Ⅷ祈りの輪
エステリア。
ネグラ教会の教祖を護衛するようになってから、しばらくが経っていた。
エステリアAEGIS支部の正面には、教団が用意した馬車が停まっていた。
磨かれた黒い車体に、銀色の金具。
中では、赤を基調とした前合わせの衣をまとったカイが、刀を腰に差したまま待っている。
支部の正面扉が開く。
数人の信徒に囲まれ、一人の若い女性が出てきた。
黒と白を基調とした正装。肩まで伸びた紫髪に、司教冠をかぶっている。
先に出てきた信徒が馬車の扉を開けた。
「ありがとうございます」
教祖は信徒へ礼を言い、車内へ乗り込む。
「お待たせして申し訳ありません。ここまで付き合わせてしまって」
カイの向かいへ腰を下ろした。
「仕事だ。気にするな」
扉が閉まり、馬車が動き始める。
「ロアンさんから、AEGISでの確認まで付き添っていただく契約ではないと伺っています」
「外で待つのは護衛のうちだ」
「そういうものですか?」
「そういうものだ」
「教祖なんだろ。もう少し偉そうにしてもいいんじゃないか」
「私が偉そうにしなくても、皆さんが支えてくださいますから」
窓の外を通り過ぎる信徒へ、教祖が軽く手を上げる。
気づいた信徒が足を止め、馬車へ深く頭を下げた。
「それに、こうして役目を離れて話せる相手は、あまりいないんです」
「そうか」
「俺は礼儀とか作法には詳しくない。依頼人に失礼があったら許してほしい」
「カイさんでも、そういうことを気にするんですね」
「悪いか」
「いえ。裏表がないというか、そういうことは気にしない方だと思っていました」
「昔、ロアンに叩き込まれた。依頼人に失礼がないようにしろってな」
「ロアンさんらしいですね」
教祖の口元が緩む。
「私も、最初からこんなふうに人前で話せたわけではありません」
「教祖っていうのも楽じゃないんだな」
「頼ってくださる方がいる間は、できることをしたいんです」
カイは懐から小さな包みを取り出した。
「それは?」
「仕事仲間だ」
布を開くと、金属製の蜘蛛が出てきた。
手のひらで握れば隠れるほど小さく、目に当たるものはない。背中には黒い球体が埋め込まれている。
「これが、仲間ですか?」
カイが指先で黒い核を叩く。
動かない。
もう一度叩いても、反応はなかった。
三度目に少し強く叩く。
金属の蜘蛛が跳ねるように起き上がり、慌てて前脚を動かした。
「こいつはニム。うちの会社のメンバーだ」
蜘蛛が包みからはい出し、カイの手のひらへ乗る。
「何かあった時は、こいつの誘導に従ってくれ」
「分かりました」
教祖が蜘蛛へ手を差し出す。
「手に乗せてもいいですか?」
蜘蛛は前脚を上げると、自分からその手へ飛び移った。
「思ったより重たいんですね」
教祖が顔の近くまで手を持ち上げる。
「ニムさんというんですね。こちらのことは見えているんですか?」
「見えてる。返事は見ての通りだ」
蜘蛛が二本の前脚を上下に動かす。
「面白いCodeですね」
「本人は離れた場所にいながら仕事ができる。楽なCodeだな」
蜘蛛の動きが止まった。
教祖の手から飛び下り、そのままカイの衣を上って肩へ乗る。
前脚でカイの肩を何度も叩いた。
「なんだか怒っていません?」
「相手にしなくていい」
教祖が声を立てて笑った。
◇
馬車が速度を落とす。
窓の外に、黒を基調とした大きな建物が見えてきた。
壁も門も綺麗に整えられ、その各所にはネグラ教会の紋章が掲げられている。
信徒たちが門を開き、馬車の到着を待っていた。
「楽しい時間も、ここまでですね」
教祖は衣の襟を整え、背筋を伸ばした。
司教冠へ手を添える。
馬車が止まり、扉が開く。
「参りましょう」
教祖が馬車を降りた。
「教祖様!」
「お帰りなさいませ!」
門の内側にいた信徒たちが、次々と頭を下げる。
「皆さん、ただいま戻りました」
教祖は穏やかな笑みを向け、その間を歩いていく。
道を空けた信徒たちは、教祖が通り過ぎると、ようやく顔を上げて言葉を交わした。
カイも馬車を降り、少し遅れて後ろにつく。
肩の蜘蛛は、ときおり向きを変えて周囲を見ていた。
すれ違う信徒はカイにも頭を下げる。
だが、刀や肩の蜘蛛へ一度目を向けるだけで、声をかけてくる者はいない。
一人の信徒が手帳を持って近づいてきた。
「AEGISでの確認、お疲れ様でした。教祖様ご自身に足を運んでいただくことになり、申し訳ありません」
「よいのです。必要な確認ですから」
「ありがとうございます。このあとは、入信を希望されている方々の前でお祈りをしていただきます」
信徒が手帳の頁をめくる。
「それから、来週はグランディア支部で、祝福の儀式を予定しております」
「分かりました。準備を進めてください」
「承知しました」
教祖はそのまま本館へ入り、礼拝堂へ向かった。
◇
礼拝堂には、すでに大勢の信徒が集まっていた。
教祖が姿を見せると、信徒たちが次々と立ち上がる。
胸元で手を組み、その姿を見つめている者もいた。
教祖は中央の通路を抜け、壇上へ上がった。
カイは壇上の端に立つ。
教祖との距離を取りすぎず、信徒と左右の出入口が見える位置だった。
「今のアルカディアでは、さまざまな問題が起きています」
礼拝堂に教祖の声が通る。
「皆さんの身近にも、苦しいことや不幸なことがあるでしょう。自分一人ではどうにもできない。そう思う時もあるかもしれません」
教祖は集まった信徒たちを見渡した。
「ですが、救いは限られた者だけに与えられるものではありません。神を求めるすべての者へ、その手は等しく差し伸べられています」
「迷いも恐れも、一人で抱え込む必要はありません。神を、そして同じ場所へ集った仲間を信じてください」
教祖が胸元で両手を重ねる。
「救いを願う者には、祝福が与えられます。そして救われた方は、今度は隣にいる誰かを支えてあげてください」
言葉が終わる。
前の席にいた女が目元を拭った。
祈るように手を組んだまま、教祖を見つめている者もいる。
やがて一人が手を叩き、礼拝堂へ拍手が広がった。
カイは壇上から、信徒たちの間に不審な動きがないか目を配っていた。
拍手が収まると、進行役の信徒が前へ出る。
「これより、新たな方々の入信の儀を執り行います」
礼拝堂の後方に並んでいた者たちが、一人ずつ壇上の前へ進んだ。
教祖は頭を下げた入信希望者の額へ、片手をかざす。
「あなたの祈りにも、いつか祝福が与えられますように」
「ありがとうございます」
入信希望者が深く頭を下げ、列を離れる。
次の一人が前へ出た。
その間も、カイは列に並ぶ者たちの動きを見ていた。
何人かが教祖の前を離れたあと、銀髪の少年が進み出る。
少年は教祖へ顔を向けたまま、一度だけカイを見た。
カイが見返す。
少年の視線は、すぐに教祖へ戻った。
その後ろには、長い黒髪をハーフアップにまとめた女が並んでいる。
壇上へ進む前、その女の目が一度だけ出入口へ向いた。
カイは、二人と教祖の間へ割って入れる位置まで移った。
教祖は少年の額へ片手をかざす。
「あなたの祈りにも、いつか祝福が与えられますように」
少年が頭を下げた。
続いて、黒髪の女が前へ出る。
入信の儀は、そのまま最後の一人まで続いた。
◇
儀式のあと、教祖は信徒に付き添われて四階の私室へ戻った。
ほかの部屋より少し広く、家具も綺麗に整えられている。
華美ではないが、客を迎えるための卓と椅子が置かれていた。
付き添っていた信徒が一礼し、廊下へ戻っていく。
「カイさん、少しお話ししませんか?」
「分かった」
カイは肩の蜘蛛を見る。
「ニム。部屋の前を見てろ。誰か来たら扉を叩け」
蜘蛛が肩から下り、廊下へ出ていく。
「お気遣いありがとうございます」
カイは扉を閉め、教祖と卓を挟んで座った。
「さっきの演説、よくあれだけ話せるな」
「教えをお話ししているだけですよ」
「俺には真似できない」
「カイさんに褒めていただけるとは思いませんでした」
「思ったことを言っただけだ」
「入信の儀の途中で、立つ場所を変えましたよね?」
「気づいたか」
「護衛の方が動けば、さすがに分かります」
「少し気になる二人がいた」
「そうなんですか?」
「銀髪の少年と、その後ろにいた女だ」
「二人とも、周りを気にしてた」
「それぞれ事情があって、教団へ来たのかもしれません」
「今のところ、何もしていないのでしょう?」
「ああ」
「でしたら、そのままで構いません」
「妙な動きをしたら、俺の判断で止める」
「それで構いません」
「今日は部屋の前にニムを置いておく」
「部屋の前に、ですか?」
「今日だけだ」
「……お願いします」
◇
入信の儀を終えたノアとユゼラは、礼拝堂の端へ移った。
新たに入った信徒たちは、あちこちで教団の者から説明を受けている。
ノアは声を落とした。
「……あいつ、こっち見てたよな」
「何者だ。あの教祖の後ろにいた男は」
「分からない。ただ、レストラでも見たことがある」
「気づかれたか?」
「たぶんな」
「ユゼラさんと、ノアさんですか?」
二人が振り返る。
茶色の髪を肩の辺りで切り揃え、片側だけを耳へかけた女が立っていた。
手には何枚かの書類を持っている。
「はい。私たちです」
ユゼラが答えた。
「私はケイと申します。お二人の案内を担当します。住み込みの登録をしていただきますので、まず団らん室へご案内しますね」
「よろしくお願いします」
二人はケイのあとに続いた。
礼拝堂を出ると、長い廊下を進んでいく。
途中、何人もの信徒とすれ違った。
籠いっぱいの洗濯物を抱えた女や、掃除道具を持った男。小さな子供の手を引いて歩く者もいる。
「こんにちは」
すれ違った信徒が声をかけてきた。
「こんにちは」
ユゼラが返す。
ノアも軽く頭を下げた。
しばらく歩くと、ケイが開け放たれた扉の前で足を止めた。
「団らん室です」
扉の向こうにはいくつもの卓が並び、信徒たちが食事を囲んでいた。
窓際では、女が子供の書いた文字を指でなぞりながら教えている。
奥の卓では、数人の信徒が紙の束をまとめていた。
「空いている席へどうぞ」
卓につくと、ケイが二人の前へ書類を一枚ずつ置く。
「こちらに記入をお願いします」
ノアがペンを取り、名前や年齢など必要な項目を埋めていく。
「お二人は姉弟と伺っていますが、ずいぶん雰囲気が違うんですね」
「よく言われます。私が母似で、弟は父似なんです。弟は昔から愛想もなくて」
「姉さんが喋りすぎなんだよ」
「ほら、こういう子なんです」
「なるほど」
ケイは書類を受け取ると、折り畳まれた紙を差し出した。
「敷地内の地図です」
ノアが卓の上で広げる。
「……こんなに広いのか」
「私も最初は驚きました。このあと、普段使う場所だけご案内しますね」
団らん室を出ると、ケイの案内で食堂や浴室、洗濯場を回った。
中庭には洗濯物が何列も並び、別の部屋には布教用の紙や道具が積まれている。
「明日から使うこともあると思いますので、場所だけ覚えておいてください」
「分かりました」
最後に居住区へ入り、階段を上がった。
「お二人の部屋は二階の端になります」
「部屋は別ですか?」
「いえ。姉弟とのことでしたので、同室で手配してあります」
「……一緒の部屋ですか?」
「はい。何か問題がありましたか?」
ユゼラが一瞬、ノアを見る。
「……いえ。お気遣いありがとうございます」
「この部屋です」
ケイが扉を開けた。
左右には一台ずつ寝台。
中央に小さな卓と二脚の椅子があり、壁際には棚と鏡の付いた化粧台が置かれている。
「住み込みの方はこちらで生活していただきます」
ケイが二枚の紙を取り出した。
「それと、一日の予定です」
ノアが受け取る。
午前五時、施設内清掃。
六時、祈り。
七時、朝食準備。
七時半、朝食。
八時、布教活動。
その下にも予定が細かく続いていた。
「……五時」
「住み込みの方は少し予定が多くなります。清掃や食事の準備など、細かな担当はその日ごとにお伝えしますね」
「分かりました」
「今日はこれで終わりです。明日の朝五時に、中庭へ集まってください」
「ありがとうございます」
ケイが一礼し、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
廊下を歩く足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
ノアが卓の前へ座る。
「……教会って自由だったんだな」
ユゼラも向かいへ座り、予定表を卓へ置いた。
「これからどう動くか決めておこう」
ノアが地図を広げる。
「しばらくは、予定どおり普通に生活する。それでいいんだよな」
「ああ。向こうから話が出るまでは、祝福や教祖のことを聞き回るな」
「分かった」
ユゼラが地図を畳む。
「ここでは私が姉だ。忘れるなよ」
「分かってるよ、姉さん」




