第九十三話:聖なる剣
「はぁ…はぁ」
「はっは…はぁ……ぜぇ…」
ホスロの息が、荒い。オマケに、目も充血していた。頭では、分かっている。ずっと、分かり続けている。
始めから、そうだった。自分の性格と、真に向き合えていなかったのだ。
(俺は…まるで)
悪者じゃないか。素直に、そう、思いたかった。
思えるだけの、正義感と人情が、欲しかった。
(あぁ…まるで……勇者だ)
だが、この男は、やはり勇者の血筋なのだろう。
あくまで、自分がしている行為には、絶対の正義が付きまとっているのである。
勇者は、何をしても良いでは無いか。
部下を盾にし、置き去りにし、殺し合わせ……それも、自分が強くなる為の、過程に過ぎない。
(……いや…違うな、勇者なんかじゃ無いさ)
(違う、勇者だ……俺は、勇者じゃ)
そして、顔の半分には引き攣った笑みを浮かべ、もう半分の目からは、涙が零れ落ちている。ポタポタと目から塩辛い水が溢れ、ビチャ…と、水晶の床の上に落ちる。
(ギベリン…セレネ……済まない……)
「あはっ……ごめん…なぁ……」
「もう少し…あと少しで、勇者に…なれる」
「うぅ…じゃけど、ギベリン…お前は良い家臣だったわ…あはっ、ふふふ……げひっ」
走りつつ、泣く、笑う。二つの対極に位置するハズの感情が、現在、ホスロの顔には同時に表れている。
そして面白い事に、その両方の情緒が、均等に発せられている。更に、思考は驚く程クリアであり、冷静であった。
__そう、ネロの時には抑えられていた本性が、今になって…いきなり、現れ始めたのだ。
「『ふむ、ホスロ、お前は確かに、人間だな』」
水晶造りの廊下を走りつつ、脳内のレマロナが、呆れた様な声音で呟く。
「黙れや」
「『罪悪感と、興奮、その両方が綺麗に存在している……こんな人間、私は初めて見た』」
「『うむ……見誤っていた、お前は、根っからの屑だよ、ホスロ・アッディーン』」
なるほど…ギベリンやセレネ、そして数々の臣下を置き殺しにして、心底後悔はしているのだろう。だが、同時に(願いが叶う…勇者に、なれるかも知れん)との興奮も、ホスロを支配している。
泣きつつ、ダダダッ、と走り、走り、宮殿の最奥へと向う。最奥には、祠が有るのだ。
『勇者の祠』エレノアから聞いている。聞いている、その存在だけでは有るが。きっと、そこに目玉を捧げるのだろう、そうに決まっている。
「『…聖地の祠は……耐性のあるもの以外を、拒む』」
同時に、レマロナは、未だに何かを喋り続ける。
「『耐性…それは、勇者の血だ……つまり、お前の体内に居る、私も例外では無い』」
(やはり、祠は確か…か)
レマロナの言葉により、エレノアの発言への確信を、ホスロは深めた。
「そうか」
すると、歩みを止めず、ホスロは、走りながら……ドシャリ……とレマロナを、体外に排出する。それは事務処理のように冷淡で、かつ無機質な所作であった。
当然、投げ出された少女は、多少呆気に取られた様子である。
赤鱗をキラキラとさせ、赤い目は丸くなり、そしてホスロを見つめる。
「なら、今まで有難うな、後は、何処へでも自由に行きんちゃい」
(急がねば…)
もう、どうでも良いのだろう。証拠に、去れ、と言った後、ホスロの眼球は再び聖地の奥地の方へと、ギョロリ…と向く。
「……はっ…変わった男だな、まったく」
そして、レマロナは鼻で笑うと、体に魔力を帯びた。多少発火性を含んだ魔力である。火花が少女の周辺に散りばめられ、そして、パチパチと消えてゆく。
「リュクリーク…ノルマンドが、向かって来ている」
「ホスロよ、アレは私が迎え撃ってやろう」
その言葉に、(おや…?)と、ホスロは不思議そうな顔をする。足を止め、半身で振り返った。目を大きくし、白目の部分は血走っていた。
「何故…」
「暇だからだ」
だが、別れの言葉は短く、「そうか」とだけ言い、ホスロは再び祠へと走る。ギベリンを置いた時と比べると、タッタッタ…と、やけに軽く、楽しげなステップであった。
『サラマンダー…君は、どんな最期を欲するんだい?』
と、虚ろな目で、そんな少年の背を見るレマロナ…否、サラマンダーの脳内に、ふと、旧友、ノームの声が流れた。
「ノーム、私は、強者と戦って死にたい」
(きっと、私は、あの炎樹林で…待っていたのだ……満足出来る、強者を…暇を埋めてくれる、エサを)
勿論、その思いもある。だが、今は
「だが今は、ホスロが……あの小僧が、何になるのか……見たかったなぁ、ははっ」
『強くなりたい』と、アレは心から望んでいた。
それに、不死鳥の目玉はどういう風に応えるのだろう。きっと、炎樹の女王は、サラマンダーは、興味が湧いたのだろう。
強く、黒い光に、憧れたのだろうか。
送り出してあげたい……「どうか、あの子の無限の夢が、叶いますように」
____
「……ほほぅ…これはこれは、炎樹の女王」
そして、寂しい顔のまま、ぼぅ…としていると、いつの間にか、透明な廊下の先に、リュクリークが立っている。血で赤く染まった鎧と銀仮面、拳……髪までもが、真っ赤に染められていた。
多少、腐った臭いがする。内臓まで、頭から被っているのだろう。
その匂いには、女性のモノも混じっていた。気高き匂いである。
「何かを、お探しですかな?」
そして、やけに丁重に、リュクリークは喋る。しわがれつつも、どこか若い、そんな声で。
それに、ただ、(これが…リュクリークか)と、サラマンダーは口角を上げて、応える。
「お前」
と、朱き甲殻で覆われた人差し指を、リュクリークに向けた。
その指からは、また、炎が産まれた。
そもそも、原初の火は、サラマンダーの指から放たれたのである。
魔法の体現者たる少女は、呪文を唱える。
「火よ」と。
_____
少年の背中側から、三度目の音が鳴る。
今度は、肉が燃えるような、バチバチ…とした、熱く、重い火炎の音である。
(そろそろ…か)
それすら気にせず、ひたすらに走る。走る。
段々と薄明るい回廊は狭まり、更に激しい光が、先から漏れている。
その眩い光に向かって、ひたすらホスロは走っている。
(明るい…)
その内、目の前の全てが白色に覆われ………遂に、動く事すら出来なくなった。
温かい。太陽の下よりも、暖かい。
(「良くぞ参られた、勇者の子孫よ」)
(「何が、欲しい?」)
そして、その一面の光は、意思を持ち、更に、ホスロに話しかけて来る。穏やかな声である。安心するような、だが、ホスロにとってはイライラする様な声。
仕方なく一礼し、ホスロは、ふと腰の剣に、ラヴェンナに手を当てた。何度もさすり、撫でる。愛撫するかのように、何度も何度も、「痛くないか、痛くないか?」と言いつつ、優しく撫でた。
また、幼少期、ネロから貰った手拭いにも、ゴソゴソと、強く触れてみた。
「愚問だなぁ」
ホスロは、その光に対し、横柄にもニタニタと目を細めて
「早う、力を、寄越せ」
だが、眼力を強め、胸を張って、伝えた。
すると、いつの間にか………少年の右手には、抉り取ったばかりの…ポタポタと鮮血を垂らす目玉が握られているではないか。赤みがかった、美しい目である。
いつの間に、抉ったのだろうか。
(「変わった小僧だな、お前も…アヴェルナの様に人を望まぬのか?」)
「そうか、アヴェルナは人間を望んだんか」
少年の言動を受けて、白い光は、また、不思議そうに喋る。
(「そうさ、あの子はリュクリークを望んだのさ、だから造ってやった……もう一人…ね」)
(「ちなみに……小僧、君の目玉から溢れ出す血には、現在のマラレル王の血と、同じ成分が含まれているのだよ……ふふ、面白いだろう?」)
聞くと、ベロリ…と、ホスロは、目玉を抉ったせいで、空になった方の穴から溢れる血を、舌で受け止める。受けとめ、受けとめ続ける。舌は血で赤く染まり、受けとめきれぬ血が、光へと垂れた。
「分からんな」
(「…何が」)
「人間共が」
「欲するべきは、力じゃろう」
そして、ホスロは痺れを切らしたのか、抉った右目を光の中へと、強引に押し込む、押し込む。グイグイ、とその光に押し付けた。
「早く、渡せ」
(「いいさ…せっかちな……小僧だねぇ……」)
やれやれ…と言わんばかりに、光は、そして、更に強く発光した。
赤く、白く、透明に……
パキパキ…と、五感が、拡張されて行く。
そして……最後に。
その、光も消え失せ、ホスロの眼前に、古びた祭壇が、ポツン…と置かれてから……少年は、漸く右手を見てみた。
なんと、右手には、剣が握られているでは無いか。
『アヴェルナの聖剣』
今は亡き勇者の愛刀は、周辺の水晶に照らされて、薄く光っている。輝いている。死んだ星のように、美しい。
聖剣に反射し、写るホスロの目からは、血と水が、それぞれ垂れている。抜き取った右眼は、もう戻る事は無いのだろう。
左眼は、いつまでも変わらぬのだろう。
口だけは唯一、閉じている。喜びを噛みしめる様に……何かに、堪えているように。




