Ⅵ与えられた役目
ノアたちの馬車がエステリアへ入ると、街道沿いの景色が変わった。
白い石造りの建物が並び、その一階には工房や小さな店が軒を連ねている。開け放たれた戸口から、木を削る音や金属を打つ音が通りまで響いていた。
露店の間を観光客が行き交い、古い石像の前で足を止めている。街並みの向こうには、城のような古い建物も残っていた。
「ずいぶん賑やかな街だな」
御者台で、ノアは通りを眺めた。
「観光と職人の街だからな」
ユゼラが人通りを避けながら馬車を進める。
「古い建物も多い。歴史を見に来る人もいれば、ここの工芸品目当てで訪れる人もいるくらいだ」
「都市によって、こんなに雰囲気が違うんだな」
店先で品物を並べる職人を目で追っているうちに、馬車は大通りへ入った。
大きな商店が並ぶ中、ひときわ目を引く教会が見えてくる。周囲の街並みと比べると新しく、その規模 も大きい。
「こんな街の中にあるのか」
「政庁も近いからな。影響力があるんだろう」
馬車は教会の外門を抜けた。
正面には噴水があり、その向こうに広い庭と教会が続いている。
二人が馬車を降りて中へ入ると、礼拝堂には多くの信徒が集まっていた。
ノアが知るメリディア教会とは、広さも信徒の数も違っていた。
ユゼラが近くにいた信徒へ声をかけた。
「すまない。レイモン神父はいるか?」
「レイモン神父なら、滅多に礼拝堂では見ませんよ」
「お急ぎなら、シスター・カミラに聞いてみてください。あちらにいます」
「ありがとう」
信徒が示した先では、一人のシスターが書類を確認していた。
肩ほどの長さの明るい栗色の髪。清潔な修道服を身につけ、信徒から受け取った書類を一枚ずつ確かめている。
「忙しいところ、すまない」
呼びかけに、シスターが顔を上げた。
「今日からこちらに配属されたユゼラと」
「ノアだ」
「増員のお二人ですね。お話は聞いて――」
カミラの手が止まった。
「……今日だったんですか?」
「レイモンさんには話が通ってると思うが」
「申し訳ございません! 私、日程までは聞いてなくて……!」
カミラは勢いよく頭を下げた。
「こちらへどうぞ。二階に執務室がありますので」
◇
カミラが執務室の扉を開ける。
中には大量の書類が積まれていた。机の上では、淡く文字の浮かんだ書類がひとりでに動き、いくつもの束へ分かれている。
「すみません、慌ただしくて。そちらにお掛けください」
「気を遣わせてすまない」
ノアとユゼラが椅子へ座る間にも、書類は机の上を移動していた。
「なんか忙しいんだな」
「すみません。まだ部屋の準備もできてなくて」
「部屋の準備なら、私たちでやります」
「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
カミラが頭を下げる。その間にも、机の上の書類は次々と棚へ収まっていった。
「それで、レイモンさんは?」
ユゼラの問いに、カミラの動きが止まる。
「今、どこにいるのか分からないんです……」
「分からないって、どういうことなんだ?」
「あの人、目を離すといつもどこかへ行くんです」
「連絡もなしに?」
「はい……。その間の仕事は、全部私に回ってくるんです」
「それは災難だな」
カミラは机の上に残った書類へ目を落とした。
「ほんっとうに、もう……転属したい……」
「あっ……すみません。取り乱しました」
「とりあえず、こちらでの仕事について説明しますね」
カミラが書類へ手を伸ばしたところで、執務室の扉が開いた。
「やぁやぁ」
入ってきたのは、司祭の正装をした四十代ほどの男だった。
少し長めの髪を自然に流し、口元から顎にかけて短く髭を整えている。
男はノアとユゼラを見つけると、片手を上げた。
「ユゼラとノアだね。僕はレイモン。これからよろしく」
カミラはすぐに机のペンを取った。
上げられたままのレイモンの手を掴み、その手のひらへ文字を書き込む。
《ティルメ》
――止まれ。
文字が淡く光り、レイモンは手を上げた姿勢のまま動きを止めた。
抵抗する様子もない。
「どこに行ってたんですか」
「まあまあ、そんな怖い顔しないでよ」
「レイモンさん!」
「後ろの二人を迎えに行ってたんだよ」
レイモンの後ろから、一人の女が部屋を覗き込んだ。
髪を左右の高い位置で大きく二つにまとめ、長い毛束を背中へ垂らしている。腹部の見える服にショートパンツという、教会の中では目立つ格好だった。
その後ろには、黒いシャツを着た大柄な男が立っている。短い髪に、がっしりとした体格。
「お前ら、なんでここに?」
イラニは、手を上げたまま固まっているレイモンを見た。
「えー、なにこの状況? 怖いんだけど」
「イラちゃんは俺が守るから大丈夫だ」
「レイモンさーん。ちょっと説明ほしいんだけどぉ」
「どういうことなんですか?」
カミラもレイモンへ詰め寄る。
「いやぁ、説明するからさ。これ解いてくれない?」
レイモンは上げたままの腕へ目をやった。
「腕がつらくてさ」
カミラが《ティルメ》を解除すると、レイモンはようやく腕を下ろした。
「みんな、とりあえず座ってよ」
レイモンは腕を軽く回しながら、集まった者たちを順に示す。
「僕の両腕、カミラ」
「今日から僕の下で動くユゼラとノア」
「そっちの派手な子がイラニ」
「おっきな人がダリオ」
最後に自分の胸へ手を当てる。
「そして僕、レイモン」
「まあ、これで一緒に動く仲間ってことで」
カミラがこめかみを押さえた。
「……頭が痛い」
「両腕だと思ってるなら、最初に説明するのが筋でしょうが!」
「忘れちゃっててさ。今から説明するから」
レイモンが笑うと、カミラは力が抜けたように椅子へ座った。
「イラニとダリオには、この街で教会に協力するブローカーとして動いてもらう」
「怪しい仕事や情報が回ってきたら、こっちへ流してほしい」
「イラちゃんに危険はないんだろうな」
「集めた情報をもとに動くのは、基本そっちの二人」
レイモンがノアとユゼラを指した。
「まあ、私たちも文句言える立場じゃないし。命があるだけマシよ、ダリオ」
「イラちゃんがそう言うなら」
「この街で根を張るには時間もかかるだろうから、急がなくていいよ」
「そうね。新参が簡単に仕事をもらえるほど、裏も甘くないし」
「うん。その辺は任せるよ」
レイモンは椅子に座るカミラへ顔を向けた。
「情報があれば、まずカミラに連絡して。細かいことはあとで打ち合わせてくれる?」
「……分かりました」
レイモンは今度はノアとユゼラを見た。
「二人には、何かあればカミラから伝えるから」
「それまでは教会と、この街に慣れておいてね」
「分かった」
「承知しました」
話が終わると、イラニがカミラへ声をかけた。
「じゃ、カミラさん。打ち合わせしよっか」
「……行きましょう」
カミラは机に手をつき、椅子から立ち上がった。
「ダリオも行くわよ」
「分かった」
三人が別室へ移ろうとしたところで、レイモンが窓へ向かった。
「それじゃカミラ。僕、ちょっと用事があるから」
「……はい?」
レイモンは窓を開け、窓枠へ片足を掛ける。
「じゃあユゼラ、ノア」
二人を振り返った。
「この街を楽しんで。歓迎するよ」
「待ってください、レイモンさ――!」
カミラが窓へ駆け寄った時には、レイモンの姿は外へ消えていた。
「……はぁ」
開いた窓を閉め、カミラはイラニとダリオを別室へ案内していった。
ノアとユゼラだけが執務室に残る。
「私たちも部屋を片付けようか」
「……なあ、ユゼラ」
「どうした?」
「会えば分かるって、こういう意味か」
「面白い人だっただろう?」
◇
数日後の休日。
喫茶店とまり木。
カウンターの内側で、慣れないエプロンを着けたソラは、ザッシュの手元を見ていた。
「準備はいいか。よく見とけ」
「はい!」
ザッシュが手挽きのミルへ豆を入れ、取っ手を回し始める。
「まず豆を挽く。力任せに回すな。同じ速さでゆっくりだ」
挽いた豆をフィルターへ移し、少量の湯を注ぐ。粉がふっくらと膨らみ、香りが立った。
「最初は少しだけ注いで蒸らす。あとは中心から『の』の字を書くように。同じ速さでな」
一杯分が落ちる前に、ザッシュがフィルターを外した。
「最後まで落としきるな。これが基本だ」
ザッシュは落としたコーヒーを小さなカップへ注ぎ、ソラへ差し出した。
「飲んでみろ」
ソラは息を吹きかけてから、口へ運んだ。
「……おいしいです」
「よし。次はお前がやってみろ」
「はい」
ソラはミルを受け取り、教わった通りに豆を挽いた。
湯を注ぐ。こぼさないよう慎重になるうちに、ザッシュの時よりも随分と時間がかかった。
「できました」
「自分で淹れたんだ。飲んでみろ」
ソラがカップへ口をつける。
「……苦い」
「なんでだと思う?」
「……分かりません」
「慎重になりすぎだ。湯を落とすのに時間がかかってる」
「遅いと駄目なんですか?」
「時間をかけすぎりゃ、余計な苦味まで出る。さっき、同じ速さでって言っただろ」
「なるほど……」
店の扉が開いた。
「こんにちは!」
レオンを先頭に、ミレアとエリオが入ってくる。
「え、みんな。どうして?」
レオンがソラのエプロン姿を見た。
「意外と似合うじゃないか」
「そうかな」
「ルーナと、こないだ来たんだって?」
「まあ……うん」
「ふーん」
「いい香りだね」
「今、一杯淹れさせてもらったんだけどさ。おいしくなくて」
「この匂いでか?」
「飲むと苦いんだよ」
ザッシュが三人を見た。
「同級生かい?」
「はい」
「マスターとでも呼んでくれ」
レオンがザッシュへ頭を下げる。
「ソラがお世話になります」
「なんでレオンが挨拶するんだよ」
「なかなか筋はいいぞ」
ザッシュは空いているテーブルを顎で示した。
「ちょうどいい。ソラ、三人分淹れてみろ」
「えっ、もうですか!?」
「同級生相手なら、少しは気楽だろ」
「そういう問題ですか……?」
三人が席へ着く。
ソラは新しい豆を挽き、先ほどより注ぐ速さを意識しながらコーヒーを淹れた。
カップを一つずつ運び、三人の前へ置く。
「どう?」
ミレアが最初に口をつけた。
「……おいしいじゃない」
「普通に飲めるぞ」
「よかった……」
「次は、こっちを飲んでみろ」
ザッシュが先ほど淹れたコーヒーを、小さなカップへ分けた。
「同じ豆なんですか?」
「そうだ」
三人が順に口をつける。
「……おいしい」
ミレアが自分のカップと見比べる。
「全然違うじゃんかよ」
レオンが声を上げた。
ソラも二つを飲み比べた。
自分のコーヒーは、ザッシュのものより薄く感じた。
「一朝一夕で身に付くもんじゃねぇってことよ」
ザッシュが三人の前へケーキを置いた。
「練習台にして悪かったな。これは俺からのおごりだ」
「ありがとうございます」
「やった!」
レオンがすぐにフォークを取る。
「ちょっと買い出しに行ってくる。ソラ、店番頼んだぞ」
「はい!」
「客が来たら、三十分くらいで戻るって伝えてくれ」
「分かりました!」
ザッシュが店を出ると、ソラはカウンターの中に残った。
レオンは残っていたケーキを口へ運び、ミレアはコーヒーを飲みながら店内を見回す。
「こうしてると、ソラがここで働いてるの変な感じね」
「僕もまだ慣れてないよ」
「そのうち普通になるだろ」
レオンがまたケーキを口へ運んだ。
「他のみんなは?」
「ルーナとリーゼは、今日は現場同行だって」
エリオが鞄から丸めた図面を取り出す。
「ヴェインとライゼルは資料室。休みなのに、Codeの勉強をしてるみたいだよ」
「あいつら、なんかあったのか?」
レオンは少し考えたあと、ケーキを一口食べた。
「このケーキうま」
「話変わるの早すぎでしょ」
「ところで、エリオは何してるの?」
ソラがテーブルに広げられた図面を見る。
「前に見学へ行ってから、ネヴィアさんと連絡を取ってるんだ」
何本もの線と数字が書き込まれていた。
「たまに課題みたいなのが届くんだけど、すごく難しいんだ」
「喫茶店でそういうの広げてると、妙に似合うわね」
「え、そうかな」
エリオが少し照れたように、図面の端を揃える。
ミレアがカップを置いた。
「そういえば、ソラ。勇翼章、おめでとう」
「ありがとう」
ミレアは残っていたコーヒーを一口飲んだ。
「私、こないだの作戦でもっとできたと思うの。最後は助けられたし……」
「僕なんて、最初にやられて何もできなかったし」
「俺なんて、それ以前だぞ」
「張り合うところじゃないでしょ」
ミレアがソラを見る。
「でも、絶対あんたに追いつくから」
「え?」
「追いついて、隣で戦うからね」
誰も口を開かなかった。
「なにそれ、告白?」
レオンの横で、エリオがそっと顔を逸らす。
ミレアの顔が赤くなった。
「ち、違うわよ!」
「えっと……ありがとう」
「ソラも真面目に返すな!」
「うるさい!」
ミレアが勢いよく立ち上がり、レオンを指さした。
「ここ、あんたのおごりだからね!」
そのまま店を出ていく。
「えっ、俺!?」
「ごちそうさま」
「エリオまでかよ!」
エリオは図面を丸め、鞄へ戻した。
「来年には進路も考えないといけないからね。みんな、色々考えてるんだと思う」
「エリオは、やっぱり研究員を目指すの?」
「うん。そのつもりだよ。だから今のうちに、もっと勉強しておきたいんだ」
「俺も、どうするかなぁ」
レオンがソラを見る。
「ソラは将来有望な捜査員だろうしな」
「まだ決まってないよ」
「勇翼章まで貰っといて、何言ってんだよ」
レオンは立ち上がり、三人分のコーヒー代をテーブルへ置いた。
「また来るわ。今度はうまいコーヒー頼むぞ」
「練習しとくよ」
「じゃあね、ソラ」
「うん。また学院で」
レオンに続いてエリオも店を出ていった。
◇
夕方。
最後の客を見送ると、ザッシュが店の札を裏返した。
「そろそろ閉めるか」
「はい」
二人でカップを片付け、テーブルを拭く。
店内を整え終えると、ソラはエプロンを外し、木刀を持って奥の稽古場へ入った。
「今日は受け流すだけじゃなく、返してみろ」
「分かりました」
ザッシュも木刀を取り、ソラの前に立つ。
「来い」
「はい!」
ソラが踏み込む。
ザッシュは打ち込まれた木刀に自分の木刀を添え、外へ流した。
そのまま手首を返し、ソラの胴へ打ち込む。
ソラは正面から受けず、木刀を添えて横へ逃がした。
そのまま一歩踏み込み、ザッシュの胴へ木刀を返す。
ザッシュは身体をずらしてかわした。
「今のは悪くねぇ」
次の一撃が、ソラの肩の手前で止まった。
「返すことばっか考えんな。まず相手を見ろ」
「はい」
その後も、ソラは受け流しから反撃へつなげた。
返しは少しずつ速くなったが、一度もザッシュには届かなかった。
「今日はここまでだ」
「ありがとうございました」
ソラが構えを解く。
「初日にしちゃ上出来だ」
「ありがとうございます。自分では、あんまり分かってないんですけど」
「そういうもんだ」
木刀を戻そうとしたところで、ソラが足を止めた。
「ザッシュさん」
「なんだ?」
「この剣術って、何流なんですか?」
「流派?」
ザッシュが少し考える。
「……とまり木流でいいんじゃねぇか。店の宣伝になるし」
「今決めたんですか!?」
「名前なんて、分かりゃいいんだよ」
「じゃあ、とまり木流の弟子になってもいいですか?」
ザッシュは持っていた木刀を棚へ戻した。
「……しょうがねぇな。名乗っていいぞ」
「はい!」
ソラは木刀を下ろした。
「そうだ、ソラ。来週の休みに、知り合いがグランディアへ来るんだ」
「知り合いですか?」
「そいつも、なかなか腕が立つ。お前も来られるなら、一度稽古をつけてもらえ」
「いいんですか?」
「あいつなら大丈夫だろ。細かいこと気にする奴じゃない」
「分かりました!」
木刀を棚へ戻し、稽古場を片付ける。
店へ戻ったソラは帰り支度を済ませた。
「今日はありがとうございました」
「おう。また次の休みにな」
「はい!」
ソラはとまり木をあとにした。




