Ⅴとまり木
ノアがエステリアへ発つ日。
メリディア教会の前に、一台の馬車が止まった。
教会の正装をした二人が降りてくる。デリクは荷台から鞄を下ろし、周囲を見渡した。
「うんうん。ここが俺の新しい職場か」
教会の建物を見上げる。
「のどかでいいところじゃないか」
「失礼のないようにな」
ユゼラが先に教会へ向かう。
「分かってるって」
デリクは鞄を担ぎ、その後を追った。
◇
礼拝堂には信徒の姿はなく、エイドたちだけが集まっていた。
司祭の正装をしたエイドの前で、ユゼラとデリクが頭を下げる。向かいには、同じく正装したノア、ガイルス、ルシアが並んでいた。
「ファザー・エイドですね」
「ああ。遠いところ、ご苦労さま」
「グランディア教会から参りました。ユゼラと――」
「デリクと申します」
デリクが一歩前へ出た。
「こちらのデリクが、今後こちらでお世話になります」
「話は聞いているよ」
エイドはデリクの前に立ち、右手を上げた。
「これからの君の役割に、神の導きがありますように」
「ありがとうございます」
デリクが顔を上げる。
「これからよろしくお願いします、エイドさん」
「こちらこそ。頼りにしているよ、デリク」
「こっちがメリディアのオルド。ガイルスとルシアだ」
「おう! よろしく頼むぜ!」
「……よろしく」
「デリクって呼んでくれ」
デリクが差し出した手を、ガイルスが強く握った。
「あとで稽古場で実力見せてくれよ」
「言っとくけど俺、強いぞ?」
「大丈夫だ。俺も強い!」
二人の握手を見ていたルシアが、ぽつりと言う。
「……ガイルスと同じ匂いの人かも」
「どういう意味だよ!」
「仲良くやれそうでよかったな」
「それで、こっちの目つきの悪い銀髪が、一緒に行くノアだ」
「余計なこと言うなよ」
「ノア君、よろしく頼む」
ユゼラが手を差し出した。
「ノアでいいよ、ユゼラさん」
「私もユゼラでいい」
「分かった。よろしく、ユゼラ」
ノアもその手を握った。
「荷物を取ってくる」
短く告げ、礼拝堂の奥にある階段を上っていく。
ノアの姿が見えなくなると、エイドがユゼラへ声をかけた。
「ノア、結構無茶するから頼んだよ」
「分かりました、エイドさん」
「レイモンさんの下とは、苦労するな」
「ええ。まったくです」
ユゼラが苦笑した。
◇
教会で馬を休ませたあと、ノアが鞄を荷台へ載せ、紐で固定する。
「これで全部か?」
ノアがうなずいた。
教会の前には、エイドたちが並んでいる。
「じゃあな、ユゼラ。こっちは任せろ」
「頼んだ」
ノアが馬車へ乗ろうとすると、エイドが呼び止めた。
「たまには顔見せるんだぞ」
「気が向いたらな」
「元気でね、ノア」
「ルシアも、ガイルスとエイドのこと頼んだぞ」
ルシアがうなずく。
「またな、ノア!」
ガイルスが大きく手を振った。
ノアは御者台へ乗り、ユゼラの隣へ座った。
馬車が動き出し、教会の前から離れていく。
ノアが振り返ると、教会の前ではみんながまだ二人を見送っていた。
ノアは片手を上げ、前へ向き直った。
馬車はメリディアを抜け、街道を進んでいた。
しばらく手綱を握っていたユゼラが口を開く。
「エイドさんとは長いのか?」
「気づいた時には、もうそばにいたな」
「父親みたいなものか」
ノアは少し考えた。
「……兄貴かな」
「だらしなくて適当だけど、たまに頼りにはなるよ」
「長く一緒にいたなら、離れると少し寂しいんじゃないか?」
「……まあ、少しはな」
馬車はエステリアへ続く街道を走っていった。
◇
休日の朝。
グランディア学院の女子寮で、ルーナは鏡に向かっていた。
胸元まで伸びた黒髪へ櫛を通し、毛先を整える。少し離れて服装を確かめると、机に置いた小さな箱を鞄へしまう。
待ち合わせの時間にはまだ少し早かったが、ルーナは部屋を出た。
◇
学院の門前では、先にソラが待っていた。
「ルーナ、おはよう」
「お、おはようございます、ソラさん」
「今日は付き合ってくれて、ありがとうございます」
「うん。みんなでは行けない場所なんだよね」
「はい。今だけの展示があるんです」
二人は学院を出て、街へ続く橋を歩き始めた。
「ソラさんが元気になって、本当によかったです」
「もう普通に歩けるよ。寝てる間にそんな大事になってたなんて、僕もびっくりしたけど」
「本当に心配したんですからね」
「ごめん」
「もう無茶しないでくださいね」
「気をつけるよ」
ルーナは返事をせず、ソラをじっと見る。
「……本当ですかぁ?」
「……ルーナ、目が怖いよ」
「それくらい心配してるんです」
「……気をつけます」
橋を渡り、二人はアート街へ向かった。
◇
幻想館の前には、催しを知らせる看板が立っていた。
「カップルフェア?」
「今の期間だけ、二人一組で入る展示があるんです」
「僕でいいのかな」
「もちろんです!」
ルーナの声に、近くにいた客が振り返る。
「あ……その、ソラさんがよければ」
「僕は構わないよ」
「よかったです」
二人で館内へ入る。
薄暗い通路を、セルの光が流れていた。青や紫の光が重なり、頭上では細かな光の粒がゆっくりと形を変えている。
奥には、人と見間違えるほど精巧な人形が置かれていた。光を受けた瞳が、きらきらと輝いている。
「本物みたいだね」
「近くで見ると、細かいところまで分かります」
「本当だ……」
次の展示には、透明な球体と、その両側に一つずつボタンが置かれていた。
『二人で同時に押してください』
二人は球体を挟んで向かい合う。
「同時に押してみようか」
「はい」
「せーの」
二人がボタンを押すと、二筋の光が球体の中で絡まり、一本の木となって天井へ伸びた。枝の先に、次々と光の花が開いていく。
「わあ……」
ルーナが咲いた花を見上げる。
視線を戻すと、透明な球体の向こうにソラの顔があった。
思わず、目が止まる。
「ルーナ?」
「あっ……次も見に行きましょう!」
ほかの展示も見て回り、二人が外へ出た頃には昼を過ぎていた。
「楽しかったよ、ルーナ。連れてきてくれてありがとう」
「ソラさんにも楽しんでもらえたなら、よかったです」
「私、この近くにもう一軒、行きたいところがあるんです」
「どこ?」
「穴場の喫茶店です」
◇
大通りから小道へ入り、少し歩いた先に古びた看板が掛かっていた。
――とまり木。
扉を開けると、木を基調とした店内に、カウンターと数席のテーブルが並んでいた。奥には引き戸がある。
壁には、細身の古い剣が一本飾られていた。
「いらっしゃい」
カウンターにいた六十歳ほどの男が声をかける。
「好きな席座りな」
「ありがとうございます」
二人は窓際の席へ座った。
「コーヒーを二つと、こちらのケーキを二つお願いします」
「あいよ」
男が準備を始めると、ルーナは鞄から小さな箱を取り出した。
「ソラさん、これ」
「え?」
「退院祝いと、受章のお祝いです」
「ありがとう。開けてもいい?」
「どうぞ」
箱の中には、小さな三日月をかたどった銀色のピンが入っていた。その先端には、青色の石が一粒はめ込まれている。
「ソラさん、いつも怪我するので……ちょっとしたお守りになればいいなって」
「嬉しいよ。大事にする」
ソラは箱からピンを取り出し、胸元へ留めた。
「似合うかな?」
「似合ってます!」
「よかった」
「お待ちどう」
男がコーヒーとケーキを運んできた。二人の前へ皿を置く。
「お二人さん、恋人か?」
「えっ、違います」
「そうか。まあ、冷めないうちに飲みな」
男はそれだけ言って、カウンターへ戻っていった。
「カップルに間違えられちゃったね」
「私は別にいいんですけど……」
「何か言った?」
「い、いえ! 何も!」
ルーナはカップを両手で持ち、コーヒーを一口飲んだ。
「おいしいです」
ソラも口をつける。
「本当だ。おいしい」
「ルーナが前から来たかった店なの?」
「オリヴィア先生に相談したら、教えてくれたんです」
「今度、お礼言っておかないとね」
「はい」
ルーナはカップを置いた。
「あの、ソラさん。私、もうすぐ誕生日なんです」
「もしよかったら、誕生日の日も一緒に出かけてもらえませんか?」
「もちろんいいよ」
「誕生日プレゼント、何がいい?」
「えっ」
「せっかくだから、欲しいものがあったら教えてほしいな」
「図々しいんですけど……ミレアちゃんのブレスレットみたいな、身につけられるものがいいです」
ルーナが慌てて続ける。
「もちろん、そんな高いものじゃなくていいので」
「うん。任せてよ」
「ありがとうございます」
ルーナがケーキへ手を伸ばす。
ソラは胸元のピンを確かめたあと、壁に飾られた剣へ目を向けた。
古い剣だが、手入れは行き届いている。ケーキを食べている間も、時折その剣に目が留まる。
「剣、好きなのか?」
カウンターから声をかけられ、ソラが振り向く。
「え?」
「さっきから、そればっか見てるだろ」
男が壁の剣を示した。
「飾りじゃないからな。昔、大陸を旅していた頃に使ってた剣だ」
「よく手入れされていますね」
「俺を支えてくれた剣だからな」
男はカウンターを出ると、奥の引き戸へ手を掛けた。
戸の向こうには、小さな稽古場があった。奥には外へ続く別の戸も見える。
「近所の子供に、軽く剣を教えてる」
ソラが椅子から立ち上がる。
「僕の剣も見てもらえませんか?」
「兄ちゃんも剣を振るうのか」
「はい」
「他に客もいないし、一回だけ見てやるよ」
「ありがとうございます!」
「ソラさん……」
呼び止める声に、ソラが振り返る。
「すぐ戻るよ」
「そういうことじゃないんですけど……」
◇
稽古場で、ソラは渡された木刀を握った。
「ソラといいます」
「俺はザッシュだ」
ザッシュも木刀を手に取り、ソラから少し離れて立つ。
「何度か振ってみな」
「はい」
ソラは構えを取り、教わった通りに木刀を振る。足を運び、角度を変えてもう一度振り下ろした。
「お前さん、AEGISの人間か?」
ソラが木刀を止める。
「え、分かるんですか?」
「まっすぐで、きれいな剣だ。悪くない」
ザッシュも木刀を構えた。
「簡単なところから見せてやる。打ってきな」
「いきます!」
ソラが踏み込み、木刀を振り下ろす。
木刀がぶつかる寸前、ザッシュは半歩横へずれた。
振り下ろされる木刀に自分の木刀を斜めに当て、その勢いを横へ流す。
「っ」
ソラの木刀が脇へ逸れ、引っ張られるように上体が前へ崩れた。
ザッシュが木刀を返し、下から打ち上げる。
ソラの木刀が大きく跳ね上がった。
カランッ。
握っていた木刀が床へ転がった。
「力をぶつける必要はねぇ。相手が振った分を、そのまま使えばいい」
ソラは木刀を拾った。
「もう一本お願いします!」
「ソラさん……」
後ろから呼ばれ、ソラの背筋が伸びた。
「はい!」
「病み上がりなんですから、今日はそれくらいにしてください」
「……はい」
「ずいぶん心配されてるな」
「ザッシュさん」
「また、剣を教えてもらえませんか?」
「いいぞ」
ザッシュは木刀を受け取った。
「ただし、教える代わりに店も手伝えよ」
「え、店をですか?」
「こっちも暇じゃねぇからな。終わったら見てやる」
「……分かりました! 次の休みからお願いします!」
「おう」
店を出ると、ルーナが隣を歩きながら口を開いた。
「休みの日まで剣なんですね……」
「せっかく教えてもらえるんだから」
ルーナは歩きながら、指先にそっと力を込めた。
「たまには、私とも遊んでくださいね」
「もちろんだよ」




