Ⅲ二十の道の向こう
翌朝。
ガイルスは昨日と同じ黒いスーツを着ていた。
マルタが折りたたんだ紙を差し出す。
「紹介状だ。入口の男に渡しな」
「これだけで入れるのか?」
「話は通してある。腕っ節が強くて、仕事を探してる男ってことになってる」
ガイルスが紹介状を懐へ入れる。
「中で何か分かったら、どうすりゃいい」
「持ち出せるものがあれば持ってこい。無理なら、場所と内容を覚えて戻れ」
ノアが答える。
「俺とルシアで出入口を見ておく」
「……《クトリアス》も使う」
ルシアがガイルスを見上げる。
「外へ出れば、援護できる」
「頼りにしてるぜ」
マルタが机の上に地図を広げる。
「場所は街の外れにある古い花の競り場だ。今は新しい市場が使われてるから、何年も前に閉じてる」
「人も馬車も集められるってわけか」
「街道から外れてる。昼間なら、馬車が出入りしても花農家の荷運びに紛れる」
「先に行くぞ」
「……うん」
ノアとルシアが教会を出る。
ガイルスは襟元へ指を入れた。
「やっぱ窮屈だな、これ」
「破るんじゃないよ。借り物なんだからね」
「分かってるよ」
◇
レストラの街を外れ、花畑の間を進むと、色あせた花の看板を掲げた建物が見えてきた。
半円形の屋根の下に大扉があり、その脇に細い通用口がある。
何年も前に閉鎖された花の競り場だった。
建物の周囲には、壊れた荷車や木箱が残されている。
ノアとルシアは、競り場を見下ろせる斜面に身を伏せた。
「俺は裏へ回る」
「……私は正面を見る」
「何かあったら呼べ」
「……分かった」
二人が持ち場へ移る。
しばらくして、ガイルスが花畑の道に現れた。
競り場へ向かい、通用口の前で足を止める。
「止まれ」
「紹介を受けて来た」
ガイルスが懐から紹介状を取り出し、男へ渡す。
男は紙を開き、末尾に押された印を確かめた。
「聞いてる。入れ」
紹介状を返し、通用口を開ける。
ガイルスが中へ入ると、男も続いて扉を閉めた。
斜面に残ったルシアのそばに、白い眼が現れる。
白い眼は競り場の屋根より高く上がり、建物の周囲を見下ろした。
◇
競り台の前の広間に、五十人近い男たちが集まっていた。
左右には、段差状の木製客席が並んでいる。
正面には、かつて花を並べていた競り台が残され、その脇に奥へ続く通路があった。
ガイルスは壁際に立つ。
近くにいた男が声をかけてきた。
「おい、あんたも報酬に釣られた口か?」
「まあな」
「見たところ、護衛か」
「荷運びよりは向いてるだろ」
「そりゃそうだ」
競り台脇の通路から、一人の若い女が出てきた。
ショートパンツの右太ももには、細長いケースが付いている。
その後ろには、肩幅の広い男がついていた。
若い女が競り台へ上がる。
「はーい、みんな集まってくれてありがとー」
両手を叩き、男たちを見渡す。
「今回の仕事を回すのは私。まず役割を分けるね」
広間の左右を指す。
「馬車を扱える人は右。荷運びは左。武器を使える人はその場に残って」
男たちが動き始めた。
二十人ほどが右へ移り、何人かが左へ向かう。
ガイルスを含めた残りは、その場に留まった。
「使う馬車は二十台。全部、同じ時刻に出てもらうよ。どの道を使うかは、これから渡す紙を見て」
一人の男が手を上げる。
「荷は何だ?」
「知らなーい」
「知らない?」
「私も聞いてないからね。荷を開けなきゃ問題ないでしょ」
「報酬は?」
「仕事が終わったら全額。途中で逃げたらなし」
肩幅の広い男が、奥の部屋から紙の束を運んでくる。
若い女は一枚ずつ確認し、集まった者へ渡していった。
「紙には馬車の番号と役割、使う道と時間が書いてある。同じ番号の人と裏庭で合流してね」
ガイルスの前にも一枚の紙が差し出された。
紙には「七番」とあり、その下に護衛と記されていた。
出発は正午。使う道と二つの通過地点、それぞれの時刻も続いている。
「あなたは七番の護衛ね」
「一人か?」
「ほかにもいるよ。顔合わせは馬車の前で」
若い女は次の男へ紙を渡す。
ガイルスは紙を折り、懐へ入れた。
肩幅の広い男が、再び奥の部屋へ向かう。
ガイルスは男が入った扉を見た。
「紙を受け取った人から裏庭へ行って。まだの人はここで待っててね」
ガイルスは、ほかの男たちと競り台脇の通路へ向かう。
裏庭には、番号を付けた二十台の馬車が並んでいた。
男たちは手元の紙を見ながら、それぞれの馬車へ向かっていく。
ガイルスは七番の馬車を確認し、通路を振り返った。
人影はない。
そのまま引き返し、紙を運び出していた部屋へ入る。
壁際の机には、一から二十までの経路表が並べられていた。
ガイルスが「一」の経路表を開く。
出発は正午。
使う道と二つの通過地点、その時刻が記されている。
「二」も出発は正午だった。
だが、道も通過地点も違う。
三、四、五。
すべて正午に出発し、別々の道を使う。
二十台の馬車を、同時に散らすつもりらしい。
ガイルスが経路表を戻す。
シュンッ!
その背後に、若い女が現れた。
「え、それ見る?」
ガイルスが振り向く。
一瞬前まで、そこには誰もいなかった。
「道を間違えたんだよ」
「そう」
若い女が通路へ向かって呼ぶ。
「ダリオ」
大きな足音が近づいてきた。
肩幅の広い男が扉の前に立つ。
「どうした、イラちゃん」
「その人、勝手に入ってきた」
ダリオがガイルスを見る。
「そうなのか?」
「違うって言ったら信じるのか?」
「イラちゃんが嘘を言う理由がないからな」
ダリオが若い女を背中へ隠す。
「イラニ、下がってろ。俺がやる」
「お願い。私は外を見てくる」
「一人で行くのか?」
「こいつの仲間がいるかもしれないから」
ダリオはガイルスから目を離さない。
「危なくなったら呼べよ」
「分かってる」
イラニが通路へ向かう。
ガイルスも続こうとしたが、ダリオの巨体が扉を塞いだ。
「行かせない」
《ドドレグ》
ダリオの両肩に光が集まり、二本の腕が現れた。
肩から伸びた二つの拳が、左右からガイルスへ迫る。
ガイルスは両腕で受けた。
その下から、ダリオ自身の右拳が伸びる。
ドッ!
「ぐっ!」
拳が腹へ入り、ガイルスが後ろへ下がる。
さらに四つの拳が続く。
ガイルスは両腕で受けながら、広間の奥にある集荷場まで押し込まれた。
集荷場には、出荷に使われていた木箱がいくつも積まれている。
先ほどガイルスへ声をかけた男が、二人へ顔を向ける。
「面倒事まで報酬に入ってねぇぞ」
男は紙を持ったまま裏庭へ向かい、ほかの者たちも争いを避けて馬車へ移っていった。
集荷場の中央まで下がったガイルスが、両手を合わせる。
《オラシオ》
赤いオーラが身体を包み、背中から獣のような二本の腕が現れた。
「そのCode……お前も、教会の人間か」
「だったらどうした」
「また俺たちを殺しに来たのか」
「殺しに来たわけじゃねぇ」
「前もそう言って、俺たちを襲った」
ダリオが床を蹴る。
「イラニには近づけさせない」
四本の腕が、一斉にガイルスへ襲いかかった。
◇
建物の裏手。
裏口を開けたイラニの前に、ノアがいた。
「止まれ」
「やっぱり仲間がいたんだ」
「中の男を出せ」
「それはダリオに言って」
「なら、お前を押さえる」
「んー、それは困る」
建物の中から、拳がぶつかる音が響いた。
「大人しくしてろ」
「ダリオを置いて? それは無理」
イラニが花畑へ駆け込み、ノアもあとを追う。
花の列の間には、細い道が何本も通っていた。
ノアが距離を詰めると、イラニは花の列を横切り、ノアの周囲を大きく回り込んだ。
「何のつもりだ」
「別にー」
イラニが右太もものケースの留め具を押す。
カシュッ!
ケースに収まっていたナイフの柄が、一斉に起き上がった。
その中から二本を抜き、ノアへ投げる。
ヒュヒュッ!
ノアが右腕を上げる。
バチィイッ!
腕を覆っていた服が粒子になって消え、緑の光を帯びた右腕が現れた。
白い刻印が、その腕全体に浮かび上がる。
キンッ!
二本のナイフが右腕に弾かれ、花の間へ落ちた。
「……その腕、刃も通らないんだ」
続けて投げられた一本も、ノアが右腕で弾く。
《レムディス》
シュンッ!
イラニの姿が消えた。
次の瞬間、ノアの背後に現れる。
ヒュッ!
ナイフが二本飛んできた。
ノアが頭を下げると、二本の刃が髪の上を抜けていった。
イラニが腰の後ろから短い棒を抜く。
カシャンッ!
棒が前後へ伸び、一本の警棒になった。
シュンッ!
イラニの姿が消え、ノアの右側に現れる。
警棒が横から迫った。
ノアが右腕を上げる。
警棒が右腕の下を抜けた。
ドッ!
ノアの左脇腹へ入る。
「ぐっ……!」
二歩よろめいたノアを追い、イラニが警棒を振り上げた。
上空の白い眼が、イラニへ向く。
《クトリアス》
振り上げられた警棒が止まった。
「……あれ?」
イラニの視線がノアのいた場所を通り過ぎ、その向こうへ向けられる。
ノアが足音を殺し、イラニへ近づく。
あと三歩。
パキッ。
踏み出した足で、花の茎が折れた。
シュンッ!
イラニの姿が消え、裏口の前に現れる。
頭上の屋根が白い眼の視線を遮った。
「そこにいたんだ」
イラニがすぐに花畑へ走り出す。
◇
集荷場。
ダリオの四つの拳が迫る。
ガイルスは両手を合わせたまま、二本の獣腕を前へ出した。
獣腕が太くなる。
ガガガガッ!!
左右の獣腕が、四つの拳を正面から受け止めた。
ダリオの右肩から伸びた腕が振り下ろされる。
ガイルスは身体を覆う赤いオーラを右の獣腕へ集め、その拳を受け止めた。
ダリオ自身の左拳が伸びる。
ドッ!
「ぐっ!」
拳がガイルスの脇腹へ入った。
ガイルスは右の獣腕を引き、左の獣腕を太くして横から振るう。
右肩を覆う赤いオーラが薄くなった。
ダリオは肩から生えた二本の腕で、太くなった獣腕を押さえ、自身の右拳を突き出した。
ドッ!
拳がガイルスの右肩へ入る。
ガイルスが後ろへ下がった。
「ずいぶん、器用じゃねぇか」
「お前もな」
ダリオがガイルスの両手を見る。
胸の前で、ずっと合わされたままになっている。
ガイルスが二本の獣腕を大きく振った。
ダリオが低くかがむ。
赤い腕が頭上を抜けた。
「その手か」
ダリオが四本の腕を引き、合わされた両手へ打ち込んだ。
ドンッ!!
「ぐっ……!」
ガイルスの両手が弾き離される。
バシュッ!
二本の獣腕が形を失い、赤いオーラがガイルスの身体へ戻った。
「祈らないと動かせないんだな」
「もう、その手は合わせさせない」
左右から拳が続き、肩から伸びた二本が上から打ち込まれる。
ガイルスは両腕で頭と腹を守った。
ドドドドッ!
拳を受けるたび、身体を覆う赤いオーラが弾け散る。
ゴッ!
ダリオの拳がガイルスの頬を捉えた。
ガイルスの身体が横へ吹き飛び、床を転がる。
「やってくれるじゃねぇか……!」
ガイルスはすぐに立ち上がった。
赤いオーラは、ガイルスの周囲で途切れ途切れに揺れていた。
◇
花畑。
シュンッ!
イラニがノアの左から消え、右に現れる。
ヒュッ!
飛んできたナイフを、ノアが右腕で弾いた。
イラニが再び消える。
今度は背後。
ノアが振り向き、迫る警棒をのけぞってかわす。
反撃に出る前に、イラニの姿が消えた。
次に現れたのは正面。
ノアが拳を伸ばすより先に、また姿を消した。
「何度でも飛べるのか」
「教えると思う?」
白い眼が高度を下げ、花畑に残った足跡を追う。
初めにイラニが走った跡は、ノアの周囲に大きな輪を描いていた。
姿を現した場所では、その上に新しい靴跡が重なっている。
ルシアが顔を上げる。
「ノア。裏口を押さえて」
イラニが太もものケースからナイフを三本抜いた。
ヒュヒュヒュッ!
ノアは避けず、前へ出る。
キンッ!
右腕で二本を弾き、残る一本が頬をかすめた。
シュンッ!
イラニが背後へ戻る。
「後ろ!」
ルシアの声が飛ぶ。
ノアは振り向かず、裏口へ続く道へ走った。
イラニも建物の裏口へ走る。
ノアは花の列を斜めに横切り、扉の前へ回り込んだ。
イラニは速度を落とさず、警棒を振るう。
ノアがかがむと、警棒が頭上を抜けた。
シュンッ!
イラニの姿が消える。
花畑の中央に、その姿が現れた。
花の列の向こう。
ノアはまだ、裏口の前にいた。
白い眼が、二人の周囲に残った足跡を見下ろす。
「……今なら、どこに戻っても分かる」
◇
集荷場。
ダリオの拳が、ガイルスの両腕を叩き続ける。
身体を覆う赤いオーラは、拳を受けるたびにはがれ、途切れた箇所が増えていた。
ダリオが四本の腕を引き、拳を一斉に突き出す。
ガイルスは両腕で頭と腹を守ったまま、前へ出た。
ドドドドッ!
四つの拳が両腕と肩を打つ。
それでも足を止めず、ダリオの目の前まで入る。
ガイルスが両腕を開く。
ゴッ!
額をダリオの顔へ叩きつけた。
ダリオがよろめいた。
その間に、ガイルスが両手を合わせる。
《オラシオ》
赤いオーラが集まり、二本の獣腕が現れた。
ダリオがすぐに踏み込む。
ガガガッ!!
二本の獣腕と、四つの拳がぶつかり合う。
肩から生えた二本の腕が、右の獣腕を押さえ込む。
ダリオ自身の拳が、ガイルスの腹へ入った。
ドッ!
「がっ……!」
今度は、拳を止める赤いオーラがない。
「守りを捨てたのか」
「全部使わねぇと、作れねぇんだよ」
左右の獣腕の付け根から、赤いオーラが伸びていた。
ガイルスの背中でつながり、二つの肩が張り出す。
その間に、厚い胸が形を持ち始めた。
ダリオが四本の拳を振るう。
二本の獣腕が太さを変えながら受け止める。
その間にも、胸の上から太い首がせり上がった。
ダリオの拳が獣腕の間を抜け、ガイルスの腹へ入る。
ドッ!
ガイルスの口から血が落ちた。
それでも両手は離れない。
太い首の先に、獣の頭が形を取る。
頭の左右から、二本の太い角が伸びた。
「完成する前に止める」
ダリオが獣腕を左右へ押し広げる。
四本の腕を引き、合わされた両手へ向けて放った。
四本の拳が、再びガイルスの両手へ迫る。
届く寸前、二本の獣腕が内側から跳ね上がった。
ドガッ!!
ダリオの四本の腕が左右へ開く。
「――っ!」
開いた四本の腕の間へ、赤い獣が頭から突っ込んだ。
ドォンッ!!
その額が、ダリオの胸を捉える。
ダリオの身体が床から浮いた。
そのまま集荷場の奥まで飛ばされ、積まれた木箱へ突っ込む。
ダリオの肩から生えていた二本の腕が消えた。
赤い獣も形を失っていく。
ガイルスが両手を離し、その場に片膝をついた。
「……やっと、できた」
ダリオは動かなかった。
◇
花畑。
白い眼が、イラニと周囲の足跡を見下ろしている。
《クトリアス》
イラニの目から、ノアの姿が消えた。
「また……消えた」
正面にも、左右にも、ノアはいない。
シュンッ!
イラニが少し前の足跡へ戻る。
そこも白い眼の下だった。
ノアの姿は見えない。
「そういうこと……」
イラニが警棒を構える。
花を踏む音が、正面から近づいてくる。
音へ向けて警棒を振った。
ノアの右手が警棒をつかむ。
バチィイッ!
緑の光が弾け、警棒がつかまれた場所が粒子になって崩れていく。
「……!」
イラニが警棒から手を離し、後ろへ下がろうとする。
その首を、緑の光を帯びた右手がつかんだ。
「動くな」
《クトリアス》が解除され、イラニの目の前にノアが現れる。
警棒だった粒子が、二人の足元へ落ちた。
「動けば、次は首を崩す」
イラニの動きが止まる。
建物の裏口から、重い足音が聞こえてきた。
ガイルスが花畑へ出てくる。
片腕で腹を押さえ、もう片方の腕でダリオを引きずっていた。
「クソ重てぇ……」
ガイルスがダリオを地面へ下ろす。
「こっちは、のしたぞ」
「ダリオ!」
イラニが一歩踏み出そうとする。
ノアの指に力が入り、イラニが足を止めた。
「生きてる」
ガイルスが答える。
「当分、起きねぇだろうけどな」
「待って」
イラニがノアを見る。
「話す。知ってることは全部話すから、ダリオには何もしないで」
「何を知ってる」
「二十台分の経路と出発時間。御者も護衛も、私が集めた」
「荷物は?」
「知らない。本当に聞かされてない」
「依頼人は?」
「直接は会ってない。受け取ったのは指示と報酬だけ」
「経路と時間を全部出せ」
「分かった」
「それと、仕事は予定どおり続けろ」
「え?」
「ここで止めれば、依頼した奴に気づかれる。二十台を予定どおり走らせろ。経路はこっちで追う」
イラニが倒れているダリオを見る。
「それで、ダリオを見逃す?」
「全部終わるまでは、二人とも捕らえない。そのあとのことは、俺だけじゃ決められない」
「……分かった。取引成立」
ノアがイラニの首から手を離す。
ルシアが白い眼を消し、斜面から花畑へ降りてきた。




