第七十七話:惜別
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最初は、哀れな小僧だと思った。
大した魔法の才も、魔力も無く、別に剣術も優れている訳では無い。
唯一『アッディーン公爵家の血』を引いているから…という理由で庇ってやっていた。
精霊を渡したのも、ちょくちょく魔法の指導をしてやったのも、全部血のせいである。
全部、血のせいである。
あの、暗く濃い黒髪の、鷹の様な瞳の人。
結界も貼れない、私が軽く魔法を唱えれば、コロリ…と死んでしまうであろう弱者。
少し難しい魔法を披露すれば、大きく口を開けて笑ってくれる。純粋な子。
笑った顔は、どこか幼くて、可愛らしい。
数ヶ月間ではあったが……意外と教え甲斐もある。ホスロは努力家でもあり、私の言うことならば、メモを取りつつ聞いてくれた。
「哀れな小僧」
だが、最近は、目の下に隈を作り、葉巻(魔草を粉末状にした物を、紙に巻いて棒状にした嗜好品)を口に咥えるのを見かけるようになった。
まだ、日に一、二本ではあるが。
葉巻を咥えている時は、ホスロは必ず一点を見つめて、悲しそうな顔をする。たまに、涙も流している。
『「……こんな、俺と年齢が変わらなそうな少女が、公国の研究者だとはなぁ…信じられんわ」』
あの時、初めてヨナタンと共に私の眼前に現れた時、殺してあげれば良かった。
寒い寒いコンスノープルの私の家の中で、ゆっくり、ゆっくりと、彼の首をこの手で絞めて行くのだ。
ギュッ、ギュッ…と。やがて呼吸は止まり、窒息するのだろう。
近頃、ホスロを殺す夢ばかり見てしまう。
だって、死んだ方が……彼にとっては幸せだろう。
もう、悩む事など無い。あのような顔をする事も無い。
悩みがあるから、あのように性格が拗じ曲がったのだ。恐怖が、あの可愛らしい少年を、あのような化け物にしたのだ。きっとそうに違いない。
いや、だが、もう、彼を憐れに思わなくとも良い。
別人なのだから。あの、寒さで顔を赤くするような純粋な子供は居ないのだ。卵は孵ってしまった。
私の役割は、きっと、その孵化する前の魔獣の卵を粉々に砕く事だったのだろう。
(夢を見てはならぬ、情が湧く、止めておこう)
そうだ。たった数ヶ月で、人は変わる。ソレを、嫌と言うほどに見せつけられた。
化物だ、化物だ。触れぬ神に祟り無し。
あのようなモノに構わぬ方が良いだろう。
__ふと耳を済ませば、遠方より、錆びた大鐘が鳴っている。
ゴーン、ゴーン……と。ドラグーンの町々に響き、そして跳ね返る。
加えて、なにやら気持ちの悪い歓声が、私の足元からも響いていた。
私は夢を見ているのだろうか。ならば、悪夢なのだろう。これから暗々と続いてゆく、濃い悪夢なのだ。
そして……魔物が、遠くから歩みを寄せて来ている。逃げなければ。
だが、逃げ場はない。父兄弟が周囲に募っているからである。主君、エレノアの姿も見えた気がする。
皆が、祝福しているでは無いか。
「……なぜ…君が、そのような顔をするんだい?」
「は、ははは……そうかな、そんなに俺の表情は暗いか……占い師さん」
恐ろしい男だ。悪魔の様な人だ。
自分の望みを叶える為に、人を踏み台にする事を躊躇しない。人の魂など、この悪逆非道な男に備わっているハズが無い。
だが、その悪魔と、私は今日、唇を混ぜた。
夜には、肌も、重ねた。無機質で、とことん気味が悪かった。
濡れた布団の冷たい感触は、私の背筋をズルリ…と伝い、少年の大きな体と、私の小さな体が触れ合う度に、ふつふつと鳥肌が湧いて出た。
(この男は、エレノアを裏切るに違いない)
エレノア、もとい、アッディーン公爵家を。
私の……レマナの、全てを肯定してくれた、唯一の人々。大いなる一族。
「不出来な弟子よ、器用貧乏で、コレと言った取り柄もない」
「フォルクスよ……あぁフォルクス、お前はなんと優れた子かな」
忘れたかった…レマナの師の声が、彼女の脳内で解き放たれた。
___寝床の中で、記憶は巡る。
続けて、若き日の……部下と話す父の肉声も、ふと蘇った。
「陛下……レマナお嬢様の事ですが……」
「……儂にはレマナという名の子が複数おる、どれじゃ」
すると部下は、申し訳なさそうに
「レマリエ様の……」
「あぁ、あの側女の産み子の方の」
「あの……そうそう、確か人魚の良い女だったわい」
「それが、どうした?」
ゼノンは木製の古ぼけた椅子に座りつつ、鼻毛を抜きつつ、眠たそうな瞳のままに、尋ねる。
「はっ、見た所、中々に魔術の能力がお有りのようで」
「なんでも、あのゲラマド先生の下で研鑽を積まれたのだとか」
「なるほどな…近頃見かけんと思ったら……旅に出ておったのか」
「ふーむ…にしても、ゲラマド……あの小蝿か、うざったく、だが良い魔法を使う小娘…だった」
どうでも、良さ気である。
「ならば何処かの国に、寄越してやるか」
「更なる修行になるじゃろうて」
その日の夜、先の会話を盗み聞きしていた事を知ってか知らずか、急に部屋にやって来た父が、アッディーン公国への推薦状を手渡してきた事を、未だにありありと覚えている。
(良いのだ)
父は、長男であろうと、末子であろうと、そもそも子供達全員にそこまで興味を持っていない。
対面すれば、優しくしてくれるが、その実、心の奥底ではどうでも良いと思っているのだろう。
気まぐれな人だから。
_レマナは、誰かに愛して欲しかった。
認めて欲しかったのだろう。
何十年と魔術の技を磨き続けても、誰も、何も言ってこない。誰も、レマナを褒めようとしないのだ。
あのゼノン・ロ・タロの娘なのだから。ゲラマドの弟子なのだから、出来て当然。大魔道士など名乗って良いのは、勇者アヴェルナか、その旅に列した者達のみである。
故に許された二つ名が、『牢知のレマナ』なのだ。古い知恵。二番煎じ、紛い物、劣化品。
(覚えている、確かに、覚えている)
だが、そんな自分を、唯一……公国だけは、評価して下さった。
「おぅおぅ、流石じゃ、牢知のレマナよ、天晴天晴」
アッディーン公王、ホロロセルスと、その子達だけは、レマナの魔法に目を輝かせ、尊敬してくれた。
師として、仰いでくれた。
(覚えている…あの、高揚感、感覚を……)その瞬間、保護欲が、湧いたのだ。
何があっても、この血を絶やしてはならぬ。この美しい人々を、守らねば。何があろうと、この命が枯れようとも……
(……化物め)
レマナは、揺れている。激しく、揺れている。
どうするべきか。
(エレノアにさえ、手を出さなければ……)
一応、この男もアッディーンの一門である。無闇に殺すなど、畏れ多くて出来る訳が無い。
だからこそ、殺したい程に憎い。恨めしい。
覚悟の足りない自分が憎くてたまらない。
流されるままに、この様な玉の小さな餓鬼に体を預けてしまっている。
(それにしても……)不器用な子供だ。女慣れをしていないのだろう。
時折、ふと少年の顔を覗けば、まぁなんとも加虐心を煽る表情をしている。
それも、たまらなくレマナを苛つかせる。
この、汚れ切った、真っ黒で、美しい宝石を粉々に砕いてやりたい。
目の前で希望を失わせ、更に色を深めてみたい。
この子が周囲の人々に可愛がられる理由が、何となく分かった気がした。
「ホス君や…君は、人たらしだね」
うなる様な声で、そう、霞んだ視界のままに言ってやる。
「……」
彼には、伝わらなかったらしい。
首を小さく傾げる。
__勇者アヴェルナに魅入られた数々の戦士達のように……私にも、恐ろしい結末が待っているのだろうか。
(あぁ…これだから、人間族は)
良い種族だ。私の心を、散々に満たしてくれる。




