第六十三話:決戦前夜
____ぴちゃり、ぴちゃり……と、雫が垂れる。
何故雫が垂れるのか。ソレは凍った外套が、暖かい室内に入った事により、溶け出した為である。
「…クレア、戻ったぞ」
ホスロはそう言いつつ、扉を閉める。
ここはヴォルセリアのある宿泊施設である。
一応ホスロは高官の為、ソレ専用に部屋すら作られた。
ただ、いいとこの坊っちゃん貴族であったホスロにとっては、現場で即席の家を建てて貰える事など当然と思っている節がある。しかし、コレは傲慢では無く、生まれつきの性質なのだろう。
「お帰りなさいませ、無事そうでなにより」
「……クック、思ってないじゃろ」
顔を見れば分かる。
無関心な面をしてやがる。
そう。クレアは暇そうに、両手を暖炉に向けていた。
ホスロの参謀のため、しぶしぶ彼女も同じ宿に泊まらされている。
__アーディルとはぐれ、レマナと別れた後も、ホスロは雪の中、一夜を越え尚も魔獣を狩り続け、吹雪が更に激しくなった後に、終了した。
恐るべき根性と体力である。
着ていた黒外套は返り血で真っ赤に染めあげられ、剥ぎ取った魔獣の心臓や、骨は、数え切れない。
「……我が主よ、ご帰宅早々なのですが…お伝えしたい事が」
「なに?」
ホスロはバサリと下着も脱ぎ、上裸になりつつ聞く。余程血まみれの肌着が気持ち悪かったのだろうか。
もう片手で、普遍魔法『水』を唱え、少し長めの手拭いを湿らせていた。
「マドラサ貴族の中に、どうやら一人、危険な人物が居まして」
「ほほぅ」
びちゃり、とその手拭いで、背中、続いて脇の下をゴシゴシと拭いた。
痛々しい事に…ところどころ軽い傷があり、そこから血が噴き出ているので、瞬く間に手拭いが赤みを帯びてゆく。
ただ面白い事に、ホスロは気にしていない。随分と痛みに鈍いらしい。
「名をグリヴェルと言い、マドラサの下級貴族です」
「グリヴェル、グリヴェル……ふ…むぅ……うん、全く知らん」
「その、下級貴族が、なんじゃ、切れるんか…どうせ頭とかがエエ感じなんじゃろ?」
この女にとっての危険人物とは、きっと知将に違いあるまい。
しかし…(いくら頭脳が良くとも、結局は力よ)との思想を持つホスロにとって、あまり関心が無いのかも知れぬ。半笑いしながら聞いてやっている。
「上下問わず若い貴族衆からの信望が厚く、民衆からの評判も中々良いです」
「加えてマドラサ領内で起きた反乱を収めた実績があり、指揮官としても優秀かと思われます…なにより、恐らく彼は我が主殿の野望を__」
「武力は?」
クレアの丁寧な説明を遮って、ホスロは目を輝かせる。
「…はい?」
「武力は、グリヴェルとやらの個としての強さはどんななん?」
「……はて、分かりません」
だが、まぁ反乱鎮圧の指揮官として選ばれる程なので、中々なのだろう。マラレルでは騎士爵(実際に指揮権を行使出来る最低レベル)を授与される実力が、大抵宮廷魔術師上位か、一等騎士候補以上と決められている。マラレル統治下で反乱鎮圧を任されたとあらば、ソレ以上は確実なのだ。
(まぁアステルドやヨナタンと同格くらいかな)
そうであれば良いなぁ、とこの男は、期待感で一杯となった。
「とにかく、グリヴェルにご注意を」
…おや、ご注意か……この場合のご注意を、とは「当日、殺さぬ方が良い、との意味なのだろうか」
ホスロはクレアの次の言葉でふと迷い、実際に聞く。
「殺せば、民衆から反感を買うな」
「はい…一部の地域では、英雄として慕われてすら居るらしく……殺せば、本来流さなくても良かった血が、流れてしまう恐れも」
「うむぅ、よしよし…なるほどな、頭に入れとくわ」
なるほど、にしても、グリヴェルか。
「クックック」
「どうしたんですか、急に…気色の悪い」
ホスロが、体を赤い手拭いでピシャリと拭きつつ、一人で笑うので、クレアは大袈裟に気味悪がる。
「いや…毎回辛辣じゃなぁお前は」
「気付かんか…グリヴェル、随分と派手な名前じゃがな」
「…?」
クレアは不思議そうである。
この女でも知らん事があるのか、とホスロは何処か誇った気分となり、説明を始める。
「グリヴェルはな、グリフォンのマラレルなまりの呼び名じゃ」
元マラレル王国統治下と言っても、マドラサにはアヴェルナ教徒が多かった為、自然と…マラレルでの魔獣の言い方など知る由もないのだろう。
「きっとグリヴェル殿のご両親は、というか生家は、純粋たるマラレルの出身じゃな」
クレアはソレを聞き終え、意外とホスロが冴えている事に感心しつつ
「なるほど、"グリフォン"ですか……ふふっ、ならば益々殺し辛いですね」
と、続けて
「グリフォンは、アヴェルナ教では神聖な獣として崇められており……傷を付ければ、天罰が下ると教典に記されています」
「ほぅ…そうか、天罰が…なぁ」
天罰…考えてみる。
天罰を受ける基準は何なのだろうか。生き物を殺せば罪が下るのか、望まぬ大望を抱き、周りを巻き込んでもソレを押し通そうとする傲慢さに下るのか。
いずれにせよ…
「俺には遅かれ早かれ、来るモノじゃな」
ホスロは、何とも可笑しそうに笑うクレアを見つつ、皮肉めいた口調で言った。
「クレア、俺は、その天罰が下る前に、成さねばならん事がある」
「一世一代の、大仕事じゃ」
クレアは、雰囲気の変化を察して黙った。その沈黙は、思慮深さ故だろう。
「改めて、俺を輔けよ」
「まぁ…逆らえば家族を殺されますし、そりゃ頑張りますよ」
「……お前にとって…俺の覇業の手助けは、やり甲斐の無い仕事か?」
クレアがあまりにもどうでも良さそうな顔だったので、ホスロはニヤニヤと意地悪気に聞く。
既に体は拭き終わり、新しい布服を纏っていた。
「はい」
「この先、俺の…三千を超える公国兵を従える、護国卿の参謀として……その戦術腕を遺憾なく発揮出来るのにか?」
「……」
「お前に期待しとるのは、そもそも戦術面でのアレコレじゃ」
「もし……マラレルを打ち破ったならば、お前の名前は……クレア・ドールの名は、この先一万年を経ても色褪せる事は無いじゃろうな」
その言葉に、甘美な響きに、クレアの耳がピクリと反応し、頬は緩んだ気がした。
ホスロは心得ているらしい。部下に、どんな言葉を掛ければやる気が出るのかと言うことを。
(やはり…軍人は"こう"なのだな)
アステルドやヨナタン、オルレアンもそうだ。
良き敵と戦い、自分の名を刻むために儚い命を戦場へと運んでいる。
(コイツも…結局は俺と…俺達と同族)
功名心は抑えきれぬ。エルフの耳が長い様に、ドワーフの体が大きい様に、戦士とは、そういう生き物なのだろうか。
「なぁクレア、多少は……やる気でも出たか?」
「はぁ……全く、野蛮な貴方の価値観を押し付けないで下さい、私は別に、そんな事で勇んだりはしませんよ」
「その割には…」
するとホスロはゆったりとクレアの眼から、唇へと視線を移し
「随分と、嬉しそうじゃな」
青髪の少女は微笑んでいた。ソレも、何とも幸せそうに。
「…はっ、貴方のこじつけには呆れますよ、本当に……では、そろそろ失礼しますね、いつまでも貴方と同じ空間に居たくないので」
「あぁ、我が軍師殿、良い一日を」
どこまでも正直に言わない頑固なクレアに苛ついたのか、ホスロはわざと抑揚を効かせつつ、敬うような声で、クレアを行かせた。
きぃぃ…ガチャリ、と、その鉄で四隅を補強された木の扉が、歪な音を立てる。
不愉快な、音である。
「ヴォルセリア公国議会は……もう、明後日か」
ガタガタガタ…と、またもや、その木の扉が震えていた。今度は外の風が強くなったのだろう。
__明後日の議会で、来たる戦場で、全てが決まるのだ。
「『将たる者、迷うなよ』」
いつぞやの言葉が、何度も、何度も、しつこくホスロの脳裏に描かれた。
ドアは揺れている。吹雪は、一段と強まっている。




