Ⅱ日常の続き
カイがソウレンの拠点へ戻ったのは、昼を少し過ぎたころだった。
二階建ての洋館へ入り、玄関の扉を閉める。
その肩に乗っていた金属製のクモが床へ下り、小さな脚を鳴らしながら階段を駆け上がっていった。
二階の談話室には、大きなソファと机、暖炉が置かれている。
壁一面がガラス張りで、その向こうにはテラスが続いている。
「おかえり」
丸眼鏡を掛けた男が、椅子に座ったまま手のひらを差し出した。
クモはその足元から椅子を上り、男の手へ収まる。
男がクモの背中に埋め込まれた小さな核を外すと、核は飽和し、崩れて細かな塵となった。
「つっかれたぁ……」
男は両腕を伸ばし、椅子から立ち上がる。
「お前は、ずっとここにいただろ」
「こっちはずっと操作してたんだよ。コアだってずっと使うし、見てるだけじゃないんだから」
奥の扉から、ロアンが姿を見せた。
「カイ、ニム。お疲れさまでした。任務も問題なかったようですね」
「問題ない」
「カイはいつもそれですね」
ニムは、カイが持っている小さな袋に気づいた。
「あ」
「なんだ」
「それ、ザイルさんからの追加報酬でしょ」
「そうだ」
「僕の分は?」
「ない」
「なんで!?」
「俺の報酬としてもらった」
「いやいや、待ってよ」
ニムがカイへ詰め寄る。
「ザイルさん、僕の存在を知らなかったでしょ」
「知らないな」
「僕も手伝ってたのに!」
「知られていないなら仕方ない」
「ロアンさん!」
ニムが振り返る。
「カイになんとか言ってくださいよ」
ロアンは少し考えてから、首を横へ振った。
「ああ見えて、カイは金勘定をしっかりしていますからね」
「ああ見えては余計だ」
カイがふと、ガラス窓の向こうへ顔を向けた。
「……何か、いい匂いがするな」
「ちょうど、お菓子を食べようと思っていまして」
ロアンがテラスへ目を向ける。
カイがニムを見る。
「俺が外で働いている間、お前はここで菓子まで食えるのか」
「え?」
「やはり、報酬は問題ないな」
「待って! 今のは関係ないだろ!」
「最近街で流行っているブドゥパイを買ってありますよ」
「うまそうだな」
「僕の話、終わってないんだけど!」
◇
テラスには暖かな日差しが差していた。
テーブルには、切り分けられたブドゥパイが並んでいる。
ロアンが三人分の茶を注ぐ横で、カイが一切れを口へ運んだ。
「うまいな」
「でしょ? ここのは絶品なんだ」
ニムが得意げに言う。
「お前が言うと腹が立つな」
「なんでだよ!」
ロアンがカップを置いた。
「カイ、ニム。報告があります」
二人の顔がロアンへ向く。
「ザイル社長が出頭されました」
カイの手が止まった。
「そうか」
「今後は、AEGISの管理下に置かれるそうです」
「正式な処分はこれからでしょう。ザイル社長とは以前から付き合いがありましたから、残念ではあります」
ロアンは茶を一口飲み、一枚の書類をテーブルへ置いた。
「それともう一つ。新しい護衛依頼が来ています」
「今度はどんな人物ですか?」
「ネグラ教会の教祖です」
「ネグラ?」
ニムが書類を覗き込む。
「最近、信徒を増やしている宗教団体ですね。今回も、カイには教祖のそばについてもらいます」
「分かった」
「早いなぁ。今回も僕が支援するんですか?」
「そのつもりです。他のみんなは別の依頼に出ていますから」
ロアンが、テーブルの端に置かれた金属のクモへ目を向けた。
「今使っているものより、もう少し小型にできますか?」
「これ以上小さくすると、操作が大変なんですよねぇ」
「できないんですか?」
「……できなくはないです」
「では、お願いします」
ニムは諦めたように書類をめくった。
「でも、教祖の護衛なんて珍しいですね」
「報酬も、かなり高いですよ」
その手が止まる。
「いくらくらいなんです?」
ロアンが金額を告げた。
「……え?」
ニムが顔を上げる。
「本当に?」
「どれくらいなんだ」
「これだから島育ちは……富豪街の家が一軒買えるくらいだよ!」
カイは残ったパイを口へ運んだ。
「反応それだけ!?」
「景気のいい話だな」
「報酬だけなら、いい話なんですけどね」
ロアンが書類を指で押さえた。
「依頼を受ける条件は、いつも通りです。公的機関の捜査や拘束には関与しない」
「分かってる」
「ニムも、支援をお願いします」
「……頑張りますよ」
◇
四月も後半に入ったころ。
ソラは、ゆっくりと目を開けた。
白い天井。
見慣れない部屋。
「……ここ」
「目が覚めましたか」
声のした方へ顔を向けると、医師が立っていた。
「グランディア支部の治療区画です」
「僕……」
「作戦中、頭部に強い衝撃を受けています」
医師が手元の記録を確認した。
「頭部も含めて検査しましたが、今のところ異常はありません」
「本当ですか?」
「このあと、もう一度精密検査を行います。その後、リハビリで身体の動きも確認して、順調なら退院できます」
「よかった……」
作戦後のことも、医師から説明を受けた。
多くの隊員が負傷し、亡くなった者もいる。
クラネスたち重傷者の手術は成功し、命に別状はないという。
その日の午後、医師から短時間の面会の許可が下りた。
「ソラぁぁ!」
扉が開くなり、レオンが飛び込んできた。
「会いたかったぞ、この野郎!」
「レオン……」
「本当に起きやがった!」
「少し寝すぎてたみたい」
「病室で騒がないの」
その後ろから、ミレアが入ってくる。
「あんた、事件のたびに大けがしてない?」
「……僕も、好きでしてるわけじゃないよ」
「次は、もう少し普通に帰ってきなさいよ」
「ソラさん!」
「ルーナ?」
ベッドの横まで来たルーナの目には、すでに涙がたまっていた。
「後遺症もなくて……よかったですぅぅ!」
「ちょ、ルーナ」
「ソラさぁぁん!」
「近い、近いって!」
レオンが笑う。
「ルーナは、お前が起きるまでずっとこんな感じだったぞ」
「だって、心配だったんです!」
「僕はもう大丈夫だから」
「本当によかったです……」
「ほら、もう離れなさいよ」
ミレアが後ろからルーナを引き離した。
ソラは、松葉杖をついたエリオに気づいた。
「エリオも、けがしてるじゃないか」
「僕のは大したことないよ。骨折しただけだから」
ソラは、エリオの足を固定している器具を見る。
「それ、大したことあるんじゃ……」
「人の心配より、自分の心配だよ。ソラも早く良くなってね」
「それはそうだな。とりあえず安静にしとけ」
「長居しても悪いし、そろそろ行くわよ」
ミレアが扉へ向かう。
「また来るからね」
ルーナが一礼し、エリオが手を振る。
レオンたちも続いて病室を出ていった。
一人になった病室で、あの戦いが頭に浮かぶ。
もっと、うまくできたんじゃないか。
別のやり方があったんじゃないか。
ソラは目を閉じた。
◇
「ソラ君が、目を覚ましたそうです」
リアナの言葉に、ベッドの上のクラネスが顔を上げた。
「本当か?」
「はい。後遺症もないそうです」
「本当によかった」
クラネスの顔から力が抜けた。
「それから……合同葬儀にも行ってきました」
「……そうか」
クラネスは視線を落とした。
「彼らに報いるためにも、俺たちが事件を終わらせないとな」
「はい」
しばらくして、クラネスが思い出したように口を開いた。
「そういえば、リアナ」
「はい?」
「約束、覚えてるか?」
「えっ……?」
リアナの頬が赤くなった。
「俺の傷を処置してる時だ」
「あ……食事の約束ですよね」
「覚えてたか」
「もちろんです」
「店は任せる。行きたいところがあるなら、そこでもいい」
「じゃあ、お店を考えておきます」
「予算は気にしなくていいぞ」
「本当にいいんですか?」
リアナが楽しそうに笑う。
「覚悟してくださいね」
「そんなに食うのか?」
「どうでしょう」
◇
病室を出たリアナが廊下を歩いていると、向こうから花束を持った長身の男がやってきた。
仕立てのいいジャケットに、青みを帯びた黒髪。
左側には、白銀の前髪が混じっている。
互いに軽く会釈を交わし、そのまますれ違う。
数歩進んだところで、リアナは足を止めた。
(……今の、イクスさん?)
制服姿ではなかったため、すぐには気づかなかった。
振り返ると、イクスはオリヴィアの病室がある方へ歩いている。
(お見舞いかな。それとも……恋人だったりして)
リアナは一人で少し笑い、再び廊下を歩きだした。
◇
ノックのあと、病室の扉が開いた。
「久しぶりだね、オリヴィア」
入ってきた男を見て、オリヴィアが目を丸くした。
「イクス君」
すぐに笑顔になった。
「久しぶりですね」
イクスは花束を机へ置き、椅子へ座った。
「思ったより元気そうで安心したよ」
「もう、痛みもほとんどありませんよぉ」
「最後に会ったのは、いつだったかな」
「私が教員になったころですから……四年くらい前ですね」
「もう四年か。学生だったころが、ずいぶん前に感じるな」
「そういえば、イクス君って学生のころから任務ばっかりでしたよね」
「それを言われると、返す言葉がないな」
「今も忙しいんですか?」
「相変わらずだよ。上から無茶を言われて、大陸中を飛び回ってる」
「大変ですね」
「君が入院したと聞いたから、仕事を早めに終わらせてきた」
「イクス君は、今もたくさんの人に頼られてるんですね」
「オリヴィアだって同じだろ」
「私がですか?」
「学院の生徒たちに頼られてるじゃないか」
「もう。イクス君は、いつもうまいこと言って励ましてくれますね」
「思ったことを言ってるだけだよ」
「来る途中で、今回の報告書を読んだ」
「……そうですか」
「酷い事件だったね」
オリヴィアは、自分の両手へ目を落とした。
包帯はすでに外れ、火傷の痕が残っている。
「生徒たちを巻き込んだこと、君なら気にしてると思ったよ」
「……お見通しなんですね」
「付き合いが長いからね。俺たちだって、あのころは散々だっただろ?」
「当時は、何度死ぬかと思ったか分かりませんでしたけどね」
オリヴィアが、少し懐かしそうに笑った。
「……でも、あの経験があったから今があるって、思えるようになりました」
イクスがジャケットの内側へ手を入れ、小さな包みを差し出した。
「それと、これ」
「なんですか?」
包みを開くと、中には一組の手袋が入っていた。
黒い絹地に、桃色の糸で花の刺繍が施されている。
「かわいい……」
「傷痕なんて気にしないって、君なら言いそうだからね」
イクスがオリヴィアの手を見る。
「余計なお世話かもしれないけど」
「そんなことないですよ」
オリヴィアが手袋を持ち上げる。
「こんな生地、グランディアでも見たことありませんよ」
「知人に頼んで、少し無理を言って手に入れてもらった」
「つけてみますね」
手袋に両手を通し、手首の紐を引いて合わせる。
「どうですか?」
「似合ってるよ」
「これ、すごくかわいいですね」
「気に入ってくれてよかった」
「ありがとうございます。大事にしますね」
「また今度、みんなで集まって、ゆっくり食事でもしたいね」
「AEGISの執行員さんに、そんな暇あるんですか?」
「……頑張って作るよ」
「ふふっ。期待して待ってますねぇ」
初めてあとがきを書かせていただきました。
いつも読んでくださっている方、本当にありがとうございます。
ここまで時間を使って読み進めてくださったことに、心から感謝しています。
この物語を読んでくださる方が一人でもいることを励みに、書き続けることができました。
まだまだ物語は続きますが、少しでも楽しんでいただける世界や物語を書き続けていきます。
これからも『答えのない世界で、それでも僕らは歩き出す』――『こたぼく』をよろしくお願いします。




