ⅩⅣすれ違う花束
三月。
朝の食堂。
ノアは食べ終えた皿を重ねていた。
向かいでは、ルシアがテーブルを拭いている。
エイドが湯気の立つコーヒーを片手に入ってきた。
「ノア、しばらく予定はないんだろ?」
「任務は入ってない」
「なら、ちょうどいいか」
「何がだ」
「ノア。あれから一度も帰ってないだろ」
「ホンスーンに?」
「そうだ」
「急になんだ」
「あれから五年だ。今なら、帰っても大丈夫だろ」
「帰って、何するんだ」
「墓参りでも、町を見るだけでもいい。何もしなくたっていいさ」
「往復だけで二十日はかかるぞ」
「三週間くらいなら、こっちは何とかするよ」
「俺がいなくても変わらないってことか」
「そういうことにしておこうかねぇ」
「……本当にいいのか」
「ああ」
「……行っていいなら、行くけど」
「マザーとユリィにも顔を見せてきな」
ルシアが手を止める。
「……私も行く」
ノアがルシアを見る。
「往復二十日だぞ」
「分かってる」
「遊びに行くんじゃないぞ」
「ノアが育った町、見てみたい」
エイドがコーヒーを口へ運ぶ。
「いいんじゃないか。二人で行ってきなよ」
「勝手に決めるな」
「一人よりいいだろ?」
ノアは重ねた皿を持ち上げた。
「……好きにしろ」
「うん」
◇
翌朝。
ノアとルシアを乗せた教会の馬車が、メリディアを出発した。
馬車は街道を北へ進んだ。
日が暮れれば町に泊まり、朝にはまた出発する。
セントリアを抜け、グランディアを越えた。
メリディアを発って十日目の夕方、馬車はホンスーンへ到着した。
二人は町の宿で一夜を過ごし、翌朝には通りへ出た。
◇
風はまだ冷たい。
道端や建物の日陰には、解けきらない雪がわずかに残っていた。
「ここが俺の生まれ育った町だ」
二人は通りを歩き始めた。
昔のまま残っている店。その一方で、見覚えのない建物も増えていた。
「変わった?」
「少しな」
「でも、あんまり変わってない」
店先には、かごに入ったブドゥが並んでいた。
ノアは二つ買い、一つをルシアへ渡した。
「ほら」
ルシアが一口かじる。
「……甘い」
「うまいだろ」
「うん」
二人はブドゥを食べながら通りを進んだ。
しばらくして、一軒の店の前まで来た。
窓の向こうには、焼き上がったブドゥパイが並んでいた。
「ここも残ってたか」
「知ってる店?」
「昔、よく来てた」
ノアが扉を開ける。
「いらっしゃい」
店の奥から、一人の女性が出てきた。
エンメル。
髪は以前より長くなり、顔つきも少し大人びている。
エンメルはノアを見たが、気づいた様子はなかった。
「ブドゥパイなら、ちょうど焼き上がったところだよ」
「一つ、もらう」
「はい。少し待っててね」
エンメルはパイを一つ取り、紙で包んだ。
店の奥から、子供の笑い声が聞こえる。
「エンメル。こっちは見てるから大丈夫だ」
男の声が続いた。
「ありがとう。すぐ戻るから」
エンメルは奥へ声を返した。
「お待たせ。熱いから気をつけてね」
ノアは代金を置き、差し出されたパイを受け取った。
「ありがとうございました」
二人が店を出ると、ルシアが尋ねた。
「知っている人?」
「昔な」
「名乗らなくてよかったの?」
ノアは手の中のブドゥパイを見る。
「元気なのは分かったから、それでいい」
「……そう」
ノアはパイを半分に割り、片方をルシアへ渡した。
ルシアが一口食べる。
「……おいしい」
「だろ」
二人は焼きたてのパイを食べながら通りを進んだ。
◇
通りの花屋へ寄る。
ノアは白と黄色の花を選んだ。
「墓参り?」
「ああ」
町の外れにある墓地へ向かう。
並んだ墓石の間を進み、二つの墓の前で止まった。
エレナ。
ユリィ。
ノアは二つの墓へ花を供え、その場にしゃがんだ。
「久しぶり」
墓石に刻まれた二人の名前を見る。
「……帰るの、遅くなった」
冷たい風が、供えた花を揺らす。
「俺は今も教会にいる」
「エイドも元気だ」
「……俺も、ちゃんとやってる」
ノアは墓前で手を合わせた。
少し離れて待っていたルシアが墓前へ進み、二つの墓へ頭を下げた。
「行こう」
「うん」
二人は墓地をあとにした。
◇
町の外へ続く道を歩く。
丘へ近づくにつれ、家の数が減っていった。
坂の途中で、ノアの足が止まる。
道の脇には、小さな花が咲いていた。
あの収穫祭の日、ここには倒れたユリィがいた。
「ノア?」
「何でもない」
ノアは再び歩き出した。
丘の上へ着く。
そこに、かつての教会はなかった。
ノアが暮らした建物。
マザーやユリィたちと過ごした場所。
崩れた石も、焼けた木材も残っていない。
代わりに、色とりどりの花が広がっていた。
丘の端には、昔と変わらない大岩がある。
ソラやユリィと話した場所。
ソラも、いつかここへ帰ってくるのだろうか。
教会が建っていた辺りには、花に囲まれたベンチが一つ置かれていた。
「ここがノアの家?」
「……昔はな」
二人はベンチへ座った。
丘の下に、ホンスーンの町が広がっている。
ルシアが目を閉じた。
「……気持ちいい」
風が丘を抜け、咲いた花が一斉に揺れた。
礼拝堂。
皆で囲んだ食卓。
子供たちの声。
マザーに怒られていたエイド。
隣で笑っていたユリィ。
ああ。
俺は、この場所が好きだった。
しばらくして、ノアが立ち上がった。
「そろそろ帰ろう」
「うん」
二人は花の間を通り、丘を下りていった。
昼を過ぎる頃、ノアとルシアを乗せた馬車がホンスーンを離れた。
◇
同じ日の午後。
学院では一年目の授業が終わり、春の休暇に入っていた。
ソラとレオンは学院から支給された乗車証を使い、ホンスーン駅で列車を降りた。
「本当に俺まで来てよかったのか?」
「僕が誘ったんだから、今さら気にしなくていいよ」
二人が駅を出ると、目の前にホンスーンの町が広がっていた。
「ここがホンスーンか」
「うん。僕が育った町だよ」
「もっと田舎かと思ってた」
「どういう意味だよ」
「小さい町だって聞いてたからさ」
「グランディアと比べたら小さいよ」
ソラは通りを歩きながら、昔よく通った場所をレオンへ教えていく。
「あっちに行くとAEGISの支部がある。その先が町の外」
通りの店先には、かごに入ったブドゥが並んでいた。
「これがブドゥか?」
「食べたことないの?」
「名前だけは知ってる」
ソラが二つ買い、一つをレオンへ渡した。
「甘くておいしいよ」
レオンがかじる。
「本当だ。うまいな」
「この先に、ブドゥパイを作ってる店もあるよ」
「行こうぜ」
「最初からそのつもりだよ」
二人は店へ向かった。
ソラが扉を開ける。
「いらっしゃい」
店の奥からエンメルが出てきた。
「エンメルさん」
「はい。……あれ?」
エンメルがソラの顔を見る。
「もしかして、ソラくん?」
「はい。お久しぶりです」
「全然気づかなかった。大きくなったねぇ」
「エンメルさんも、お元気そうで」
「元気、元気。ちょっと太っちゃったけどね」
「そっちの子は、お友達?」
「レオンです。学院の同級生です」
「どうも」
レオンが頭を下げる。
「ソラくん、学院に入ったんだね」
「はい。この前、一年目が終わりました」
「もうそんな歳かぁ」
「今日はブドゥパイ?」
「はい。三つください」
エンメルが並んだパイへ手を伸ばす。
店の奥から男が顔を出した。
「エンメル。次のパイが焼けたぞ」
「今行く」
男の足元から、小さな子供が顔を出した。
「お母さん、見て」
木で作ったおもちゃを、両手で掲げている。
「上手にできたね。お父さんと待ってて」
「うん」
子供は男の手を引き、店の奥へ戻っていった。
「結婚されたんですか?」
「そうよ。あの人、料理人でね。前のマスターが引退する時に、二人でこの店を継いだの」
「おめでとうございます」
「ありがとう。毎日忙しいけど、楽しくやってるよ」
エンメルはブドゥパイを三つ包んだ。
さらに、小さなパイを一つ加える。
「はい。これは味見用におまけ」
「いいんですか?」
「いいの、いいの。私が食べようと思って避けてたやつだから」
「自分で食べるつもりだったんですか」
レオンが口を挟む。
「昔から、そういう人なんだ」
エンメルは二人へ袋を渡した。
「ソラくん、もうAEGISの隊員みたいだね」
「まだ学院生ですけど」
「そうだった。隊服が似合ってるから、ついね」
エンメルが店の奥にいる子供を見る。
「いつか立派な隊員になったら、この子たちのことも頼むね」
「はい」
二人は店を出た。
そのままホンスーン支部へ向かった。
受付にいたアイネが、すぐにソラへ気づいた。
「ソラくん!」
「アイネさん。お久しぶりです」
「久しぶり。隊服、似合ってるじゃない」
「ありがとうございます」
「そっちの子は?」
「同級生のレオンです」
「どうも」
レオンが軽く頭を下げる。
ソラは袋からブドゥパイを一つ取り出した。
「これ、エンメルさんの店で買ってきました」
「私に?」
「はい」
「ありがとう。あとで食べるね」
「リアナは元気にしてる?」
「はい。元気ですよ」
「あの子、忙しいみたいで全然連絡をよこさないのよ」
「この前は、リアナさんと今の相棒のネアさんが、事件の犯人を突き止めたんです」
「あのリアナがねぇ。信じられないわ」
「信用なさすぎませんか?」
「昔を知ってるからよ」
「ソラくんも、またいつでも寄ってね」
「ありがとうございます」
「今度はリアナも連れてきてね」
「伝えておきます」
◇
支部を出たあと、ソラは花屋へ寄った。
白と赤の花を買い、町外れの墓地へ向かう。
「……マザーとユリィのところか?」
「うん」
墓地へ入り、並んだ墓石の間を進む。
マザーとユリィの墓へ着くと、すでに白と黄色の花が供えられていた。
花はまだ新しい。
ソラは墓前へしゃがんだ。
「誰か来てくれたのかな」
供えられた花の隣へ、持ってきた花を置く。
「久しぶり。マザー、ユリィ」
レオンは隣で黙って立っていた。
「僕、AEGIS学院に入ったよ」
「この前、一年目が終わった」
「友達もできた」
「俺も入ってるよな?」
「当たり前でしょ」
「僕も、元気にやってるよ」
ソラは手を合わせた。
「……また来るね」
レオンも二つの墓へ頭を下げた。
二人は墓地を出た。
「もう一か所、行きたいところがあるんだ」
「近いのか?」
「丘の上」
「また歩くのかよ」
「疲れた?」
「これくらいで疲れるか」
二人は町の外へ続く道を進み、そのまま丘の坂を上っていった。
「昔、この丘に教会があったんだ」
「お前が暮らしてたところか?」
「そうだよ」
丘の上へ着く。
ソラはそこで足を止めた。
かつて教会が建っていた場所には、たくさんの花が咲いていた。
建物は残っていない。
丘の端には、昔と変わらない大岩が残っている。
花の中には、ベンチが一つ置かれていた。
「……何も残ってないんだな」
ソラは花の間を歩き、大岩に手を触れた。
岩の上でユリィと話した日のことを思い出す。
「収穫祭の日、ここが襲われた」
「マザーとユリィも、その時に?」
「うん」
ベンチの向こうに、ホンスーンの町が広がっている。
レオンはしばらく、その景色を眺めていた。
「……争いなんて、なくなればいいのにな」




