Ⅱ仕組まれた仕事
セントリア、グランメル商会。
大きな窓から、夕暮れの街並みが見渡せる。
ザイルは執務机で、数枚の書類へ目を通していた。
その横には、マーサが立っていた。
「昨日、AEGISがグランディアでこちらにつながる手掛かりを拾ったと報告が入りました」
「情報の流れから、製造工場の線かと」
「そこなら問題ない」
ザイルは書類を机へ戻した。
「あの工場から商会の名まではたどれる。だが、私たちの関与を証明するものは残していない」
「商会の物流記録も調べられるかと思われます」
「そこまでは仕方ない。正規の取引に混ぜてある。箱を運んだだけでは罪には問えない」
「承知しました」
「ほかの場所も、残っている情報は切っておいてくれ」
「先日の教会の者たちは、いかがいたしましょう」
「放っておけばいい。彼らが追っていたのは、過去の人身売買だ。今の件まではたどれない」
ザイルは椅子から立ち上がり、壁際の鏡で襟元を整えた。
「そろそろ時間か?」
「間もなくです」
「出迎えを頼む」
「承知しました」
マーサが執務室を出る。
昇降機の前へ着くと、到着を知らせる音が鳴った。
扉が左右へ開き、一人の男が姿を現す。
ダークブラウンの短髪を横へ流した、細身の男。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
男はマーサの案内に従い、応接室へ入った。
室内では、ザイルが待っていた。
「お久しぶりです、ザイル社長」
「こちらこそ。お待ちしていました、ロアンさん」
マーサが二人の前へ紅茶を置く。
「先日は護衛を引き受けていただき、ありがとうございました」
「メリディアの製造工場では、カイさんが侵入者に気づいてくれたおかげで、こちらもすぐに対応できました」
「お役に立てたなら何よりです」
「侵入者を退けていただいた。それだけで十分です」
「レストラまでの輸送に付き合っていただいたカイさんにも、感謝しているとお伝えください」
「伝えておきます」
ロアンがカップをソーサーへ戻す。
「それで、今回のお話ですが」
「現在の護衛契約を拡大したい。可能であれば、人員も増やしていただきたい」
「難しいですね」
「費用は上乗せします」
「金額の問題ではありません」
「昨日、AEGISが複数の場所へ強制捜査に入ったと聞いています」
「情報が早いですね」
「先に危険を知るのも、護衛の仕事ですから」
「私たちは中立です。AEGISと正面から争う契約は受けられません」
「商会を守るために、AEGISと戦えと頼んでいるわけではありません」
「では、AEGISが商会へ捜査に来た場合、私たちは道を開けます。それでも人員を増やす必要がありますか?」
「分かりました。増員の話は取り下げましょう」
「ご理解いただけて助かります」
「代わりに、一つだけ依頼したい」
ザイルがテーブルの端に置かれていた封筒を取る。
「内容を伺いましょう」
封筒から一枚の地図を抜き、ロアンの前へ広げた。
グランディアから伸びる一本の道に、赤い線が引かれている。
「カイさんに、書類を運んでもらいたい」
「グランディアにいる弊社の人間から、古い取引契約書を受け取る。この道を使い、指定した保管庫まで届けていただきたい」
「今は使われていない道ですね」
「先代が使っていた輸送路です。現在の通常業務では使っていません」
ロアンが赤い線の終点まで目で追う。
「カイさん一人で運んでいただきます。同じ時間に、別の二十台の馬車も出す予定です」
「道中では、書類を狙う者が現れる可能性があります」
「その者たちには対応します」
ロアンが地図から顔を上げる。
「ただし、AEGISに止められた場合、カイは武器を抜きません。書類の引き渡しは拒みますが、戦ってまで守ることもしません」
「構いません」
「書類の中身までは確認しません。その分、料金は通常より高くなります」
「必要な額を提示してください」
「日程が決まり次第、正式な料金と契約書をお持ちします」
「お願いします」
ロアンは地図を封筒へ戻してテーブルへ置き、紅茶を口にした。
「この香りは、オクシリアのものですか?」
そばに控えていたマーサが答える。
「はい。オクシリア産のハーブでございます」
「以前、護衛で訪れた時に飲みました。懐かしい香りです」
「受け渡しの日程は、改めてこちらから連絡します」
「分かりました。お待ちしています」
ザイルに続いて、ロアンも席を立った。
マーサが扉を開き、そのまま昇降機まで見送った。
昇降機の扉が閉じる。
応接室へ戻ると、ザイルは窓際に立っていた。
「ホンから連絡は?」
「原本の回収を終え、グランディアで待機しています」
「図面の回収は中止だ。カイが到着するまで動かすな」
「承知しました」
「保管先は、先代が使っていた保管庫でよろしいのですね」
「そうだ」
「保管庫は、決められた手順で開けなければ原本も失われます」
「手を切るためにも、今は守る」
ザイルは窓際を離れ、テーブルに残された封筒から地図を取り出した。
「本命は、人身売買に使っていた旧輸送路だ」
「教会が調べていた道です」
「閉じてから半年になる。今さら見張ってはいない」
ザイルの指が、赤い線の終点で止まる。
「それに、保管庫へ続くならここしかない」
「お前は先に保管庫へ向かえ」
「承知しました」
マーサが地図へ目を落とす。
「おとりの手配は、以前使った仲介屋へ回します。今動かせるのは、あの女だけです」
「なら、依頼を回せ。人を集める場所は向こうに任せる」
「場所が決まったら、すぐに報告させろ。二十のダミールートはこちらで用意する。本命の日程が決まったら、同じ時間帯に走らせるよう、出発時刻と通過時刻を指定する」
「承知しました」
「仲介屋へ渡すのは、ダミーの情報だけだ。本命も、荷の中身も知らせるな」
マーサが一礼する。
「いつもの方法で、ホンに連絡を取れ。受け渡しの日程と方法は、その後に決める」
「すぐに手配します」
◇
数日後。
花の街、レストラ。
店先に並ぶ鉢植え。
窓辺から垂れる花のつる。
大通りを行き交う荷車にも、色とりどりの切り花が積まれていた。
「……綺麗」
ルシアが足を止め、道端の花の前へしゃがんだ。
指先で花びらに触れる。
「前に来た時は、雪の中で咲いてたな」
ノアが窓辺を見上げる。
雪の間からのぞいていた花が、今は窓辺を埋めている。
「花じゃ腹の足しにならねぇだろ」
後ろからガイルスが言った。
ルシアが立ち上がり、ガイルスを見る。
「……最低」
「なんでだよ」
「ほら、さっさと行くぞ」
ガイルスが二人を追い越し、ノアもそのあとを追う。
「それで、この街で妙な動きがあるって報告だったな」
「……うん」
ルシアがノアの隣へ並ぶ。
「前に取り逃がしたブローカー。この街で人を集めてる」
「シェナと探っていたブローカーか」
「……そう」
「何のために集めてる」
「そこまでは、まだ」
前を歩くガイルスが振り返る。
「なら、まず教会で話を聞くか」
「ああ」
◇
レストラ教会。
入口の両脇には、花を植えた鉢が並んでいた。
庭では数人の子供たちが駆け回り、青い髪のイリヤスがそのあとを追いかけている。
「あっ、ノアだ!」
ニコがこちらに気づき、駆け寄ってきた。
「久しぶりだな、ニコ」
「また来たの?」
「用があってな」
イリヤスもニコの後ろから近づいてきた。
「イリヤスも久しぶりだな」
「ノアさん。お元気そうで何よりです」
イリヤスが、ノアのそばに立つ二人へ目を向ける。
「そちらのお二人は?」
「メリディア教会の仲間だ」
ノアが順に紹介する。
「ガイルス」
「よろしくな!」
「ルシア」
ルシアは無言で頭を下げた。
「イリヤスと申します。よろしくお願いします」
イリヤスも頭を下げる。
「今日はどうされたんですか?」
「確認したいことがある。マザー・マルタはいるか?」
「裏にいますよ」
「たぶん、煙草を吸っています」
「相変わらずだな」
「何度言ってもやめてくれません」
「分かった。行ってくる」
ノアとルシアが教会の脇へ向かう。
ガイルスもあとへ続こうとした。
「そこのでっかい兄ちゃん!」
子供の一人がガイルスを指さした。
「俺か?」
「一緒にやろう!」
「早く!」
別の子供がガイルスの袖を引く。
「こら。服を引っ張ってはいけませんよ」
「しょうがねぇな。やってやるよ」
ガイルスが教会の脇をあごで示す。
「先に行ってろ。すぐ追いつく」
イリヤスも子供たちの方へ戻っていった。
ノアはその様子を見届け、ルシアと教会の裏手へ向かった。
教会の裏手では、石壁にもたれたマルタが煙草をふかしていた。
白髪の混じった長い髪を、相変わらず無造作に後ろで束ねている。
「おや」
マルタが顔を上げた。
「ノアじゃないか。ルシアちゃんも一緒かい」
「……こないだは、ありがとう」
ルシアが頭を下げる。
「大したことしてないさ」
ノアがルシアを見る。
「何かあったのか」
「……前の任務の時。師匠と私にご飯作ってくれた」
「マルタ、飯作れたのか」
「失礼な奴だねぇ」
マルタがノアへ煙を吐く。
「こっちに飛ばすな」
「それで?」
「この前、ルシアちゃんたちが探ってたブローカーの件だろ」
「そうだ」
「確かに、最近この辺りで人を集めてる連中がいるね」
「人を集めるなら、もっと大きな街の方が楽だろ。なんでレストラなんだ」
「それは本人に聞かないと分からないねぇ」
「……目立たない場所を選んだのかも」
ルシアが言う。
「ルシアちゃんから聞いたあと、こっちでも探ってみたよ」
「……何か分かった?」
「仕事内容は、集まった者にしか教えないらしい」
「それで人が集まるのか?」
「報酬がいいからね。御者や荷運び、それに腕の立つ人間まで、声をかけてる相手もばらばらさ」
教会の表から、ガイルスの声が飛んできた。
「待て! 服を引っ張るんじゃねぇ!」
ルシアが声のした方を見る。
「……ガイルスを変装させる」
「依頼を受けるふりをして、中へ入ればいい」
「確かに、あいつなら教会の人間には見えないな」
「紹介なら、こっちで通せる」
マルタが煙草を石壁へ押しつけ、火を消した。
「物置に大きいのが一着あったはずだ」
「何が」
「スーツさ」
マルタが教会へ入っていく。
「ついてきな」
◇
教会の一室。
黒いスーツ姿のガイルスが立っていた。
「……なんだよ、これ」
黒い上着が、厚い胸と肩に張りついている。
鋭い目つきに、目元の傷。
「似合うじゃないか」
「どこがだ」
「これなら誰も教会の人間とは思わねぇな」
「だからなんで俺なんだよ」
「……かっこいいよ、ガイルス」
ルシアが見上げる。
ガイルスがルシアを見下ろした。
「……そんな褒めんなよ」
「分かりやすいな、お前」
「うるせぇ」
扉が開いた。
「ガイルス、遊び――」
顔をのぞかせたニコが固まる。
ニコの目が、ガイルスの黒いスーツを下から上へたどった。
「ガ、ガイルス……?」
ニコの手から木の輪が落ちた。
「怖い人になったあああ!」
「服が変わっただけだろ!」
ニコが廊下へ逃げていく。
その向こうからイリヤスが顔を出した。
「大丈夫ですよ、ニコ。服を着替えただけです」
イリヤスが部屋の中をのぞく。
「ガイルスさんだと分かれば、怖くありませんよ」
「分からなきゃ怖ぇってことじゃねぇか!」
ノアは口元を押さえた。
「笑ってんじゃねぇ!」
「笑ってない」
「こっち見て言え!」
「裏の知り合いに、一人紹介してもらおうかね」
マルタが言った。
「腕の立つ男が仕事を探してる。あたしからそう話を回せば、不自然じゃない」
ガイルスがスーツの袖を引く。
「なんで俺が……」
「頼む」
ノアが言う。
「……しょうがねぇな」
「紹介状は明日までに用意する。今日は泊まっていきな」
「……泊まるの?」
扉の外からニコが顔を出した。
「ノアたち、泊まるの!?」
「聞いてたのか」
「やった!」
ニコが廊下を走っていく。
「みんなー! 今日はノアたちが泊まるって!」
「勝手に広めんな!」
◇
夕食の席には、シチューの入った大鍋が置かれていた。
ルシアがスプーンでシチューを一口食べる。
「……おいしい」
「だろ?」
ノアがシチューとマルタを交互に見る。
「本当に作ったのか?」
「まだ疑ってんのかい」
「……この前も、マルタが作ってくれた」
ルシアが言う。
「俺は見てないからな」
「なら、次は厨房で見張ってな」
ガイルスが空になった皿を差し出す。
「おかわり」
「まだ食うのかい」
「このくらいじゃ足りねぇよ」
マルタが皿へシチューをよそう。
「鍋まで食うんじゃないよ」
「食うわけねぇだろ」
◇
食事のあと。
「ガイルス! 風呂行こう!」
「俺も!」
「背中流して!」
「なんで俺が子守りなんだよ!」
ガイルスは子供たちに引かれ、浴室の方へ連れていかれた。
◇
夜更け。
「ぐごぉぉ……」
暗い客間に、ガイルスのいびきが響いていた。
ノアは布団の中で目を開ける。
「……うるさい」
隣では、ガイルスが大の字になって眠っている。
ノアは上着を羽織り、客間を出た。
扉を閉めても、ガイルスのいびきは廊下まで聞こえてくる。
教会の外へ出たノアは、入口近くのベンチへ腰を下ろした。
目の前には、白や青の花が植えられた花壇があった。
背後で扉が開き、ランプを手にしたイリヤスが外へ出てくる。
「眠れないんですか?」
「ガイルスのいびきでな」
「私の部屋まで聞こえていました」
「本人はよく寝てる」
イリヤスは扉に鍵をかけ、ランプを消した。
「隣、いいですか?」
「ああ」
イリヤスがベンチの端へ腰を下ろす。
「この花壇も、イリヤスが?」
「はい。子供たちも手伝ってくれています」
「花が好きなのか」
「はい」
「そうか」
「前に来た時とは、ずいぶん違うな」
「冬でしたからね」
「あの時も、雪の中で咲いてたな」
「覚えていたんですね」
「街へ入った時に思い出した」
「では、今度は春の花も覚えていてください」
風が吹き、イリヤスが青い髪を片手で押さえた。
その向こうでは、白い花も揺れていた。




