Ⅲ写真に残る春
昼過ぎ。
レストラへ続く街道を、一台の馬車が進んでいた。
手綱を握るガイルスの隣で、ノアは流れていく景色を眺めている。
「なぁ、ガイルス。なんで今日はついてきたんだ?」
「聞きたいことがあってよ」
「なんだよ、急に」
「お前、エステリアへ行くことに、まだ抵抗があるだろ」
ノアがガイルスを見る。
「ないよ」
「嘘つけ。見てりゃ分かるっての」
「……」
「エイドのことだろ」
ノアはしばらく黙っていた。
「……まあ、ないことはないよ」
「ほらな」
「片腕になっても、これからも任務はある。危険がないわけじゃない」
ノアは空を見上げた。
「ここにいたって、いつも一緒に任務をするわけでもないしな」
「一人で全部考えんなよ」
ガイルスは前を向いたまま言った。
「俺もいるし、ルシアだっているだろ。俺たちをもう少し頼れよ」
ノアが横目で見る。
「お前、馬鹿のくせに気は利くんだな」
「馬鹿は余計だ!」
「……頼んだぞ」
「おう。任せとけ」
◇
街道の先に、色とりどりの花が見え始めた。
花の街、レストラ。
街へ入ると、道沿いの花壇には白や青、黄色の花が咲き並んでいる。
「この景色も、しばらく見納めか」
「来たければまた来りゃいいだろ」
「簡単に言うなよ」
「こういうのは勢いで来るんだよ」
「それで来られる距離ならな」
二人は街を抜け、小さな教会へ向かった。
入口へ続く道の両側にも花が並び、閉じられた扉の横では、マルタがベンチに腰掛けていた。
「おや。ノアとガイルスじゃないか。最近よく来るね」
「あの後から街はどうだ」
「ブローカーがいなくなってからは、平和なもんさ」
マルタが煙草をくわえ、火をつける。
「余生を過ごすには、ちょうどいい」
「ずいぶん落ち着いたこと言うな」
「若者みたいにせかせか生きる気はないんだよ」
マルタが煙を吐き、ガイルスへ顔を向けた。
ガイルスが手で煙を払う。
「そういや、あんたは《オラシオ》を使えるんだったね」
「俺は最強の使い手だぞ」
「自分で言うなよ」
マルタがベンチから立ち上がる。
「ちょうど困ってたところでね。二人とも、ついてきな」
「なんだよ」
「見りゃ分かるさ」
◇
教会の奥にある階段を下りていく。
「なんだ。俺たちの教会にある稽古場と似てんな」
辺りを見回すガイルスへ、マルタが答える。
「教会の稽古場なんて、どこも似たようなもんさ」
「それで、何を見せたいんだ?」
「せっかちなやつだね。もう着くよ」
階段の先でマルタが扉を開けると、中にはイリヤスとニコがいた。
「あ! ガイルス! ノア!」
「おう、ニコ」
「ノアさん、ガイルスさん。こんにちは」
イリヤスが頭を下げる。
「イリヤスもいたのか」
「二人とも、見てて!」
ニコが両手を合わせ、目を閉じる。
《オラシオ》
薄い黄色のオーラが、ニコの身体を包んだ。
「……発現したのか」
ノアが目を見開く。
「そうなんです。でも、まだ扱い方が分からなくて」
イリヤスがニコを見守りながら続ける。
「最低限の使い方を覚えるまでは、外で遊ばせるのも少し怖くて……。私のCodeとは違うので、なかなかうまく教えられないんです」
ニコが両手を離した途端、黄色のオーラが消えた。
「大丈夫だよ。先生が来たからさ」
マルタがガイルスを指す。
「おう。俺が教えてやる」
「ガイルスが先生なの?」
「そうだ。見とけよ」
ニコの前へ出て、両手を合わせる。
《オラシオ》
赤いオーラが全身を包んだ。身体の形に沿い、揺らぐことなく留まっている。
「すごい!」
「そうだろ!」
「ニコ。祈った時、力が湧いてくる感じは分かるだろ?」
「うん。なんとなくだけど……」
「今は祈るのをやめたら、すぐ消えるんだよな?」
「残そうとすると、すぐ消えちゃうの」
「無理やり従わせる必要はねぇよ。このオーラは、自分のもんだ」
ガイルスが自分を包む赤いオーラを指す。
「服を着てんだろ?」
「うん」
「その上から、もう一枚、服を着る感じだ。頭から足まで、全部な」
「えー……よく分かんないよ」
「いいから、やってみろって」
ニコがもう一度、両手を合わせる。
「祈る時は余計なことを考えるな。いつもの礼拝と同じだ」
ニコが目を閉じた。
《オラシオ》
黄色のオーラが再び身体を包む。
「そのまま。祈りをやめても、無理に残そうとするな。当たり前にそこにあるって思え」
「手を離しても、まだその服を着てると思え」
ニコがゆっくりと両手を離し、目を開いた。
「あ……」
黄色のオーラは、まだ身体を包んでいる。
「できた!」
「できたよ、ガイルス!」
「やればできんじゃねぇか! 筋がいいぞ、ニコ!」
「ありがとう!」
「……お前、本当にガイルスか?」
「どんだけ馬鹿にしてんだ!」
「大したもんじゃないか」
マルタが手を叩いた。
「受け売りだよ。俺も、こうやって教わったんだ」
「ありがとうございます、ガイルスさん」
イリヤスが頭を下げる。
「まだ終わってねぇぞ」
ガイルスがニコの前へしゃがんだ。
「まずは一日一回、三分だけ祈れ。そのあと手を離して、維持できるところまでやってみろ」
「うん」
「無理はすんなよ。いいか、一日一回だぞ」
「分かった!」
「それと、これだけは絶対に約束しろ」
「この力は、誰かを守るために使え。むやみやたらに使うんじゃねぇぞ」
ニコも真剣な顔で頷いた。
「約束する!」
「よし。いい子だ」
ガイルスがニコの頭を撫でる。
「また時間があったら、教えに来てやるよ」
「はい! ガイルス先生!」
「先生か」
ガイルスが頭を掻く。
「悪くねぇな」
「ありがとよ、ガイルス。礼にいいもんをやるよ」
マルタが声をかける。
「みんな、ついてきな」
◇
教会の前。
ノアたちは花壇のそばで、マルタが戻るのを待っていた。
「何を取りに行ったんだ?」
「さあな」
しばらくして、古びた写真機と一冊の厚いアルバムを抱えたマルタが戻ってきた。
「ガイルス、ニコ。教会の前に立ちな」
「なんだよ、急に」
「いいから」
二人が並ぶ。
「これでいいのか?」
「動くんじゃないよ」
パシャ。
続けて、もう一度シャッターを切る。
パシャ。
乾いた音とともに、写真機から二枚の写真が出てきた。
「ほら。一枚はあんたにやるよ」
マルタが一枚をガイルスへ差し出す。
そこには、ガイルスとニコが並んで写っていた。
「なんだこれ。ちょっとぼやけてんじゃねぇか」
「それを味って言うんだよ」
「そういうもんなのか?」
「そういうもんさ」
マルタがもう一枚を手元へ残し、今度はノアへ写真機を向けた。
「ノア。イリヤスと並びな」
「俺はいいよ」
「つべこべ言うんじゃないよ」
「すみません。マザーの趣味なんです」
イリヤスが苦笑する。
「……分かったよ」
ノアは諦めて、イリヤスの隣へ立った。
「もう少し寄りな」
「これで十分だろ」
パシャ。
「もう一枚いくよ」
パシャ。
出来上がった写真を見て、マルタが笑う。
「なかなか絵になるじゃないか」
「余計なこと言うなよ」
「ふふっ」
隣でイリヤスが笑った。
マルタは一枚をベンチへ置き、もう一枚を厚いアルバムへ挟んだ。
「なんだ、それ」
「思い出だよ。今まで、あたしが撮った写真が入ってる」
「結構、昔からやってんだな」
ガイルスが横から覗き込む。頁には、古い写真が何枚も並んでいた。
「あっ。マルタ、若ぇじゃねぇか」
「当たり前だろ。あたしだって、ずっとババアだったわけじゃないよ」
「そうなのか」
「ぶっ飛ばすよ」
「ガイルス!」
ニコが袖を引く。
「向こうで遊ぼうよ!」
「しょうがねぇな。行くぞ」
「こけないでくださいね」
イリヤスも二人を追っていった。
マルタがアルバムをベンチへ置く。
ノアはその隣へ腰掛け、頁をめくった。
写真の下には、写っている者たちの名前が書かれていた。
一枚の写真で、頁をめくる手が止まった。
若い三人が並んだ写真だった。
左から、紺色の髪を編み込んだ男、今よりずっと若いマルタ、柔らかな笑みを浮かべた金髪の女性が並んでいる。
三人とも、穏やかな顔でこちらを見ていた。
三人の下には、メリディア教会――ジル、マルタ、エレナと記されていた。
「……マルタ」
「なんだい」
「マザー・エレナも、メリディアの教会にいたのか?」
マルタが写真を覗き込む。
「エイドから聞いてなかったのかい?」
「何も」
「エレナは、元々メリディアの教会にいたんだよ」
「……知らなかった」
ノアは写真から目を離せなかった。
自分が知っているエレナよりもずっと若く、穏やかに笑っている。
「あの子は当時、教会の中でも指折りの《オラシオ》使いだった」
「マザーが、そんなに強かったのか?」
「そうさ」
「……想像できないな」
「今のエレナしか知らなきゃ、そうだろうね」
マルタは煙草に火をつけた。
「今じゃ不可侵条約なんてものがあるから、想像もできないだろうけどさ。あのころはAEGISと教会が顔を合わせりゃ、しょっちゅう揉めてた。表に出ないところじゃ、何度もやり合ってたのさ」
「皮肉なもんさ。戦う力を一番持っていたのが、戦うことを一番嫌っていた子だった」
「エレナは優しすぎたんだよ。神から与えられた役割だって信じて、ずっと任務をこなしてた」
「ノア。灰色戦争って、聞いたことあるかい?」
「いや」
「そうかい。もう、あんたらの世代には知られてないんだね」
煙草の先から、細い煙が上がった。
「今から二十年くらい前の話さ。ある町の遺跡で、古い遺物が見つかった。あたしも、どんなものだったかまでは知らないよ。教会の権威に関わるくらい、大事なものだったらしい」
「AEGISにも知られたのか」
「そうさね。向こうも部隊を出してきて、教会も引かなかった。三日もやり合ったそうだよ」
「町まで巻き込んだ、正面からの殺し合いさ。建物は崩れて、煙と灰で昼間でも先が見えなかった。血の匂いが、町じゅうに残ってたって話だよ」
「誰が呼び始めたのかは知らないけど、いつしか灰色戦争なんて名前がついた」
「その遺物は?」
「どうなったのかね。結局、教会もAEGISも持って帰れなかったそうだよ」
マルタは写真へ目を落とした。
「エレナが帰ってきた時の顔は、今でも忘れないさ。身体はずっと震えてて、何を聞いてもまともに答えなかった」
「ずっと手を洗ってたよ。こっちが声をかけても、聞こえてないみたいでね」
「『こんな血まみれの手で、何を祈ればいいんですか』って」
「ジルも、そのまま帰ってこなかったよ」
写真の中では、三人とも笑っている。
「それからエレナは、初めて教会から与えられた役割を拒んだ。それまでずっと教会に尽くしてきた人間だったから、無下にはできなかったんだろうね。それで、ホンスーン教会へ移ることになったってわけさ」
「……そんなことがあったのか」
「町の人間も大勢死んだのさ。そのあと、AEGISと教会で不可侵条約を決めたんだよ」
マルタがアルバムを閉じる。
「あたしが知ってるのは、それくらいさ。ホンスーンへ行ってからの二十年を、あの子がどう過ごしていたかまでは知らないよ」
表紙を撫でる。
「この写真が、最後になったからね」
ノアはしばらく黙っていた。
「……ありがとう、マルタ」
「何がだい」
「ホンスーンにいたマザーは、優しくて、厳しくて……温かい人だった」
「そうかい」
「今日、聞けてよかったよ」
マルタは何も言わず、煙を吐いた。
それから、ベンチへ置いていた一枚の写真を手に取った。
「これ、持ってきな」
「ん?」
先ほど撮った、ノアとイリヤスの写真だった。
真顔のノアの隣で、イリヤスが笑っている。
「……いらないよ」
返そうとしたところで、イリヤスが戻ってきた。
「どうしました?」
ノアは手元の写真を見た。
「……なんでもない」
そのまま懐へしまう。
マルタは煙草をくわえたまま、にやりと笑っていた。
◇
日が傾き始めた。
「そろそろ教会を閉めるよ」
「手伝うぞ」
ガイルスが立ち上がる。
「僕も!」
「じゃあ、ニコはこっちをお願いします」
「うん!」
それぞれが片付けを始める。
ノアはイリヤスと一緒に、教会前の道具を中へ運んでいた。
「そういえば」
イリヤスが口を開く。
「ガイルスさんから聞きました」
「何を?」
「ノアさん、東の街へ行かれるんですよね」
「来月からな」
「……そうですか」
イリヤスが花壇へ目を向ける。
「しばらく、ここにも来られなくなりますね」
「そうだな」
二人は黙ったまま、残りの道具を持ち上げた。
「また顔を出しに来るよ」
イリヤスがノアを見て、柔らかく笑った。
「はい。待ってます」
◇
「よし、帰るぞ!」
ガイルスの声が教会前に響いた。
「分かってるよ」
ノアが馬車へ乗り込む。
「またな、ニコ!」
「また来てね、ガイルス先生!」
イリヤスがノアを見る。
「ノアさんも」
ノアが振り返る。
教会の前に、ニコとイリヤスが並んで立っていた。
ノアは二人へ片手を上げる。
馬車がゆっくりと動き出し、花の街をあとにする。
ノアは懐の上から、写真に触れた。
何も言わず、遠ざかるレストラを見ていた。




