年は、カツカツ…と更に、奥に奥に、祭壇へと歩み始めた。更に、助走を付け、速度を上げてゆく。一歩、二歩、三歩…と。
「待て」
「エレノア様より…貴様が、飛龍の召喚を望まなかった場合……殺しても構わんと命を受けている」
依然、セレネは剣を向け続けている。
「ギベリン」
しかし、ホスロは振り返りもせず、速度も緩めず、部下の名前を呼ぶ。すると…先ほどまで膝を着いていたギベリンが立ち上がり、床から引き抜いた剣を、ズラリ…と構えた。
「ギベリン……殿」
「なんで、なぜ…ですか?」
「だって、あの人は……あの人は…」
上手く、言語化が出来ない。彼の悍ましさを表すには、あまりにも……セレネの頭は混乱していた。
だが、ギベリンもソレは同じらしく、何とも…辛そうな顔をしている。
「セレネ…君を……殺したくは無い」
ホスロは、もう、興味すら無いのだろう。さっさと奥へと入って行ってしまっている。
「大人しく引いてくれれば……俺も剣を納めよう」
「無理です」
しかし、セレネは、多少、涙を垂れつつ
「私はエレノア様の配下」
「奸臣を除くのが、役目で御座います」
ギベリンは、彼女の応えに、一瞬思い切り目を瞑り、口をギュッ…と閉じた。
「そうか…エレノアお嬢様は、良い配下を持って居られるな」
乾いた雲が、聖地の上に漂っている。二人の戦士の体が、濡れて行く。
……彼らはきっと、本に刻まれる事も、伝えられる事も無いのだろう。
聖地の奥地で、ひっそりと…屍となり、肉となり、骨となるのだ。
カツカツ…とホスロが走るたびに、後方で剣同士が撃ち合う音が、遠ざかる。
カーン、カーン。ガキン……ガキィン……と。
(罪悪感など抱く資格は、俺には無いわ)
だが、余程堪えたのか、護国卿は途中から耳を塞ぎつつ、廊下を走り始めた。
バキッ……ザシュ……と、本来なら聞くべき音を逃し、責任から逃れ、少年は道を進んでゆく。
自分で選んだ道を。