Ⅰ新たな局面
AEGIS総本部。
上層階の会議室には、大きな円卓が置かれていた。
その中央には大陸全図が広げられ、各地から集められた報告書が重ねられている。
席に着いているのは、三人の室長だった。
「この忙しい時期に、全都市の室長をセントリアへ呼びつけるとはね」
短く整えた明るい茶髪の細身の男が、背もたれへ体を預けた。
「よほどの話なんだろう?」
「呼ばれた時点で、それだけの事態だと分かるだろう」
向かいでは、白髪混じりの短髪をした大柄な男が答える。
「分かっているよ。ただの愚痴さ」
ウラヌが二人をなだめる。
「まあまあ。ジョエル室長もバーグ室長も、始まる前から疲れる話をするものではないよ」
会議室の扉が開いた。
入ってきたグランツとカレンを見て、三人が席を立つ。
「お疲れさまです」
「座ってくれ」
グランツが入口正面の席へ着く。
その隣で、カレンが報告書を一部ずつ配っていった。
グランツが口を開く。
「諸君。異例の招集となった理由を、カレン室長から報告してもらう」
「はい」
カレンが立ち上がる。
「発端は、グランディアで発見された偽AEGIS武器です」
広げられた大陸図には、グランディア周辺を中心にいくつもの印が付けられていた。
「製造、流通経路を追った結果、グランメル商会の関与が判明しました。その後の捜査で、人身売買にも関与していたことが確認されています」
「その後、確保したホンを狙い、正体不明の武装集団が襲撃してきました。グランメル商会代表、ザイルからの情報提供により、初めて組織名が判明しました」
開かれた頁に、その名が記されていた。
――ヴェルクス。
「現時点では、構成員、本拠地、指導者を含め、組織の全容は分かっていません」
「今回の襲撃による死者は十二名。重軽傷者は六名です」
ジョエルの表情から、先ほどまでの軽さが消える。
「以上が、現時点で確認されている被害です」
誰も口を開かない。
カレンは報告書を閉じたまま、顔を上げなかった。
「今回の被害は、私の――」
「カレン室長」
グランツがその先を遮る。
「ここは責任を問う場ではない」
グランツが三人の室長を見渡した。
「今は、次の被害を防ぐことだけを考えろ」
「……承知しました」
カレンが席へ戻ると、ジョエルは報告書をめくり、ヴェルクスの名が記された頁で手を止めた。
「偽武器に人身売買。それだけのことをして、名前一つ出てこなかったわけか」
「情報の切り分け方が徹底しているね」
ジョエルの言葉に、バーグが報告書から顔を上げた。
「問題は、こちら側にどこまで入り込まれているかだ」
ジョエルが続ける。
「各都市に協力者がいても不思議ではない」
「それで」
ジョエルがカレンへ顔を向けた。
「対策と言っても、相手の顔すら見えていないんだろう? 名前以外の手掛かりは?」
「ザイルから情報提供を受けています。しかし、取引は徹底して分断されていました。ザイル自身も、組織の主要人物については姿も名前も把握していません」
ウラヌが手元の資料へ目を落とす。
「捕らえた者たちも同じですね。ほとんどが、金で雇われただけの人間です」
「組織について知っている者はいない、と」
カレンが答える。
「現状では」
ウラヌの指が、報酬額の欄で止まる。
「ただ、提示されていた額は、どれも随分と高い」
「情報だけじゃない。金も持っているわけだ」
「そういうことだ」
グランツが大陸図へ手を置いた。
「統制された情報網と、それを維持できるだけの資金がある。だが、それだけの金を動かせば、どこかに痕跡は残る」
「各都市で洗い直せ。不自然な資金移動、違法武器の流通、Code保持者の失踪。正規物流に紛れた不審な荷や、高額報酬で集められた傭兵もだ。過去の未解決事件を含め、ヴェルクスとの繋がりがないか調べろ」
「範囲は?」
「制限は設けん」
ジョエルが円卓に広げられた大陸図を見渡した。
「随分と大仕事になりそうだ」
「だから君たちを呼んだ」
「それと、ヴェルクスの名についてだ」
「現時点で、この名を知る者は限られている。執行員、この場にいる室長、特別情報室の人間。それと、必要な一級員のみだ」
「執行員はどう動かす?」
「ザイルから提供された情報をもとに、すでに動いてもらっている」
バーグが続けて尋ねる。
「一般隊員には知らせない、と?」
「知らせない。相手にこちらの手の内を知らせる必要はない」
異論は出なかった。
「今後、関連案件の有無を月に一度、私へ直接報告しろ。緊急性のある情報は、定例を待つ必要はない」
グランツが立ち上がる。
「必要であれば、再びこの場へ招集する。以上だ。各自、戻り次第動け」
◇
グランディア支部、重症治療区画。
廊下の奥にある病室は、壁の一面が厚いガラスで仕切られていた。
その向こうで、ソラは眠り続けている。
ミレアは廊下の長椅子に座り、ガラス越しにベッドを見つめていた。
隣にはレオンが立っている。
「……後遺症が残るかもしれないって、本当なのか」
「先生がそう言ってた」
「なんで、こんな大事な時に俺はいなかったんだよ……」
「あんたがいたら、けが人が一人増えてたわよ」
「なんだと――」
言い返しかけたレオンが、ミレアの膝の上で握られた両手を見て口を閉じた。
「……そうだな」
レオンが長椅子へ腰を下ろした。
ガラスの向こうを見た。
「おい、ソラ」
返事はない。
「早く起きろよ」
◇
一般病棟では、ハインがベッドの背を起こしていた。
「ほかは?」
椅子に座っていたリノが、手元の資料を閉じる。
「クラネスさんの手術は成功しました。意識も数日で戻るだろうって。オリヴィア先生は一般病棟へ移って、リーゼちゃんは検査入院。ソラくんだけは……まだ意識が戻ってません」
「そうか」
「ソラくんをかばって、自分まで大けがしてたら意味ないですよ」
「かばったことを後悔してるわけじゃない」
ハインは天井を見た。
「だが、俺が倒れたせいで、ソラ一人に背負わせた。結果が、このざまだ」
「反省して落ち込むのは、あとにしてください」
「……手厳しいな」
「上司ですからね」
「やることは山積みなんですよ。まずは、さっさと治してください」
「……分かった」
◇
「わらわは、もう大丈夫なのじゃ!」
ベッドの上で訴えるリーゼへ、隣からオリヴィアが答える。
「駄目ですよ、リーゼさん。検査が終わるまで待ってください」
「もう何度も調べたではないか」
「念のためです」
「むぅ……」
リーゼは頬を膨らませたが、オリヴィアの両手を見て口を閉じた。
どちらの手にも、厚く包帯が巻かれている。
「先生、その手……」
「痛みは、治療で完全に消せるそうです」
「ただ、火傷の跡は残るみたいですね」
「……そうか」
「でも、皆さんを守れたのなら、これくらいは安いものです」
扉が開き、花を抱えたネアが、リアナと一緒に入ってきた。
「失礼するっす」
「お二人とも、お元気そうですね」
「わらわは大丈夫なのに、退院させてくれんのじゃ」
「学院生なのに、リーゼさんもソラくんも無茶をしすぎです」
ネアは花を机へ置き、リーゼの前まで来た。
「リーゼちゃん」
「なんじゃ?」
「そのけがのことなんすけど……ごめんなさいっす」
「私が取り逃がした男が、リーゼちゃんを襲ったみたいなんすよ」
「あの脚は、そういうことじゃったのか」
ネアは申し訳なさそうに口を結んだ。
「気にせんでよい。あやつの逃げ足まで、ネアさんの責任ではないじゃろ」
「いかにも逃げるのだけは得意そうな顔をしておったしな」
「……どんな顔っすか、それ」
ネアの口元が、少しだけ緩んだ。
「オリヴィア先生は、どれくらいで退院できそうなんですか?」
リアナが尋ねる。
「お医者様の話では、一か月ほどですね」
「一か月もですか……」
「その間、生徒たちは現場研修になりますので、しばらくお世話になります」
「こちらこそ、いつも助かっています。生徒たちのことは任せてください」
「ソラくんも……無事に目を覚ましてくれるといいですね」
オリヴィアが答えた。
「信じて待ちましょう」
◇
メリディア教会、執務室。
エイドは椅子へ深く腰掛け、煙草をくわえながら机の報告書を読んでいた。
「ヴェルクスねぇ……聞いたこともないなぁ」
床では、ガイルスが腹筋を続けていた。
数日前まで腹部に重傷を負っていたとは思えない動きだ。
「お前、回復が早すぎない?」
「筋トレの成果だな」
「関係あるのか、それ」
部屋の隅にいたルシアが、ぽつりと言う。
「ガイルス……脳みそも筋肉だから、治るのも早い……」
「どういう意味だよ!」
ガイルスが勢いよく上体を起こした。
「ヴェルクスも、俺がすぐ見つけてやるよ」
「大陸中探しゃ、そのうち見つかるだろ」
「……お前は一回、頭も診てもらえ」
扉が開き、ノアが入ってきた。
左手の上では、細かな粒子がゆっくりと動いている。
「随分、慣れてきたじゃないか」
ノアが操作を解くと、触れていた粒子がふっと消えた。
「全部分かったわけじゃない。試してみないと分からないことばかりだ」
「焦らず確かめていけばいいさ」
「しばらく訓練に付き合ってくれ」
「構わないが――あと少しの間だけな」
エイドが煙草を灰皿へ押しつける。
「どういうことだ」
「この前の件が、上の連中にずいぶん評価されたらしい。来月から、東部エステリアへ異動だ」
「……俺が?」
「聖地ルーメンも近い。出世だぞ」
「断れるのか」
「無理だろうねぇ」
「マジかよ」
「お前じゃないぞ」
「馬鹿にしてんのか」
ルシアは何も言わず、ノアを見ていた。
「俺が抜けたら、こっちはどうする」
「お前の代わりは、グランディアから一人来ることになってる」
「だから心配しなくて大丈夫だぞ」
「心配してない」
「来月からだ。一か月はあるさ」
ノアは左手を見たまま、何も答えなかった。
◇
磨き上げられた床に、二人分の足音が響いていた。
長い廊下の壁には古い装飾と灯りが並び、ほかに人影はない。
バレッサは、前を歩くブラムの背中を追っていた。
この本館へ来るのは初めてだった。
任務は失敗し、トリスは死んだ。
これから、どのような処分を受けるのか。
考えるたびに喉が渇く。
「バレッサ」
「は、はい!」
「気にするな。失敗の責任は私にある」
「でも、私にも責任が……」
「隊長とは、そのためにいる」
バレッサが口を閉じる。
「報告中は余計なことを言わなくていい。ただ前を向いていなさい」
「……分かりました」
二人は廊下の奥にある大きな扉の前で止まった。
ブラムが手をかけると、重い扉が低い音を立てて開いていく。
薄暗い部屋の奥では、一人の男が椅子に腰掛け、本を開いていた。
肩まで伸びた灰金色の髪に、装飾の少ない統一服。
壁の灯りを受けて、灰青色の瞳が二人へ向く。
ブラムが片膝をつき、バレッサも慌てて続いた。
「では、報告を聞こう」
「はい」
ブラムは顔を上げ、ホンの奪取に失敗したこと、AEGISとの戦闘、そしてトリスが死亡したことを順に報告した。
「……以上です」
ブラムが頭を下げた。
「どのような処罰であっても、受ける覚悟です」
男は本を閉じた。
「必要ない」
ブラムが顔を上げる。
「ですが、任務を果たせなかったのは事実です」
灰青色の瞳が、ブラムを正面から捉えた。
「君は、私の決定に異を唱えるのか?」
「いえ」
「なら、それでいい」
静かな声だったが、ブラムはそれ以上何も言わなかった。
男の視線がバレッサへ移り、胸の奥で心臓が強く鳴った。
「期待しているよ。ブラム、バレッサ」
「はっ!」
声が出てから、自分も返事をしたのだと気づいた。
「下がっていい。今後は、指示があるまで本館で待機しなさい」
「承知しました」
男は再び本を開いた。
バレッサがブラムに続いて部屋を出ると、大きな扉が背後で閉じた。
バレッサは、握ったままだった手をゆっくりと開いた。
処罰はされなかった。
それなのに、自分の名を呼んだ声が、いつまでも胸に残っていた。
ブラムは何事もなかったように歩き出す。
バレッサもその後を追った。
廊下の向こうから、別の足音が近づいてきた。
白髪の混じった短い黒髪。
顔には深い皺が刻まれ、肩幅は広い。
初老に見えるが、その背は真っすぐに伸びている。
身につけているのは、今とは意匠の異なる古い型の統一服だった。
ブラムが足を止めた。
「お疲れさまです、ダン様」
「堅苦しい言葉はやめろって、何度言わせるんだ」
「すみません。どうにも癖でして」
ダンがバレッサへ目を向ける。
「そっちのお嬢ちゃんは?」
「私の部下のバレッサです」
バレッサは背筋を伸ばした。
「バレッサです! 新参者ですが、よろしくお願いいたします!」
「おう、元気がいいな。よろしく頼むぜ」
「はい!」
ダンが二人の後ろにある扉を示した。
「あいつに用があってな。いたか?」
「はい。先ほど報告を終えたところです」
「じゃあな」
「お疲れさまです」
ブラムが一礼し、バレッサも慌てて頭を下げた。
ダンはそのまま、二人が出てきた扉へ向かった。
二人も歩き出したところで、バレッサは後ろを振り返った。
「ブラム隊長」
「どうした?」
「今の方は、どういった方なんでしょうか?」
「ダン様か」
ブラムは前を向いたまま答える。
「私を、この組織へ誘ってくださった方だ」
「ヴェルクスの先代指導者、ダン様だ」




