Ⅹ疑いの輪郭
グランディアを出てしばらく進んだところで、馬車は街道を外れた。
細い道の先に、一軒の教会が見えてくる。
黒を基調とした小さな建物だった。外壁にはネグラ教会の紋章が掲げられ、周囲の草木まで綺麗に手入れされている。
馬車が止まり、カイが先に降りた。
入口には、二人の信徒が立っている。
カイは横目で二人を見た。白い法衣の下には、武器らしき膨らみがある。
続いて教祖が馬車を降りると、信徒の一人が扉を開けた。
「どうぞ、お入りください」
二人が中へ入ると、背後で扉が閉まった。
中は広い礼拝堂になっていた。
ほかの教会にあるような長椅子は、一つもない。中央には何も置かれておらず、奥にネグラの紋章を掲げた祭壇だけが設けられている。
カイが左右を見渡した。
「椅子はないんだな」
「ここは礼拝ではなく、祝福の儀式を行うための場所ですから」
カイは今入ってきた扉へ目を向けた。
「出入口はここだけか?」
「はい」
教祖は申し訳なさそうにカイを見た。
「カイさん。祝福の儀式は、教会でも最重要の秘密なんです」
「護衛をお願いしておいて、こんなことを言うのも心苦しいのですが……」
「そちらの決まりなら従う。儀式の間は外に出る」
「ありがとうございます」
「その前に、ここへ入ってくる人間だけ確認させてくれ」
「わかりました」
「ほかに中へ入るのは?」
「祝福を受ける方だけです」
バンッ!
礼拝堂の扉が勢いよく開いた。
色褪せた旅装の袖や裾には、点々と赤い染みがついている。右手には、血のついた刀が握られていた。
「邪魔するぜ」
教祖が息をのみ、祭壇側へ一歩下がった。
「……何者ですか」
ダンは教祖へ顔を向けた。
「あんたが、祝福をくれるって教祖様かい」
血のついた刀を担ぐ。
「ひとつ、俺にも見せちゃくれねぇか」
カイが教祖の前へ出た。
「下がっていろ」
「カイさん……」
「ニム。教祖から離れるな。合図したら動け」
肩に乗っていた金属の蜘蛛が床へ飛び下り、小さな脚を鳴らしながら教祖のそばへ移動した。
ダンの目が、カイの刀へ向く。
「お前さん、面白い刀持ってんな」
鍔のない刀を眺め、笑みを浮かべた。
「ちょいと見せてくれよ」
カイは答えなかった。
「つれねぇな」
カイが床を蹴った。
一息で間合いを詰め、抜き放った刀をダンの首へ走らせる。
ダンの刀が、その軌道へ滑り込んだ。
ギィンッ!
二本の刃が噛み合う。押し込んでも、ダンの刀は動かない。
「悪くねぇ」
ダンが踏み込み、刀を振り下ろした。
カイは上体を反らす。
ブォンッ!
刃が目の前を通り過ぎる。ダンは止まらず、カイが避けた方へ刀を横に薙いだ。
カイは迫る刃へ刀を斜めに当て、頭上へ流す。その勢いのまま床を蹴り、身を捻りながらダンへ斬り込んだ。
ガギィンッ!
振り上げられた刀に弾かれ、カイの刃が大きく跳ね上がる。
着地した瞬間、柄を握る手から腕まで痺れが走った。
「やるじゃねぇか」
カイは刀を構えた。
「お前も面白いな」
ダンが腰を落とした。
「次は俺の番だな」
刀を鞘へ納め、柄へ手をかける。
床を蹴った。
「っ……」
速い。
カイの目の前で、鞘から刃が走る。
《セグレイン》
刀身が鞘からわずかに抜けたところで止まった。
カイは正面へ踏み込み、刀を振り下ろす。
ダンは半歩だけ身体をずらして刃をかわし、カイの腹へ蹴りを叩き込んだ。
ドンッ!
カイの足が床を滑る。強く踏み込み、勢いを殺した。
停止の解けた刀が鞘を離れ、その胴へ迫る。
カイは上体を反らして刃をかわし、そのままダンの足を払う。
ダンは迫る足を跳び越え、空中から刀を振り下ろした。
カイは咄嗟に後ろへ跳ぶ。
ズガンッ!
刀が石床を叩き、足元まで亀裂が走る。
ダンが床から刃を抜いた。
「いいCodeじゃねぇか。こいつぁ驚いた」
「驚いてるようには見えないがな」
カイは深く息を吐いた。
肩の力を抜き、刀を構え直す。
低く踏み込み、下から刀を斬り上げた。
ギィン!
ダンが正面から受けた。
カイは刀を返し、低く走らせる。ダンも刃を下げ、足元への斬撃を受けに回った。
二本の刀が重なる直前。
《セグレイン》
ダンの刀が止まる。
カイはその脇を抜くように、胴へ刀を斬り上げた。
ダンは柄から手を離した。止まった刀を残して懐へ入り、カイの手首を下から押し上げる。
刃がダンの肩口を浅く裂き、頭上へ抜けた。
停止が解け、落ちかけた刀をダンが掴んだ。
「……強いな、お前」
カイは一歩退いて刀を構え直した。
再び間合いを詰める。
ダンが刀を横に薙いだ。
カイは刃の下へ潜り、柄を握る右手へ斬り上げる。
ダンが刀を防御へ回す。
《セグレイン》
受け止める直前で刀が止まった。
ダンは柄を離し、斬撃から身を外す。
カイは振り抜いた勢いで身体を回し、回し蹴りを脇腹へ叩き込んだ。
ドンッ!
ダンの身体が後ろへ押し出され、手放した刀が二人の間に落ちた。
カイが踏み込み、斜めに刀を振り下ろす。
ダンの足元から円形の波紋が広がった。
《イグレイン》
刃が届くより先に、ダンはカイの横へ身をかわしていた。
すれ違いざま、ダンの拳がカイの脇腹へ入る。
ドッ!
カイの身体が沈んだ。
ダンはカイと位置を入れ替えるように抜け、床へ落ちた刀を拾い上げた。
カイは脇腹を押さえながら向き直る。
「Codeか」
「お前さん相手に、出し惜しみは野暮ってもんだ」
ダンが刀を振り上げ、カイへ踏み込んだ。
足元から波紋が広がる。
《イグレイン》
振り下ろされた刀を、カイは斜めに受け流した。
胴へ斬り返した時には、ダンはすでに横へ抜けていた。
追って踏み込もうとした先で、ダンが剣を向けていた。
カイは足を止めた。
ダンが刀を振り上げ、斬り込む。
カイは刀を合わせず、刃を引きつけた。
《セグレイン》
振り下ろされる刀が、頭上で止まった。
カイは踏み込み、ダンの胸元へ斬り上げる。
ダンは柄を握ったまま上体を引き、刃をかわした。そのままカイの脇腹を蹴りつける。
ドッ!
カイは数歩下がり、脇腹を押さえた。
息を吸うと、奥に鋭い痛みが走る。
波紋が広がってからは、斬り返す前にかわされていた。
今の回避だけは、刀が止まってからだった。
こちらの動きを、先に見ているのか。
だが、刀を止めた後の攻撃までは読めていない。
カイは刀を左手へ持ち替え、右手で腰の短剣を抜いた。
黒鉄の短剣。その柄の先には、折り重なった刃が収められている。
「ガレリア・起動」
ガシャンッ!!
折り重なった刃が前方へ伸び、次々と噛み合う。
短剣は幅広の直剣へ変わり、刀身中央の溝に赤い光が走った。
「奥の手ってわけかい」
ダンの足元から波紋が広がる。
《イグレイン》
カイは踏み込み、直剣を振るった。
ダンが刀で正面から受け止める。
ガギィンッ!
刃が触れた瞬間、赤い光が弾けた。
ドンッ!
ダンが刀ごと後方へ弾かれた。
カイは直剣を床に落とし、左手の刀で追う。
着地したダンの懐へ入る。
ダンが刀を引き戻す。
《セグレイン》
戻りかけた刃が止まる。
カイの刀が胸元へ走った。
ダンは上体を捻り、急所を外す。
ザシュッ!
刃が右脇腹を斬り抜き、旅装へ血が広がった。
ダンは刀を構え直した。
カイは刀の柄頭で床を三度叩いた。
カン、カン、カン。
金属の蜘蛛が、教祖の靴を前脚で叩いた。
カイは床の直剣を拾い上げ、ダンへ正面から踏み込んだ。
ダンの刀が刻んだ石床の亀裂へ、直剣を叩きつけた。
バンッ!
赤い光が弾け、砕けた石と粉塵が吹き上がった。
砕けた石を避け、ダンが祭壇側へ下がった。
カイは直剣を手放し、刀を構えたまま粉塵の中へ入った。
白く濁った視界の奥から、刃が迫る。
ギィン!
受け流した直後、横薙ぎが迫った。
カイは身を沈め、刃の下へ踏み込む。
《セグレイン》
ダンの刀が止まった。
カイが斬り込むより早く、ダンは柄を離して懐へ潜り込んだ。
拳が、傷めた脇腹へ入る。
「ぐっ……!」
ダンは停止の解けた刀を掴み、前屈みになったカイの脇を抜けようとする。
カイは身体を返し、回し蹴りをダンの脇腹へ叩き込んだ。
ドンッ!
ダンが弾かれ、祭壇の前へ着地した。
カイは扉側へ抜け、床に落ちていた直剣を拾う。開いた出入口の前まで下がった。
粉塵が薄れていく。
教祖と金属の蜘蛛は、すでに礼拝堂から姿を消していた。
ダンが開いた扉の向こうへ顔を向ける。
「こいつぁ、一本取られたな」
「俺は護衛だからな」
「惜しいな。時期が違えば、弟子にしたいくらいだ」
ダンが刀を鞘へ納めた。
「しめぇだ」
「もう終わりでいいのか」
「今日は仕事で来てねぇんだ」
カイは直剣を向けたまま、ダンを見た。
「お前さん、名前は?」
「カイだ」
「俺はダン」
ダンが笑った。
「また機会がありゃ、斬り合おうや」
「ああ」
幅広の刀身が折り重なり、元の短剣へ戻った。
開いた扉の向こうから、遠ざかる馬車の音が聞こえた。
カイは短剣を腰へ収め、礼拝堂を出る。
ダンは一人、礼拝堂に残った。
右脇腹の血へ目を落とす。
「……随分、歩き回ったつもりだったが」
「まだまだ世界は広いな」
◇
グランディア、アート街。
仕事を終えたクラネスは、通りの一角にある装飾品店へ立ち寄っていた。
店内には飾りピンや耳飾り、ネックレスが並び、クラネスはガラスケースの前でしばらく悩んでいた。
「何かお探しですか?」
声をかけられ、クラネスが顔を上げる。
女性店員が立っていた。
「あ……女性への贈り物を探していて。飾りピンが流行っていると聞いたんですが、どれがいいのか分からなくて」
「そうですよね。贈り物だと余計に迷いますよね」
店員は少し離れたショーケースへクラネスを案内した。
「でしたら、こちらはいかがでしょう。今はこういった飾りピンが人気なんです」
「どういった方に贈られますか?」
「二十代前半の女性です」
「でしたら、可愛らしすぎない、普段から身につけやすいものがよさそうですね」
店員がいくつか取り出していく。
クラネスは、その中から一つを手に取った。
小さな四つ葉のクローバーをかたどった銀色のピン。四枚の葉のうち、一枚だけが淡い緑色の石で作られている。
「……これ、いいな」
「気に入りました?」
「これにします」
「では、贈り物用に包みますね」
「お願いします」
店を出ると、クラネスは小さな包みを手に夜のアート街を歩き出した。
「贈り物を選ぶのも、楽じゃないな……」
月明かりの下、店じまいを始めた店が通りに並んでいる。
その先を歩く人影に、クラネスの目が止まった。
「ネア?」
私服姿のネアが、一人で通りを歩いていた。
声をかけようとしたところで、ネアが脇の細い路地へ入っていく。
クラネスの足が止まった。
先日調べたCode登録情報の閲覧履歴には、何度もネアの名前が残っていた。
クラネスは手にしていた包みをしまい、ネアが消えた路地へ目を向けた。
ネアに気づかれないよう距離を取り、後を追う。
細い路地をいくつか抜けていく。
やがて建物の間が開け、小さな広場へ出た。
広場にはいくつかの彫刻が並び、月明かりの下で長い影を落としていた。
ネアは広場の中央まで進むと、足を止めた。
「時間よ。出てきたら?」
誰もいない。
クラネスは路地の陰から様子を窺った。
ネアの前で、赤い粒子が舞い始める。
その中から一人の少年が姿を現した。
「時間ぴったりだね」
「無駄話はいいの。それで、先日の襲撃はなんだったの?」
「僕も詳しいことは知らないよ。興味ないから」
「あんたがいなかったら、この前の男を殺してたわ」
「別に殺しても良かったのに」
少年は、何でもないことのように言った。
「そういうわけにもいかないでしょ」
ネアは呆れたように返す。
「それで、別の人間から連絡が来たわ」
「じゃあ、これで最後?」
ネアが懐から折り畳まれた書類を取り出した。
「ええ。やっとよ」
少年が書類を受け取る。
開くこともなく、書類を手にネアを見た。
「あとさ」
「何?」
「後ろ、つけられてるよ?」
ネアが勢いよく振り返った。
クラネスの背筋が強張る。
見つかった。
そう思うより先に、その場を離れた。
路地を駆け抜ける。
振り返らず、明かりと人の声が溢れる大通りまで戻った。
行き交う人々の中へ紛れ、ようやく足を止める。
クラネスは息を整えながら、抜けてきた路地を振り返った。
人混みの向こうに、ネアの姿はなかった。




