第六十九話:僻地の英雄
南方の雄、ゼノン・ロ・タロは、純血の龍竜人族である。
『あぁ…ゼノン、英雄よ、蛮地の覇者よ、それ、それ、ヤツが空から降ってくるぞ』
そう、敵国の兵士達が歌を作るほど、全盛期の皇帝は恐れられた。
__特等魔道士が五、王家の霊剣が十一、五老杖が二。
コレは全て、彼一人で討ち取ったマラレルの高級軍人の数であり、彼のキャリアの全てを示す数字である。
ゼノンが戦場に現れれば、敵兵はおののき、味方は跳ねる。彼が剣を振れば、地面が裂かれ、空気は四方に爆ぜた。
彼に対抗し得れたのは、唯一…リュード・フォルクスのみであり、恐らく、産まれた場所がこのような炎樹に囲まれた僻地で無ければ、今の地図は皇国の旗一色であったのだろう。
「三人……いや、四人かな、内一人は随分と魔力が多い」
「いやぁ陛下、五人でしょう、衰えられましたな」
「はっはっは、タレスよ、馬鹿め、馬鹿めっ、あの魔力の質はレレの物じゃ」
そんな皇帝も、今ではすっかり丸くなり、軽い雰囲気となり、ホスロ達が近づいて来るのを、子供が悪戯を楽しむかのようにして待っている。
大扉に、部下と一緒に耳を貼り付けて、音を聞きつつ人物判定をしているのだ。
ちなみに、レレとは。例の、アステルドに説教をした女性の騎士である。
「……なるほど、言われて見れば」
「ガッハッハ、ほうれ、ほうれ、何が戦闘卿じゃ、やはり儂の方が鋭いでは無いか」
「陛下、戦いは力で御座います、情報の正確さなどは二の次でしょう」
「ぐっくっく、どうだかのぅ」
コトコト……カタリ…
「おっとっと、不味い、そろそろ来よるわい、さてさて」
すぐさま皇帝は、扉の前から離れ、急いで衣服に付いた塵を払いつつ、「オホン」と咳き込んでから、玉座にドシン…!と座った。
「さて、さて、どの様な用件かのぅ」
一応「連れて参りました!」と大声で女性の騎士が叫んだ後に、バキィ…と、壊れた様な音を立てつつ、扉は開いた。
コトコト、すすッ……
(…小僧が三人に、小娘が……一人…のぅ)
やはり、彼の見立て通り、内一人の少女は、膨大な魔力を有していた。まだ二十も行って居ないのだろうに、立ち姿だけで分かる…強者の風貌である。
(こりゃあ良い戦士になるわ、才能だけならば、タレスと変わらんのぅ)
__皇帝も、ホスロ達も、お互い何も言わず、ただ、目だけを合わせる。
ゼノンの顔は、不思議であった。
(引き込まれる瞳じゃなぁ)
一方の、ホスロは、ゼノンの赤い瞳を見て、吸い込まれる様な何かを感じていた。本能が従ってしまうような、魔性のパワーを。
レマナに魔法を掛けられた時のような、フワフワした感覚にさせる、あの恐ろしい効果を秘めていそうな瞳、瞳。
ソレは龍竜人族の誇りであり、魅せられた者は数知れない。
「さて……」
初めての単語は、勿論ゼノンから繰り出される。
そして、ザザッ、と一同、膝を付く。
「何をしに……遠路はるばる…ドラグーンへとやって来たんじゃ?」
先ほどまでの、粗雑な、それでいて明るい宮殿の雰囲気は消え去り……ゼノンの、皇帝が発した単語、単語により、目に見えぬ透明な岩が、ホスロ達に重くのしかかった。
言葉の厚みが、緊張が、他の凡百の君主とは訳が違う。
きっと、既に全盛期を通り過ぎ、衰えきった体なのだろうが、それでも分かる。
生物としての、格が、次元が、違うのだ。
「こ、皇帝陛下」
一番先頭に座すダンテが真っ先に、震えつつ喋り出す。
すると、ソレを見て
『ホスロとやら、くっくっく、見てみよ、あの長髪のガキの体の震えを、肝が小さいのぅ』
ホスロの視界を通して確認した、レマロナ(サラマンダー)が少年の脳内で、ガーンと響く様な大声で笑った。
どうやら、既に炎の精霊は、完全にホスロの支配下となり、任意での収納が可能になったらしい。
だが、残念な事に、彼女を戦わせれるかどうかまでは、操れぬらしいが(使役者と精霊の力量に大差が無いため)
ホスロは、戦友の名誉の為にも、同じく脳内で弁明した
(「黙っとけや、というかお前も、あんなバケモンを前にしたら固まるじゃろ」)
『いんや、言うても"今の"ゼノン・ロ・タロは、貴様に従属する前の私よりも、ほんの少し強いくらい、そこまで脅威では無いさ』
(「クッソ強いがな…」)
「陛下、その……此度我等が参ったのは、他でも無く…マラレル地方の情勢の急変に依ってで有ります」
一方…ダンテは、そのまま声を頑張って張って、続ける。
「急変、のぅ…」
「……言い難い話か?」
ゼノンは、昔から鋭い。
ダンテが尚も言葉を選びつつ発言しようとしているのを察し、助け舟を出してやった。
「…はっ」
「なるほどな、お前達、下がっておれ」
ダンテは、心臓が潰れる思いであったろう。
分かっている。急にやって来て、何を言い出すかと思えば、なんとまぁ重大そうな案件では無いか。
が、その程度で怒るゼノンでは無い。
「有難う御座います」
そして、ほいほい、とゼノンは付近に居た四、五人程の家臣たちを部屋から追い出し、ダンテもまた、位の低い左衛門尉に戻るように促した。
王の部屋には、ゼノン、タレスの主従二人と、ホスロ達のみ残る。
「なんじゃ、その、話とは」
「ダンテ殿、俺が言おう」
ダンテがそのまま受け答えをしようとするのを、見ていられなくなったのだろう。ホスロが割って入り、また彼も片膝をつきつつ
「お初にお目にかかります…陛下、アッディーン公王エレノアの家臣、ホスロ・サラーフ・アッディーンと申します」
「この度は__「待て、今、なんと?」」
急な横槍に、ビクッ!とホスロは肩を震わせた。
だが、ソレを無視しつつ、傲慢にも皇帝は
「ホスロとやら、今、サラーフと名乗ったな、ソレに…なんだ、公王エレノアだと?」
そして、そのまま皇帝は、深く目を瞑る。
客人が居るのにも関わらず、なんと二分程瞑り続けた。
ソレを見ながら、家臣のタレスは内心
(マイペースなお人じゃわい)
と、同年代ながら、目の覚める思いである。彼には昔の、将軍時代から、こういう所がある。
人の話を最後まで聞きたがらないのだ。
己の頭脳と、己の武のみが神であり、自分こそ、この世の神代わりである。神が、地上に下った姿である、と疑わぬ。
そして後、皇帝はパチリと瞼を開けて
「ふっふっふ……クッククク………アッディーン…サラーフ・アッディーン、それにオアシス村か……分かった、分かった」
「よし、ダンテ将軍と、そこの、ホスロとやら、儂について来よ」
「は……ははっ」
「思ったよりも、大事ではないか、このような場所でする話では無いよ…ソレに、見せたいモノが出来たわ」
言いつつ、玉座からバシュッと、なんと座った状態からジャンプして立ち上がり、トコトコと、皇帝は一人歩いてゆく。
「ささっ、両将軍も、早う行かれよ」
自分の主君の身勝手さに呆れつつも、タレスは客人に催促し、ホスロとダンテも後を追う。
__ドラグーンは、昔から魔木の産地として有名であり、城市内のそこら中に魔木の原木が植えられ、根を張っており、ホスロ達が歩いている宮殿さえも、全て薄赤色と、黄金色の魔木で作られている。
この地は、その制度故に、皇帝信仰も盛んで、家に炎樹木で作った皇帝の像を、守護像として置いている家族も少なくはない。
僻地の英雄、神話の時代の勇者、はたまた魔王……彼はどの異名でも選べたハズである。が、彼は皇帝を選んだ。ドラグーンの守護者たる、何かと制約の多い皇帝の座を。
ソレが、その事実こそが、ゼノンが宗教的人気を得るに至る秘訣なのだろう。
「随分と歩きますな」
「来よ」と言った後、何故か少し微笑んでいるゼノンの背中を見つつ、廊下を早足で歩きつつ、ダンテは言った。
「あぁ、ただの客人ならば、ここまで案内する必要は無いのじゃがのぅ……内容が、な…」
「主らはどうせ、我が国に援助を求めてやって来たのだろう?」
(察しの良い人だ)と、老人の割に頭がキレる皇帝に驚きつつ、まだ、別に自分の腹黒さが露呈した訳でも無いのに、焦り、言い訳をするように、すかさずホスロは返す。
「流石のご慧眼で御座います、しかし、陛下」
「一方的に援助を求める訳では有りません、相互協力を」
「マラレル連合が攻めてきた場合に備えて、今は南方諸国で固まらなければ」
すると、ゼノンは(だろうな)と満足しながら、喉を鳴らして笑いつつ
「同じことさ、ホスロ殿、世間ではソレを援助要請と言うのだよ」
「戦争に敗れ、力を失った公国と、オアシス村だけでは到底、これから南下を始めるであろうマラレルを防ぎ切れぬ、だから我が国を頼るのだ」
ゼノン・ロ・タロは、この戦の名人は、ホスロの発言から全てを理解した。
何故公国の主が変わったのか。何故、ローズバリア・カルテミヌスという、当代きっての猛将に代わり、この様な小便臭い小僧がサラーフの名を継いでいるのか。
「レマナは無事か?」
話の流れをぶった切り、皇帝は、ふと尋ねる
「はっ…」
「レマナ・ロ・タロは無事か、と聞いておる」
「ははっ……?、レマナ殿は、現在公国の__」
「そうか、良かった、生きているならば良い」
この男にしてみれば、娘の活躍や、現在の役職など関係無く、ただ生存が確認出来ただけで十分なのだろう。
ゼノンは全て、自分の頭で解決したがる。ソレは、相手がたとえ客人であったとしても変わらぬらしい。
カツカツ…まだ歩く、長い廊下を。黄金色の漆が塗られ、爆発魔法耐性の鉄枠で縁取られた窓の数々は、まるで牢獄のようであった。
「ホスロ殿、何故公国は負けた」
「何故、あの威容を誇る、公国の王宮騎士団は逃げ散ったのだ?」
またもや、この男はふと聞いてきた。
生まれながらにしての王。戦場育ちの武人は、遠慮を知らない。
「陛下、逃げ散った…とは聞き捨てなりませぬな……陛下はご存じ無いかも知れませんが、王宮騎士団は、先に居た頭鹿族のヨナタン将軍を始め、皆逃げず、恐れず、戦い抜きました」
「ふんっ、戦に負け、ホロロセルス王を死なせ、アッディーン一族を尽く死なせておいて、何が"王宮騎士団"だ、その体たらく、逃げ散ったと変わらぬでは無いか」
「陛下……そのお言葉は、戦士に対する冒涜では有りませんか?」
だが、ゼノンは笑いつつ、尚も首を横に振り
「ホスロ殿、この世界の大半の国には、親衛隊という組織が存在する」
「マラレルならば『王家の霊剣』、当家では『十竜騎士』、ニクスキオンでは『皇帝騎士団』、西方の王国では『黒槍部隊』……」
「そして、アッディーン大公国(公国)では王宮騎士団、もとい五十将だ」
「国家の顔たる彼らは、華麗であり、無敗でなければならぬ」
「「戦っただけでも凄い」などと言うことが、彼らに対する敬意だと思っているならば、君の方が失礼だろうよ」
そして、まだゆったりと歩きつつ、皇帝はもう一度
「さぁ、ホスロ殿、もう一度尋ねよう、何故彼らは負けたのだ、マラレルの戦術が、兵器が、それほど優れていたのか?」
「陛下……彼の国には恐ろしい男がおります」
「ほぅ…」
ゼノンの、その龍の頭が、少し動く。小僧の言葉に、初めてマトモに反応したのは、コレが最初であった。
「名をライオリックと言い、王家の霊剣筆頭、マラレル騎士団の団長を務めております」
「転生者であり、『獅子心』と言う心力系統の魔法を保持している上、『操風』『操鉄』を扱う、勇将です」
「されど、その将が単独で公国を落した訳では有るまい、何か他の要因もあろう」
だが、今度はホスロが、首を横に振りつつ
「いえ、確かに、兵力差等の要因は有りましたが、それでも……」
少し、だが、ツバを飲み込みつつ、間を置き
「ヨナタン将軍曰く、王宮騎士団二百三名の内、確認出来るだけでも、百二十名がライオリックに殺され、内三十名が『五十将』(王宮騎士団の内、上位五十名に与えられる称号)であり……」
「そして、ローズバリア・カルテミヌス大将軍を殺したのも、彼です」
「……一度の戦、でか?」
「はい」
ここだけ、皇帝は瞬きをした。その、レマナに良く似た赤い瞳を、パチパチと。一回、二回、そして三回した後、右手でこめかみを少し抑える。
「……そうか」
「……」
また、ゼノンは、何かを言いかける
「……」
ソレを、ホスロは目ざとく察し、黙った。
「…ホスロ殿」
「はい」
「………」
「…ローズバリア将軍の強さはな、あのサラマンダーを始めとする四大精霊と、そう変わらん」
「……そう、ですか…」
先程から黙々と、空気を察して二人の背を追っていたダンテも、思わず見開き、ハッとした表情となり……
段々、マラレルの恐ろしさに、彼らは気付き始めている。