第三十一話:継がれる名
あれは…あの会話は、いつの日だったか、忘れてしまった。遠い、遠い。
幼少の時
「ホスロ、ホスロ、なぁ、父さんはどうしてホスロって名前にしたんだと思う」
確か二人して鷹狩にでも行ったのだった、あの日はたまたま父、カイロの仕事が戦争終結により中断されていたから。
久々に父と遠出に出れて楽しかった記憶がある。
そして鷹狩の途中。
バッと私が左手に大鷹を乗せ、獲物に向かって投げる、鷹がソレを拾ってき、父に渡す。そんな永遠とも思える繰り返しの中で、ふと父は私に言った。
「さぁ……まぁ、大方父上の恩人やら憧れの人にあやかって付けられたのでしょう?」
ホイホイ、と空いた右手にミミズと呼ばれる魔虫を乗せて、左手に止まる鷹に遣る。
「……お前なぁ」
ホスロの父、カイロははぁ…と小さくため息を付くと、空を見上げた。
雲一つ無い、快青
「ふっ、まぁ、正解だが」
「俺の祖父の名だよ、勇敢でな、お前の様に天才で、当にアッディーン家の大黒柱に相応しかった」
続けて、カイロは眉を潜めながら
「……俺とは違う、立派な人だった」
「父上だって立派な__」
「いや、いや、違うさ、俺はお前や、お祖父様の様に才能が無かった、何も持って産まれなかった、故に……故に、あんな風に、媚を売ることでしか、地位を保てない」
「愛する息子よ、お前は、俺とは違う道を行きなさい、きっと…きっとお前なら__」
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「申し訳御座いません…父上」
「あらホスロ殿、何か仰りましたか?」
少年は『オアシス村』の中央広場にて、民衆に囲まれながら、襲名式の渦中に居る。
今、当に公女エレノアが少年の肩に自らの杖を置き、名を与えようとしていた。
石床の上に羊毛を敷いただけの、簡素な会場。どうにも貴族の襲名式とも思えぬ風である。
ただ、エレノアは少し細目となり、儚い表情に白髪を影している、それが何とも美しく、まるで天女の様な印象を周囲の人々に与えていた。
「ホスロ・アッディーン、故ホロロセルス・サラーフ・アッディーンに代わってその名を冠する事を誓いますか?」
(家族も守れん男が…な)
そう思い、民衆よりも少し進み出、近くで見守る弟の方を向いた。
彼は素直なモノで、自分の兄が大層な名を貰える事を愚直にも喜んでいるらしい。
(違うんじゃ、アーディル)
そう、否定したかった、が、貰うしか無い。
これは別に故公王への義理ではない、ホスロなりの覚悟である。
もう、決して後に引かず、終生守護者としてマラレル王へ剣を向け続けるとの。
「…誓います」
大歓声と共に、新たな後継者が誕生した。
新たな公国の剣が、マラレルにとっては面倒の種であり、希望の芽が。
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「…はぁ、はぁ、ふっ………」
一方、祝福を受けるホスロとは異なり、かき上げた黒髪に煤をつけ、そのマラレル騎士団の団服を汚し、小柄な男が頑張って巨大な門の前までフラフラと歩いている。
高貴な身分と言うのに供回りすら付けず、歩く。
恐らく余程急いで居たのだろう。
「……ラタリア…帰った…………ぞ」
すると、男がまさかこんな状態で帰って来ると、つゆほども思って居なかった城内は自然と慌ただしくなり、ギギギ…と閉ざされていた門も焦りながら開かれた。
以前、男はハァハァと肩で息をしている。
「ライオリック様のご帰還じゃ、開門、開門」
「ライオリック様ッ!!」
そして、奥に控える門番達を押しのける様にして、中より出てきたのは、赤髪の、気弱そうな女性だ。齢の程は二十前半と言った所だろうか。
背はライオリックよりも数センチ高いが、華奢である。少し目つきは鋭く、それでいて柔らかい。
「ラタリア、ラタリアだな、良かった…」
ライオリックは、あまりの疲労で、前が見えて居ないのかも知れない。赤子のようにアワアワと両手を動かし、女性の名前を呼ぶ。
ラタリアの方はソレが心底嬉しい様で、頬を緩め、優しく抱いた。
「はい…こちらに御座います」
続けて抱いたまま、心得た様に少年の手を握ると、静かに回復魔法を唱える。
「………早く、義父上に報告せねば…いや、それよりも、部下達はどうなった………アッディーン公王を討ち取った後の記憶が曖昧だ………」
「ライオリック様、少し休まれては、父上への報告は私の方でしておきましょう」
「馬鹿を……言うなよ、俺が、自分で、行かなきゃ…」
「電気よ満ちよ、電気よ満ちよ、我の手中に汝の弱雷を」
パリッと女性はライオリックの額に手をやると、小さな電流を流す。
「……何を…」
「今はとにかく、ゆっくりお休み下さい、後は心配なさらず、お任せを」
暫く意地を張り、頑張って起きようとしたが、ラタリアの根気に負けたらしく、安心したように両まぶたを閉じてライオリックは眠った。
そして、ラタリアは軽々と少年を抱き上げると、石段を登り寝室まで運び入れ、城内のポータルに魔力を込めると、バシュッと即座にマラレル本城へと移動する。
それも、他でもない王の間に
短く空間を経て、玉座の間の末席に出ると、左右で彼女に会釈をする群臣達を半ば無視しながら、すぐに階段を上がって行き、父親の眼前まで来た。
「ほぉ、ラタリア、如何した」
あのリュクリークでも、娘の前だと気が緩むのであろう、途端に若やいだ声となる。
同時に安心したのか、更に深く玉座に座った。
「ははっ、我が夫、ライオリックが帰還した事の報告に参りました」
「あぁ、そんな事か、知っておるわ…しかし、良くぞ報告してくれたな、コレで確証が得たという訳だ」
リュクリークにとっては既知の情報で、そこいらの部下に同じことを上奏されていれば不機嫌になったろうが、やはり娘は別らしい。
ただ、当の娘は尚不満らしく、父に言う。
「ならば…父上、もう、将軍は十分我が国に貢献してくれました、なので、元の世界へ………」
「ふむ?…ああ、まぁ、無理であろうな」
「何故ですか、時空を繋ぐポータルを貼れば…」
「お前が彼奴の伴侶じゃからのぅ…」
リュクリークは意地悪そうな笑みや、裏がありそうな表情も無しに、心から信じ切る様にソウ返した。すると、ラタリアは少しさびしそうな顔で
「お戯れを…私などに、あの方はそこまで執着しておられませんよ」
「どうだか」
老人は仮面の上から生えるヒゲを擦りながら話す。
「まぁ、とにかく、まだまだライオリックには働いて貰わねばならん、分かったなら行きなさい」
「しかし、父上__」
「ところで__」
話は打ち切りだ、とでも言いたげに、王はラタリアを無視して別の家臣に問い始めた。
娘と言えども一家臣。下がるより他はあるまい。
長い、長い、城の長廊。
「申し訳御座いません……あなた……」
透き通る赤髪を申し訳無さげにユラユラ揺らしながら、蛮征騎士の妻は、その夫に心中で謝罪した。