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 翌朝。


 村の入口には、小さな荷物を背負ったカンタがいた。


「じゃ、俺は漆の村へ行ってくるわ」


「ちゃんと伝えてこいよ」


 タケルが言う。


「言われなくても、そのつもりだぜ」


 カンタは山へ続く道を歩いていった。


 少しして、カイとロアンも村を出る支度を終えた。


「もう行くの?」


 スズが戸口から出てくる。


「また来る」


「今度は、もう少しゆっくりしていきなよ」


「その時は頼む」


 タケルがカイの肩を軽く叩いた。


「またな」


「ああ」


「お世話になりました」


 ロアンも二人へ頭を下げる。


 村の中から、ゴウの太い声が飛んだ。


「今度は仕事抜きで帰ってこいよぉ!」


 浜では、キョウジとタツキチが二人を見送っていた。


「カイさん! 次に来る時までに、もっと強くなってますから!」


 カイはタツキチへ片手を上げた。


 二人が村を離れると、白い砂浜と家々の屋根が少しずつ遠ざかっていった。


◇


 城下町へ戻ったのは、その日の夕方だった。


 門を抜けると、荷車の車輪が石畳を鳴らし、通りの両側から客を呼ぶ声が飛んでくる。


 港へ続く道まで来ると、ロアンがカイへ向き直った。


「案内と護衛、ありがとうございました」


「仕事だからな」


 ロアンは懐から報酬の入った袋を取り出し、カイへ差し出した。


「少し多くないか」


「多い分は、私からの気持ちです。こういう時は、お礼を言って受け取るものですよ」


「そうか」


 カイは袋を懐へ収めた。


「ありがたくもらっておく」


「これで契約は終わりだな」


「ええ」


「じゃあな、ロアン」


「また会いましょう、カイ」


 カイはそのまま人混みへ入っていった。


 ロアンは遠ざかる赤い衣を見送ると、港へ向かった。


◇


 数日後。


 港近くの一室では、机の上に絹布や漆器、真珠細工の見本が並べられていた。


 ロアンとツバキが、シオツキ側の担当者二人と机を囲んでいる。


「持ち帰るのは、絹と漆器、それに真珠細工。この三つで進めたいと思います」


「真珠も、加工した物を中心にするのですな」


「ええ。この大きさの真珠に、こちらの細工が加わる。それが売りになります」


 隣では、ツバキが港の図面を広げていた。


「船の出入りを考えるなら、この辺はもう少し空けたいね」


「倉庫は足りるか?」


「始めるだけなら、今あるもので足ります。でも、船の本数を増やすなら足りません」


 岸沿いの一角を指で示す。


「それと、潮が低い時に大型船を寄せるなら、ここは気をつけた方がいいです」


 担当者が、図面の余白へ書き留めていく。


「最初から、大きく始める必要はありません」


 ロアンが言う。


「まずは一往復です。そこで何が売れたのか、何が足りなかったのかを確かめてから増やしましょう」


「値はどう決める?」


「まずは今回買い取る値を決めましょう。向こうでいくらで売れたかもお知らせします。その結果を見て、次の取引を相談できればと」


「売れた先の値まで、こちらへ知らせると?」


「ええ。片方だけが大きく得をする値では、長く続きません。双方に利が残る基準を、一緒に作るべきです」


「……ありがたい提案だ」


 話がまとまったところで、担当者の一人がロアンを見る。


「そういえば、ロアン殿。黒鉄山の戦へ行かれたそうですな」


 ツバキが顔を上げた。


「ロアンさん、戦場へ行ったんですか!?」


「後方にいただけですよ」


「後方でも戦場は戦場です。交易をまとめてる本人に何かあったら、どうするんですか!」


「大丈夫でしたから、落ち着いてください」


「そういう話じゃありません」


「ですが、これから取引をする国で何が起きているのかは、知っておく必要があります」


 ロアンは机の上の資料へ視線を戻した。


「ただ、黒鉄山を狙った理由は、まだ残っていますからね」


◇


 会議を終え、宿へ戻る途中。


 通りを歩く者たちが、次々と広場の方へ曲がっていく。


 ロアンも人の流れを追った。


 広場に設けられた台の上には、鎧姿のサキザカが立っていた。


「皆の者、聞いてくれ!」


「先日、黒鉄山へ進んできたアラガネの先遣隊を、我らは退けた!」


「だが、奴らは懲りずに再び兵を集めている! 今度は、先日の規模ではない!」


「黒鉄山は、シオツキの鉄を支える山だ! あの地を守るため、諸君の力を貸してほしい!」


「七日後、黒鉄山手前の高原へ集え! 参加した者には、サキザカの名に懸けて報酬を約束する!」


「この知らせを、各地へ伝えてくれ!」


「俺も行く!」


「知らせを回せ!」


 声が重なる中、見覚えのある赤い衣があった。


「カイ」


 呼ばれたカイが振り返る。


「まだ城下にいたんですね」


「こっちの方が仕事はあるからな」


「カイも、黒鉄山へ?」


「ああ。一度関わった戦だ。最後まで付き合う」


「では、私も行きます」


「物好きだな」


「この国で何が起きるのか。その結果を見ずに、アルカディアへ戻るわけにはいきません」


「好きにしろ。俺との契約は終わってる」


「ええ。今度も後方へ入ります。物資を扱う仕事なら、私にもできますから」


◇


 兵の募集が始まってから七日後。


 黒鉄山近くの高原には、各地から集まった兵が次々と到着していた。


 槍を担ぐ者や弓を背負う者に混じり、食料や武器を積んだ荷車も列を作っている。


 城の常備兵も、公募に応じた者も、同じ高原へ集められていた。


 ロアンが後方の陣へ向かい、カイは割り当てられた右翼へ歩いていた。


「カイ!」


 振り返ると、タケルがこちらへ歩いてきた。


 隣にはゴウとキョウジ、タツキチもいる。


 少し遅れて、カンタも姿を見せた。


「カイも来たのか」


「ああ」


「カイなら、絶対来ると思ってたぞぉ」


 タツキチがカイを見上げた。


「俺、今度こそ役に立ってみせますから」


 キョウジは高原に並ぶ兵を見渡している。


「前とは比べものにならないな」


 兵の列は、高原の向こうまで続いていた。


 タケルが仲間たちへ顔を向ける。


「俺たちは、右翼の中央だ。行くぞ」


 六人は、固まって歩き出した。


 やがて両軍の布陣が終わり、アラガネ側から太鼓が鳴った。


 中央に並ぶ八百の兵が槍を揃え、地面を踏み鳴らしながら前へ出た。


◇


 動き出した中央八百を、シドウは馬上から見ていた。


「そのまま正面へ当て。ぶつかったら、そこで押さえとき」


 ドン、ドン、ドンッ!


 太鼓に合わせ、アラガネの中央が待ち構えるシオツキ兵へぶつかる。


 ガァンッ!


 槍が交わり、重なった盾が互いの列を押し返す。


 金属音と怒号が高原に広がった。


 シオツキの前列が押され、後ろの兵が肩を入れて支えた。


「まだや。押し切らんでええ」


 崩れかけた列を追い、兵が前へ出ようとする。


「出すぎや。戻り」


 伝令の旗が振られ、兵が列へ戻った。


 中央は激しくぶつかりながらも、どちらへも大きく動かない。


 後方では、ライドウが大薙刀を担いだまま待っていた。


 中央の足が止まったのを確かめ、シドウは戦場の端へ視線を移した。


「頃合いやな。右翼へ合図や」


「数で押し潰したらええ」


◇


 シオツキ左翼。


 アラガネ右翼の五百が、一斉に押し寄せた。


「来るぞ!」


 ガガガガッ!


 突き出された槍が盾へぶつかり、シオツキの前列が押し戻される。


 最初の列が退く前に、二列目が前へ出た。


 さらに三列目が続く。


「押せぇ!」


 休む間もなく加わる圧力に、シオツキ兵の足が地面を滑った。


 前列が崩れ、穴を埋めようとした兵の横からも槍が入った。


「左翼、二列目まで押し込まれています!」


 報告を受けたサキザカが戦場の端を見る。


 兵の列が折れ、アラガネ兵がその隙へ入り始めていた。


「予備二百を左へ回せ!」


「はっ!」


 後方に残していた兵が走り、崩れかけた列へ入る。


 新たな盾が並び、開きかけていた穴を閉じた。


「そのまま押し返せ!」


 サキザカの声に、押されていた兵たちが踏み返した。


◇


 後方にいた予備兵が、左翼へ流れていく。


「……やっぱり、すぐ動かしよったな」


「中央の左を、向こうの右翼へ寄せ」


 伝令が旗を振った。


 中央八百のうち、カイたちに近い側の隊列が斜めに進路を変える。


 向かった先は、シオツキ中央と右翼の継ぎ目だった。


「ライドウ。出番や」


 自分の身長を超える大薙刀を肩に担いでいた巨体が、顔を上げる。


「やっとか」


 シドウが、列のずれた継ぎ目を指した。


「あそこ、割ってき」


「任せろ」


 ライドウが馬腹を蹴ると、巨馬が土を蹴り上げ、中央と右翼の継ぎ目へ走り出した。


◇


 カイたちの左では、本隊とつながっていた兵の列が、こちらへ押されてきた。


「なんだ?」


 カンタが顔を向ける。


 正面から来ていた敵とは別に、本隊側からもアラガネ兵が流れ込んでいた。


 押し込んでくる兵の先頭には、馬上の巨体がいた。


「ライドウ」


 カイが刀へ手をかけた。


「またあいつかよ!」


 ライドウの大薙刀が、シオツキ兵を盾ごと薙ぎ飛ばした。


 巨馬が開いた隙間へ踏み込み、さらに一振り。


 中央と右翼をつないでいた列が、少しずつ裂かれていく。


 本隊側で伝令の旗が振られた。


「間を開けるな! 中央へ寄せろ!」


「本隊の方だ! 左へ寄れ!」


 タケルが叫ぶ。


 右翼の兵たちが、本隊との間を塞ぐために動き出した。


 カイも本隊側へ踏み込む。


 その前にはライドウがいる。


 さらに周囲から、アラガネ中央の兵が押し込んできた。


「下がるな!」


「押し返せ!」


 敵味方の声がぶつかる中、ゴウは正面から来た槍を盾で弾いた。


「こっちは任せろぉ!」


 空いた敵兵の胸元へ片手槌を叩き込み、タツキチもその横で刀を抜く。


 右後ろの丘から、草を踏む音が重なった。


 ザザザザッ――。


 最後尾にいたキョウジが振り返る。


「後ろだ!」


 低い丘の上に人影が現れた。


 十、二十では止まらない。


 地形の窪みに伏せていた兵まで立ち上がり、丘を下りてくる。


「伏せてやがったのか!」


 正面の敵に加え、左ではライドウが本隊への道を塞ぎ、右後ろからは伏兵が下りてくる。


「矢だ!」


 バシュシュシュッ!


 正面と本隊側、右後ろの丘から放たれた矢が、カイたちの頭上へ降る。


《ヒゼクト》


 タケルが両手を広げた。


 二枚の白い網が、正面と右後ろへ広がる。


 ドドドドッ!


 何十本もの矢が網へ突き刺さった。


 大きくたわんだ網が勢いを奪い、矢を地面へ落としていく。


 その外を、本隊側から飛んできた矢が抜けた。


「ぐあっ!」


 一本は兵の肩へ突き刺さり、別の矢を受けた兵もその場へ倒れた。


 一本の矢がカンタの右肩をかすめた。


「ぐっ!」


 服が裂け、血がにじむ。


「カンタ!」


「気にすんな!」


 カンタは刀を握り直した。


 ライドウの向こうに、シオツキ中央の旗が見えた。


「まだ戻れる!」


 キョウジが、近くにいた右翼の指揮役へ駆け寄る。


「本隊の方へ寄せろ! 囲まれる前に戻るんだ!」


「だが、あそこには――」


「ライドウの周りは、まだ列になってない! 今なら本隊まで抜けられる!」


 指揮役は本隊側と、丘から下りてくる伏兵を見比べた。


「全員、本隊側へ!」


 刀を上げる。


「固まれ! 左へ抜けるぞ!」


 右翼の兵が盾を寄せ、本隊側へ動き始めた。


 カイが刀を抜く。


「行くぞ!」


 先頭へ出たカイにタケルが続き、その後ろでタツキチも刀を構えた。


 正面の敵兵が、タツキチへ刀を振り下ろす。


 ガキンッ!


 タツキチは刃を外へ弾き、空いた胸元を斬った。


 右から伸びた槍を刀で打ち上げる。


 斬られた兵が倒れ、タツキチはその横を抜けてさらに前へ出た。


 背後から足音が迫った。


 タツキチが振り向きざまに刀を上げ、頭上へ落ちてきた刃を受け止める。


 その脇へ、先ほどの槍兵が踏み込んだ。


 ドスッ!


「っ――」


 槍が脇腹を貫く。


 タツキチの腕から力が抜けた。


 押し止めていた刃が、肩口から胸へ斬り下ろされる。


 ザンッ!


 タツキチは地面へ崩れ落ちた。


「タツキチ――!」


 少し先を進んでいたカンタが振り返った。


 タツキチのもとへ戻ろうとしたカンタへ、敵の槍が突き出される。


「カンタ! 前を見ろ!」


「ちくしょうっ!」


 ギィンッ!


 キョウジの声に反応したカンタが、迫った槍を刀で弾いた。


 再び振り返った時には、敵味方の兵が間へ流れ込んでいた。


 倒れたタツキチの姿が、行き交う兵の足元へ隠れていく。


 本隊側では、ライドウが戻ろうとするシオツキ兵を薙ぎ払い、進む道を塞いでいた。


 丘を下る兵の中に、周囲とは動きも装備も違う男が二人いた。


 一人は大柄な甲冑姿。


 もう一人は細身の甲冑姿だった。


 二人が先頭へ出ると、丘側へ押し返そうとしたシオツキ兵が次々と倒された。


「まずいな」


 キョウジは二人の奥へ目を向けた。


 丘の上に、伏兵へ指示を飛ばしている男がいる。


 男が腕を振るたび、周囲の兵が包囲の隙間へ走っていた。


「あいつだ」


 キョウジは弓を上げたが、間を行き交う兵に隠れ、狙いが定まらない。


 キョウジがゴウを呼んだ。


「ゴウ! 俺を持ち上げろ!」


「なんだぁ!?」


「早くしろ!」


 ゴウが敵の槍を盾で押し返し、キョウジの横へ入る。


 そのまま片腕で腰をつかむ。


「落ちんなよぉ!」


 ゴウが一気に持ち上げる。


 兵の頭より高く上がったところで、丘の男の胸元が見えた。


「弓兵だ! あいつを落とせ!」


 丘に並んだ弓兵が、揃って狙いを変えた。


「来るぞぉ!」


 ゴウが盾を上げる。


《ヒゼクト》


 タケルの白い網が、盾の上へ重なった。


 バシュシュシュッ!


 矢が盾へ突き刺さり、網へ絡め取られていく。


 その間も、キョウジは弦を引いたまま動かなかった。


 兵の間から、丘の男の胸元が見える。


「――そこだ」


 ヒュンッ!


 放たれた矢が兵の間を抜け、男の胸へ突き刺さった。


 男が倒れるのとほぼ同時に、盾と網の隙間を抜けた一本がキョウジの太腿へ深く突き刺さった。


「ぐっ!」


 キョウジの脚から力が抜けた。


「キョウジ!」


 ゴウがキョウジを地面へ下ろす。


「……脚、やられた」


 キョウジが太腿に刺さった矢へ目を落とす。


「抜くなよぉ」


 ゴウが念を押す。


「分かってる」


 丘側では、胸を射抜かれた男が倒れていた。


「指示は!?」


「どこへ回る!」


 包囲を閉じようとしていたアラガネ兵の動きが乱れた。


 丘側の列が緩み、狭まりかけていた包囲に隙間が生まれた。


 右翼の指揮役が声を張る。


「今だ! 丘へ抜けろ!」


 本隊側へ向かっていたシオツキ兵が、右後ろの丘へ向きを変えた。


 カイたちも続こうとしたが、巨馬がカイたちと丘の間へ割り込んだ。


 振り抜かれた大薙刀をかわし、カイとタケルだけが逃げる兵の列から切り離された。


 カンタは刀を鞘へ戻すと、キョウジの前へしゃがみ込む。


「背中へ乗せろ!」


「肩は大丈夫かぁ!」


「これくらい、なんともねえ!」


 ゴウがキョウジを背へ乗せる。


 カンタは両脚へ力を入れ、立ち上がった。


「行くぞ!」


 カンタが丘側の隙間へ走り、負傷した兵たちもそのあとへ続く。


 指揮役が、走りながら叫んだ。


「本隊へは戻れん! いったん戦場の外へ出て、後ろへ回るぞ!」


 敵を食い止める兵の間を抜け、カンタはキョウジを背負ったまま丘の外へ走った。


「通せぇ!」


 ゴウが逃げる兵の最後尾へ回り、追ってきた槍を盾で弾いた。


 ガンッ!


 押し返された兵へ、片手槌を叩き込む。


「カンタ! 先に行けぇ!」


 キョウジを背負ったカンタが足を止めた。


「ゴウ!」


「止まるんでねぇ!」


 伏兵の列を押し退け、先ほど丘から下りてきた大柄な甲冑の男が前へ出る。


 男が地面を蹴った。


 重い甲冑をまとった巨体が、踏み込むたびに速さを増していく。


 ドゴォンッ!


「ぐっ……!」


 ゴウの足が地面を削る。


 それでも盾を引かず、腰を沈めた。


「おらぁぁぁっ!」


 盾を下から突き上げると、甲冑の男の身体が浮いた。


 そこへ片手槌を振り下ろす。


 ゴォンッ!


 兜ごと頭を打たれ、男が地面へ崩れ落ちた。


「ゴウ!」


 キョウジを背負ったカンタが、走りながら振り返った。


「前だけ見て走れぇぇぇ!」


 周囲の槍兵が一斉に踏み込む。


 正面から来た槍を盾で弾いた直後、脇から別の槍が伸びた。


 ドスッ!


 槍がゴウの身体を貫いた。


「がっ……!」


 口から血がこぼれても、盾は落とさなかった。


 その隙に、細身の甲冑男がゴウの脇をすり抜け、丘へ逃げるカンタたちを追った。


「……行かせるかよぉ」


 ゴウは槍を身体に残したまま、盾で周囲の兵を押し退けて走った。


 足音に気づいた細身の男が振り返る。


「な――」


 ゴウの片手槌が兜へぶつかる。


 ガゴンッ!


 倒れた男へ、ゴウがもう一度槌を振り下ろした。


「おらぁぁぁっ!」


 ゴォンッ!


 兜が砕け、男の動きが止まった。


 直後、追いついた兵がゴウを取り囲む。


 ドスッ!


 ドスッ、ドスッ!


 槍が次々と身体へ突き刺さり、ゴウの手から片手槌が落ちた。


 キョウジを背負ったカンタが、残った兵とともに丘の向こうへ消える。


 それを見届けたところで、ゴウの身体がゆっくりと傾いた。


 そのまま、動かなくなった。


◇


 カンタたちが抜けた丘とは反対側。


 シオツキ本隊へ戻る道を塞ぐように、ライドウの巨馬が駆けていた。


 大薙刀が地面すれすれを薙ぐ。


 カイとタケルが、巨馬の左右へ分かれた。


 ブォンッ!


 巨大な刃が二人の間を通り抜け、巻き込まれた兵が倒れた。


 近くの兵が、大薙刀の間合いから離れていく。


 カイが巨馬の横へ踏み込み、ライドウの首元へ刀を振るう。


 ガッ!


 ライドウは大薙刀の石突きを跳ね上げ、カイの刀を受け止めた。


《ヒゼクト》


 反対側から広がった白い網が、大薙刀を捉える。


 カイが刀を返し、再びライドウの首元へ走らせた。


「二人がかりか!」


 ライドウが大薙刀を強引に振り抜く。


 バチンッ!


 白い網が弾け、カイの刀も押し返された。


《エルドラ》


 ライドウの頭上で、大薙刀が回り始める。


 一周、二周。


 回るたび、風を裂く音が鋭くなる。


 やがて風切り音が、一つの唸りへ変わった。


「来るぞ!」


《ヒゼクト》


 タケルが放った二枚の白い網が重なる。


 ライドウが大薙刀を振り下ろした。


 刃を受けた二枚の網が、大きくたわむ。


 二枚の網ごと、刃が地面すれすれまで押し込まれた。


 バチンッ!


 一枚が破れ、続けて二枚目も弾ける。


 大薙刀が低く振り抜かれる。


 カイはすでに、巨馬の側面へ回り込んでいた。


 ライドウが振り抜いた大薙刀を、そのまま頭上へ回す。


 巨馬が向きを変えた。


 回転を保った刃が、横からカイへ迫る。


《ヒゼクト》


 白い網が横薙ぎの大薙刀を捉えた。


「カイ!」


《セグレイン》


 横薙ぎの勢いが大きく鈍る。


 カイは刃の内側へ踏み込み、刀を柄へ走らせた。


 ライドウが大薙刀を力任せに引き戻す。


 白い網が弾けた。


 ガッ!


 カイの刀が柄を斬りつけた。


 だが、断ち切るまでには至らない。


「小賢しいわ!」


 ライドウが手綱を引く。


 巨馬がカイの脇を抜け、タケルへ駆けた。


 カイも追う。


 だが、巨馬の背が一気に遠ざかる。


《ヒゼクト》


 二枚の白い網が、タケルの前で重なった。


 巨馬の勢いを乗せた大薙刀が振り下ろされる。


 ギギギギッ――!


 刃を受けた二枚の網が、大きく引き伸ばされた。


「まだだぁぁぁっ!」


 それでも、大薙刀は止まらない。


 バチンッ!


 一枚が破れた。


 残った一枚へ、大薙刀が食い込む。


 カイが駆ける。


 白い網が限界まで引き伸ばされた。


 バチィンッ!


 二枚目が弾ける。


 ズバァンッ!


 大薙刀の刃が、タケルの胸から腹へ斜めに走った。


「――っ」


 タケルが地面へ崩れる。


 巨馬がその横を駆け抜けていった。


「タケル!」


 カイが駆け寄り、膝をつく。


「おい」


 返事はない。


 タケルが血に濡れた手を持ち上げる。


 こつ。


 握った拳が、カイの胸へ弱く触れた。


「……生きて、帰れよ」


 そのまま腕が落ちた。


 背後で、蹄の音が止んだ。


 少し離れた先で、ライドウが巨馬をカイへ向ける。


「強敵と認めよう」


 ライドウが大薙刀を握り直した。


 カイは立ち上がり、刀を構える。


《エルドラ》


 ライドウの頭上で、大薙刀が回り始める。


 一周、二周。


 風切り音が高くなる。


 巨馬が駆け出した。


 大薙刀が頭上から振り下ろされる。


《セグレイン》


 振り下ろされた大薙刀の動きが鈍る。


 カイが横へ身をかわす。


 大薙刀が肩先すれすれを通過した。


 巨馬がそのまま駆け抜ける。


 だが、遠ざかった蹄の音はすぐに戻ってきた。


 巨馬が再び迫る。


 回転を重ねた大薙刀が、横からカイへ襲いかかる。


 カイが身を沈めてかわす。


 巨馬はそのまま脇を抜け、大きく弧を描いた。


 次は、間に合わない。


 巨馬が正面から迫る。


 大薙刀が頭上へ振り上げられた。


 それでも、カイは目を逸らさなかった。


 ――ドクン。


 ――生きて、帰る。


《セグレイン》


 大薙刀が、止まった。


 風切り音が消える。


 〇・五秒。


 カイは止まった刃の脇へ踏み込む。


 地面を蹴った。


 馬上のライドウ、その懐へ跳び込む。


 ザンッ!


 刀がライドウの首元を斬り抜けた。


「……見事」


 ライドウの巨体が、馬上から崩れ落ちた。


 大薙刀が地面へ落ちる。


「ライドウ様が!」


 継ぎ目を塞いでいたアラガネ兵の列が乱れた。


「今だ!」


 残っていたシオツキ兵がその一角へ食らいつき、カイも続いた。


 迫る槍を刀で弾き、開いた胸元を斬る。


「道を開けろ!」


 盾を並べた兵が敵の列へぶつかり、押し開いた場所へ後ろの兵が続く。


 アラガネ兵が塞ごうとするたび、シオツキ兵が横から刀と槍を入れた。


 狭かった穴が、少しずつ広がっていく。


「本隊が見えたぞ!」


 人の隙間から、シオツキの旗が見えた。


「行け!」


 生き残った兵たちが一斉に走り、カイもその中へ入って敵の間を抜ける。


「こっちだ!」


 本隊側から伸びた手を取り、兵が次々と味方の列へ戻っていく。


 カイも最後に、その列を越えた。


 振り返った先には、タケルが倒れたまま残っていた。


◇


 シオツキ後方。


 負傷者を乗せた荷車が、次々と運び込まれていた。


「水をこっちへ!」


「包帯が足りません!」


「次の荷を開けます!」


 ロアンは積まれた木箱の間を動き、運び込まれた物を振り分けていた。


「包帯と薬は治療に当たる方へ。水は負傷者のそばまで運んでください」


「分かりました!」


 そこへ、丘から逃れてきた兵たちが駆け込んでくる。


「重傷者だ!」


 先頭のカンタは、意識を失ったキョウジを背負っていた。


「頼む!」


 治療に当たっていた者たちが集まり、カンタの背からキョウジを下ろした。


「脚に矢が残ってる!」


「抜くな! そのまま担架へ!」


 キョウジが運ばれていくのを見届け、ロアンがカンタへ近づく。


「ロアンさん……」


 息を切らしたカンタが顔を上げた。


 右肩の服が裂け、血がにじんでいる。


「カンタさんも怪我をしています」


「こんなのは後でいいんです!」


 カンタは戦場の方角へ顔を向けた。


「ゴウが……まだ向こうに残ってるんです」


 荷車の向こうから、駆ける足音が近づいてくる。


「敵だ!」


 後方を守っていた兵の声が飛んだ。


 その後を追うように、荷車の向こうから泥と血にまみれたアラガネ兵が数人現れる。


「負傷者を下げてください!」


 シオツキ兵が、負傷者を庇うように前へ並ぶ。


「ミナギ持ちだ!」


 男の周囲に、数本の矢が浮かび上がる。


 矢先がロアンたちへ向いた。


 ロアンが兵たちの前へ出る。


《アルネクト》


 ロアンの手に、白い旗が現れた。


 旗の中央で、紋章が光を放っている。


 ロアンが旗竿を地面へ突き立てた。


 白い波紋が旗の下から地面を走り、男の足元を通り抜ける。


 同じ紋章が、男の胸元へ浮かび上がった。


 浮いていた矢が、一斉に地面へ落ちる。


「……なに?」


 男がもう一度手を伸ばす。


「……なんでだ?」


「もう、使えませんよ」


「俺に何をしやがった!」


「構うな!」


 別の兵が刀を抜き、ロアンへ踏み込む。


 ガキンッ!


 カンタが割って入り、振り下ろされた刃を受け止めた。


「ロアンさん、下がって!」


◇


 アラガネ本陣。


 前線から伝令が次々と戻ってきていた。


「ライドウ様、討死!」


 シドウは馬上で報告を聞く。


「伏せていた部隊の指揮役もやられました!」


「包囲したシオツキ右翼、一部が突破!」


「中央は?」


「まだ崩れていません!」


「シオツキ左翼へ当てた五百は?」


「予備に押し返されています!」


 シドウは高原を見渡した。


「ここから勝とう思たら、失う数が多すぎるな」


「退くで」


「……よろしいのですか?」


「黒鉄山一つ取るために、兵を潰す気はあらへん」


 高原に残る部隊へ目を向けた。


「撤退の合図や。角笛、鳴らし」


「はっ!」


◇


 シオツキ後方。


 荷車の間で刀がぶつかる。


「ここで続けますか?」


 ロアンは、ミナギを封じた男から目を離さない。


 荷車の向こうに、前線から戻ってくるシオツキ兵が見え始めていた。


「本隊へ戻る道も、もう塞がれますよ」


 アラガネ兵は戦場へ目を向けた。


「……いったん退くぞ」


 一人が刀を下げた。


「だが、こいつは――」


 その時、遠くから角笛が響いた。


 ブォォォ――。


 ブォォォ――。


「撤退命令だ!」


 アラガネ兵たちがシオツキ兵から離れ、次々と駆け出していく。


 男も仲間に続いた。


 やがて、胸元に浮かんでいた白い紋章が消えた。


 ロアンが《アルネクト》を解くと、地面に突き立っていた白い旗も消えた。


◇


 アラガネ軍の後方部隊が戦線から離れていく。


 前線に残った兵がシオツキ軍を押し止め、距離が開くと、その兵たちも順に退いた。


 列を崩すことなく、アラガネ軍が高原から離れていく。


 戦場には倒れた兵と、負傷者を呼ぶ声だけが残った。


◇


 戦が終わると、担架と荷車が高原へ入った。


 歩けない者は運ばれ、まだ動ける者も肩を借りて後方へ戻っていく。


 カイはその流れに逆らい、ライドウと戦った場所へ向かった。


 砕けた地面には大薙刀が落ち、その少し先にタケルがいた。


 そばへしゃがんで身体を抱き起こすと、もう冷たくなり始めていた。


「……帰るぞ」


 タケルを背負い、死者を乗せる荷車まで運んだ。


「カイ!」


 呼び止めたのはカンタだった。


 右肩には包帯が巻かれている。


「キョウジは?」


「後ろだ。まだ意識はないけど、生きてる」


「そうか」


 カンタの目が、荷車に横たわるタケルへ移る。


「……タケル」


 名前を呼んだ声は震え、そのまま続かなかった。


 カンタは袖で目元を拭い、戦場へ振り返る。


「ゴウがいねえ。探さないと」


「タツキチもだ」


 二人は倒れた兵を確かめながら、戦場を歩いた。


 先に足を止めたのはカンタだった。


「……いた」


 折れた槍が散らばる中に、ゴウが倒れている。


 カンタがそばへしゃがみ、その肩へ手を置いた。


「……ほんと、馬鹿力だったな」


 カンタはゴウの顔を見たまま、続けた。


「最後までかよ」


 カイは近くに落ちていた片手槌を拾い、ゴウの身体の横へ置いた。


 タツキチを見つけたのは、さらに離れた場所だった。


 倒れたあとも、刀を握ったままだった。


 カンタは何も言わず、その場に立っている。


 カイがしゃがみ、柄を握る指を一本ずつ外した。


「……村に帰ろう」


 三人の身体が、同じ荷車へ乗せられた。


 負傷者を運ぶ列には、キョウジを乗せた別の荷車もあった。


 カンタとカイは、三人を乗せた荷車の両側を歩いた。


◇


 村へ続く坂道を、荷車の車輪が軋みながら上っていく。


 村の入口には、帰りを待つ者たちが集まっていた。


「戻ってきたぞ!」


 坂を見張っていた男が、家々へ向かって声を張る。


 人の間から、タツキチの母が駆けてきた。


「カイ! カンタ! タツキチは!?」


 カンタが答えるより早く、その目が荷台へ向いた。


「タツキチ……?」


 荷車へ近づき、息子の頬へ触れる。


「……タツキチ」


 返事はなかった。


 母親はタツキチの身体を抱きしめ、その場へ膝をついた。


「タツキチ……!」


 少し離れたところで、スズは動かずにタケルを見ていた。


 やがて荷車へ近づき、タケルの頬へ手を添えた。


 カイもその隣に並ぶ。


「……タケルは、俺に言った」


「生きて、帰れって」


 スズはタケルから目を離さない。


「……ちゃんと、受け取ってくれたんだね」


 頬に添えた指先で、タケルの髪を撫でる。


「……ほんと、勝手なんだから」


 タケルの頬へ涙が落ちた。


 カイは何も言わず、その隣に立っていた。


 村長が荷車の前へ出る。


 三人の顔を、一人ずつ確かめた。


「……よう帰ってきた」


◇


 数日後。


 村を見下ろす丘には、三つの穴が掘られていた。


 その先には、海が広がっている。


 三人が、それぞれ土へ下ろされた。


 スズがタケルの墓へ土を落とす。


 隣では、タツキチの母が息子の墓へ土を落としていた。


 ゴウの墓には、カンタが土を落とした。


 キョウジも村人の肩を借り、三人のそばまで進む。


 最後に、カイが一つずつ土を落としていった。


 やがて海を見下ろす丘に、三つの墓が並んだ。


◇


 それから、数週間が過ぎた。


 朝になれば漁船が海へ出て、家々の間を山へ向かう者が通っていく。


 浜には、干した網が並んでいた。


 村外れの道を、キョウジが歩いてくる。


 背には弓。


 片手には、仕留めたウサギを提げていた。


「もう山に入ってるのか」


「ああ」


 キョウジがウサギを持ち上げる。


「走れなくても、獲れるもんさ」


 カイはその獲物を見た。


「なら、問題なさそうだな」


「狩人を舐めるな」


◇


 村の一角に、何本もの材木が積まれていた。


「俺の思ってるのと違うぞ!」


「だったら、最初からちゃんと説明しろ!」


 大工が持っていた板を地面へ置き、カンタを睨む。


「俺も一緒に建ててんだから、今から直しゃいいだろうがよ」


「直すのは俺たちだ!」


 文句を言われながらも、カンタは太い材木を肩へ担いだ。


「もっとでっけぇ家にするぞ。ここで、ずっと暮らすんだからな」


 少し離れたところには、漆の村から来た許嫁がいる。


 二人はこの村で暮らすことを決めていた。


 材木を下ろしたカンタは、浜から戻ってくる小舟へ顔を向ける。


「俺も、漁師やらねえとな。人手が減った分、働かねえと」


 網を担いで通りかかった漁師が、カンタを手招きした。


「だったら、明日から来い!」


「おう!」


◇


 戦死した者の家族と負傷者には、シオツキからそれぞれ補償が支払われた。


 カイにも、ライドウを討った特別報奨が出ていた。


 受け取った袋を持ち、カイはタケルの家へ向かった。


 戸口の前には材木が積まれ、家の中を村人たちが出入りしている。


 増築した部屋には、小さな寝台がいくつか並んでいた。


 布団を抱えたスズが、カイに気づく。


「カイ」


「何してるんだ」


「迎え入れる準備よ」


 スズが布団を寝台へ置く。


「今回の戦で、家族を亡くした子がいるって聞いたの」


 外から声が飛んでくる。


「スズ! 材木はここでいいか!」


「そこに置いといて!」


「食料も持ってきたぞ!」


「ありがとう!」


 スズは、戸口を行き来する村人たちへ顔を向けた。


「全員は無理だけど、ここなら何人かは暮らせるから」


 カイは並べられた寝台を見る。


「……あいつなら、断らないだろうな」


「私もそう思う」


 カイが持っていた袋を差し出した。


「これ」


「なに?」


「ライドウを倒した報奨だ」


 スズが袋を見る。


「ここで使ってくれ」


「……いいの?」


「ああ」


 スズが両手で受け取った。


「……大切に使わせてもらうね」


◇


 夕方。


 ロアンは海辺の岩へ腰を下ろしていた。


「ロアン」


 声に振り返ると、カイが立っている。


 カイは隣まで来ると、海へ顔を向けた。


「ライドウは倒した」


「そうですね」


「戦にも勝った」


 カイの足元まで来た波が、砂を濡らして引いていく。


「……でも、何も終わってない」


 ロアンは海を見たまま、次の言葉を待った。


「俺がもっと強ければ、あいつらは死ななかったと思うか?」


「助けられた人は、いたかもしれません」


「なら、もっと強くなればいいのか」


 カイはしばらく海を見ていた。


「……でも、それじゃ次も同じか」


 ロアンは何も言わなかった。


「アラガネは残ってる」


「また黒鉄山を欲しがれば、また戦になる」


「そのたびに、戦う気のない奴まで巻き込まれる」


「戦うのは、俺たちみたいな奴だけでいい」


「アルカディアは、一つの国なんだよな」


「ええ」


「国が分かれてるから、奪い合うのか」


 カイは海の向こうを見た。


「……だったら、俺がこの島を一つの国にする」


 カイの手が、腰の刀へ触れた。


 その手が離れる。


「俺は戦うことしか知らない」


 カイがロアンを見る。


「だからロアン、俺に国の作り方を教えてくれ」


「私にも、国を作った経験はありません」


「でも、人をつなぐことならできます」


「前に、会社の話をしましたね」


「私がその会社をまとめています」


「長だったのか」


「ええ。名を、ソウレンといいます」


 ロアンがカイへ向き直った。


「カイ」


「私と一緒に、アルカディアへ来ませんか」


 カイは腰の刀へ手を添え、刃をわずかに引き出した。


 カチン。


 覗いた刃が、鞘へ戻る。


「契約成立だ」


「これからも頼む、ロアン」


「ええ。こちらこそ、カイ」


◇


 アルカディアへ渡ることを決め、カイは村の者たちへ話した。


「まあ、お前なら行くよな」


 カンタが新しい家の前で腕を組む。


「次に会う時は、俺の子どもを何人も紹介してやるからよ」


 隣にいた許嫁が、カンタの脇腹をつついた。


「何人つくるつもり?」


「今から決めることじゃねえだろ」


「言い出したのはそっちでしょ」


 カンタが話を切るように、カイへ顔を戻す。


「戻ってきたら、うまい飯と酒をたらふく食わせてやる」


「期待はしてない」


「期待くらいしとけ!」


 キョウジは背に弓を負い、村の入口に立っていた。


「行ってこいよ」


 カイがうなずいた。


 スズは、タケルの家の戸口まで見送りに出ていた。


「行ってらっしゃい。たまには帰ってくるのよ」


「分かった」


「顔を出さないと、タケルもすねるからね」


 カイはもう一度、うなずいた。


◇


 城下へ戻る朝。


 カイは一人で、村を見下ろす丘へ上がった。


 海へ向いた三つの墓が並んでいる。


 その前に立った。


「行ってくる」


 しばらく三つの墓を見たあと、カイは丘を下りていった。


◇


 出航の日。


 シオツキ港。


 船には、水や食料とともに、絹、漆器、真珠細工が積み込まれていた。


 アルカディアへ持ち帰る、交易品の見本だった。


 船員たちが出航前の確認を続ける中、ツバキは甲板と桟橋を何度も往復している。


「水、全部積んだ?」


「積みました!」


「予備の帆は?」


「下にあります!」


「食料は?」


「確認済みです!」


 ツバキが岸へ顔を向けた。


 ロアンとカイが、桟橋を歩いてくる。


「ロアンさん!」


「お待たせしました」


 ツバキは、その隣にいるカイを見る。


「それで……その人も?」


「ええ。新しい仲間です」


 カイが短く頭を下げた。


「カイだ。よろしく頼む」


「ツバキです。これから交易を担当します。よろしくお願いします」


「荷物は?」


「これだけだ」


 カイが背負った小さな荷を示す。


「少なっ」


 ツバキは船へ上がると、港の外へ目を向けた。


「帆、もう一回見て!」


「問題なし!」


「風は?」


「南東!」


 頬に当たる風を確かめ、沖へ目を凝らす。


 ツバキが息を吸った。


「よし!」


 甲板へ声を響かせる。


「出航するよ!」


「ちょっと! それは船長の台詞だよ!」


 船長が声を上げた。


「一回くらい言わせてくださいよ!」


「今回だけだからね!」


「綱を外せ! 帆を上げろ!」


「おう!」


 船員が綱を外し、帆が上がる。


◇


 船がゆっくりと桟橋を離れた。


 港に並ぶ船と、その奥の瓦屋根が少しずつ遠ざかっていく。


 ツバキは船員たちの間を歩き、帆と進路を確かめていた。


 カイは船尾へ向かった。


 城下の町並みが小さくなり、その向こうにクガネの山々が広がっている。


 やがて港が見えなくなり、家々も霞んでいく。


 ロアンは、少し離れたところに立っていた。


 最後まで残った山の稜線も、少しずつ遠ざかっていく。


「必ず戻る」


 クガネの陸影が見えなくなるまで、カイは船尾を離れなかった。


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