第三章 大陸中央からの荷 ― 黒翼の魔女
ガルドの前ではクロエルは占い師でもなければ首都フランヴァルを騒がせる大怪盗でもなかった。
椅子に深く腰掛け、飲み物を片手に足をぶらつかせながら作業台に並べられた魔導部品を眺めている姿は年頃の娘そのものだった。
ガルドも、そんなクロエルを気に留める様子はない。老いた指先は止まることなく小さな金属片を組み合わせ、魔導石の位置を調整していく。工房には工具の触れ合う音と魔導灯のかすかな駆動音だけが響いていた。
しばらくして、ガルドが何気なく口を開いた。
「……そういや、今度、大陸中央からブツが届くな」
クロエルの足が止まった。手にしていた杯も口元まで運ばれることなく静かに下ろされる。先ほどまでの気の抜けた表情が消えていた。青い瞳から柔らかな光が引き、代わりに鋭い色が宿る。
「大陸中央から?」
ガルドはクロエルを見ない。
作業台へ視線を落としたまま細い工具を魔導器の内部へ差し込んだ。
「大陸大戦時代の魔導遺品だそうだ。中央で発掘されたらしい」
「……魔導遺品」
「ああ。首都フランヴァル中央区の美術館で展示する予定らしい」
大陸中央から届く魔導遺品。それも大陸大戦時代の品が首都フランヴァルへ運び込まれ、中央区の美術館に展示される。
その話が意味するものを、クロエルはもう理解していた。
「いつ?」
「来週だ」
「……そう」
昼間の占い師の顔は消えている。青い瞳には、夜の街を駆けるときと同じ光が宿っていた。
「……来週ね」
クロエルの口元がゆっくりと吊り上がる。
ガルドは作業の手を止めないまま、低い声を落とした。
「東区ではやるなよ」
「分かってるわよ、ガル爺」
大陸中央から届く品なら当然その価値も、どこを通って運ばれるのかも知っている。東区を抜け、中央区へ向かう。その道筋に手を出せば東区そのものを巻き込む騒ぎになりかねない。それくらいの分別は、クロエルにもあった。ただ――中央区の美術館に運ばれるという魔導遺品が、どんなものなのか。
それだけは、気になって仕方がなかった。
「……それで?」
クロエルが尋ねる。
「何が届くの?」
ガルドは答えず、作業台に並べた魔導部品を一つずつ確認していた。
「大陸大戦時代の品だ。詳しいことまでは分からん」
「ふうん……」
クロエルの声が、少しだけ低くなる。大陸中央。両親が消えた場所と、同じ名を持つ土地だった。
首都フランヴァルの東側。大陸中央から運び込まれる物資は、東区の中央通りを抜け巨大な石橋《フランヴァル東境大橋グラン・アルヴ》を経由して中央区へ入る。つまり、大陸中央から届いた貴重品を狙うなら東区は絶好の場所に見える。
だが――。
「東区で騒ぎを起こすつもりはないわ」
東区に暮らしていれば、わざわざ誰かに教えられなくても分かる。ここは首都フランヴァルの一部でありながら、中央区の人間からはどこか別の街のように見られている。だから東区で首都フランヴァル全体を騒がす事得.を起こすのは危険だった。普段から東区を疎んじている連中にしてみれば、それは住民を締め出し、街を一掃するための格好の口実になる。治安がどうの、犯罪がどうのと理由を並べれば、後から名目を作ることなど難しくない。
東区の人間はその怖さを知っている。盗みもする。密売もする。喧嘩もすれば、表には出せない取引だってある。それでも街そのものを敵に回すような真似だけは誰もが避けてきた。
東区で生き残るために、いつの間にか共有されるようになった暗黙の了解だった。
「来週、か……」
大陸中央から届く魔導遺品が、首都フランヴァルの美術館に展示される。その情報だけで、昼間の占い師とは別の顔が浮かび上がっていた。
「久しぶりに、面白そうな仕事ね」
ガルドは作業の手を止めなかった。
「面白がるのは勝手だが、無茶はするな」
「誰に言ってるの?」
盗むのはあくまで中央区。東区では何も起さない。
クロエルはそう言って、丸眼鏡を外した。机の上へ置かれた眼鏡が、魔導灯の光を受けて小さく輝く。
「……そうか」
「ええ」
クロエルは笑った。今度の笑みには占い師としての柔らかさはどこにもない。来週、首都フランヴァル中央区に展示される大陸大戦時代の魔導遺品。クロエルが何を考えているのかなど、ガルドにはとうに分かっている。
今さら言葉にする必要もなかった。
◇
ガルドはしばらく作業を続けていたが、やがて作業台の脇に置いてあった小さな箱へ手を伸ばした。
「……出来たぞ」
差し出された箱を見て、クロエルの目が輝く。
「もう?」
「お前が急かすからな」
「急かした覚えはないけど」
「毎回、工房へ来るたびに『まだ?』と言っていただろう」
「それは急かしてるんじゃなくて楽しみにしてるの」
クロエルは箱を受け取り蓋を開いた。
中に収められていたのは、細工の施された小さな装飾品だった。身につけても目立たない大きさでありながら、内部にはいくつもの魔導機構が組み込まれている。魔力を一時的に増幅するもの、身を守る障壁を展開するもの、追跡や索敵を攪乱するもの――夜の怪盗として動くクロエルを支えている道具は、そのほとんどがガルドの手によるものだった。
「ありがと、ガル爺」
クロエルは装飾品を指先で摘まみ上げ、光にかざすように眺める。
「早速、今度試してみるわ」
「壊すなよ」
「壊したら、また作ってくれる?」
「……壊す前提で聞くな」
呆れた声が返ってくる。
◇
クロエルは新しい魔導具を懐へしまうと、工房の窓へ向かった。
「じゃあね、ガル爺」
「帰り道には気をつけろ」
「それ、私に言う?」
振り返ったクロエルが笑う。
ガルドは返事をせず、もう作業へ戻っていた。いつものことだった。クロエルは窓を開け、夜の街へ身を滑らせる。屋根の向こうに広がる首都フランヴァルの夜空には、月が浮かんでいた。まだ満月には届かないものの、白銀の光は日に日に大きくなっている。
満月まで、あと一週間。クロエルは屋根の上から眼下の街を眺めた。
中央区の煌びやかな街並みも、東区の雑然とした屋根も、その向こうに連なる大通りも、すべてが月明かりの下に収まっている。
やがて、その視線が中央区の方角へ向いた。
「……この首都フランヴァルに、最高のショーをお届けしましょう」
昼間の占い師とは思えない、妖しい笑みが浮かぶ。
月が満ちる夜。大陸中央から届いた魔導遺品が、首都の美術館に飾られる。
そして、その夜に現れるのは――。
「Coming soon.」
月明かりを残して、黒い影が屋根の向こうへ消えていった。




