中・帰る場所へ
ロアンとカイは、そのまま城下の工房を回った。
織り上がった絹に触れ、軽さと丈夫さを確かめる。
真珠細工の工房では、職人が真珠を細い金具へ留めていく工程を見せてもらった。
最後に訪れたのは、漆器の工房だった。
棚には黒や朱の椀や箱が並び、奥では職人が木地へ漆を塗っている。
作業場の脇には、漆の入った桶が置かれていた。
「この漆も、近くで採れるんですか?」
「いや。漆は山から来る」
職人が北の山へ目を向けた。
「向こうの村で採ったものを、ここまで運んでくるんだ」
「カイさん。その村をご存じですか?」
「知っている」
「では、明日はそこへ行きましょう」
「かなり山道を歩く。朝早く出るぞ」
カイは工房の外へ向かった。
「まずは飯だ。行きつけがある」
◇
日が落ちる頃、二人は城下の飯屋へ入った。
焼き魚と煮物が卓へ並ぶと、カイが徳利を持ち上げた。
「飲むか?」
「少しだけ」
杯へ注がれた酒を、ロアンが一口飲む。
「……強いですね」
向かいでは、カイが平然と杯を空けていた。
「そうか?」
ロアンは杯を置き、焼き魚へ箸を伸ばした。
「今日みたいに、品を見て回るのがあんたの仕事なのか?」
「それも仕事の一つです。ほかにも、人と話をまとめたり、物を集めて運んだり」
「一人でやっているのか?」
「いいえ。会社でやっています」
「会社?」
「同じ仕事をする人間が集まって、それぞれ役割を持つものです」
「それなら、俺も村の連中と戦に出る」
「少し違う気もしますが……」
店の奥で、店主が片手をかざした。
大鍋が宙へ浮き、かまどから下りる。
ロアンがそちらを目で追うと、カイが徳利を傾けた。
「ミナギが珍しいのか?」
「珍しいわけではありません。こちらでは仕事にも当たり前に使うんですね」
「生きるために使わなくて、何に使うんだ?」
「……それが、こちらでは普通なんですね」
「あんたもミナギを使えるのか?」
「使えますよ。大したことはできませんけど」
「俺も似たようなものだ」
◇
翌朝。
領主から城外の村を訪ねる許しを得たロアンは、宿を出た。
海から吹く風が少し肌寒い。
宿の前には、すでにカイが待っていた。
「おはようございます」
「顔色が悪いな」
「少し頭が痛いです」
「酒に弱いのか?」
「昨日の酒が強すぎたんだと思いますけど」
城下を抜けると、左に朝日を受けた海、右に連なる山を見ながら街道を進んだ。
やがて道は海を離れ、山へ入っていく。
「街道といっても、なかなか急ですね。今日中に着けるんですか?」
「近道を知っている。あんたの足でも、今日中には着く」
坂を上るにつれて海は見えなくなり、道の両側を木々が埋めていく。
傾斜も、少しずつきつくなっていった。
昼を過ぎた頃、二人は山の中腹まで来ていた。
ロアンは肩で息をしながら、足を止めた。
「まだ中腹ですか。さすがに足腰にきますね」
「山を歩いたことはないのか?」
「ここまで登ったことはありませんね」
中腹までは、荷車も通れる広い道が続いていた。
やがてカイが道の脇へ向いた。
「ここを通るぞ」
木々の間に、草木に覆われかけた細い道が伸びていた。
「……ずいぶん荒れていますけど」
「近道だ」
カイは迷わず木々の間へ入り、ロアンもあとを追った。
道幅は一気に狭くなり、頭上を枝葉が覆う。
昼間だというのに、辺りは薄暗かった。
しばらく進むと、前から薪の束を担いだ男が歩いてきた。
「こんにちは」
ロアンが声をかける。
「こんにちは」
男も笑顔で返し、そのまますれ違った。
背後で薪が落ちる。
ロアンが振り向くより早く、短刀が背へ振り下ろされる。
「――え?」
《セグレイン》
迫った刃が、わずかに遅れた。
その間へカイの刀が割り込み、短刀を弾く。
キンッ!
続けて踏み込んだカイが、男の首筋を斬った。
男はその場へ崩れ落ちた。
「まだいるぞ」
左右の茂みから、男女が一人ずつ飛び出した。
男が刀を抜いてカイへ斬りかかり、女は短刀を手にカイの横を抜けてロアンへ走る。
「ちょっ――」
ロアンが後ずさった。
カイは振り下ろされた刀を外へ流し、がら空きになった男の胸元を斬り上げる。
ザンッ!
男が道へ倒れた。
その間にも、女の短刀がロアンへ迫る。
カイが女へ刀を投げた。
ヒュンッ!
刀が女の胸へ突き刺さり、その身体が道へ倒れる。
山道が静かになっても、ロアンは動けなかった。
目の前には、先ほどまで笑顔で挨拶をしていた男が倒れている。
「……最初から気づいていたんですか?」
カイは女の胸から刀を抜き、血を振り落とした。
「気づいていたわけじゃない。薪を背負っている割に、手がきれいだった」
刀を鞘へ収める。
「こういう道には、山賊も出るからな」
「それは、入る前に聞きたかったですね……」
カイはすでに先へ歩き出していた。
「行くぞ」
◇
山の向こうへ日が沈みかけた頃。
木々の間から、いくつもの屋根が見えてきた。
斜面に沿って家々が並び、その周りを山林が囲んでいる。
「着いたぞ」
「やっとですか……」
ロアンは息を切らしながら、細い道を抜けた。
村の裏手では、老人が薪を割っていた。
「ん? カイでねぇか」
「久しぶりだな、村長」
「裏から来おったんか」
老人は斧を置き、ロアンを見て眉をひそめた。
「客人まで連れて、あんな道を通ったんか」
「近かったからな」
「近けりゃいいってもんじゃないわ。最近は山賊も増えとる」
「さっき斬ってきた」
老人が口を閉じた。
「……間がいいんだか、悪いんだか」
「災難だったな」
「ええ。カイさんがいて助かりました」
「腕は立つんだがな。昔から不器用な奴で」
老人がため息をついた。
「もう暗くなる。今日は空き家を使え」
「助かります」
ロアンが頭を下げ、二人は村へ入った。
「おい、カンタ! カイが来とるぞ!」
少し離れた家の前で話していた若い男が振り向いた。
「カイ?」
赤みのある短い茶髪を無造作に跳ねさせた、細身の青年が駆けてくる。
「カイ! 久しぶりじゃん」
「久しぶりだな」
「全然顔を出さねぇから、どこ行ったかと思ったぞ」
「各国を回っていた」
「相変わらずだなぁ」
カンタはカイの肩を叩き、隣にいたロアンへ顔を向けた。
「そっちの人は?」
「仕事で護衛している。異国人だ」
「ロアンです」
ロアンが軽く頭を下げる。
「カンタです! 異国の人か。すげぇな!」
「カンタは何をしに来ている」
「俺?」
カンタが後ろの家を親指で示した。
「許嫁んとこ。昨日から来てんだよ」
「そうか」
「明日には村へ帰るつもりだったんだけど……カイも帰るんだろ?」
カイがロアンを見る。
「漆を見終えたら、俺の村にも寄るか?」
「ええ。ぜひ」
「じゃあ、一緒に帰ろうぜ」
「分かった」
カンタがにっと笑った。
「みんな、驚くぞ」
◇
翌朝。
村外れの林では、職人たちが漆の木から樹液を採っていた。
樹皮へ細い傷を入れ、にじみ出た樹液を小さなへらで器へ移していく。
ロアンは採り方と運ばれる量を確かめると、職人たちへ礼を言って村をあとにした。
「じゃあ、帰るか」
カンタが荷を背負い、三人は山道を下っていった。
道中、カンタは村の近況や今年の漁を話し続け、カイは時々短く返していた。
山を下りきる頃には、風に潮の匂いが混じり始めた。
木々の間から、青い海が見えてくる。
「もうすぐだぞ」
坂の先には白い砂浜が広がり、背後の小高い丘に沿って二十数軒の家が並んでいた。
港と呼べるほど大きなものはない。
浜には小舟が引き上げられ、干された網が風に揺れている。
ロアンが足を止めた。
「ここが?」
「ああ。俺の村だ」
村へ入ってすぐ、日に焼けた大柄な男が向こうから歩いてきた。
「お、カンタ。もう戻ってきたんか?」
「おう。ちょうど今な」
男は、その隣にいたカイへ気づいた。
「ん? カイでねぇか。久しぶりだなぁ」
「久しぶりだな、ゴウ」
「客人まで連れてきたんか?」
「カイが護衛してる客だよ」
「ロアンです。よろしくお願いします」
「ゴウだ。よろしくなぁ」
ゴウが大きな手を差し出した。
握り返したロアンの手が、すっぽりと包まれる。
「ゴウはどこ行くんだ?」
「ちょっと山にな。頼まれもんがあってよ」
「そうか」
「夕方には戻るわ。タケルの家で、またあとでなぁ」
ゴウは三人と別れ、山へ続く道を歩いていった。
少し進んだところで、カンタが足を止める。
「俺、一回家に帰るわ。あとでな」
「ロアンさんも、またあとで!」
カンタが村の中へ走っていくと、ロアンとカイはそのまま浜へ向かった。
白い砂浜では、二人の若者が木刀を打ち合わせている。
カンッ!
青みがかった黒髪を襟足で束ねた細身の青年が、少年の木刀を受け流し、その足を払う。
背には弓を負っていた。
「うわっ!」
栗色の短髪を揺らし、小柄な青年が砂の上へ転がった。
「足元が甘いぞ」
「足はずるいよ」
「戦いにずるいも何もない。油断すれば死ぬぞ」
「なんか納得いかないなぁ。刀で勝負しないと」
小柄な青年が起き上がり、木刀を構え直す。
その向こうで、細身の男はカイに気づき、木刀を下ろした。
「……カイか。珍しいな」
「いつ戻った?」
「今」
「相変わらず急だな」
少年も木刀を下ろし、カイへ駆け寄った。
「カイさん! 久しぶりです! いつまでいるんですか? 今もモノノフをやってるんですか?」
「タツキチ。一気に聞くな」
「……ごめんなさい」
「キョウジ、タケルは?」
「朝の漁から戻ってる。今なら家にいると思うぞ」
「そうか」
カイがロアンを促した。
「行こう」
二人が歩き出すと、背後からタツキチの声が飛んだ。
「カイさん! また明日、俺の稽古も見てください!」
「時間があればな」
浜から少し離れたところに、ほかより一回り大きな家があった。
「ここですか?」
「ああ」
「誰の家なんです?」
「タケル。俺の幼馴染だ」
カイは家へ向かいながら続けた。
「俺がこの村に来た頃から、ずっと一緒にいる」
戸口まで来ると、中から男が顔を出した。
「おう、カイ。久しぶりだな」
短い焦げ茶色の髪を後ろへ流した、日に焼けた青年がロアンへ顔を向ける。
「そちらさんは?」
「仕事で護衛してる異国人だ」
「ロアンです」
「タケルです。よろしく。立ち話もなんですし、どうぞ上がってください」
家に上がると、女が出てきた。
長い髪を低い位置でまとめ、畳んだ布を両腕に抱えている。
「あら、カイ」
「スズ。久しぶりだな」
「ほんとに久しぶりね」
タケルが二人を紹介する。
「こっちはロアンさん。俺の嫁のスズです」
「ロアンです。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
以前はなかった部屋が、家の奥に増えていた。
「家、変わったな」
「少し広げたんだ。そのうち子どもができたら、狭いと困るだろ」
「まだ気が早いって言ってるんだけどね」
「どうせなら、みんなが泊まれるくらいにしようって話になって」
「お前が急に帰ってきても、寝る場所くらいはあるぞ」
「それは助かる」
夕方になると、家の中に出汁の匂いが広がり始めた。
スズが鍋をのぞき込み、その隣でタケルが魚を焼いている。
「スズ。火、もう少し強くできるか?」
「人を火吹き代わりに使わないでよ」
そう言いながら、スズがかまどへ手を向ける。
炭の間で揺れていた火が、ふっと勢いを増した。
ほどなくして、戸口が開いた。
「酒、持ってきたぞー!」
「お、いい匂いするな」
カンタが大きな酒樽を抱えて入ってくる。
「それ、全部飲むつもりなの?」
「余ったら置いてくよ」
「余ったことないじゃない」
その後ろから、タツキチも顔を出した。
「母ちゃんからです」
両手に抱えた器を、スズへ差し出す。
「漬物?」
「はい。カイさんが帰ってきたって言ったら、持ってけって」
「ありがとう。助かるわ」
スズが器を受け取ったところで、外から重い足音が近づいてきた。
「おーい」
大きな包みを肩に担いだゴウが、戸口をくぐる。
「鹿肉、もろうてきたぞぉ」
タケルが包みを受け取った。
「なんか、どんどん豪華になってくな」
「料理するのは私なんだからね」
「俺もやってるだろ」
「魚焼いてるだけでしょ」
タケルは黙って魚へ向き直った。
「負けたな」
カンタが酒樽を卓の脇へ置いた。
日が沈む頃には、卓いっぱいに料理が並んだ。
遅れてキョウジも加わり、酒盛りが始まる。
しばらくすると、タツキチがロアンへ身を乗り出した。
「ロアンさん、本当に海の向こうから来たんですよね?」
「はい。アルカディアという大陸から来ました」
「どんなところなんです?」
「大きな町もありますし、暮らし方もこちらとはずいぶん違いますよ」
「へえ……」
「俺もいつか海を越えて、アルカディアへ行ってみたいな」
「お前、ほんと外に出たがるよな」
「こいつ、カイに憧れてモノノフになるって言い出してさ。キョウジに稽古をつけてもらってんだぜ」
「カンタさん! 恥ずかしいからやめてよ!」
カイは杯を置いた。
「……俺の前で言うことじゃないだろ」
「お、カイも照れてんのか?」
「違う」
カイは杯の酒を飲んだ。
キョウジが鹿肉を食べながら言った。
「そういや最近、アラガネが黒鉄山を狙ってるって噂もあるな」
ロアンが顔を向けた。
「鉄が採れるんですか?」
「シオツキじゃ、一番大きな鉄の山だ」
「アラガネというのは?」
タケルが答えた。
「すぐ隣の国ですよ」
「噂なら、噂で終わってほしいもんだなぁ」
ゴウが杯を空ける。
黒鉄山の話はそれで終わり、カンタは樽が空になるまで皆の杯へ酒を注いで回った。
夜も更ける頃、卓の脇には空になった樽が置かれていた。
スズが卓の上を片付けながら、空になった樽を見た。
「ほら。残らないって言ったでしょ」
◇
翌朝。
ロアンが綱を引いた途端、網の重みに身体を持っていかれた。
「うわっ……!」
タケルも隣で綱を握る。
「波が引いた時に、一緒に引きましょう」
「分かりました」
波が舟から離れていく。
「今です」
二人で引くと、濡れた網が海面へ浮かんだ。
銀色の魚が何匹も跳ね、小舟が大きく揺れる。
一匹が網から抜け、ロアンの足元を滑って舟べりへ向かった。
「逃げちゃいますよ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ロアンは慌てて魚を押さえ、両手で籠へ入れた。
「自分で漁までやる商人は初めて見たよ」
「港へ届いた物を見るだけでは、分からないこともありますからね」
周囲では、ほかの漁船も網を引き上げている。
獲れた魚が籠へ移され、浜へ戻る舟へ積まれていく。
ロアンは濡れた手を拭いながら、その流れを眺めていた。
◇
同じ頃。
砂浜では、タツキチが木刀を構えていた。
「はっ!」
砂を蹴り、キョウジへ打ち込む。
振り下ろされた木刀をかわしたキョウジが、空いた胴を打った。
バシッ!
「いたっ!」
タツキチが腹を抱え、砂の上へうずくまる。
「刀で勝負してほしいんだろ」
「もう少し、力加減を……」
「つべこべうるさい」
木刀の先が、タツキチの頭を小突いた。
「いててて……」
少し離れて見ていたカイが口を開く。
「踏み込む時、身体が浮いてる」
タツキチが振り返った。
「力を入れるのが早い。あれじゃ、斬る前に動きを読まれる」
キョウジから木刀を受け取る。
「こうだ」
前足が砂を滑る。
頭の高さをほとんど変えないまま、木刀が風を切った。
ブンッ!
「やってみろ」
「はい!」
◇
さらに翌日。
浜には網が干され、子どもたちの声に魚をさばく包丁の音が混じっていた。
ロアンが村を歩いていると、砂浜では今日もタツキチが木刀を握っている。
向かいのキョウジが木刀を構えた。
「来い」
「はい!」
タツキチが踏み込んだ。
横から迫る木刀へ、自分の木刀を合わせる。
カンッ!
「やるな」
キョウジが眉を上げた。
タツキチはすぐに木刀を返し、胴へ打ち込む。
キョウジは身体をひねってかわすと、その肩を打った。
バシッ!
「いてぇっ!」
「今のは良かったな」
「やった!」
顔を明るくしたタツキチへ、キョウジが木刀を向ける。
「そこで喜んでると、またやらかすぞ」
その夜も、タケルの家では皆が卓を囲んだ。
◇
翌朝。
村の入口から、馬の蹄が近づいてきた。
一騎の使者が砂を蹴り上げ、浜へ続く道を走ってくる。
「城からの知らせだ!」
浜で網を繕っていた者たちが手を止め、家々の戸口にも人が集まった。
使者は馬を降りると、村人へ声を張る。
「アラガネの先遣隊が、黒鉄山方面へ進んでいる!」
村人たちを見渡す。
「城では、すぐに動ける者を近隣から募っている! 志願する者だけでいい! 参加した者には報酬が出る!」
少し離れた場所で聞いていたタケルが、黒鉄山の方角へ顔を向けた。
「噂、本当だったか」
使者は集合場所と時刻を告げると、馬へ戻った。
蹄の音が次の村へ遠ざかっていく。
「俺は行く」
タケルが言った。
「タケルが行くんなら、俺も行かねぇとなぁ」
「二人が行くなら、俺だけ残れねえだろ」
「俺も行く」
キョウジが続く。
「俺も行きます」
「お前は残れ」
「なんでだよ」
「稽古と戦は違う」
「分かってるよ」
「それでも、俺も行くからね」
タツキチは目をそらさなかった。
カイは仲間たちを見たあと、隣のロアンへ目を向けた。
「私は行きますよ」
「……戦えないだろ」
「戦うつもりはありません」
「何しに行くんだ」
「これからシオツキと商いをするつもりですからね。何が起きるのか、自分の目で見ておきたいんです」
ロアンが続ける。
「それに、私たちの契約もまだ終わっていません」
「護衛として、一緒に来てください」
「……分かった」
「前には出るなよ」
「もちろんです」
◇
その日のうちに、近隣の村や町から集まった者たちが黒鉄山へ向かった。
城から出た兵も合流し、その数は三百ほどになった。
黒鉄山の麓に広がる平地には、すでにシオツキの陣が作られていた。
ロアンが後方へ向かおうとしたところで、鎧姿の武官に呼び止められた。
「ロアン殿だな」
「はい」
「領主様より話は聞いておる。私はサキザカだ」
サキザカがロアンの旅装を見る。
「ロアン殿は、戦えますか?」
「まったく。ただ、水や荷を運んだり、怪我人の手当てくらいならできます」
「では、後方をお願いできますか。負傷者を運び込む場所があります」
「分かりました」
「遠路より訪れた客人です。無理はなさらぬよう」
「お気遣い、ありがとうございます」
「ご心配なく。アラガネは我々が退けます」
サキザカは前線へ戻っていった。
カイたち六人は、そろって右翼へ回された。
「私は後方へ回ります。カイさんは、皆さんと行ってください」
「……分かった」
カイが仲間たちに続く。
「皆さん、どうかご無事で」
「すぐ戻ってきますよ」
カンタが答えた。
隣では、タツキチがいつもの木刀ではなく、本物の刀を握っていた。
両手で柄を強く握り、肩が上がっている。
切っ先が小さく震えていた。
「タツキチ。肩の力を抜け」
背負っていた弓を下ろしながら、キョウジが言う。
「俺たちから離れなければ大丈夫だ」
「……分かった」
ゴウは左手の盾を構え、右手に片手槌を握っている。
「向こうさん、ずいぶん集まってんなぁ」
黒鉄山の麓に広がる平地の向こうから、アラガネの兵が次々と姿を現す。
見えるだけでも、こちらの数を上回っていた。
四百を超える兵が横一列に展開し、そのままこちらへ向けて陣形を整えていく。
やがて、両軍の動きが止まった。
平地を挟み、二つの陣が向かい合う。
アラガネ側から一騎の使者が前へ出た。
シオツキ側からも、兵を連れた使者が進み出る。
「黒鉄山より兵を退け!」
アラガネの使者が声を張る。
「この地を我らに明け渡せば、無用な血を流す必要はない!」
「黒鉄山はシオツキの地だ!」
シオツキの使者も返す。
「退く理由はない!」
「ならば、力ずくでも通ることになるぞ!」
「やれるものなら、やってみろ!」
互いの使者が馬を返した。
「シドウ様。前へ出ますか?」
傍らの兵が尋ねる。
長い髪を後ろで束ねた男は、シオツキの陣を見たままだった。
「まだや。今出ても早い」
「向こうが動くまで待て」
「はっ」
シオツキの兵が武器を構える。
アラガネ側でも、無数の槍が立ち上がった。
その陣から、一頭の巨馬が進み出る。
馬上には、大薙刀を肩へ担いだ大柄な男がいた。
周囲の兵より頭一つ以上大きい。
総髪形の兜をかぶり、シオツキの陣を正面から見据えている。
巨馬が平地の中央で止まった。
ドンッ。
大薙刀の石突きが地面を叩く。
「我が名はライドウ!」
太い声が平地を抜けた。
「道を塞ぐ者は、このライドウが打ち砕く!」
「……あれがライドウか」
カンタが呟く。
「知ってるんですか?」
「名前くらいはな」
カイは黙ったまま、ライドウを見ていた。
ライドウが大薙刀を肩へ戻す。
巨馬が向きを変え、アラガネの陣へ戻っていった。
入れ替わるように、弓兵が前へ並ぶ。
「弓、構え!」
弓が一斉に上がる。
シオツキの陣からも声が飛んだ。
「来るぞ!」
無数の弦が鳴った。
バシュシュシュッ!
矢が空を覆う。
「みんな、俺のそばから離れるな!」
タケルが仲間の前へ出た。
《ヒゼクト》
振り上げた腕から、白く半透明の網が空へ広がった。
降り注いだ矢が突き刺さる。
網は大きくたわみながら、その勢いを削いでいく。
タケルが反対の腕を振ると、二枚目の網が開き、別の場所へ落ちる矢を受け止めた。
それでも、すべては拾えない。
二枚の網の間を抜けた矢が、カイたちへ迫る。
《セグレイン》
数本の矢が、ほんの一瞬だけ速度を落とした。
その間にカイの刀が走り、矢を叩き落とす。
次の矢が降るより早く、シオツキ側の弓兵も放った。
両軍の間を無数の矢が行き交う。
「進めぇ!」
号令とともに、両軍の兵が一斉に走り出した。
カイが刀を抜く。
隣ではゴウが盾を前へ出し、片手槌を握った。
タケルも刀を抜いて並び、その後ろでカンタとタツキチが刀を構える。
さらに後方で、キョウジが弓を引いた。
迫るアラガネ兵へ、カイが斬り込む。
突き出された槍を払い、懐へ入る。
一閃。
兵が崩れる。
横ではゴウの盾が槍を弾き、片手槌が敵兵を叩き飛ばした。
タケルも刀で敵兵を押し返し、カンタとタツキチがその横で刃を振るう。
ぶつかった直後から、右翼ではシオツキ側が押し始めていた。
後方で弦が鳴る。
キョウジの矢が、タツキチへ斬りかかろうとした兵の胸を射抜いた。
すぐに次の矢をつがえる。
放った矢が、今度は槍を構えた兵の肩へ突き刺さった。
その奥で、一人の男が馬上から声を飛ばしている。
「左、詰めろ!」
「前へ出ろ!」
周囲の兵が、その声に合わせて動いていた。
キョウジの矢先が男へ向く。
呼吸を止める。
ヒュンッ!
放たれた矢が兵の間を抜け、男の胸へ突き刺さった。
「ぐっ……!」
男が馬から落ちる。
周囲の兵の動きが乱れた。
「押せぇ!」
ゴウが槍を盾で弾き、片手槌を叩き込む。
カイも開いた場所へ踏み込み、迫る兵を次々と斬り伏せた。
右翼の列が、大きくアラガネ側へ食い込んだ。
その動きを見たサキザカが声を上げる。
「騎馬!」
待機していた騎馬兵が振り向いた。
「十五騎、右翼へ回せ!」
「はっ!」
蹄が地面を揺らす。
「道を開けろ!」
シオツキの兵が左右へ割れた。
ドドドドッ!
開いた道を騎馬が駆け抜け、そのままアラガネ兵へ突っ込む。
「ぐあっ!」
前列が崩れた。
騎馬が敵陣の奥へ食い込み、右翼の押し込みがさらに強くなる。
◇
アラガネの中央。
シドウは、前へ出たシオツキの右翼を見ていた。
中央との並びに、わずかなずれが生まれている。
「三十、前へ」
「はっ!」
「正面から押すだけやない。右へ寄せろ」
三十の兵がシオツキの中央へぶつかった。
槍と盾が激突する。
押された一隊が隣の隊から離れ、間に隙間が開いた。
「そこや。抜け!」
シドウの声とともに、後方に控えていた兵が隙間へ食い込む。
「予備、四十!」
サキザカの声が飛んだ。
「間を埋めろ! 残りは左から回れ!」
予備の兵が割って入り、アラガネの進撃を受け止めた。
さらに横から別の一隊がぶつかり、食い込んでいたアラガネ兵を押し返す。
シオツキの前線が再びつながっていく。
「すぐ埋めよったか」
シドウは、なおもアラガネの陣を押し込む騎馬へ目を向けた。
「ライドウ」
大薙刀を担いだ男が振り返る。
「あの騎馬を止めろ」
「任せろ」
ライドウは傍らの巨馬へまたがった。
巨馬が駆け出す。
ライドウが大薙刀を構えた。
《エルドラ》
大薙刀が大きく回る。
一度目の回転が風を巻く。
二度目には、刃の音がさらに高くなる。
先頭を走るシオツキの騎馬兵が、槍を突き出した。
「おおおおっ!」
ライドウが大薙刀を横へ振り抜く。
ドゴォッ!
騎馬兵の槍が折れた。
騎手と馬がまとめて横へ吹き飛び、後ろから来た二騎を巻き込む。
ライドウは巨馬を返した。
回転の勢いを残した刃が、逆側から迫る騎馬を薙ぎ払う。
馬と人が宙へ浮き、地面へ叩きつけられた。
「おい、人が飛んでるぞ……」
敵兵を相手にしていたカンタの声が漏れる。
「あれが、ライドウか」
タケルが刀を構え直した。
「あいつを止めないと、右翼が押し返される」
キョウジが矢をつがえる。
その横で、カイが刀を握り直した。
「面白い」
先に駆け出す。
「あの馬鹿!」
タケルとゴウも、そのあとを追った。
ライドウが巨馬をカイへ向け、大薙刀を振り抜く。
カイが身を沈めると、頭上を刃が抜け、風が髪を持ち上げた。
振り抜いた大薙刀は止まらない。
ライドウの頭上を回り、逆側から迫る。
「来るぞ!」
《ヒゼクト》
二枚の白い網が重なるように刃を受け、大きくたわんだ。
《セグレイン》
大薙刀の動きがさらに鈍る。
「おらぁ!」
ゴウが前へ出て、盾で受け止めた。
ガァンッ!
二枚の網が引かれ、盾が軋む。
刃が止まった。
後方で弦が鳴る。
キョウジの矢が、ライドウの顔へ飛んだ。
ライドウが首を傾ける。
矢が頬の横を抜けた。
その隙にカイが踏み込み、脇腹へ斬りつける。
ライドウが身をひねり、刀は鎧を削った。
「ぬっ!」
ライドウが大薙刀を強引に振り抜く。
バチンッ!
一枚の網が弾け、続けてもう一枚も破れた。
「ちょこまかと!」
ライドウが巨馬を走らせ、カイたちの周囲を回る。
大薙刀も再び回転を始めた。
刃が一周するたび、風を裂く音が鋭くなっていく。
カイが間合いへ入ろうとする。
その前を横薙ぎが通過した。
返ってくる刃は、さらに速い。
「また来るぞ!」
タケルが叫ぶ。
ライドウが手綱を引くと、巨馬が前脚を上げた。
「おおおおおっ!」
加速した大薙刀が、頭上から振り下ろされる。
「散れ!」
タケルの声に、カイたちが左右へ飛ぶ。
ドォンッ!!
地面が爆ぜた。
土と石が吹き上がり、衝撃に押されたカイが地面を転がる。
タケルも土煙の中へ倒れた。
ゴウは盾を前へ出したまま、地面を滑っていく。
「っ……なんだよ、あいつ!」
離れた場所にいるカンタが声を上げた。
「弱音を吐くな!」
タケルが身体を起こす。
カイも立ち上がり、刀を構え直した。
土煙の向こうで、ライドウが大薙刀を持ち上げる。
巨馬が正面に立つカイへ向く。
その時。
ブォォォ――。
遠くから角笛が響いた。
ライドウの動きが止まる。
もう一度、角笛が鳴った。
アラガネ兵が前線から離れ始める。
「おい、退いていくぞ!」
カンタが叫ぶ。
カイは構えを解かない。
ライドウも退いていく兵を一度見てから、カイへ顔を戻した。
「悪くなかったぞ。また戦場で会おう」
ライドウは巨馬をアラガネの陣へ向けた。
大薙刀を肩へ担ぎ、そのまま戻っていく。
「追うな!」
サキザカの命令が響く。
追いかけようとした兵たちが足を止めた。
しばらくして、平地では倒れた者の間を、負傷者を運ぶ兵が行き交っていた。
カイが刀を鞘へ収める。
近くではタケルが肩を回し、ゴウが盾に刻まれた傷を見ていた。
「結構やられたなぁ」
「壊れてないだけ、ましだろ」
カンタが大きく息を吐く。
「あー、許嫁に会いてぇ」
キョウジはタツキチの身体を確かめた。
「怪我はないか」
「大丈夫です。でも、俺……何もできませんでした」
「初めての戦で、生きて戻れた。それで十分だ」
後方から、ロアンが歩いてくる。
「皆さん、ご無事で何よりです」
盾の傷や、土にまみれた服へ目を向けた。
「後ろからでも、人が飛ばされるのが見えましたよ」
「あんなの、人間じゃねえよ」
カンタがライドウの去った方角を見る。
日が傾く頃、参加した者へ報酬が配られた。
カンタは受け取った袋を手の中で転がす。
「これなら、酒を買っても余るな」
「全部酒に使うなよ」
「分かってるって」
歩き出したカンタが、足を止めた。
少し先に、戦死した者たちが並べられている。
その中に、見覚えのある男がいた。
カンタが近づく。
「知り合いか?」
カイが聞いた。
「……漆の村で、よく会う奴だ」
カンタは報酬の袋を握ったまま、男を見下ろしていた。
◇
アラガネ側。
陣へ戻ったライドウが巨馬を降り、大薙刀の石突きを地面へつけた。
「それで、収穫はあったのか?」
シドウは、遠ざかっていくシオツキの兵を見ている。
「もちろんや」
◇
夕暮れ。
カイたちは、村へ続く道を歩いていた。
大きな怪我をした者はいない。
ゴウの盾には深い傷が残り、タケルの服もところどころ裂けている。
タツキチは歩きながら、何度も腕や肩を動かしていた。
「痛むのか?」
キョウジが尋ねる。
「いや。大丈夫」
「ならいい」
坂を下ると、海が見えた。
白い砂浜の向こうに、家々の屋根が並んでいる。
「帰ってきたぞ!」
カンタが声を上げた。
村の入口にいた者たちが、一斉にこちらを振り返る。
「タツキチ!」
一人の女が駆けてきた。
「母ちゃん!」
タツキチも走り出す。
母親は息子を抱きしめると、頭から肩まで何度も触った。
「怪我は?」
「ないって。大丈夫だから」
「本当か?」
「本当だって」
少し離れたところでは、スズがタケルの前に立っていた。
「ただいま」
「おかえり」
スズはタケルの顔を見てから、裂けた服へ目を落とす。
「怪我は?」
「これくらいだ」
「あとで、ちゃんと見せて」
「分かったよ」
カンタが二組を眺める。
「……俺も明日は許嫁んとこ行くかな」
「恋しくて仕方ないんだな」
キョウジが言う。
「生きて帰ったって、実感するだろ」
その向こうから、村長たちが歩いてくる。
戻ってきた者の顔を、一人ずつ確かめた。
「よく帰ってきたな」
◇
その夜。
タケルの家には、また皆が集まった。
「今日は飲むぞ!」
カンタが徳利を持ち上げる。
「昨日も飲んでただろ」
向かいのタケルが言った。
「今日は理由が違う!」
「何が違うんだよ」
「生きて帰ってきた祝いだよ!」
「それなら、まあいいか」
タケルが返すと、ゴウが杯を空けた。
「うめぇなぁ!」
「早いって」
タツキチは卓の端に座り、向かいのキョウジへ身を乗り出した。
「ゴウさん、あんなでかい薙刀を本当に止めたんだよ!」
「もう何回も聞いたぞ」
「だって、あれを止めたんだよ!?」
「分かったって」
卓の向こうでは、ロアンも酒を飲んでいた。
カイが杯を置く。
「ロアン」
「はい」
「明日、城下へ戻るんだろ」
「そのつもりです」
「なら、朝に出るぞ」
「ええ」
ロアンは手元の杯へ目を落とした。
「戦というものを、初めて見ました」
「そうか」
「人が死ぬのは、あっという間なんですね」
カイは酒を注ぎ直した。
「この国じゃ、身近なことだ」
杯を持ち上げる。
「だから、生きて帰った日は飲む」
ロアンも自分の杯を上げた。
「カイ」
「なんだ」
「生きてることに」
「ああ」
コツン。
二つの杯が触れた。




