Ⅶ水面下
ノアとユゼラがエステリアへ来てから、一週間が過ぎた。
夕方。
ノアは街のパン屋を出ると、パンの入った紙袋を抱え、教会へ向かった。
店を閉め始める職人の横を、観光客の一団が通り過ぎていく。教会までの道には慣れたが、人の多さにはまだ慣れなかった。
教会へ戻ると、そのまま二階の執務室へ上がった。
扉を開けると、カミラが机に積まれた書類を一枚ずつ処理していた。
「パン買ってきたけど」
「何か手伝うか?」
「ありがとうございます。もう少しなので、先に食べててください」
「そうか」
ノアはソファへ座り、テーブルの上へ紙袋を置いた。
少しして、ユゼラが三人分の紅茶を載せた盆を持って入ってくる。
「ノア、戻ったのか。買い出し助かった」
「これくらい、いいよ」
ユゼラはテーブルへカップを並べ、残る一つをカミラの机へ置いた。
「ありがとうございます」
しばらくして、仕事を終えたカミラもカップを持ってテーブルへ移った。
ノアが紙袋を開き、三人でパンと紅茶を囲んだ。
「まだオルドとしての仕事はないのか?」
「そうですねぇ。最近は特に少ないですね」
「AEGISが優秀なのか?」
ノアはパンをかじりながら尋ねた。
「他の都市と、そこまで変わらないと思うんですけど……」
執務室の扉が開いた。
「いい匂いがするねぇ」
レイモンが何事もなかったように入ってくる。
「どこに行ってたかは、もういいです」
カミラがカップを置いた。
「せめて一日一回は来てください! 仕事が溜まるんですよ!」
「いやぁ、なかなか忙しくてね」
レイモンは空いている椅子を引き、三人の輪へ加わった。
「そうそう。さっきの話、聞こえたけど」
「最近はネグラの連中が、街の見回りや揉め事の仲裁までしてるんだよね。おかげで、オルドに回ってくる話も減ってるくらいだよ」
テーブルのパンへ手を伸ばしかけ、カミラに見られて引っ込める。
「それをAEGISは容認しているのか?」
「やっていることは、今のところ見回りや人助けがほとんどですから」
カミラが答える。
「市民からの評判もいいですし、止める理由がないんだと思います」
「祝福はCodeと同じようなものだと、僕は見てるんだけどね」
レイモンが続ける。
「祝福を受けた人間を検査しても、コアは確認できないし、Codeの反応も出ないらしいんだよね」
「コアがないのに、どうやってCodeを使ってるんだ?」
「うーん。それが分からないんだよねぇ」
「それで、イラニたちに祝福を受けた連中を探らせたんだけど、誰も詳しいことは話さないらしくてね」
「外から追えるのは、ここまでか」
「そういうこと」
「そこでなんだけど、二人ともまだこっちじゃ顔も割れてないだろ?」
「……それは、どういう意味だ?」
「ちょっとネグラ教会に入信してきてくれない?」
ユゼラが紅茶にむせ、口元を押さえた。ノアもパンを口へ運びかけた手を止めた。
「本気で言ってるのか?」
「本気だよ」
「二人は姉弟ってことでさ。住み込みの信徒として入って、祝福について少し調べてきてよ」
「オルドに、ネグラの信徒になれと?」
「潜入してる間だけね」
「入信の手順も、イラニたちが調べてくれてる。資料はあとでカミラに渡すよ」
「急にそういうことを言われても……私も今、初めて聞いたんですけど」
「じゃあ、その辺も含めて今から決めようか」
レイモンは紙袋からパンを一つ取った。
「食べながら続けよう」
◇
グランディア支部、夜。
昼間の慌ただしさが引き、廊下を歩く人の姿も少なくなっていた。
記録管理室へ向かっていたクラネスの前から、私服姿のリアナとネアが歩いてきた。
「二人とも、お疲れ」
「お疲れ様です」
「お疲れっす」
「今日はもう上がりか?」
「はい。ほんと疲れたんで、私はお先に失礼するっす」
ネアはそのまま支部の出口へ向かった。
ネアが去ると、クラネスはリアナへ顔を向けた。
「店は決まったか?」
「すみません。ここ最近、捜査でバタバタしてて……今度までには決めておきます」
「急がなくていいよ。楽しみにしてるから」
「私もですよ。美味しいもの、いっぱい食べますから」
「覚悟しておくよ」
「じゃあ、お先に失礼します」
「お疲れ」
リアナと別れ、クラネスは記録管理室へ入った。
室内には、紙をめくる音だけが聞こえていた。
クラネスは空いている机へ鞄を置き、これまでに集めた資料を取り出した。
中央に置いたのは、トーマとエリンの保護記録だった。
二人は保護施設を出たあと、別名義で借りた家へ移されている。その二日後、家の中で殺害された。
外部へ連絡した記録はなく、家を出た形跡もない。周辺で不審な人物や馬車を見た者もいなかった。
クラネスは貸家の手配書を開き、その横に移送記録を並べた。
住所を知ることができたのは、貸家を手配した者、移送を担当した隊員、保護記録を扱った者に限られている。
閲覧履歴にも何人かの名前が残っていた。
一人ずつ確認していくが、どの人物にも業務上、住所を見る理由がある。
「これだけじゃ、絞れないか……」
住所を見た者たちが、過去にどんな資料を閲覧していたのか。そこまで調べれば、何か共通点が見つかるかもしれない。
保管棚から過去の閲覧履歴を取り出し、机へ並べた。
ネアの履歴に差しかかったところで、クラネスの手が止まった。
Code登録情報の閲覧が何件も続いていた。
捜査部の人間なら、事件に関わるCode保持者の情報を見ること自体は珍しくない。
クラネスは、その中の一人をCode登録記録から探した。
記録上、その人物はすでに死亡していた。
別の名前を確認する。
その人物も死亡していた。
さらに次の名前を追う。
「……三人とも、死んでる?」
三人だけなら、偶然かもしれない。
クラネスはネアが閲覧していた名前を、さらに追っていった。
その中に、見覚えのある名前があった。
メリナ。
猟奇殺人事件を起こしたCode保持者。遺体は見つかっておらず、今も行方不明のままになっている。
「……これは、偶然で片付けていいのか」
クラネスは閲覧履歴を持ち、記録管理室の担当者がいる机へ向かった。
「すみません」
「はい」
「ここ数年で死亡扱いになったCode保持者の一覧を見せてもらえますか?」
「死亡者一覧ですか?」
「はい。照合したい記録があって」
「少々お待ちください」
担当者が保管棚から該当する資料を探し、一冊の綴りを持ってきた。
クラネスは閲覧履歴を左へ、死亡者一覧を右へ置いた。
今度はネアが閲覧していた人物を拾い、その名前が死亡者一覧に載っているかを確かめていく。該当する者が見つかるたび、閲覧日と死亡日も照らし合わせた。
一件。
頁をめくり、もう一件。
さらに先でも、該当する名前が見つかった。
いずれも、ネアが登録情報を閲覧したあとに死亡していた。
ネアが閲覧していた全員が死亡しているわけではない。それでも、偶然として流すには数が多かった。
クラネスは二つの資料を閉じ、担当者へ差し出した。
「この一覧と、さっきの閲覧履歴。写しを取れますか?」
「できますが、持ち出しますか?」
「はい。捜査室で確認したいので」
「許可はありますか?」
クラネスは鞄から許可証を取り出した。
「レナードさんから」
担当者が許可証の内容を確認する。
「分かりました。写しを作ります。持ち出し記録にも署名をお願いします」
担当者が写しを用意している間に、クラネスは持ち出し記録へ資料名と自分の名前を書き込んだ。
できあがった写しを受け取り、鞄へ収める。
捜査室へ戻ると、人影はほとんどなかった。
奥では、レナードが一人で書類を読んでいる。
「まだ残ってたんですか」
「仕事が終わらなくてな」
クラネスは向かいの机へ資料を置いた。
「レナードさん。少しいいですか」
「どうした?」
「トーマさんたちの件です。内部の記録を追ってたら、少し気になるものが出ました」
レナードが手元の書類を閉じる。
「住所を見た人間を調べたんですが、全員ちゃんと理由がありました」
「それで過去の閲覧履歴まで広げてみたら……」
クラネスはネアの閲覧履歴を開いた。
「ネアが何人かのCode登録情報を閲覧していました」
「捜査部なら、それ自体は珍しくないだろ」
「俺もそう思いました」
続けて、死亡者一覧を隣へ置く。
「ネアが閲覧していた人物を調べたら、閲覧日より後に死亡してる人が何人もいました」
「それとは別に、メリナの登録情報も閲覧していました」
「あの猟奇殺人犯か」
「はい」
「閲覧したこと自体は、いくらでも理由がつきます。でも、ここまで重なると引っかかります」
レナードは閲覧履歴と死亡者一覧を何度か見比べた。
「これだけじゃ、ネアが関わった証拠にはならないな」
「分かってます。もう少し調べてみようと思います」
「そうだな。閲覧した頃に、ネアが何の捜査を担当していたかも確認してみろ」
「今の段階で本人に聞いても、警戒させるだけかもしれない。何か分かったら報告してくれ」
「了解です」
クラネスは写しを鞄へ戻しながら、レナードへ尋ねた。
「レナードさん、女性に何か贈るなら、何がいいと思います?」
「リアナにか?」
「……まあ、はい」
レナードは少し考える。
「最近、女性の間で飾りピンが流行ってるらしいぞ」
「飾りピンですか?」
「ああ。いろんな種類があるらしい」
「どこで売ってるんです?」
「幻想館のあるアート街で売ってたはずだ」
「じゃあ、今度見てみます」
クラネスは残りの書類も鞄へ収め、席を立った。
「じゃあ、お先に失礼します」
「気を付けてな」
クラネスは一礼し、捜査室をあとにした。




