第六十四話:ヴォルセリア公国議会
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グリヴェル・グライフは、マドラサの裕福な商人の家に生まれた。
といっても、ただの商家ではない。先祖代々マドラサに根を張り、子爵位を家宝のようにして受け継いできた、由緒ある名家である。
(子爵位はマラレル王より授けられた)
グリヴェル。彼は僅か五歳の時に、グライフ家相伝の固有魔法『練剣』を習得し、更に『火』『水』『影』の普遍魔法を使いこなす天才であった。才能だけであれば、ソレこそ五老杖と比肩しうるだろう。
その後も十代にて、マラレルの騎士候補試験を一発で合格し、リュクリーク王直々に「流石は、神獣の家の仔よ」と賛辞を貰った。
しかしコレだけでは一見、ただの武勇のみの男のように思われるが、グリヴェルの本領は、千里眼の如き先を見通す力であった。
なんと、彼は公国とマラレルとの戦争が始まる前から
「近々、マラレル連合とアヴェルナ諸国はやり合うだろう……となれば、マドラサが激戦地となるな」
と早くから家財を屋敷の地下深くに魔法結界と共に封印し、当時の統治者であったジルレド・アキナス将軍に
「近隣の街々から糧秣を買い込んで置いた方が良い」
と進言している。尤も、マドラサが数日で落ちた為、無駄金となってしまったが。
更に彼の恐ろしい所は、その、進言した相手であるジルレド将軍の死さえ見抜いていた所であった。
「マドラサはジルレド一人で担っている、彼が死ねば守備兵は各々王命に従わず、出奔するであろう」
マドラサ守備兵の強靭さと、同時に内面的な脆さを見抜いていたのは、もしかすると故ヴァレンシュタインと、この男だけだったかも知れない。
ジルレドのワンマンチームのため、相手からすれば彼一人を殺せば良いだけである。(勿論、ホスロはそこまで考えてジルレド暗殺を試みてはいない)
世界の流れはその後、天才の読み通り戦争が始まり、公国が滅び、だが、マドラサで再起を果たした。
特にジルレドに対して恩義も無かった為、仇討ち等という発想は一切出ず、グリヴェルは新たな領主であるエレノアを受け入れた。
が、いくら地獄耳のグリヴェルであっても、エレノアの名は知らなかったらしく…
「ふむふむ、エレノアとなぁ、知らぬなぁ……前王ホロロセルスの娘か……姪辺りかな」
にしても、このような動乱の時期にか弱い娘を頭に据えるとは。
「……まぁ大方、軍部が権力を握っているのだろうよ」
だが、決めつけは良くない。一度だけでも見ておこうか。
と、グリヴェルは新しい君主に興味を抱いた。
____グリヴェル・グライフは、薄い金髪の、歳の割に渋い顔の若者である。
齢二十六。
そんな彼が、初めてエレノアを見た時の感想は、とても簡潔であった。
「王だな」
とだけ、思ったらしい。
まだあどけなく、幼さと甘さが残って居るが、ソレでもアレは、王たる器である。
一軍を率いる度量がある。
ちなみに、この出来事はグリヴェルに、マドラサの未来に対して希望を抱かせる内容であり
「ふむ、ヴォルセリア公国議会…まぁ、行こうかな」
数多居る同僚の貴族に呼びかけ、積極的に参加させた影の功労者は、実はこの渋顔の男である。
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「グリヴェル様、ヴォルセリアにはお一人で?」
グライフ屋敷の若当主が、一人の老騎士に声を掛けられている。
老人は顔中に傷が有り、目の周りが青黒く染まり、抉れていた。魔法を受けた後遺症なのだろう。
「そりゃそうさ、爺やよ、俺が"お供"を嫌うのは、お前が一番知っておろう」
当時の貴族階級の者として、グリヴェルは極度の変わり者である。
従者の数が多ければ多いほど、富と権力の象徴と言うのが一般であった為だ。
「お前は俺の心配をするより、妹達の…魔術指導をしてやれ」
グリヴェルは、ボタンをプチプチと止めながら喋っている。
「いやはや……グライフ家のワガママ双子様には、この爺やも手を焼いております」
「だから俺の付き添いで、逃げようと言う訳か」
クックック、と猫のように喉を鳴らして、儚げな黄金色の髪を持つ将軍は嘲笑った。
「頼むよ爺や、俺はあの子たちに嫌われたくない」
「やれやれ…本当に貴方様は、妹君に甘い」
老人が困った様な顔をするので、グリヴェルはムッとして。
「……命令だぞ爺や、試験には通しておかねば」
「ははっ」
本当に……若いくせに、随分とヒゲの多い男。
喋り方も、何処か古臭い。
(…ヴォルセリア、か……厚着をせねばな)
しかし、体は現代っ子らしく、寒い所は苦手のようである。
(北部地域の貴族に配慮するのは良いが、アソコはそもそも人口も一万と居らぬ、辺境では無いか)
(どうせエレノア殿が考えたのでは有るまい、公国の軍部は気が利かぬのぅ)
内心愚痴はボロボロと溢れ出るが、ソレでも招待状を貰い、同僚の殆ど全員に促した上で行かなかったとあらば、グライフの家名に泥を塗る事となる。
若将軍は軽い朝食を済ませると、その場で簡易のポータルを設置し、遥か北方のヴォルセリアまで移動した。
本来ならばこの手間を省く為に数日前から移動しておくのだが、天才は例外らしい。
数十キロ程の距離ならば個人技でどうにかなるのだ。レマナが見れば、嫉妬するだろう。
__グリヴェルには…この時代に愛された寵児には、ホスロの狂劇はどう映るのだろうか。
きっと、グリヴェルは失望するのだろう。
あぁ偉大なるマドラサよ、矮小な公国の小僧に乗っ取られたか!と先祖代々この地から恩恵を授かり、与えてきた身として、もしかすると絶望さえするのだろうか。
実際、当初はそうだった。
「なんだ…この、馬鹿らしい場所は」
彼は会議の当日、その現場を見て呆れ、唖然とする。
それは何故か。
『木』と『石』の普遍魔法で作られた多少大きめの館の様な家の周りを、厳しい騎士達が、皆腰に手を当て狼の様な瞳を以てして、来たる貴族、公国諸将らを威圧していたからである。
「……ほほぅ、貴族衆だけでなく、公国の隊長らをも睨み据えておる…とすると、首謀者は誰かな」
「誰かな」
二度、青く、凍える空を見ながら澄んだ声で言った。
空にはホルスと呼ばれる魔鳥が飛んでいる。
「…ホスロ・アッディーン護国卿かな」
彼は確か、元マラレルのアッディーン家出身であった筈。
「いや、まさか…な、そんな…身内とは言え、新参者が牛耳れる程に公国は脆いのか」
もしそうならば、そうであるならば……自分の、この悲しい予想が当たっているのであれば。
(エレノア殿は、なんとも…運が悪い)
哀れな、哀れな……
「おやグリヴェル卿、随分と遅いご到着で」
思案しながら、エレノアを心中哀れみながら、議場の方へと歩いて行くと、ふと少年に声を掛けられた。
知らぬ男である。このような、鋭い鷹の様な眼を持つ男は見たことが無い。
背は高く、鍛えているのだろう。腕もゴツゴツと角ばっていて太い。
「貴方は…確か」
知らぬが、忘れた風に装う。
「はい、一度マドラサ城でお会いした、ホスロ・アッディーンです」
「……あぁ、あの」
(この小僧…なんのつもりだ)
グリヴェルは、意外と猜疑心が強い。
現公国の最高指揮官に声を掛けられたという事実は、名誉どころか、何か裏の意図が有るのかと必死に推測する。
「八割方、議員の皆様は着席しておいでです」
「ささ、卿も中へ入られよ」
「えぇ…では、そのように」
(ふむ……?ただ催促に来ただけかな)
だが、議場には入りたくなくなってしまった。
グリヴェルは、もう一度、玄関口を固めている騎士達を見つめる。
(この様な…軍事力を誇示した上での会議など、茶番さ)
隣でニコニコと喋りかけてくるこの男に大声で言い聞かせ、大衆の面前で化けの皮を剥がしてやりたいが、渋々グリヴェルは、権力に負けて議場内へと誘われた。
このような会議の場合、大抵国王や皇帝が一段高い場所に陣取り、その下に群臣が居並ぶ物である。
公国議会もその通例に則り、エレノアが一段と高い位置に腰を降ろしていた。
(先に居るのか…貴族達への遠慮かな)
いや、普通にエレノアの性根の良さかな、とグリヴェルは思った。アレは貴重なモノだ。ずっと保っていて欲しい…とさえ考えている。
その後数分程し、議員の全員が居並ぶと、先のホスロ護国卿がカチャリと席を立ち、小さな壇上へと上がった。
木造りの手すりで籠のように囲まれ、エレノアの王座より少し下部に位置するその台は、目立つには絶好の場所である。
「マドラサ商人連合、並びに組合長の皆々様、本日はお集まり頂き__」
(随分と腰が低いじゃないか)
ピエロのようにわざとらしく手を上げ下げする男だなぁ、とグライフ家の異端児は観察している。
かと言って小物では無く、ハキハキと淀み無く喋れる気持ちの良い印象を受けた。
__簡単な挨拶が終わると、目の前の護国卿は、すぐに本題へと入って行った。
この会議を開いた理由でもある。
「皆様もご存知の通り、当会議はエレノア様に賛同する為のモノです」
微笑みを絶やしていない。自身の表れなのだろう。
「…けっ、どうだか」
だが、そんな護国卿の話が終わらぬうちに、誰かが悪態をついた。女の声である。
「……レマナ殿…お静かに」
ホスロは、その笑顔のまま、レマナと言う名の女性を注意する。
「はいはい護国卿、申し訳ございません」
レマナは不満なのだろう。コレから進んでいく話題の気色悪さを知っている為でもある。
「__エレノア様のご希望は、全てこの私が確認しております、よって本日の議会の案に関しましては、まとめて…私の方から説明致しましょう」
「まず、マドラサ商人連合に関してですが、貴族特権(土地税の免除)を廃止し、組合長の皆様にも個人税、土地税の両方を定期的に支払って頂こうかと」
この言葉に、他でもない…まず、エレノアがすぐさま反応した。
王座から少し立ち上がり
「待ちなさい護国卿、私は…そんな話__」
「エレノア様、まぁまぁ、後で話しますから」
「しかし、ホスロ殿…!」
「エレノア様、どうか着席なされよ」
(おや……コレは、やはり…ホスロ護国卿が牛耳っておったか)
グリヴェルは目の前で繰り広げられる口論を見つつ、自分の知恵を誇りたい気分で一杯である。この男には、自慢癖があった。
(公国諸将は……まぁ、そうだろうな、そういう反応が正しかろう)
先程ホスロに悪態を付いていた、レマナという名の魔女は杖を構え、その左右に居並ぶ騎士達も剣の柄付近に手を置いている。
「…ホス君、なんだね…その態度は」
「はぁ…レマナ殿、話が進みません、どうかお静かに」
「この茶番劇が進もうが進ままいが、私にとってはどうでも良いが…エレノア様に…なんだね、「着席しろ」だと、君も偉くなったモンだね」
「口に気をつけろや、レマナ…この屋敷の外の騎士達が見えんかったんか?」
わざと、大きくホスロは言った。
「……」
それもそうか、と流石にレマナは諦め、腰を降ろす。同時に、杖も引っ込めた。
「まぁ、青二才の騎士団が到着した時から、こうなる事は分かっていたさ、今更よレマナ殿」
魔女の左に座るアステルドが軽く慰める。
この黒狐男も、ホスロのやり方は気に入っていないが、ソレでも彼がエレノアを害するとは思っていない為、安心はしている。
「…確かに、先程は失礼しました……ではエレノア様、この議題で構いませんか?」
「その…」
「……はい」
エレノアの横にずっしりと控えるアーディルが、兄であるホスロを睨むが、当の本人は一切気にしていない。
(良い演者だな、わざわざ貴族を呼び寄せたのも、この為か)
自分が、真の公国の長であると知らしめる為なのだろう。グリヴェルはホスロ・アッディーンを見つつ、評価をし始めている。
ソレはそれとして、先に言った、ホスロの貴族への課税案は、どうも不評らしい。グリヴェルが見たところアチコチの席でブツブツ文句が囁かれており、中には
「しょうもない、こんな一方的な会議など、やってられるか!」
と言いつつ部屋から出ようとする者さえ確認できた。
(馬鹿な奴め、外の騎士達が目に入っておらんのか)
止めて忠告してやろうかと思ったが
(いや、本当に殺るか試すか)
と、無視した。
どうやら、意外と護国卿は冷淡らしい。その数分後に男の叫び声が議場外から聞こえたかと思うと、バサッ!と、すぐに、ホスロの台の目の前の開けた場所に人の形をした何かが投げ込まれた。
誰も叫ばず、ただ、呆然とする。
その正体は、僕死体であった。数秒の間に何発も打撃をくらい、元の形が何だったのか定かでは無い器官が所々で露出している。
「では、次に……公国の皆様についてです」
男の死体を見ながら、ホスロは、護国卿は……思い出しつつ話す。
「旧公国の諸隊長に関しては、それぞれ百名を」
「そして、ヨナタン将軍、アステルド将軍、オルレアン公叔の御三名に関しましては五百の兵……合わせて三千名で編成される公国軍を新設しようかと考えております」
"考えております"。ホスロはとうとう、演技すらも止めたらしい。
「最近山賊が多くてお困りの方も多いかと思います…ソレの駆逐の為にも、どうか賛成して頂きたい」
出来立てほやほやの、血なまぐさい匂いと共に、護国卿は嬉しげに話す。勝ち誇った様な微笑みを浮かべながら。
…ここは、この小僧に、乗るべきかな。
彼の発言を聞き、グリヴェルはふと思いついたらしい。「宜しいでしょうか」と、ハツラツとした声と共にバサリと手を挙げて
「マドラサ貴族の子弟で構成される、マドラサ守備隊が、陥落後も未だ三百名程残っております、どうか、彼等も公国軍の一部として採用して頂けないでしょうか…?」
何を言い出すかと思えば……状況を見て、瞬時に媚を売ったのだ、この狡猾な男は。
この男の、なによりもいやらしい性格は、貴族の権力を手放さない様にわざわざ守備隊としては解散させず公国軍に組み入れるように進言した所で有る。
そんなグリヴェルの裏の意図を全く読めなかったホスロは、(クレアはああ言っとったけど、聞き分けの良い利口な男じゃがな)と快諾してしまった。
ちなみに、この件は、後にホスロが幾度となくグリヴェルを重用する事にも繋がった。
とにかく、ホスロが構想していたマドラサ貴族の権益の削減と、軍団の新設は正式に認められる事となる。
続けて公国諸将への、貴族への徴税権や、住民への新課税(マラレル教徒への課税)もとことん認められ……エレノアはもはや、ホスロの発言に賛同するのみであった。
皆が黙っている。
ヨナタンを始めとする公国の臣下達も、渋々ではあるが同意している。
オルレアンだけは、唯一、悍ましいモノを見るような目で、ホスロを見つめていた。
化物を見るような、虫を忌み嫌うようなその目は、冷えていた。
「オルレアン、大丈夫ですよ」
と、エレノアが優しく微笑みかけるが、それでもオルレアンは見つめていた。彼女の茶髪はパチパチと火の粉を巻き上げ、白い肌が赤みを帯びる。
ヨナタンは俯き、アステルドも諦めた風な顔をしている。
床に転がる僕死体と共に、神聖なる公国議会は呆気なく閉じた。もしかすると、グリヴェルとホスロだけが、新鮮な気持ちでこの会議の空気を吸えたのかも知れない。