Ⅰ差し出すもの
グランディア支部、捜査室。
クラネスが入ると、すでに何人かの隊員が席についていた。
ネアの席へ目を向ける。
ちょうどリアナがそばに立ち、何か話していた。
ネアが何か言うと、リアナが笑った。
クラネスはそのままレナードの机へ向かった。
「おはようございます、レナードさん。今日もお願いします」
「おはよう、クラネス。朝から元気だな」
クラネスは折り畳んだ紙を差し出した。
レナードは受け取り、周囲に見えないよう開いた。
『昼、いつものところで』
レナードは紙を折り、机へ置いた。
クラネスは自分の席へ戻り、ネグラ教会の捜査資料を開いた。
資料に目を通していると、リアナがやってきた。
リアナは少し身を寄せ、声を落とした。
「お店、決まりましたよ」
「どこにしたんだ?」
「あとで机に、場所と時間を書いた紙を入れておきますね」
リアナは自分の席へ戻っていった。
クラネスは少し笑って、資料へ目を戻した。
昨日見た少年のことが、まだ頭に残っていた。
クラネスは資料を閉じ、ホン襲撃の報告書を確認するため資料室へ向かった。
◇
昼過ぎ。
店の中は、今日も騒がしかった。
料理を運ぶ店員の声。食器のぶつかる音。あちこちから聞こえる客の笑い声。
安くて早い。それなりにうまい。
捜査に行き詰まると、クラネスとレナードがよく使う定食屋だった。
この騒がしさなら、隣の席の会話を気にする者もいない。
「それで、どうしたんだ」
向かいに座ったレナードが聞いた。
「実は昨日、ネアが一人の少年と会っているところを見ました」
レナードの目がクラネスへ向く。
「詳しく聞かせてくれ」
「その少年、赤い粒子の中から突然現れたんです。Codeだと思います。ネアは驚く様子もなく、そのまま話をしていました」
クラネスは少し声を落とした。
「『先日の襲撃』という言葉も聞こえました。それと、少年に書類を渡していたんです。中身までは見えませんでしたが、ネアが情報を流している可能性は、かなり高いと思います」
「昨日が初めてじゃない可能性もあるな」
「はい。俺もそう思います。今朝、ホン襲撃の報告書も確認してきました。襲撃者の中にも、移動系のCode保持者がいたとあります」
「同じ奴だと思うのか?」
「断定はできませんが、昨日の少年も、瞬間移動に近い能力を使っていたように見えました」
「ネアには、このことを話したか?」
「いえ、まだです」
「それでいい」
レナードがテーブルに肘をつく。
「疑う理由は十分ある。拘束するなら、渡した書類だけじゃなく、どんな情報を流していたのかまで押さえてからだ」
「はい」
「直近の閲覧履歴を確認する。ネアが何を調べていたか、そこから渡したものを絞るぞ」
「分かりました」
「俺も動く。何か分かっても、一人で先走るなよ」
「はい」
レナードはメニューを開き、クラネスへ差し出した。
「とりあえず俺の奢りだ。好きなものを食べろ」
「じゃあ、遠慮なくいただきます」
◇
エステリア、ネグラ教会支部。
厨房では、ノアが一人の女性信徒と並んで料理をしていた。
「ノアちゃん、そっちの野菜切っておいてくれる?」
「分かった」
ノアは野菜を手に取り、切っていく。
隣では、女性が鍋をかき混ぜていた。
「ノアちゃん、手慣れてるわねぇ」
「孤児院育ちだからな。ある程度はできる」
「あら……苦労したのねぇ。今いくつだい?」
「今年で十七になる」
「そう。私の息子もね、生きてたらノアちゃんと同い年なのよ」
「……そうだったのか」
「寂しいもんよ。旦那にも先立たれてね」
「それで、ここに来たのか?」
「そうよ。ここならいつも誰かいるでしょ。ご飯だって、こうしてみんなで食べられるしね」
女性は鍋をかき混ぜながら、食堂へ目を向けた。
「いろんな人がいるわよ。私みたいなのもいれば、祝福をもらった人もいるし」
「祝福を?」
「ほら、あそこに座ってる人」
ノアも女性の視線を追った。
食堂の端に、三十代半ばほどの男が座っている。
白い法衣の裾からは、上等そうな革靴が覗いていた。黒髪もきれいに整えられ、周りの信徒より身なりがいい。
「あの人、祝福をもらった人よ」
「ここにいれば、誰でも受けられるのか?」
「まさか。祝福をもらえるのは、ほんの一握りよ」
「そうなのか」
「私なんて、ここに長くいるけど縁がないもの」
女性は出来上がった料理を皿へ盛りつけていく。
「それにしても、お姉さんはほんと気立てがいいわねぇ」
「姉さんは気が利くからな」
「家事もできるし、料理も上手だし。いいお嫁さんになるわよ」
「ここだけの話、お姉さんに好意を持ってる男の人、結構いるらしいわよ」
「……弟としては複雑なんだがな」
「あら、ごめんなさいね」
「おばちゃん、おかわり!」
食堂から声が飛んできた。
「はいはい、今行くわよ~」
女性は皿を手に、食堂へ出ていった。
◇
夜の礼拝を終え、ノアが部屋へ戻ると、ユゼラは机に向かっていた。
これまでに得た情報を、紙へ書き出している。
ノアは向かいの椅子に座り、書類へ目を落とした。
「なかなか情報が集まらないな」
「ああ」
「一般の信徒は、祝福について詳しく知らないみたいだな」
「私の方も同じだ」
ユゼラがペンを走らせる。
「姉さん。今日、こんな話を聞いたんだ」
「なんだ?」
「姉さんは気立てもいいし、男からも好かれてるって」
「ば、馬鹿を言うな」
「祝福をもらった男から直接話を聞けば、何か掴めるんじゃないか?」
ユゼラの手が止まった。
「……私に色気を使えと言っているのか?」
「いや、そのままでいいと思うけど」
ノアは立ち上がり、ベッドへ向かった。
「姉さんなら上手くやれるんじゃないか」
「困った弟だ……」
ユゼラは書類へ目を戻した。
◇
翌朝。
朝の礼拝が終わり、信徒たちが礼拝堂を出ていく。
ノアがユゼラへ声をかけた。
「あいつだ」
視線の先には、昨日食堂で見かけた男がいる。
「……ああ」
ユゼラが嫌そうな顔をした。
「どうした?」
「何度か、部屋に来ないかと誘われたことがある」
「そうか」
「名前は確か、シュロスだ」
「分かってるなら話は早いじゃないか。頼んだぞ、姉さん」
「まったく……」
ユゼラはシュロスのもとへ歩いていった。
近づいてくるユゼラに気づき、シュロスが目を見開く。
「ユ、ユゼラさん。どうしましたか?」
「シュロスさんを見かけたもので、声をかけようかと」
「それは嬉しいですな。こちらの生活には慣れましたか?」
「おかげさまで。今では家のように思えます」
「それはよかった。私は来たばかりの頃、食事の時に酒が出ないことに随分困りましてな」
「部屋で飲む分には、問題ないんですよね?」
「ええ。今では部屋に何本か買い置きしてありましてな」
「ユゼラさんも、お酒は嗜みますか?」
「人並みには」
「でしたら、今夜お付き合いいただけませんか?」
「弟もおりますので……」
「ユゼラさんになら、最高級のワインを用意しておきますよ」
ユゼラは少し考えた。
「……分かりました」
「では、今夜。支度が終わった頃に私の部屋へ来てください。四階の一番左です」
「分かりました」
「楽しみにしていますよ」
シュロスが笑顔で去ると、ノアが近づいてきた。
「さすがだよ、姉さん」
ユゼラは小さくため息をついた。
◇
夜。
ユゼラが部屋をノックすると、シュロスが嬉しそうに扉を開けた。
「お待ちしていました、ユゼラさん」
「お招きいただき、ありがとうございます」
卓には白ワインと二つのグラス、食べやすく切られた何種類ものチーズが並んでいた。
「どうぞ、おかけください」
ユゼラが椅子へ座ると、シュロスも向かいへ腰を下ろした。
「髪をほどいていらっしゃると、また雰囲気が違いますね」
「お風呂上がりだったので。申し訳ありません」
「いえいえ。こちらも素敵ですよ」
シュロスが白ワインを注ぐ。
「繊細な味ですが、ほんのり甘みがあって飲みやすいんです」
ユゼラはグラスを持ち、一口飲んだ。
「お、おいしいですね」
「この味を分かっていただけるのは嬉しいですな」
ユゼラはチーズを一切れ口へ運んだ。
「故郷を思い出します」
「ユゼラさんの故郷は、どちらですか?」
「北部の小さな村です。故郷でもチーズはよく食べていました」
「弟さんも、こういうものはお好きですか?」
「あの子は何でも食べます」
シュロスは二人のグラスへワインを注いだ。
話しているうちに、グラスは何度か空になっていた。ユゼラの顔にも赤みが差している。
「ユゼラさんは、本当に美しい。今日、来ていただけただけで、私は幸せです」
「私は、そんな……私より綺麗な方なら、いくらでもいます。大事なのは内面ではないでしょうか」
「私は、きっかけは外見でも内面でもいいと思っています。ユゼラさんにも、私のことを知っていただきたい」
シュロスが身を乗り出した。
「顔が近いですよ」
「失礼しました」
姿勢を戻すと、グラスのワインを一気に飲んだ。
「そういえば、シュロスさんは祝福を受けているんですよね?」
「ご存じでしたか」
「少し耳にしただけです」
「でしたら、ユゼラさんにもお見せしましょう」
シュロスが卓へ目を向ける。
周囲から煙のようなものが集まり始めた。卓の上で人の形を取り、手のひらほどの小さな人形になる。
シュロスは目を閉じた。
ユゼラは、卓の上に立つ人形を見つめる。
まるでCodeだな。
「これは、どういったことができるんですか?」
「煙を集めて、形を作ったり、動かしたりできるんです」
人形の頭に煙が集まり、帽子をかぶった姿へ変わった。
さらに片手に、小さなワイングラスが形作られる。
人形はそれを持ち上げ、ユゼラのグラスへ乾杯するように差し出した。
ユゼラもグラスを持ち上げる。
人形は煙となって崩れ、消えていった。
「楽しんでいただけましたか?」
「感動しました。目の前で祝福を見られるなんて」
「それはよかったです」
シュロスは薬を取り出し、飲み込んだ。
「どこかお体でも悪いんですか?」
「いえ。祝福を使ったあとの負担を軽くしてくれる薬なんです。ものすごく高いんですがね」
「祝福は、選ばれた方が授かるものだと聞きましたが」
「ええ、その通りです。身も心も教会に捧げてきた、熱心な信徒が選ばれます」
「ですが、私はその方たちとは少し違いましてね」
シュロスが声を落とした。
「お金を出して、祝福をいただいたんです。普通の信徒には教えていない道もあるんですよ」
「それは知りませんでした」
「私たちは教会に、それなりの金を出していますからね。その分、少しくらい融通も利くんですよ。教会だって、綺麗事だけじゃやっていけませんから」
シュロスはグラスを卓へ置き、ユゼラを見た。
「祝福のお話に、興味がおありですか?」
「興味がないと言えば、嘘になります」
「でしたら、一度、詳しい話を聞いてみてはいかがです?」
「私でも、そういったお話を伺えるんですか?」
「もちろんですよ。よければ、私から話を通しておきましょう」
「お願いしてもいいんですか?」
「ユゼラさんの頼みとあれば」
「では、お言葉に甘えて」
シュロスが二人のグラスへワインを注いだ。
「私たちのこれからに、乾杯」
ユゼラもグラスを持ち上げた。
二つのグラスが触れ、澄んだ音がした。
◇
夜更け。
部屋の扉が開き、ノアは寝台から身体を起こした。
「ユ……ゼラ?」
「私の弟ではないか」
ユゼラはノアの寝台へ来ると、両手で頬を引っ張った。
「何してるんだ……酒臭いぞ」
「少し飲みすぎてしまった。水を持ってきてくれ」
ノアは部屋を出て、水を汲んできた。
戻ると、ユゼラはノアの寝台で横になっていた。
ノアはユゼラの上体を支えて起こし、水を飲ませる。
「それで、何か掴めたのか?」
「収穫はあった。ただ、今は頭が回らない……明日話す」
水を飲み終えたユゼラが、ノアの頬へ軽くキスをした。
「おやすみ、弟」
寝台へ横になると、すぐに寝息が聞こえ始めた。
「俺はいつから本当の弟になったんだよ」
ノアは部屋の明かりを消し、ユゼラの寝台へ入った。




