第八十一話:着陣
ローデルヴィレイ川は、何百年もの間、マラレル王国と公国との間に、絶対の境界を定めて来た。
幾度となく血が溢れ、そして洗い流された地でもある。
「アステルド、アステルドっ」
「青二才、来おったか」
ドラグーンを出発後、二週間程平坦な道を進みつつ、ホスロは、ローデルヴィレイ川より少し離れた平原に着く。ソコには既に、簡単な陣地が出来ており……三百の兵達が、皆アステルドの指揮の元で、ハキハキと動いている。
_人狐騎士アステルドは野戦築城の名人でもある。
元々は戦闘能力、指揮官としての才よりも、兵糧の運搬や、武器を運ぶ際の経路の確保等……後方支援やら事務の才能を、ホロロセルス王に買われて居たらしい。
その為だろうか。彼に率いさせた三百も、一人の怪我人も出ていない。
「お前の三百と、俺の二百……ここに居るのは、ドラグーンに連れて来とった数だけか……」
すると、アステルドは、牙を覗かせ、微笑みつつ
「いや、ダンテ殿が千五百騎を統率され、明日到着する予定らしい」
「…あいつ…意外といい奴よな」
「ホントにな、気が利く男よ」
他にも、クレアが山賊兵と民兵の混成部隊千騎を率い…同じく翌日の、夕刻ほどに着陣するのだと。
エレノアは遅れて来るのだろう。グリヴェルを頭とした、マドラサ守備隊五百名、公国兵千五百の、計二千名と共に北上するように伝えている。
更に彼女には、レマナと、弟のアーディルが付いている。トラブルが起こる事は、あるまい。
「青二才、何処に布陣する」
ローデルヴィレイ川は、広い。この後続々と到着するであろう同盟諸国の兵全てを収容するには、ピッタリである。
(グリヴェルが言っとった「大軍を広く展開出来る地形」じゃな)
暫くは、この様な見晴らしの良い地帯が続くのだろう。地図には、いかにも山岳地帯の様に描かれていたが……
(やっぱ、自分の目で見るのが一番じゃな)
所で、布陣場所である。
「あれに」
そして、ホスロは小高い丘に手をやった。そこは、ローデルヴィレイ川より南に下った所の、少しマドラサ方面に近い位置。
傾斜はそこそこ、しかし、いざ甲冑を纏い、登ろうっ…となれば疲れそうだ。
名を、ルル丘と言うらしい。
「……なるほどな、良い場所だ」
指揮場所には、良い。
どうせこの後一万と数千に膨れ上がるであろう同盟国側の実質的な権限は、全てホスロが握るのだ。
(黒槍部隊が動いて良かったわ)
と、少年が、内心喜んだ事は、間違いでは無いだろう。おかげで戦の方針を決める際に、ゼノンにアレコレ言われずに済む。
(公国は三千余の戦力じゃ、中々他の君主も、口を出し辛かろう)
_言葉通り、ホスロは部下数名を引き連れ、ルル丘に登った。
兵士には引き続き防御陣地を築かせつつ、それをルル丘の方まで伸ばす様に言いつけ……ひとまず山頂まで辿り着いた。
__確かに、ローデルヴィレイ川の隅々まで見渡せる。だが横幅は、意外と狭い。なにせ、山と森林地帯に囲まれている。代わりに縦に長く……サッカーコートの様である。そして、その真ん中に、河が轟々と流れている。
「若様、これからどう動かれる」
ギベリンが、顎を触りながら尋ねた。
「待つ」
「ひたすら、待つだけじゃ」
「堀を深くし、櫓を造り、いつまでも待とう」
そして、最後に目を煌々とさせながら…遠くを見つつ
「必ず、向こうから攻めてくる」
「何故かな?」
この場合、ギベリンは戦術面での師として、ホスロに問うた。優しい瞳で、しかし、語気は強い。
「ニクスキオン朝に北から攻められ…更には、ゼノン陛下が、東洋の国々にも密書を発し、マラレルを攻めるように促しおった」
「それも、わざとバレる様な密書を…な」
あちこちにばら撒いて居るらしい。密書という形を取り、使者を捕らえさせているのだろうか。
「……」
ギベリンは、黙る。
(なるほど、マラレルとしては、この窮地を脱する為に、南方哨戒部隊の幾らかを引き抜きたいだろう…)
(となれば、早期決着を望むのでは無いか……との御推察かな)
予測としては……悪くは無い。だが、賭けである。
しかし、また、ギベリンは
(いやさ、戦は、常に賭けよ)
と、脳内で納得する。いくら安全策を採り続けたとて、最後は賭けになる。ホスロは、腹を括ったらしい。
「分かりました、若様……アステルド将軍の麾下に加え、我らも、兵達に土を掘らせましょう」
「あぁ」
______
__「等と……ホスロは、考えているのでしょうねぇ……」
陽の光が、僅かに差し込まれた天幕が、ポツン……とある。
ソレはローデルヴィレイ川より北に、三十キロ程の地点に建てられていた。森林の中である。
そこそこ広い。
そして、中には、少女が一人で大机の上に地図を開き、椅子に座り、何やらブツブツと喋っている。側近は居ない。なにせ、全て、己の頭と右手に携える本が、示してくれるからだ。
『ネロよ…分かるな、南方連合の動きが、急に怪しくなりおった』
『朕としては…お主を行かせるのは不安だが……まぁ、イグニスを付けるから問題無いかな』
リュクリーク王の命により、ネロ・ラドリアは、南方哨戒部隊計三千の全権を任された上に、王家の霊剣準筆頭、イグニス・フェニキスと、その麾下一千を与力として付けられ……取り敢えず、ローデルヴィレイ川付近に布陣した。
計四千。されど、マラレルの精鋭中の、精鋭である。
「…お嬢ちゃん、入るよ」
耳に筆を挟みつつ、考え事をしていると、ハラリ……と天幕を開き、赤い瞳と髪の女性が、スッ…と入って来た。
体中から常に、炎を携えた魔力が湧いて出ている。腰から下は、今にも消え入りそうな青火が溢れていた。
「……精霊様、こんな寒い日に出歩いて…御身体に障りますよ」
「老人扱いすんじゃねぇよッ、ぶっ飛ばすよ?」
「それに、"精霊様"は止めてくれ、イグニスで良い」
そして、イグニスは続けて
「おや…へぇ…ローデルヴィレイの地図ねぇ……」
「もう、出るのかい…だけど、今布陣している数百を追い払った所で、意味が無いさ」
そう猛るな、と落ち着かせようとするが
「ローデルヴィレイに居るのは、あのホスロ・アッディーン本人ですよ」
「預言書が、そう仰っています」
ソレを聞き、「なるほど…ね」とイグニスは微笑んだ。
「なら……黒槍達と合わせる?」
大人びた声で、精霊は続けて、思い出す様に
「一週間……ほど、前かなぁ、ドラグーンの領土に侵入したらしい、ヤル気だよ、奴らは」
「……迷っています」
だが、ネロは、神妙な表情を保ち、もう一度、地図を睨む。
(黒槍部隊と合わせるも何も…距離が離れ過ぎている……ゼノン本隊の足止めくらいに思うべきかな)
「まぁ…どちらにせよ、良い事だ、迷いは生物を、とことん成長させる」
そして、自分の体から、パチパチと舞い上がる火の粉に、ふぅ…とイグニスは息を掛けつつ
「…風神精兵」
「今は亡き、名将ジルレド・アキナスの言葉さ」
「兵は神速を以てせよ……との、ね」
そして、また息を吹きかけ
「出るなら今にも動く、待つならば最期まで待つ」
「迷いを乗り越え決め給え、私はソレに従う」
リュクリーク王の名の下に……と、残すと、精霊はフッ……と天幕から姿を消した。パチパチ…と足元に灰を残して。
「……数が増える…前に…潰すべきかな」
当方は、最早優秀な指揮官が皆北部戦線に出払っており、更なる援軍は望めない。
(そうだ…私如きが、総指揮官を任された時点で、陛下がいかに窮して居られるかが分かる)
先のイグニス・フェニキスも含め、この程度の将軍など、本来ならば、マラレルには掃いて捨てる程に居る。
「あのマラレルが……ふふっ、時代は、変わるモノですね……」
また、一人となった天幕の中で、ネロはハッキリとした声音で、そう呟く。




